第三十九話「イーリスの焦り」
月魔族の都ルーベルナの南約八kmにあるロウニ峠。
レイはルナを運ぶ月魔族部隊を光の連弩の魔法で奇襲する。奇襲は成功し、ルナが入っていると思われる籐の篭は翼魔たちと共に地上に向かっていた。
だがそれは彼の予想を超える速度での降下だった。あまりに魔法が効き過ぎたのだ。
輸送を担っていた四体の翼魔のうち三体が翼を傷つけられ、救援に駆けつけた翼魔族のキーラ・ライヴィオと無傷の翼魔一体が必死に墜落を防ごうとしている。しかし、彼女と翼魔一体分の揚力ではルナを乗せる篭と三体の翼魔を持ち上げることはできなかった。更に制御がうまくできないため、針葉樹の梢に何度も引っ掛かり、その都度、大きな衝撃を発生させ高度を下げていく。
結局、着陸と墜落の中間くらいの激しい着地となったが、何とか地面に降り立つことに成功した。
篭の中にいたルナは外が見えず、何が起こっているのか全く分からないまま、ジェットコースターとロープなしのバンジージャンプのスリルを強制的に味わわされる。
篭の中で何度も悲鳴をあげ、重力がなくなる不快感と戦いながら地面に激突する衝撃を待ち構えた。
ガサガサという篭と木の枝がこする音が聞こえ、更に激しい振動が彼女を襲う。それでも必死になって身体を丸め、激突の衝撃を少しでも和らげようとした。
悲鳴を上げながら“墜落する”と思った直後、気持ち悪い浮揚感を感じる。その直後にドスンという強い衝撃を受け、激しく揺さぶられた。
その衝撃により彼女は意識を失った。
月魔族の月の巫女、イーリス・ノルティアは何とかレイの魔法を振り切ったものの、何百年ぶりかの戦闘に頭が付いていかず、呆然としながら空を漂っていた。見たこともない魔法が彼女を狙い、更に優秀な部下や強力な眷属たちが次々と撃ち落されていく姿に改めて戦慄していた。
(何が起こっているの……これがヴァルマの言っていた白の魔術師の実力……恐ろしいわ。あの魔法がまた私を狙ったら……)
彼女はラクス王国の東部でアスラ・ヴォルティが感じた恐怖を追体験している。そして、その恐怖が彼女から冷静な判断を奪う。
(白の魔術師がここに現れた。アクィラの西からここまで五百キメル以上。ヴァルマを追ってきたとしても、抜けられる道はすべて我がソキウスが押さえているはず……)
そこであることに気付く。
(……もしかしたら、黒魔族と白の魔術師がすべてを仕組んだのでは? 黒魔族のサウルなら強力な眷属を召喚できる。その眷族に運ばせたとするなら十分に辻褄が合うわ……いいえ、それだけではないわ。もし、サウルが祖国を裏切り白の魔術師に情報を渡していたとするなら、どこにでも必ず現れ、我々の邪魔をする説明にもなる……)
イーリスは黒魔族のサウル・イングヴァルという見えない敵と、自分に恐怖を与えている白の魔術師レイの二人が共謀していると思い込んだ。否、思い込もうとした。それはルナを奪われるかもしれないという事実から目を逸らそうと、無意識のうちに自らを納得させようとしたのだ。
ルナが入った篭が落ちた場所はロウニ峠の南側の森の中で、峠道に比較的近い場所だった。
針葉樹がクッションとなり、篭には大きな損傷はないが、最後には数mの高さから落下しており、ルナの安否が気遣われる。
その場所にイーリスは慌てた様子で降り立った。しかし、呆然とした表情のまま成す術もなく立ち尽くしていた。
そんな中、翼魔族のキーラはいち早く立ち直り、矢を受けていない同族や眷属たちに指示を与えていく。
「御子様をお助けするのよ。翼魔たちは周囲を警戒しなさい! 誰かヴァルマ様が落ちた場所を見た者は!……」
レイの光の矢を受けた者は月魔族のヴァルマ・ニスカ、翼魔族三名、翼魔五体だった。翼魔のうち篭を運んでいた三体については翼を傷つけられただけであり、戦闘に支障はないため、イーリスとキーラの他に六名の翼魔族と八体の翼魔が篭を守っている。
その状況になりイーリスがようやく我に返った。
「敵は白の魔術師よ。御子様を奪われないように周囲を警戒しなさい! キーラ! すぐに伝令を出しなさい! 都から増援をすぐに呼ぶのよ!」
金切り声で次々と指示を出していく。
キーラが一人の翼魔族の呪術師を伝令に指名するが、「あの魔法ではすぐに撃ち落されてしまいます」と伝令に出ることを拒んだ。
「イーリス様のご命令に逆らうつもり?」と凄むが、「撃ち落されるよりここでお守りする方が……」という部下の言葉に頷くしかない。
キーラはイーリスに「あの魔術師がいる限り、伝令を出すことは無駄だと思います」と意見を具申するが、イーリスは「白の魔術師だけだと思っているの! サウルが糸を引いているかもしれないのよ! 早く伝令を出しなさい! ここにいる方が危険なのよ!」とヒステリックに叫ぶ。
キーラはその姿に困惑するが、部下に対して「死ぬ気で飛びなさい」とだけ告げる。部下は顔面蒼白となるが、キーラに取り付く島が無いと諦め舞い上がった。
キーラたちから見えなくなったところでその部下は地上に舞い降りる。
「どうしたらいいのか……」と独り言を呟くが、彼の言葉は最後まで紡がれることはなかった。背後から近づいた狼獣人によって彼の喉は掻き切られ、同胞にも知られることなくその生涯を終えた。
翼魔族の呪術師を仕留めたのは獣人奴隷部隊の長ウノだった。彼は部下たちと共に峠に下りており、イーリスたちがいる場所を探していたところだった。その彼の前に偶然翼魔族が舞い降りてきたため、始末したのだ。
その頃、レイは必死に崖を降りていた。
空中を飛ぶ妖魔族を狙うため、ある程度の高さが必要だったが、現状ではそれが仇となっている。切り立った崖をステラを先頭にレイ、アシュレイがロープを使って下りていくが、ルナが不時着した場所まではまだ標高差で五十メルト近くあり、更に場所が特定できていない。飛行可能な翼魔はまだ充分にいるため、再び舞い上がるのではないかと懸念していたのだ。
(思ったより手前で落ちてしまった。手応えがあったのは翼魔が五体、翼魔族が三人、月魔族が一人。まだ半数以上が無傷で残っている。さっきは四体の翼魔で運んでいたから、まだ十分に輸送能力はあるんだ。早く決着をつけないと……)
当初考えていた作戦と大きく異なっていることに彼は焦っていた。
それに気付いたのがアシュレイだった。
「焦って失敗すれば敵に逃げられてしまうぞ。ウノ殿たちが下で待機していたのだ。彼らを信頼して慎重にいくべきだ」
彼女の苦言に素直に頷く。
「そうだね。あの距離ならウノさんたちにもよく見えていたはずだから、少なくとも敵を牽制してくれるはずだね」
ステラも「その通りです」と賛同し、更に「それよりも敵の被害が思ったより多いので増援を呼ばないか心配です」と付け加える。
レイはその意見に「確かにそうだね」と言って頷く。
レイが最も恐れているのはルナを都であるルーベルナに運び込まれることだった。ウノとステラが潜入に成功しているが、月の御子であるルナを運び込めば警戒レベルは確実に上がる。その状況で潜入し、更にルナを奪い返して脱出することはここで救出することに比べ、難易度に雲泥の差がある。
(時間との勝負だ。恐らく敵は混乱しているはず。ヴァルマという月魔族がいたけど、最初に撃ち落しているから僕の魔法を直接見ている者はいない。だとすれば、下手に飛び回って撃ち落されるより、地上を進む可能性の方が高いはず……)
冷静になったレイはイーリスたちが再び空輸する可能性は低いと考え始めていた。
あの多数の光の矢は敵の戦意を奪うためでもあった。空を飛ぶ種族にとって安全だったはずの空中が自動追尾能力を持った魔法によって危険な場所に変わった。遮るものもなく、高速で追いかけてくる光の矢は空を飛ぶ種族にとって恐怖以外の何物でもない。そんな状況で再び大切な月の御子を空輸するとは考えられない。
彼の予想は当たっていた。
イーリスは増援が来るまでここで待機し、レイと存在しない黒魔族からルナを守りぬくしかないと考えていたのだ。
ルナの入った篭が開けられる。中はクッションなどが散乱していたが、ルナの意識はないものの外傷は見当たらず、中を確認したイーリスとキーラは共に安堵の息を吐き出した。
「ご無事なようね」とイーリスが言いながら念のため治癒魔法を掛ける。落ち着いた呼吸を確認した後、キーラも「安堵しました」と表情を緩めた。そして、ルナを篭から出すべきかイーリスに確認する。
「御子様はいかがいたしましょうか」
イーリスは窮屈そうな姿勢のルナを見ながら、「この体勢では辛そうね。クッションも出して外でお休みいただきましょう」と命じた。
キーラは頷くが、更に「ヴァルマ様のことはいかがいたしましょうか」と途中で撃ち落されたヴァルマのことを切り出した。イーリスは僅かに考えた後、
「ここの守りをこれ以上減らすことはできないわ。かわいそうだけど増援が来るまで捜索は無理ね」
キーラもその考えに同意するが、自分たちがいる場所に本能的に危険を感じていた。この場所は周囲を針葉樹の大木で囲まれ、見通しがよいとは言えず、魔法での遠距離攻撃が得意な自分たちに有利な場所とは思えない。自分たち翼魔族は空にあってこそ強力な戦力であり、地上に降り立っている現状で、大鬼族を一騎打ちで討ち取った白の魔術師と戦うことに懸念を感じていたのだ。彼女はそのことをイーリスに告げる。
「この場でお守りすることに否はございません。ですが、前衛が翼魔だけです。敵は大鬼族の英雄オルヴォ・クロンヴァールを一騎打ちで倒した猛者。もう少し守りに適した場所に移動した方がよいのではないでしょうか」
イーリスは「確かにそうね」とその提案に頷くものの、
「下手に動くと増援と合流できないかもしれないわ。今はここで増援を待ちましょう」
キーラが「伝令が無事に都にたどり着けるでしょうか」と懸念を伝えるが、
「少なくとも悲鳴も墜落した音も聞こえなかったわ。遠くで撃ち落されたのなら別だけど、光の矢の射程は百メルトほどよ。無事に飛び立てたと思っていいわ」
イーリス自身楽観的過ぎると思ったが、これ以上戦力を減らすわけにもいかなかったのだ。
ウノはイーリスたちをすぐに見つけ出した。墜落した際に比較的大きな音がしたことと伝令であった翼魔族が飛来した方向から当たりをつけることができたためで、イーリスたちを監視できる場所に潜み、レイに伝令を送った。
ウノはレイたちが合流するまで三十分程度は掛かると考え、その間に敵の戦力と逃走経路を探っていく。卓越した間者である彼らは、イーリスたちに自らの存在を気付かせることはなかった。
三十分ほど経った頃、レイが合流した。
ウノはすぐに現状を報告していく。
「翼魔が八体、翼魔族が六名、月魔族が一名です。月魔族は月の巫女であると思われます。ルナ様は篭の外で横になっておられます」
レイは不安な表情を浮かべながら「ルナは無事ということですか」と尋ねる。
「恐らく気を失っているだけかと。月魔族も翼魔族も増援を待っているようですが、ルナ様の容態を気にしている様子はありませんでした」
ウノの言葉にレイは「よかった」と安堵の表情を浮かべるが、アシュレイが「まだ救出に成功したわけではないぞ」と言うと、「そうだね」と言って表情を引き締める。
「奇襲は掛けられそうですか」とステラがウノに尋ねると、
「我々なら問題ありません」と大きく頷き、
「こういった戦闘の経験は少ないようです。警戒はしていますが、穴だらけです」と説明する。
ステラはレイに向かって、「どうしますか?」と作戦の説明を求めた。
作戦は既に考えてあった。
「ウノさんたちが奇襲を掛けます。目標は翼魔。彼らがいなくなれば魔術師、彼らの言うところの呪術師しか残りませんから、何とでもできるでしょう。翼魔を排除したら、次は翼魔族と月魔族を無力化します。その間にステラがルナを救出します。僕は空中に上がる敵を撃ち落します。アッシュは僕の護衛で。月の巫女はできれば捕虜にしたいと思っていますが、無理そうなら倒してください」
全員が頷くもののアシュレイが「月の巫女を捕虜にしたいと言っていたが」とレイの意図を確認する。
「月の巫女は女王のような存在だよね。人質にできれば逃げる時に交渉に使えるかもしれない。それにそんな重要人物を殺してしまうと、魔族の国全体を敵に回してしまって逃げるに逃げられなくなる」
レイはルナの奪還後を考え、イーリスを人質にした上で交渉によって安全に脱出しようと考えていた。
このロウニ峠から安全なアクィラの西側に脱出するには、五百キメル以上敵中を突破する必要がある。潜入時のように自分たちの存在が知られていない状況でも絶望的なほどの困難さだった。しかし、今度は魔族にとって神の化身ともいえる月の御子を“拉致”しているのだ。往路とは比較にならないほどの困難さを伴うだろう。
レイはその状況を考慮し、“月の巫女”たるイーリスを人質にし交渉する策を考えていた。
「しかし、仮にも一国の指導者だぞ。人質となることをよしとしないのではないか」とアシュレイが疑義を呈するが、レイは「確かにそうなんだけど、それしか思いつかなかったんだ」と言って小さく肩を竦めると、
「いずれにしてもルナを取り戻さないと話にならない。後のことは成功してから考えるとして、さっき言ったことは頭の片隅に留めておいてほしい」
その言葉に全員が頷く。
そして最終的な手順を確認すると、ウノたちは森の中に消えていった。
敵を地上に引きずり下ろすことに成功しました。
イーリスは魔術師として戦場に立ったこともありますが、月の巫女として神殿に篭ることが多く、実戦経験はほとんどありません。本来ならヴァルマが参謀役としてフォローするのですが、早々に撃ち落とされ、その役をキーラが引き継いだ形です。
キーラ自身は実戦経験豊富な魔術師ですが、崇拝するイーリスに強く言えない点が今回の事態を招いています。
次話でついにレイとイーリスの直接対決となります。
活動報告やドリームライフの後書きにも書いていますが、股関節の手術は無事終了しました。
現在はリハビリを行っているところですが、少し頑張ると痛みや腫れが出てなかなか進みません。
気長にやるしかないと分かっているのですが、術後の経過が良かっただけに少しだけ焦りを感じています。
焦りを紛らわすために病院食の写真を撮り、ツイッターで呟いています。
興味のある方は覗いてみてください。




