第三十四話「ルーベルナ潜入」
お待たせしました。
前話までのあらすじ:
鬼人族の都ザレシェではルナと月の巫女イーリスが会談を行った。イーリスはルナを説得することを諦め、拉致することを決意する。
一方、妖魔族の都ルーベルナ近くでは、ステラが都への潜入を試みようとしていた。
二月二十四日。
ルナとイーリスの交渉が決裂した翌日、ステラたちは月魔族の都ルーベルナ近郊に潜んでいた。既に四日間、方法を探っていたが、未だに潜入することができず、焦り始めている。しかし、ここで無理をして敵に察知されればレイの身を危険に曝すと思い、慎重に行動していた。
昨日までの調査により強引な潜入は難しく、何らかの偽装を行った上で密かに潜入するしかないという結論に達している。そして、一つの策が候補に上がっていた。
獣人部隊のウノが説明を行っていく。
「明日の朝一番に魚を運び込む荷馬車に隠れて潜入します。潜入するのは私とステラ様。ディエスは連絡役として外で待つ。潜入後、私は闇の神殿か役所を探して情報を集めます。ステラ様は巡礼者に偽装していただき、街の人から情報を集めます。疑われたら即座に脱出してください……」
ルーベルナには近くの川で獲れた魚を定期的に運び込んでいることが分かっている。遠めに確認した限りでは、門での荷の確認も厳しいものではなかった。また、近隣の村で入手した情報によれば、ルーベルナには常時百名近い巡礼者が都におり、獣人が歩いていても違和感がないことも確認している。ただ、ルーベルナの中の警備状況などについては情報がなく、潜入してから臨機応変に対応するしかない。
「明後日の昼前に再び荷馬車に隠れて脱出します。その際一人であっても脱出し、アークライト様に情報を届けます……最も重要なことは我々の存在を知られないこと。知られてしまえばアークライト様の策に支障が出ますから。くれぐれも無理はなさらないように……」
ステラにもウノの懸念は痛いほど分かっていた。今のところ、この辺りの村を含めルーベルナで警戒を強めているという情報はなく、自分たちが魔族の地に潜入しているとは気付かれていない。この状況であれば完全な奇襲が可能であり、レイの知略をもってすればルナを救助することは夢物語ではないとステラたちは考えていた。
(ミスをしないこと。焦らない。私は間者……里での訓練を思い出すのよ……)
彼女はウノの説明を聞いた後、自己暗示をかけていく。
翌朝、ステラたちはルーベルナへの街道沿いで荷馬車を待ち構えていた。荷馬車を操っているのは若い人族の男で二人の男が護衛についている。
(よかったわ。今日も人族で。もし獣人族だともう一日待たないといけなかったから……)
嗅覚などが鋭い獣人では荷馬車に潜んでも見つかる可能性があり、人族であることを願っていたのだ。
日除けと鳥避けを兼ねた幌が掛かった荷馬車が小さな茂み近くを通過する。
その時、一頭の狼が荷馬車の前に躍り出た。
「はぐれの狼だ! 馬を抑えておけよ!」と護衛の一人が叫ぶと、御者は手綱を引き絞り、パニックに陥り棹立ちになろうとする馬を制御する。もう一人の護衛は周囲を警戒しながら狼の動きを目で追っていた。
荷馬車の後ろから静かに二つの人影が近づいていく。ウノとステラの二人だ。
二人は馬が走り出そうと蹄で地面を掻く音をカモフラージュにして静かに荷馬車の中に入っていく。中に入ると魚の入った木箱を静かに動かし、身体を入れるスペースを作っていく。その間に狼の断末魔が響き、若者たちの安堵の声が聞こえてきた。
「こんな時期にはぐれが出るとはな。まあ、一頭だけなら問題はないが」
護衛が狼を倒し、荷馬車は何事もなかったかのように動き始めた。
狼の襲撃は偶然ではなかった。ウノとディエスが狼を捕らえておき、荷馬車が接近してきたところで放す。狼を見て馬がパニックに陥っている隙に中に入り込む作戦だった。その作戦は見事に成功した。
二人は臭いが付かないよう大き目の革袋に身を潜める。外の状況が分からないまま、荷馬車はガタゴトと音を立てながら進んでいく。
唐突に荷馬車が止まり、「止まれ! オーブと荷の確認だ」と兵士から声が掛かる。
御者の若者が「お疲れ様です」と言いながら対応する。突然、幌を乱暴に開ける“バサッ”という音が荷台に響く。槍か何かで木箱を突く音が聞こえるが、そのお座なりな確認はすぐに終わった。
「行ってよし!」という兵士の声に二人は密かに安堵の息を吐き出す。
荷馬車はゆっくりとした速度で進み始めた。門を入ったところでステラとウノは革袋から這い出し、荷台の後方に移っていく。幌の隙間から外を覗き見るとルーベルナの大門を無事くぐれたことが確認できた。
荷馬車が大通りから路地に入ったところで、二人は次々と飛び降り、人目につかないように身を潜めた。荷馬車の行き先を確認してから、「では、手筈どおりに」とウノがいい、街に消えていった。
ステラは大通りに戻ると旅の巡礼者を装い、街を散策しているかのように歩き始めた。街は全体に黒を基調とした建物が多く、城壁も玄武岩のような濃い灰色のであるため、全体に重苦しい印象が強い。
(思ったより人通りが少ないわ。魔族の都だからフォンスやアルスみたいに賑やかだと思っていたのだけど……同じ大神殿がある聖都でももっと賑やかだった……)
彼女は旅をすることが多かったため、多くの都を見ているが、そのどこよりも静かであることに僅かに違和感を抱く。
(やはり闇の神殿があるからかしら?……静謐の都という名は本当のようね……)
安寧の守護者である闇の神の都は静謐の都と呼ばれており、その名の通りだと納得する。そして、手筈どおりに街の人に声を掛けることにした。
彼女が選んだのは商店の女将で、世話好きそうな人間の中年の女性だった。
ステラは不安そうな表情を浮かべながら、「すみません」と消え入るような声で女将に声を掛ける。
女将は「どうしたんだい」と首を傾げながらも、不安そうなステラの顔を見て「迷子になったのかい」と尋ねた。
ステラは大きく頷き、
「はい……宿から街に出たんですけど、見て回るうちにどこにいるのか分からなくなって……“黄昏の家”という宿なんですが……」
事前に近くの村で“黄昏の家”という宿があることを聞き出しており、それを利用した。
「黄昏の家ね……記憶にないわね。近くに何か目印になるものはなかったかい?」
女将の言葉にステラは「大神殿が近かったと思うんですが……」と答える。その言葉に女将がポンと手を打ち、「あんたいいところに泊まっているんだね」と笑い、
「それなら、この通りを真直ぐに西に五百mくらい行けば、右手に大神殿が見えてくるよ。そこまで行けば分かるかい?」と店の前に出て大きな身振りを交えて説明する。
ステラは表情を明るく変え、「ありがとうございました」と大きく頭を下げて女将が示した方へ歩き始めた。
街に潜入したものの、目的の大神殿の場所がはっきりしなかった。近隣の村で大神殿の場所は聞きだしてあったが、現在位置と目的地の位置関係を割り出すため、情報収集を行ったのだ。
ルーベルナの地図が手に入れば簡単だったのだが、宗教都市であり首都でもあるため、安全保障上の理由から地図は公開されていない。
ルナは女将に言われたとおりに歩いていくが、周囲を見回しどのような建物があるか記憶していく。
(この辺りは商業地区のようね。住宅地は裏通りにあるはずだから、大神殿に近いところは役所街のはず。少なくともそこで聞き取りができれば、ルナさんが連れ込まれたか何らかの情報が得られる……)
ステラはルナの所在に関する情報を第一に収集するつもりでおり、更にルナが既にこの街に連れて来られているなら、その所在を探るつもりでいた。そのため、大神殿や役所に近い場所で下級の神官や役人に接触しようとしていた。
ゆっくりとした足取りで西に歩いていると、女将の言っていたとおり右手に神殿らしき建物が見えてきた。その建物は黒曜石のような黒い石材が用いられた大きな物で、いくつかの尖塔が聳えているが、威圧感はなく、落ち着いた雰囲気が安らぎを感じさせる。
大神殿に近づくと、多くの巡礼者が跪き、神殿に向けて祈りを捧げていた。多くは人族、獣人族だが、中には翼魔族もおり、その真摯な姿にステラはある種の感動を覚えていた。
(魔族と人、獣人が同じように祈りを捧げているなんて……マウキ村で“同志”という言葉が国の名前の由来と聞いたけど、この姿を見ると本当にそう思うわ。聖王国と比べたらいけないんでしょうけど、理想郷に見えるわ……でも、どうしてこんな人たちが戦争を起こすのかしら……)
そんなことを考えながらも周りの人たちに合わせて祈りを捧げていく。
(闇の神よ。今、この地で大変なことが起きようとしています。どうか、レイ様の身をお守りください……)
彼女は祈る振りをするのではなく、本当に真摯な気持ちで祈りを捧げていた。それほど、大神殿には厳かな雰囲気があり、本当にノクティスがいるように思えたのだ。
そして、その行いが幸運をもたらした。
「お若いのにご立派ね」と言って、人族の中年の女性が声を掛けてきたのだ。ステラは自分が無防備に祈りを捧げていたことに気付き、驚愕の表情を浮かべてしまった。
その女性の顔は日に焼けており、指先も黒く変色しており、農家であると思われた。彼女はステラが何も言わないことに、「驚かせてしまってごめんなさいね。私はダフネっていうの」と小さく頭を下げる。
そこでステラも笑みを浮かべ、「ステラといいます」と言って同じように小さくお辞儀をした。
ダフネは話好きなようで、夫の病気が治ったため田舎の小さな農村から巡礼に来たことや、家族のことなどを話し始める。
「立ち話もなによね」と言って、大神殿が見える広場にステラを誘う。
更に十分ほど話し続けると、「あら、私ばっかり話してしまって。ステラさんはどちらから?」とステラに話を振ってきた。
「ザレシェの近くにある小さな村から来ました。でも、本当に凄いですね。ダフネさんはいつからここに?」と自分の情報はほとんど明かさず、さりげなく相手に水を向ける。
ダフネはそのことに気付かず、「十日前からよ。まだ、巫女様のご尊顔を見れていないから残っているの」と説明する。
ステラは「巫女様にお会いできるんですか」と大袈裟に驚き、「私もお会いしたいです」と大神殿の方を見る。
「お会いするって言ってもバルコニーにお出になるのを遠目に見るだけよ。いつもなら、五日に一度はお出になるのだけど……」
ダフネの話では二月十五日に一度現れたが、その後は一度も現れていない。
「前回はここに着いた直後で見逃しちゃったのよ。だから、ちょっと無理をして残っているの……でも、いつお出になられるか分からないそうなのよ」
「理由をご存知なんですか?」と何気なく聞くと、ダフネは「噂だけなんだけどね」と言って理由を説明していく。
「獣人の方から聞いたのだけど、五日くらい前に巫女様が都を出られたって話なの。どこに行かれたのかは分からないのだけど……」
ステラは逸る心を抑え、「戻られたという噂はないんですか」とサラリと聞いた。
「まだ戻られたっていう噂は聞かないわね。まあ、神官様から聞いた話じゃないから本当にいらっしゃらないかも分からないんだけど……」
ダフネの話はまだ続いていたが、ステラは心の中で今の情報について考えていた。
(翼魔族が戻ってきたのが、六日前。その翌日に月の巫女が出発したことになるわ。だとすれば、まだルナさんはここに連れてこられていないはず……でも、月の巫女と言えば、魔族の指導者のはず。その指導者自らが出迎えに行ったってことかしら? この先のことは私が考えるより、レイ様に考えていただいた方がいいわ。そのためにも、もう少し情報を集めた方が良さそうね……)
ダフネと別れ、巡礼者たちが利用する食堂や身元確認が不要な礼拝所のような場所で情報を集めていく。
月の巫女がいないという話はいろいろなところで噂になっていた。その情報源の中には神殿で下働きをしている少女もおり信憑性が高いと思われた。また、半月ほど前から神官たちの機嫌が非常に良くなったことと、神官や呪術師が各地から集まり始めたことなどが分かってきた。
(この情報はレイ様に届けないといけないわ……)
更に情報を集めていると、ある視線を感じ始めた。
(監視されている? 無理をしすぎたかしら……情報収集はこれくらいにして監視の目を撒かないと……)
ステラは監視に気付いたことを悟らせないように注意しながら、宿が多く立ち並ぶ区画に向かう。監視しているのは猫獣人の男のようで目立たないようステラを付けていく。
(この男だけなら何とかできそうね。ウノさんたちはともかく、里の子供の方が気配を消せるわ。あとは他にいないかだけが問題だけど……大丈夫そうね……)
その猫獣人の技量は素人ではないものの、厳しい訓練で鍛え上げられたルークスの獣人奴隷たちの足元にも及ばない。ステラは自分の技量を悟られないよう注意しながら、巡礼者の集団を使って猫獣人の尾行を振り切った。
ステラは建物の陰から男の様子を探っていた。男は彼女を見失った辺りでキョロキョロと周囲を見回している。しかし、その動きに焦りはなく、念のため見張っていただけのようだった。
それでもステラはこの男をどうすべきか悩んでいた。
(あの男が報告に行ったら、私たちが潜入したことを気付かれるかもしれない。殺しておいて死体を隠せれば数日間は時間を稼げる。でも、数日では足りないかもしれない……相手は手練じゃない。ということは勘違いだったと思い込むかもしれない。これに賭けた方が分がいい気がする……)
結局、その男を暗殺しないことにし、逆に跡をつけ始めた。そして、男が一軒の民家に入るのを確認し、中を窺った。会話の内容を確認すると、彼女が鬼人族に雇われた間者ではないかという話をしており、大きな障害になる可能性は小さいと判断した。
(正解だったようね。でも、鬼人族と妖魔族の間の溝は大きいみたい。この話も少し調べておいた方があの方の役に立ちそう……)
ステラは一軒の空き家を見つけ、その屋根裏で休むことにした。
第二巻発売から一ヶ月が経ちました。
あまり売れ行きがよくないようで、続巻は諦めつつあります。
まあ、その分WEB版の方に集中できるので、しっかりと完結に向けて更新していきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。




