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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第三十一話「ルーベルナ近郊」

 二月十八日。

 月魔族の都ルーベルナの神殿には若い女性の甲高いヒステリックな声が響いていた。


「どういうことなの! 御子様に見限られたって!」


 叫んでいるのは“月の巫女”と呼ばれる月魔族の最高指導者イーリス・ノルティア。カラスのような漆黒の翼を持ち、白磁のような美しい肌にルビーのような赤い瞳の美女だが、今は感情が高ぶっているのか目は釣り上がり、瞳が仄かに輝いている。

 彼女が問い詰めているのは蝙蝠のような翼を持った翼魔族の呪術師キーラ・ライヴィオ。彼女はイーリスの許しを請うように額を床にこすりつける。


「ヴァルマ様より、御子様が月魔族に対して不信感を抱いておられると。御子様は儀式により生贄にされるとおっしゃられておられるとのこと。大鬼族の長タルヴォ・クロンヴァール殿、小鬼族の長ソルホ・ソメルヨキ殿もそのことはご存知であると……鬼人族の族長たちは御子様に絶対的な忠誠を誓ったとも。このままではいくさにすらなりかねないと懸念されておられました」


「御子様を生贄に? そのようなことはありえぬことはヴァルマも知っているでしょう! 鬼人族と戦ですって! ヴァルマは何をしているの!」


 イーリスはキーラの報告を聞きながら怒りに打ち震えていた。十分ほど怒りの言葉を吐き続け、ようやく落ち着きを取り戻す。


「それでヴァルマはどうしたいと?」


 キーラはゆっくりと顔を上げ、


「ヴァルマ様はイーリス様にザレシェまでお越し頂き、御子様に真実をお伝えしていただきたいと仰せでした。御子様の信を失った自分の言葉では何を言っても信じてもらえないとおっしゃっておられました」


 イーリスはヴァルマの意図を理解した。


(ヴァルマには“誓約の術”が掛けられているから、御子様の問いに全ては答えられない。その点、私なら何の制約もないからすべてを答えられる……分からないでもないわね)


 それでも疑問が残っていた。


(御子様はなぜ儀式のことを勘違いされたのかしら? いいえ、そもそも“儀式”と言う言葉をなぜ知っておられたのか……このことを知っているのは我ら月魔族と翼魔族の神官の一部だけのはず。他には黒魔族も知っているけど、彼らが接触した形跡はないわ……ヴァルマがレリチェから送ってきた手紙には御子様の信頼を得られそうとあったわ。だとすればその時点で御子様は儀式のことを知らなかったはず。ヴァルマには誓約の術が掛けられているから彼女から漏れることはない……)


 疑問を感じるものの答えを導き出すには材料が少なすぎると、それ以上考えることをやめた。しかし、もう一点懸念があることに気づいた。


(タルヴォとソルムが儀式のことを知ってしまった。それも御子様から直接……御子様はザレシェの鬼人族を掌握されておられる。もし、万が一のことがあればヴァルマの言う通りザレシェとルーベルナの戦いになるわ……やはり私が行った方が良さそうね……)


 キーラはイーリスの足元で黙って平伏して待ち続けていた。

 一分ほどの沈黙の後、イーリスがゆっくりと話し始めた。


「分かりました。私自らがザレシェに向かいましょう。キーラ、悪いけど、あなたには私の護衛を勤めてもらいます」


 キーラは「ハッ!」と答え、「命に換えましてもお守りいたします」と更に床に額をこすりつける。


「出発は明朝の夜明けです。急ぐからあなたと翼魔だけで向かいます」


 キーラはもう一度「ハッ!」と答え、イーリスの前から下がっていった。

 残されたイーリスはすぐに同族の神官たちに都を離れることを伝えにいく。


「……というわけで私自ら御子様をお迎えに参ります。儀式の準備は任せますので抜かりなく進めておくように」


 神官たちから冬の飛行は危険であるとか、鬼人族の都に月の巫女が下向するのは異例であるという意見が出される。しかし、イーリスはその意見を一蹴する。


「私以外の誰が御子様を説得できるのかしら? 鬼人族が不穏な動きを見せているのに、誰が彼らを抑えられるのかしら? 選択肢は一つしかないわ」


 イーリスはそれだけ言うと自室に戻り出発の準備をしていく。通常なら彼女付きの侍女がいるのだが、今回は急いで移動する必要があること、最悪の場合、鬼人族との戦闘になりかねないことから、非戦闘員である侍女は連れていかない。


(何十年ぶりかしら? 侍女を連れずに都の外に出るなんて……私の知らない敵がいるかもしれない。少なくとも最高機密である儀式のことを知っている者が邪魔をしている……報告にあった“白の魔術師”かしら? いいえ、それはないわ。同族である翼魔族ですらほとんど知らないことを人間如きが知っているはずはない。いずれにせよ、気を引き締めていかないと……)


 翌日の早朝、イーリスはキーラと十体の翼魔とともに朝靄が広がる地上から澄み切った酷寒の空に飛び立った。



■■■


 二月十九日。

 レイたちはルーベルナに近い峠の頂上で朝を迎えた。北方の山中ということで冷え込みは厳しいが、思ったより雪は少ない。針葉樹の葉は厳しい冷え込みにより、真っ白な霜が張り付いている。

 周囲には白いベールのような朝霧が立ち込めているが、上空は晴れ渡っていた。日が昇れば霧が晴れ、すっきりとした冬晴れが広がると思われた。

 彼らの興味は美しい冬晴れ空の色にはなく、翼魔族や翼魔などが偵察に出てこないかということだった。


「この霧が晴れれば空から丸見えになる。今のうちに峠を下っておいた方がいいだろう」


 アシュレイの言葉にレイも「そうだね。折角ここまできて見つけられたら目も当てられない」と頷く。

 ウノたち獣人奴隷部隊を周囲の警戒に出し、ルーベルナの南にある峠を下っていった。

 峠を下りていくに従い、霧は濃くなっていく。真っ白な霧に包まれ、十(メルト)先すら見えない。

 この時、彼らの上空をイーリスたちが通り過ぎていた。


 この峠はロウニ峠と呼ばれ、東西の高い山によって深い谷のようになっている。崖には張り付くように潅木が生え、渓谷のような風景を作っている。

 ウノがレリチェで入手した地図では、ルーベルナから南に向かうためには空を飛ぶ翼魔族たちといえども、ここを通る必要があると思われた。

 上空をイーリスたちが通過したと気づくことなく、レイたちは魔族の斥候を警戒しながらルーベルナに向けて深い森の中を進んでいく。

 その日の夕方、ルーベルナを一望できる場所に到達した。


 ルーベルナは闇の大神殿がある聖地であるが、一見すると要塞のような造りの都市だ。北側には東から西に流れる大河、南側には南から南西に流れる大河が合流し、そのいずれもが深い谷を形成し天然の堀となっていた。街の形を上から見ると西を頂点とした三角形を作っている。

 そして街の周囲には高さ二十メルトほどの無骨な城壁が聳えており、その城壁には何本もの尖塔が周囲に睨みを利かせている。唯一開けている東側も例外ではなかった。


 レイは眼下の街を見ながら、ルナのことを考えていた。


(何度も翼魔族が飛んでいるから、何かあったんだと思う。途中の村で聞いた話だと、滅多に翼魔族なんて見ないそうだから。だけど、僕たちが見ていないところで月宮さんが連れて来られた可能性はあるんだ。もし、既にいるならすぐにでも行動を起こさないといけない。でも、どうやって確認しようか……)


 潜入して情報を入手する必要があるが、目の前に見える深い谷と高い塀に潜入が無理ではないかと思えてしまう。しかし、途中の村で聞いた話では、ルーベルナに入るためには闇の神殿が発行する特別な許可証が必要であり、よい方法が思いつかない。


(どうやって潜入するかだけど、もし見つかれば、向こうは空を飛べるから逃げ切れない……)


 その懸念をアシュレイたちに話していく。そして、ウノに対し、「気付かれずに潜入することはできますか」と率直に聞いた。

「容易ではありませんが、不可能ではないかと」とウノは即答する。

 レイは彼らを危険に曝すことに躊躇いを感じたが、すぐに決断した。

「ルーベルナで情報を入手して来てください」と頭を下げた。その言葉にウノが「身命に換えましても」と片膝を突いて答える。

 ステラはその様子を見ながら、自分にできることが何かを考えていた。


(情報を手に入れるといってもどうやって? この人たちは凄腕だけど、初めての街は何が起きるか分からない……確か月魔族は女性が多いという話だったわ。だとしたら、私が潜入した方が情報を手に入れやすいかもしれない……)


 ステラは自分の考えをレイたちに説明していく。


「途中の村で聞いた話では、月魔族や翼魔族は女性の方が多いはずです。ですから、私も一緒に潜入した方が情報を得やすいのではないかと思います」


 レイは小さく頷くものの、すぐには決断できなかった。


(確かに今までみた翼魔族も月魔族も女性だった。女性が多いなら、自分たちの世話も自然と女性を使うはず。ステラの言っていることは正しいんだけど、ステラを危険に曝すのは……それを言ったらウノさんたちも同じだし、ここにいても安全とは限らない。思いつく限りの方法でやるしかない)


 ステラを危険に曝すことを一瞬躊躇ったが、「ステラに頼みたい」と彼女の手をとる。

 ステラは自分を信頼してくれたと喜び、「お任せください」と言って笑みを浮かべる。更にレイの心情を考え、「必ず生きて戻ってきますから」と付け加えた。


 ウノたちと相談し、ルーベルナへの潜入はウノ、ディエス、ステラの三人とし、オチョは連絡役を兼ね、周辺に村がないか調べることとなった。レイとアシュレイはセイスとヌエベを護衛にして翼魔族が戻る時に通るであろうロウニ峠付近に潜伏することになった。


 ウノたちは直ちにルーベルナに向けて出発し、レイたちもロウニ峠で潜伏に適した場所がないか探し始めた。

 そして、潜伏に使えそうな場所はすぐに見つかった。そこは峠道を作る崖の中腹にある洞窟で、生い茂った木が洞窟をカモフラージュしているが、峠を見渡すことができる。昼間であればレイたちの視力でも見逃す恐れは少ない。

 セイスとヌエベが周囲を警戒しつつ食料となる獣を狩り、レイはいざという時のために魔力を温存しながら洞窟から峠を見張る。アシュレイはそのレイの護衛として共に洞窟に残っていた。


(ウノ殿でも潜入と情報収集で数日は掛かるだろう。問題はいつ翼魔族がルナを連れ戻すかだ。都の中に入られる前にレイの魔法で何とかするしかないだろうな……)


 アシュレイは自分の考えをレイに伝えた。


「確かにそうだね。都に入る前に取り戻さないと……」と呟くように答えた。


「ならば、既に都に入っていない限り、この場で待つしかないということだな」


 アシュレイがそう結論付けるが、レイは小さく首を横に振る。


「そうは言っても難しいんだよね。飛んで戻ってきたら撃ち落すわけにもいかないし、地上を移動するなら鬼人族が何十人って護衛しているだろうから」


 二人はどうやってルナを奪還するか頭を悩ましていく。

 その日は何事もなく過ぎていった。


 翌日、連絡役のオチョが戻ってきた。彼は片膝をつき、すぐに報告を始めた。


「城壁の警護が思いのほか厳重であり、城壁からの潜入は困難とのこと。他の手段を検討していますが、一両日中に情報を入手し帰還することは難しいとのことです……」


 ルーベルナの城壁には常時、翼魔族の歩哨が立ち、更に上空にも哨戒している翼魔族が多数見られるため、昼間はおろか夜間でも近づくことは難しい。更に城門を通る人の数も少なく、食料を運び込む荷馬車が通る程度で潜入する手段が見つからない。


「地図にはありませんが、周囲に村はありそうですか?」


「数km(キメル)ほどの距離に複数の村があります。主に人族と獣人族が住んでいる農村のようです」とレイの問いに答える。


(農村か……この時期だと農作物を運び込むことも少ないだろうし……)


 レイは頷くと、


「分かりました。ウノさんにお伝えください。くれぐれも無理はしないようにと」


 オチョは平伏するように頭を下げると、森に消えていった。

 レイはこの場で待ち構えることに焦りにも似た思いが募る。


(ここでウノさんたちの情報を待っているだけでいいんだろうか? もし、ルナ(月宮さん)がルーベルナに連れてこられていたら、すぐにでも助け出さないと間に合わない……でも、逆にまだ来ていないなら、下手に動くとやぶへびになってしまう……どうしたらいいんだ……)


 レイの左手にアシュレイの右手が重なる。


「指揮官が焦ってもよいことはひとつもない。父上のようにどっしりとしていろとは言わんが、自分ではどうしようもないことは割り切ることも大切だぞ」


 レイは彼女の気遣いにわずかに余裕を取り戻す。


「確かにそうだね。分からないものは仕方がない」


 レイは泰然としたハミッシュ・マーカットの顔を浮かべながら、「でも、さすがにハミッシュさんみたいにはできないけどね」と言って笑った。

9月10日に「トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~2」が発売開始となりました。

書籍版はもちろん、今回は電子書籍も同時発売です。

第二巻ではWEB版第一章の後半部分、アザロ司教との対決の話になります。

また、特別読み切り「ドワーフライフ~夢の異世界酒生活~」は、スコッチの密造酒に関するお話です。

ドワーフたちの怒りがいかほどのものか……外伝「ドリーム・ライフ~夢の異世界生活~」に登場したキャラも多数絡んできます。


アマゾン様のカスタマーレビューを書いてもよいという読者様がおられましたら、よろしくお願いいたします。


今のところ、続巻の話はありません。

出版社より第二巻の売れ行き次第で続巻が出版されるか決まると聞いております。

ご支援よろしくお願いいたします。

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