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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第四十三話「降臨」

 三月一日の朝。


 月魔族の都ルーベルナの南約八km(キメル)にあるロウニ峠では、精霊たちが嵐のように暴れている。

 それは自暴自棄になった月魔族の指導者、月の巫女イーリス・ノルティアによって強引に始められた神降ろしの儀式が原因だった。

 儀式によって月の御子ルナの身体に強大な力を持つ存在が召喚されていく。


 ルナは未だに意識を失ったままだったが、唐突に立ち上がる。その動きは操り人形のようで不自然なものだった。

 立ち上がったルナから強い波動が撒き散らされる。その波動は闇の精霊の力ではなく、根源的な恐怖そのもののような力。

 イーリスはその力を受け歓喜に震えていた。彼女には闇の神(ノクティス)が降臨したとしか思えなかったからだ。


(神が降臨された! 私の受けた神託は間違っていなかったわ! これで我々の悲願は達成される! 積年の恨みを晴らすことができる……)


 歓喜するイーリスの足元には、麻痺の魔法によって身体の自由を奪われたヴァルマの姿があった。彼女の目には狂気に染まったイーリスと、敬愛するルナが別の存在に変わっていく絶望的な光景が映っていた。そして、成す術もない自分が歯がゆく、両目に溢れる涙を止めることができなかった。


(御子様が……白の魔術師の言っていたことはこのことだったのね。御子様が邪神にとりつかれてしまう。でも私には何もできない……)


 イーリスの哄笑が彼女の絶望感を更に強めていく。


(イーリス様も変わられてしまった……私がもっとしっかりしていれば……)


 涙が頬を伝っていく冷たさを感じていた。


 ルナは自らの意思に関係なく立ち上がったことで意識を取り戻した。

 ただ、何が起きているのか理解できず、自らの内に巨大な意思が入り込もうとしていることに混乱していた。


(何? 何かが入ってくる!……私を乗っ取ろうとする何かが……自分が自分でなくなるみたい。うっ、気持ち悪い。助けて……)


 自らの意思に新たな意思が上書きするように侵入してくる。その不快感に吐き気を催すが、身体の自由が利かない。


(身体が動かない? なぜ?……これは何? 冷たい? 凍えそうな孤独? いいえ、これは全てを拒絶する何か……駄目! この存在に乗っ取られては……これがあの人が言っていた敵なの……私には勝てない……)


 ルナは必死に抵抗するが、圧倒的な力の差によって徐々に魂を侵食されていく。

 絶望で諦めそうになる中、視線の先にレイの姿を見つけた。

 心の中で“助けて、ひじり君!”と叫ぶが、声帯は思うように動かず、涙を流すことしかできなかった。そして、彼女の意思は徐々に消えていった。


 レイにはルナの涙は見えなかったが、ステラには見えていた。そして、ルナが何を訴えようとしているのか本能的に悟った。ルナが助けを求めていることは分かったが、具体的にどうすればいいのか、それが分からない。ステラはただ立ち尽くすことしかできなかった。



 ルナはふいに自分が声を出していることに気付いた。


「巫女よ、よくやった。これで我が悲願も達成できる。あと少しで我は完全に顕現できる。我にいま少し力を与えよ」


 その言葉は冷たく聞く者に恐怖を与えたが、操られているイーリスには甘美な声に聞こえていた。そして、「我が力をお使いください。神よ!」と叫ぶと、膝をついて平伏する。


「巫女よ、我が下に」というルナの声が響く。イーリスはその声に惹かれるように立ち上がり、ルナの前に片膝を突いた。

 ルナを乗っ取った者は「我が前に立て」とイーリスに立ち上がるよう促す。イーリスは何も考えられなくなっており、言われるまま立ち上がる。

「では、力を我に」と言ってイーリスの首に手を掛けた。そして、ゆっくりと力を込めていく。その力は女性のものではなく、イーリスを片手で持ち上げる。


 ヴァルマはその光景に更に絶望が強くなる。すべてが終わったと思った時、ルナがイーリスを取り落とした。

 そして、渦巻いていた精霊の力の暴走が止まっていることに気づく。


(何が起きたの? イーリス様は、御子様は……)


 すぐに何が起こったのか理解した。

 ゆっくりと倒れていくルナの背中に矢が突き刺さっていたのだ。


「み、御子様!」としわがれた声で叫んでいた。



 レイはルナの雰囲気が変わったことに気付いた。


「乗っ取られ始めている。邪神が降臨しようとしているんだ! 駄目だ! 誰かあれを止めてくれ!」


 その言葉に反応したのはステラだった。

 彼女は持っていた短弓をすぐに構え、無防備なルナの背中を狙う。しかし、レイのことを思い、弦を放すことを躊躇っていた。

 数秒間逡巡していると、突然イーリスが立ち上がった。すべての元凶イーリスを射殺せばと考えたが、この位置ではルナが邪魔でイーリスに矢を当てられない。


「駄目だ! 邪神に力を奪われる! 逃げろ!」というレイの声が響く。


 ステラはレイが何を懸念しているのか瞬時に理解した。ルナがイーリスの首に手を掛けると、暴走している力がルナに集中するのが、彼女にも分かったのだ。

 ステラは反射的に矢を放っていた。邪神に乗っ取られるより、自分の手で命を絶つ方がレイのために、そしてルナの願いに適う、そう考えたのだ。

 ステラの放った矢は見事にルナの背中に突き刺さった。そして、ゆっくりとルナは倒れていった。



 レイは邪神に乗っ取られつつあるルナを見ていることしかできず、自らの無力さを呪っていた。

 ルナがイーリスを殺し、その力を得ようとしていると直感的に分かったものの、魔法が使えない状況では打つ手がない。

 絶望的な思いを抱いている時、弓弦が放された音と矢羽が切る風の音が聞こえた。


「何?」と呟くが、すぐにルナの背中に矢が刺さったことに気付く。そして、ステラが放ったものだということも理解した。


「ステラ!」と悲鳴に近い声で叫ぶが、同時に彼女の選択が正しいことも分かっていた。


 ルナを中心に渦巻いていた力が急速に消え、重苦しい空気が一気に消えた。


 ステラは「申し訳ありませんでした。これしか私には……」と言ってレイの前に跪く。レイはどう言っていいのか言葉にならず、彼女を立たせることしかできなかった。

 ステラが再び謝罪の言葉を言おうとしたが、


「あれしか方法はなかったよ。僕には何も思いつかなかったんだ……だから、ステラは間違ったことはしていない。それより早く向こうに渡って治癒魔法を掛けないと……」


 未だに渡河方法の調査を命じたウノたちは戻っておらず、岩棚にいく方法がない。

 ジリジリとした焦りだけが募っていく。


「ウノ殿たちなら必ず見つけてくれるはずだ。今はこの後のことを考えるべきだぞ」というアシュレイの言葉で、レイに僅かに余裕が戻る。しかし、まだ状況が掴めないのか、独り言を呟いた。


「そうだね。イーリスもヴァルマもどうなったか分からないし、もう一人の翼魔族の姿も見えないしね。少なくとも邪神の降臨は防げたんだけど、月宮さんが……」


 岩棚の陰で行われたイーリスによるヴァルマとキーラの粛清劇はレイたちからは見えていなかった。そのため、どういう状況になっているのか気を揉んでいたのだ。


 五分後、異変を感じたウノたちが慌てた様子で戻ってきた。

 ウノは片膝を突き、「ご無事で何よりです」と言った後、


「申し訳ございません。この付近に渡れそうな場所を見つけることができませんでした」


 ウノの報告では幅が三十(メルト)以上あり、更にロープを投げて引っ掛けられる手頃な木もないことから、通常の手段で渡ることは困難だということだった。

 レイはウノたちを労うと、どうすべきか考え始めた。



 その頃、ヴァルマは自らに掛けられた麻痺の魔法を解除しようとしていた。魔力切れとと、精霊の暴走の影響によって力が集まりにくい状況から、なかなか解除できない。しかし、ルナが倒れた衝撃的な光景により声が出せるようになったため、必死に呪文を唱えていく。

 五分ほど掛けてようやく魔法を完成させ、麻痺を解く。


 すぐにルナの下にいき、「御子様!」と声を掛けるが、ルナの背中には一本の矢が突き刺さったままだった。

 すぐに矢を引き抜くが、思っていたより浅手だった。彼女の着る漆黒のドレスは魔物の素材でできており、ほとんど貫通していなかったのだ。それでも治癒魔法を掛け、更に呼びかける。しかし、ルナの意識は戻ってこない。


 ヴァルマは残った魔力でイーリスにも治癒魔法を掛けていく。

 イーリスも同じように意識が戻っていない。イーリスに短剣で刺されたキーラもまだ息はあったが、既に魔力がほぼ無くなっており、手の施しようがなかった。ヴァルマはその状況に困惑する。


(治癒魔法はうまくいっているはずなのに……御子様は邪神の影響が残っているのかもしれないけど、イーリス様はどうして……キーラはかわいそうだけど無理だわ……)


 ヴァルマの耳に白の魔術師レイの声が聞こえてきた。


「ヴァルマ殿! イーリス殿! 生きているなら返事をしてくれ!」


 ヴァルマは魔力切れで重い身体を起こす。


「御子様は無事よ! でも私は魔力切れで……」


 レイはヴァルマの言葉を遮り、


「そちらに行く手段がない! こちらからロープを投げるから、どこかに固定して欲しい!」


 ヴァルマは「分かったわ!」とすぐに了承する。

 ウノがロープの先に石を括りつけて分銅代わりにし、ロープをくるくると回し始める。そして、勢いがついたところで岩棚に投げ込んだ。彼の技量は一流で一発で岩棚に届く。

 ヴァルマはすぐにロープを岩に固定し、合図を送った。

 レイたちはウノを先頭に次々と谷を渡っていく。


 岩棚に到着したアシュレイは翼魔族のキーラが血塗れになって倒れていることに驚愕する。


「味方を刺したのか? 誰が」という呟きに対し、ヴァルマは自嘲気味に答える。


「イーリス様よ。完全に乱心しておられたわ。私ですら麻痺の魔法を掛けられたのよ」


 アシュレイはその言葉に首を横に振りながら、ルナの横で倒れているイーリスの姿に視線を送る。乱心していた時の醜い表情は消えており、僅かに苦悶の表情を浮かべているが、アシュレイには絶世の美女が眠っているとしか思えなかった。


 その直後、レイが岩場に降り立った。

 彼も倒れているキーラに驚くものの、すぐにルナの下に駆け寄っていく。

 そして、矢を受けた背中の状態をヴァルマに確認する。


「着ている服のお陰で軽傷だったわ。それに治癒は掛けているから傷自体は問題ないはずよ」


 レイは頷くと、ルナに声を掛ける。


「ルナ、僕だ。レイだ……」と何度か声を掛けるが、全く反応しない。それどころか徐々に鼓動が弱くなり、赤みを差していた頬が蒼白になっていく。


(駄目だ。全然反応しない。完全に意識を失っているのか、それとも神降ろしの儀式で精神に異常が出ているのか……僕では無理だ。精神科医でもないし……そうだ! もしかしたら……)


 レイはルナの耳元に顔を寄せ、日本語で語り掛けた。


『月宮さん! 僕だ、ひじりだ。同級生のひじり れいだ。月宮さん、目を覚ましてくれ……』


 ヴァルマは聞き慣れぬ言語に「その言葉は何?」と警戒する。彼女にはその言葉に秘められた力があるように感じたためだ。

 しかし、アシュレイが「レイとルナは同郷なのだ。その土地の古い言葉だそうだ」と咄嗟に説明すると、ヴァルマもレイがルナに危害を加えることは無いと思い直し、「そう」と納得する。


 レイは二人のやり取りを聞くことなく、必死に問い掛け続けた。

 それが功を奏したのか、弱まりつつあった鼓動は安定し、顔にも血色が戻ってきた。しかし、彼女の意識は一向に戻らなかった。

邪神の降臨を一応阻止しました。

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