第三十話「ルーベルナへの街道」
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あらすじ:
月の御子ルナは鬼人族を掌握することに成功した。
更にヴァルマを遠ざけ、月魔族と決別する。
ヴァルマは失意のうちに鬼人族の都ザレシェを後にした。
二月十三日の夜。
月魔族のヴァルマ・ニスカは己の不甲斐なさを嘆いていた。
彼女は月の御子であるルナに疑われ遠ざけられた。しかし、強引にルナに接触するわけにも行かず、さりとて月魔族の都ルーベルナに戻るわけにもいかず悩んでいる。
彼女の周りには共に放逐された翼魔族の神官二十人がおり、共にザレシェ郊外で途方に暮れている。
北の空に目をやると、偶然二十ほどの人型の影が目に映った。その姿は次第にはっきりとし、蝙蝠の翼を持つ翼魔族とその眷属翼魔であることが分かった。
北方から来た翼魔族は月の巫女イーリス・ノルティアの命を受けたキーラ・ライヴィオ率いる翼魔族十名と翼魔十体だった。
ヴァルマの姿を認めたキーラはなぜこのような場所にいるのかと訝しみながらも、すぐに編隊を降下させた。
着地するとすぐさま片膝を突き、頭を下げる。彼女の後ろでは翼魔族たちが同じように膝をついてヴァルマに敬意を表していた。
「御子様の出迎えですか?」とヴァルマが問うと、キーラは内心の疑問を呑み込み、切れ長の目が特徴的な美しい顔を上げた。
「イーリス様より仰せつかって参りました。ヴァルマ様の指揮下に入るようにとの命も受けております」と再び頭を下げる。
そして、懐から一通の封書を取り出し、「今後のご指示でございます」と封書を捧げ持つ。
ヴァルマは封書を受け取るとすぐに開封し、中を確認していく。
既に夜も更け、月明かりしか照らすものもないが、夜目が利く月魔族には何の支障もなかった。
封書に書かれた命令を読み、ヴァルマの顔に絶望が広がっていく。
そこにはルナを翼魔によって速やかに移送すること、道中の安全を最優先にするが、到着は二月末を厳守することなど細かな指示が書かれていた。
(すぐにでも御子様を丁重に移送せよか……この状況では謁見すら認めてもらえないわ。無理にお連れしても御子様の心は更に離れてしまう。それに鬼人族が黙っていないわ。タルヴォはやると言ったことは必ずやる男。御子様を無理に連れていけば、必ず兵を差し向ける。ルーベルナに篭れば何万人来ようが負けることはないのだけど、それではソキウスの同志が相争うことになる。それだけは避けないと……)
ヴァルマは悩んだ末、キーラに状況を説明していった。
「……御子様は我ら月魔族に不信感を抱いておられるわ。すべては私の不徳が原因なのだけど、この状況で無理に御子様をお連れすれば鬼人族が必ず暴発する……」
キーラはその状況に驚くものの、特によい案があるわけでもなく黙って聞いている。
「イーリス様にお越し頂き、直接説得していただかなければ埒は明かないわ。来たところで悪いんだけど、神官たちを連れてルーベルナに戻ってくれるかしら。神官たちは荒事に向かないから」
キーラは真冬の空を飛び続けた疲労があったが、月の御子を安全に運ぶという任務のため、不平を言うことなく、「承知いたしました」と答える。
その後、細かな調整を行い、キーラは翼魔族の神官二十名と護衛の翼魔十体を引き連れルーベルナに戻り、ヴァルマは残りの翼魔族九名と共に近くの村に潜伏することにした。
■■■
レイ・アークライトは二月八日に“絶望の荒野”に近い辺境のマウキ村を出発し、月魔族の都ルーベルナを目指した。
体調が万全とは言い難かったが、マウキ村で休息し魔力が回復したことが功を奏したのか、レイの体調も普段に近いところまで回復している。更に水の安全が確認できたことから、飲み水を彼の魔法に頼る必要がなくなったことから、魔力の消費量が格段に減っている。また、マウキ村からルーベルナに向かう街道までは道はないものの起伏の乏しい平原であり、絶望の荒野に比べれば格段に歩きやすく、疲労が溜まりにくかった。
村を出て二日で街道に出たものの、鬼人族でもない彼らが大手を振って歩くわけには行かず、街道に沿うように北上していた。
更に二日。街道は深い森に入っていく。その頃にはこの街道は予想以上に人通りが少ないことに気づいていた。深い森であり視界が遮られていることから、ウノたち獣人たちが周囲を警戒しやすく、街道を進んでも安全と判断する。
レイは街道を歩きながら、今後の方針について考えていた。
(僕たちが先行している保証はない。だとすれば、ルーベルナまで急いでいく必要がある……)
マウキ村は鬼人族の都ザレシェから百五十kmほど北にあった。街道に出るために五十キメル東に行き、二日間深い森を進んでいることから、ルーベルナまでの距離は二百キメルを割っている。
(ルナがレリチェを出発して二十日になるけど、レリチェからルーベルナまでは六百五十キメルもある。雪の中で一日二十キメルくらいしか進めないはず。だとすればギリギリ間に合うはず。いや、間に合ってくれないと……街道を進めば一日当たり少なくとも三十キメルは進める。あと六、七日でルーベルナに着けるはずだ……)
レイは自分の考えをアシュレイやステラ、ウノたちに話していく。
「……多分間に合うと思うんだけど、意見を聞かせて欲しい」
アシュレイが「私からで良いか」と言って話し始める。
「レイの予想は大きく外れていないだろうな。マウキ村もそうだったが、ここ魔族の地は絶望の荒野以外、思いのほか雪が深い。ルナの体調を考えれば数日おきに休養を取るはずだ。だとすれば、厳しめに見積もってもザレシェを出発したところと見るのが妥当だろう」
その言葉にステラが疑問を呈した。
「ですが、ルナさんを攫った時のように翼魔を使えばもっと早く移動できるのではないでしょうか」
レイもそのことを考えており、「多分大丈夫だと思う」と答える。
「レリチェに入った時にはルナの周りに翼魔はいなかったし、レリチェにも翼魔族はいなかった。ルーベルナまで伝令が走ったとしても、この寒空を数時間も飛び続けるのは体力的に厳しいはずだしね」
アシュレイも大きく頷く。
「拉致した直後は敵中だった。だが、今は安全な自国にいるのだ。儀式とやらに期限がなければ危険な飛行は避けるだろう」
ステラもその説明に納得し、「私たちが追いかけているとは知りませんし、無理することはあまり考えなくても良さそうです」と笑う。
アシュレイとステラは暗黙のうちにこのやりとりをしていた。
二人はレイが焦ることを恐れていたのだ。そこでアシュレイが充分に間に合うという意見をいい、ステラが懸念を示した上で納得したことにより全員の認識が問題ないということを示した。
ステラ自身、レイの説明に納得していたが、あえて疑問を呈したのだ。
レイはそのことに気づいていなかった。
ルーベルナに向かう街道にはところどころに小さな村があり、ウノたちが気配を消して潜入し情報を収集していく。
当初は獣人が街道を旅することを不審がられるかと思われたが、極少数ではあるものの魔族以外でも闇の大神殿があるルーベルナに向かう者はいるようで、それほど違和感は持たれなかった。
(聖地巡礼のような感じなのか? この装備のままじゃ目立つから駄目なんだろうけど、装備を外せば僕も大丈夫そうだな……)
二月十四日の昼過ぎ、レイたちは旅人を装い街道沿いの村に入っていった。都同士を結ぶ主要な街道にあるものの、宿場町というほど発達しておらず、村に入るための検問もなかった。
村の中に入ると、中鬼族や小鬼族の農民が歩いているだけで寂れた雰囲気が漂っている。商店は雑貨商があるだけで宿も一軒しかない。
「随分寂れた感じだね」とレイが呟くと、アシュレイも「そうだな」と同意する。
二人は鎧だけでなく、槍や大剣も持っていなかった。二人は巡礼に行く夫婦を装っており、ウノたちは同じ村から巡礼に出たグループを装っている。偶然行き先が同じということで意気投合したことにし、行動を共にしていた。
昼食を宿の食堂で摂るが、固いパンと根菜のスープだけで肉類はほとんどなかった。
できる限り目立たないようにするため、世間話をする程度で食事を終える。外に出たところでアシュレイが小声でレイに話しかける。
「思った以上に貧しいな。荒野に近いマウキ村の方がよほど豊かだったな」
「そうだね。ウノさんたちが見た感じだと農地があまりないみたいだし、狩人らしい人もいないみたいだね」
街道は深い森の中にあり、僅かに開けた場所に村が作られているため、元々農地に向いた場所ではなかった。また、街道といっても月魔族や翼魔族は飛んでいくため、わざわざ貧しい村に泊まる必要はなく、村とは別に整備されている安全な宿泊所を利用していた。
空を飛べない鬼人族や人族などは街道を使って移動するが、商人たちが多数往来するようなこともなく、宿場町として発達する要素がなかった。実際、大都市を結ぶ街道とはいうものの、間道といったほうがよいほど狭い。レイたちは通っていないが、大都市ザレシェと前線基地レリチェを結ぶ街道の方が遥かに整備されていた。
魔族の国ソキウスの貨幣は持っていなかったが、西側の国の貨幣が使えたため、雑貨商で保存食や塩などを購入していく。
西側の貨幣が使えたのは亡命者が持ち込んだものや、幾度となく行われた侵攻作戦で手に入れていた貨幣が流通していたためだ。また、ソキウスでも西側と同じような意匠の貨幣を鋳造している。
雑貨商で雑談をしながら買い物をしていくが、レイは自分たちの正体がばれないか気が気ではなかった。しかし、雑貨商の主人である小鬼族の男は彼らに全く興味を示さなかった。
レイがさりげなく聞いてみると、「巡礼に行く奴は年に何十人もいるからな。それも人族や獣人族ばかりだ」と興味無さそうに答える。更に話をしていくと鬼人族と月魔族を筆頭とする妖魔族との間に確執があることが分かった。
(ミリース谷で感じた通りだな。だから鬼人族はルーベルナに行きたがらないのか。だとすれば、そこに付け入る隙があるんじゃないか……)
雑貨商で買い物を終えると、彼らはそのまま街道に出ていく。もちろん先を急ぐ必要があるためだが、次の村まで二十キメルほどの距離があり普通の旅人ならこの村で宿泊する。しかし、宿に泊まるとオーブを確認される可能性があるため、村では宿泊しなかった。
二月十七日。
前日までの二日間は吹雪に見舞われ、更に何度か魔物に襲われていた。しかし絶望の荒野のような危険な敵ではなく、レイが魔法を使うまでもなくウノたちだけで処理している。
途中の村に立ち寄ると、多くの翼魔族が南に向かっていたという情報を手に入れる。
「翼魔族が二十人くらいか……どう思う?」とアシュレイがレイに聞く。
レイは「そうだね」と言い、数秒間沈黙したあと、おもむろに話し始めた。
「多分、ルナを迎えにいったんだと思う。空を飛んでいけば三百キメルの距離でも四、五日で着くからね」
アシュレイも「そうだな」と頷き、ステラたちも同じように頷いている。
「急がないと拙いかもしれない。五日前にこの辺りを飛んでいったとなるともう出発の準備を終えているはず……正確な距離は分からないけど、ここからルーベルナまでは八十キメルくらい残っている。今の調子だとルーベルナまであと三日。真上を飛んでくれないと見つけられない」
北上するに従い森は深くなり、更に山道が厳しくなっていく。直線距離では一日三十キメルほどしか進んでいないが、実際に歩いている距離はその倍近い。更に深い森であるため、上空が視認できず翼魔族が通過しても見逃す恐れが大きかった。
焦りを見せるレイの手にアシュレイの手が重なる。
「焦っても仕方がない。幸い天候があまりよくない。奴らとて月の御子を危険に曝したいとは思うまい」
夜になりレイたちは街道から少し離れた山中で野営をしていた。日付が替わった頃、不寝番を行っていたヌエベが鋭い警告の声を発した。
「上空に翼魔族! 数は二十、いえ、三十。北に向けて飛んでいきます!」
その言葉にウノが跳ね起き、するすると木に登っていく。
レイとアシュレイもすぐに目覚めた。しかし、傍らにいるステラが銀色の髪が月明りを受けて煌いているものの、夜目の利かない二人が空を見上げても何も見えなかった。
「私にも見えました。翼魔族です!」というステラの声に、「何かを吊るしている感じは!」と焦ったレイの声が響く。
「いえ、何も持っていません!渡り鳥のように隊列を組んで飛んでいます」
レイはルナが運ばれていないことに安堵するものの、なぜルーベルナに戻ってきたのか疑問に思った。
(タイミング的にいってザレシェに行って帰ってきたって感じだ。だとすれば、月宮さんを運んでいないとおかしい。転送か何かの魔法でも使ったのか……)
ヴァルマが翼魔を召喚した魔法陣から転送の魔法が存在することは容易に想像できる。実際、ドクトゥスの研究者リオネル・ラスペード教授は転送の魔法陣と召喚の魔法陣の間に大きな原理の違いはないという仮説を立て、彼に説明している。
すぐに翼魔族の姿は闇に消えていった。ウノが木から飛び下り片膝をついて報告を始めた。
「ヌエベの言う通り翼魔族と翼魔のようです。北に向かっておりました」
レイが「翼魔も」と呟くと小さく頷き、「翼魔族が二十人、翼魔が十体ほどでした。いずれも大きな荷物を運んではおりません」と報告する。
レイは「お疲れ様でした」とウノを労うと、「ここで起きていても仕方がないので寝ましょう」と言って横になる。彼は大木に背を預けながら、なぜ翼魔族だけでなく翼魔が含まれていたかについて考えていた。
(翼魔は護衛? 確かに翼魔も魔法は使えるみたいだけど、複雑な魔法陣を使うのに召喚した魔物を使うんだろうか……特に今回送るのは“月の御子”。数千人の鬼人族と引き換えに手に入れた大事な生贄。だとすると、最高の魔術師を集めるはず……何か手違いでもあったのかな?)
レイは隣で眠るアシュレイの体温を感じながら、これからのことを考えていた。
久しぶりにレイたちの話が入ってきました。
この先はレイたちとルナ、ヴァルマたち月魔族の三者の場面が入り混じることになります。
トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~第2巻の発売まで10日ほどになりました。
活動報告で書影を公開しておりますので、興味のある方はご覧ください。




