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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第二十話「観察者」

お待たせしました。


あらすじ:

ルナは何者かに操られるように中鬼族を扇動し、彼らの支持を集めながら、鬼人族の都に向かう。

彼女を追うレイは異形な魔物に襲われながら、絶望の荒野を進んでいた。

 トリア暦三〇二六年二月二日。

 レイたちが絶望デスペラティオニスの荒野に入ってから七日。彼らは荒野を百八十km(キメル)踏破した。既に荒野の中心付近を抜け、残りの行程は三分の一を残すだけとなり、順調に行けば後三日で荒野を抜けることができるところまで来ていた。

 しかし、この間に小鬼族の捕虜ラウリを失っていた。


 ここ数日は一日辺りの移動距離が三十kmに達し、レイたちもこの絶望の荒野に順応し始めていた。岩に模した魔物やゴーストのようなアンデッドの襲撃は続くものの、ウノたちやステラの危機察知能力はそれまで以上に磨かれ、死を覚悟するような危険を感じることはなくなっていた。

 だが、昨日の二月一日、それは突然起きた。


 周囲を警戒するウノら獣人奴隷たちの監視の目を掻い潜るかのように、レイ、アシュレイら本隊が通ったところで、突然、瘴気を伴ったガスが岩の間から噴出したのだ。そのガスは火山性のガスのような毒性はなかったが、ガス自体に意思を持つ気体生命体とでもいうような特殊なものだった。


 アシュレイ、レイ、ラウリ、ステラの順で歩いていたため、ラウリだけでなく、他の三人もそのガスを吸込んだが、立ちくらみのような弱い倦怠感を覚える程度で膝をつくことすらなかった。

 だが、ラウリだけは別だった。彼は生命力を搾り取られたかのようにあっという間に顔から水分が抜けていき、そのまま倒れてしまった。後ろを歩いていたステラが確認したとき、彼は既に事切れており、その顔は皺だらけで、まるで老衰で死んだ老人のようだった。


 だが、それだけではなかった。ラウリの死体が突然立ち上がり、目の前にいたレイに襲い掛かったのだ。ラウリは屍食鬼(グール)のように歯を剥き出しにし、頚動脈を噛み切ろうとでもいうようにレイの首筋に噛み付こうとした。

 ウノたちがすぐに気づきラウリの首を刎ね飛ばすことで、事なきを得たが、ガスを吸込み反応速度の落ちた状態ではレイが大怪我をした可能性があった。


 アシュレイがその異様な光景に「何だったのだ……」と呟き、レイも言葉を失っていた。最も間近で見ていたステラが「本当にあっという間でした。生きている人がいきなりアンデッドになるなんて……」と普段冷静な彼女ですら、怯えを見せるほどの衝撃を受けていた。

 レイは「移動しよう」と言って、この場を立ち去ることを指示しながら、ラウリに起きた現象について考えていた。


(身体を乗っ取られて生気を全て吸われたって感じだ……ゴーストほど明確な意思というか悪意は感じなかった。もっと希薄な感じ、そう、ただの煙みたいだった。気体生命体って言ったらいいのかも……僕やアッシュ、ステラが助かったのは運が良かったんだろうか? それとも体力というか、耐性が高かったから助かったんだろうか……)


 そして、この地の魔物の恐ろしさが彼を苛んでいく。


(気体生命体に金属生命体。岩に化けた魔物……今まで見たことがない魔物ばかりだ。この絶望の荒野だけが特殊なんだろうか? それとも永遠の闇(クウァエダムテネブレ)全体が特殊なんだろうか? この先もこんな魔物が出てくるようなら、まだまだ犠牲が出るかもしれない……)


 それでもレイは前のように悲観することはなかった。


(何としてでもここを抜ける! 一刻も早く月宮さんを助けないと大変なことになる。だから、僕は迷わない。後で後悔するかもしれないけど、今は迷わない!)


 レイはラウリの死に対し責任は感じるものの、落ち込むことなく前を向いた。そんな彼にアシュレイは安心するものの、僅かに寂しさも感じていた。


(落ち込まなくなったことはいいことだ。慰めなくてもよくなったのだが、何となく寂しいものだな。抱きしめて励ましてやる。それができなくなった……ふふ、勝手なものだな。あれほどしっかりしろと叱咤していた私がそんなことを考えるとは……)


 その後は更に慎重に進み、翌日の二月二日も大きなトラブルなく、野営に適した場所を探していた。この数日の経験から大きな岩を背にした場所で、更に硬い地面が望ましいことが分かっている。岩は吹き付ける寒風を防ぐためだ。地面は地下からの攻撃を防ぐため、レイが石化の魔法でコンクリートのように硬くしているが、最初から硬い地面の方が効率がいいためだ。

 今回は高さ五(メルト)、幅十(メルト)程の灰色の四角い岩の陰を野営場所に選んだ。その岩は人の手によって切り出されたように四角く、不自然さを感じたが、周囲に適した場所がなく、止む無く選んでいる。


 小鬼族のダーヴェとラウリが死亡したことから、獣人六人と人間二人と言う組合せであり、獣人と獣人以外という組合せが困難になったことから、レイ以外の七人で交代して見張りを行っている。

 レイは申し訳なさそうにするが、自分に期待されていることは魔術師としての能力であり、魔力の回復は必要なことだと腹を括って休んでいる。


 その夜も小雪交じりの寒風が吹きつけ、更には薪の関係から焚き火も消しており、毛布とマントだけでは歯の根が合わないほどの震えがくる。アシュレイやステラが寄り添うため、何とか暖を取れているが、疲れ果てている割には寝付くまでには時間が掛かっている。


 灯りの魔道具の淡い光が岩を照らしていた。

 その岩をぼんやりと眺めながら、睡魔に身を委ねようと努力していた。しばらくすると、瞼が重くなり、微睡(まどろ)みの中に落ちていった。



 レイは自分が夢の世界にいると自覚していた。

 墨を流したような真っ黒な空間に頼りなく浮かんでいた。ただ一点、ぼんやりと明かりが灯されていた。それはぼんやりと淡く光る白い光で、蛍のように緩やかに明滅している。


(ここはどこなんだろう……暖かいし、何か気持ちがいい場所だな。いつまでも居たくなるような、そんな感じがする……)


 明滅する光がゆっくりと近づいてきた。彼には近づいているのか、光が強くなっているのか判断は付かなかったが、それでも蛍のような小さな光が、今ではランタンほどの明るさに感じられている。見つめていても眩しいというほどではない。

 その光を見つめていると時間感覚も失い、数秒なのか数時間なのかも分からなくなっていた。


(これが罠なら間違いなく殺されるな……でも、抵抗できる気がしない……)


 そんなことを考えていると、突然頭の中に声が聞こえてきた。


『警戒する必要はない。ここは安全だ』


 その声は男性の声で、やや低いバリトンで、聞く者に安心感を与えるような落ち着いたものだった。

 レイはその声の主に対し首肯すると、「ここはどこなのでしょうか?」と問い掛ける。


『この場所の説明は難しい。君に理解できる表現ならば、“夢の回廊”と言っても良いかもしれない。君は今、精神(こころ)で私の存在を認知している』


 更に「あなたは誰なのでしょうか?」と問うと、


『私もしくは我々の存在を説明することもまた難しい。一言で言えば、“観察者(オブセルヴェ)”あるいは“傍観者(スペクテット)”となる』


 レイは「観察者(オブセルヴェ)?」と呟き、


(何を観察しているんだろう? それに“我々”って言ったな。一人じゃないということか……)


 そんな考えが浮かぶと、観察者と名乗る者が心の問いに答える。


『我々は思念の集合体と言うべき存在だ。厳密には少し違うが、君にはこの言い方が理解しやすいだろう。“私”という一人称を用いたことも君に理解してもらいやすいようにしているに過ぎない』


(なるほど。“思念”だから精神で認識しているってことか……それより、何で僕はこんなに普通に応対しているんだろう?)


『君が普通(・・)にしていられるのは、私が調整しているからだ。この場所は不安や激しい感情を抑制する効果を与えてある。もちろん、君の思考を誘導するようなことはしていない』


 レイは一瞬、自分が調整されているという事実に不快感を抱くが、相手に敵意がないことから、すぐに納得した。


(アロマテラピーとか、リラックスできる音楽だと思えばいいか……)


 観察者は更に話を進めていく。


『先ほどの質問に対する答えだが、私の観察対象は、この世界そのものだ。この世界は実にユニークなのだ……』


 レイには今まで落ち着いた雰囲気だと思っていた観察者の声が、僅かに弾んだように感じた。


(この人は研究者なのかな?)


 彼の思いとは関係なく、観察者の話は続いていく。


『……このような世界は数多の世界を渡ってきた私でも初めてだった。偶然見つけたのだが、既に五万年以上、ここに居ついてしまった……』


 五万年と聞き、レイは思わず「五万年!」と声を上げた。


(五万年って言ったら、地球なら旧石器時代くらいだよ。そんな時代から見ているんだ……)


 レイの驚きに笑いを含んだようなニュアンスの声が返る。


『この世界は君が思っているものとは大きく異なるのだよ。五万年前にも文明は存在していた。我々が見ても十分に発達した文明が。だが、発達した文明だけなら、私はこの世界に留まることはなかった。私が言う“ユニーク”というのはそのようにことではないのだから』


 レイは観察者の言いたいことが理解できなかった。


(どこがユニークなんだろう? 確かにゲームや小説でよくあるファンタジー世界そのものだけど……それより、五万年前に発達した文明があったってことは一度滅んでいるってことなんだよな。今の文明が発達しているとは言い難いし……)


 観察者は首肯するようなイメージを送りながら、『その通り』と答える。


『私が見ただけでも文明は二度滅んでいる。いずれも今とは全く違った文明だったが……私が言うユニークといっているのは“世界”そのものの“あり方”だ……』


 レイは思わず「世界のあり方ですか?」と口を挟む。

 観察者は特に気にする様子もなく、『そう、世界そのもののあり方がユニークなのだ』と答え、逆にレイに『君は不思議に思ったことはないかね?』と質問してきた。レイは僅かに首を傾げる。そして、もう一度質問を繰り返す。


『君は疑問に思ったことがないかね。この世界の時間、年、月、日が不自然(・・・)なほど整っていることに』


 レイは質問の意図が分からず、「どういうことでしょうか? 一年が十二ヶ月で三百六十日ということが不思議なことなんでしょうか」と聞き返す。観察者はやや落胆したようなイメージを見せるが、すぐに気を取り直したかのように話を進めていく。


『この世界には“閏年”というものがないのだ。つまり、一年は正確(・・)に三百六十日で、僅かなずれもないのだよ。惑星の運動、つまり、公転周期が“年”を決め、自転周期が“日”を決めるとするなら、これは不自然(・・・)極まりないと思わないかね』


 そこまで話を聞き、レイにも彼が何を言いたいのかようやく分かってきた。


(確かに言われてみればそうだよ。公転周期が自転周期で完全に割り切れるなんてことは、自然界ならありえないはずだ。一年で一時間ずれただけでも二十四年に一回は閏年がないとおかしいんだ。今まで考えたことが無かったな。僕の小説の設定は、簡単に割り切れるから便利でいいっていうことだったし……でも、どうして、こんなに“不自然”なんだろう……)


 レイの疑問に観察者は『そう、“不自然”なのだよ』と言い、『不自然、すなわち、“自然”ではないのだよ、この世界は』と付け加える。

 レイは観察者の言っている意味を掴みかねていた。


(自然じゃない? この世界だって惑星なんだから、“自然”に決まっている。偶然過ぎる点が不自然なのかな? 誰かがテラフォーミングみたいに調整したとか……)


 観察者は『この世界が惑星だと確認したのかね』と、面白い話を聞いたとでも言うように笑い声にも似た思念を送ってきた。

 レイは思わず、「星じゃないんですか!」と叫ぶが、すぐにこの世界の地図を思い出し、口を噤んだ。


(確かにこの世界の地図は不完全なものしかない。世界一周をしたっていう話も聞いたことがないな……)


 観察者は『これでもユニークな世界だと思わないかね』と言うと、にやりと笑っているイメージを送ってきた。

 それでもレイは自分の常識を覆しきれず、「でも、太陽も月も星だって空にあるんですよ。“天動説”なんておかしいですよ」と反論する。


『太陽や月が天体だと確認したのかね? 天体でなければ地動説でも天動説でもないと思うが』


 レイはその言葉に衝撃を受けた。

 今まで当たり前のように天体だと思っていた太陽や月が天体でない可能性があると言われたからだ。


「太陽が……星じゃないってことなんですか……」


 レイの言葉に『そういう可能性もあるということだ』と明確には答えない。

 僅かな沈黙の後、観察者が話し始めた。


『あまり言葉遊びをしていても仕方がない。私が見る限り、この世界は“箱庭”のような世界だ。この世界の人々が神々と呼ぶ存在が管理している閉鎖空間なのだ』


「箱庭ですか……この世界が作り物ってこと……」とレイは絶句する。

年度末の忙しさに加え、書籍化作業で遅れてしまいました。


皆様のおかげをもちまして、本作品も第二巻の出版が決まりました。ありがとうございました。

なお、書籍化に関する情報を活動報告に載せておりますので、興味のある方は覗いてみてください。

(公開イラストは第二巻の敵役アザロ司教とアトリー男爵親子です)

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