第十九話「不可視の殺戮者」
トリア暦三〇二六年、一月二十九日の朝。
レイたちは絶望という名の荒野で朝を迎えた。
危険な夜を無事に過ごし、安堵したところで小鬼族の捕虜、ダーヴェが不意討ちを受けた。
ダーヴェは血を吐き出しながらゆっくりと倒れていく。
剣状の武器で攻撃を受けたようで、その胸から鈍い銀色の金属が三十cmほど飛び出していた。しかし、彼の後ろに人影はない。
ダーヴェが血を噴き出した瞬間、ウノたちが一斉に剣を抜き、周囲を警戒するが、一流の間者である彼らにすら気配が感じられない。
その時、ステラが「あ、あれを!」と驚愕の声を上げて、ダーヴェを指差した。
ダーヴェの身体から突き出ていた剣がゆっくりと形を変えていたのだ。尖っていた先端はぐにゃりと曲がり、まるで溶けていく蝋燭のようにゆっくりと形を変えながら、少しずつダーヴェの身体の中に入っていく。
レイは愛槍白い角を構えて警戒するが、その異様な光景に見覚えがあった。
(映画で見た液体金属のアンドロイドにそっくりだ……液体金属のスライムなのか?)
すぐに「金属の魔物だ! 足元から襲ってくるかもしれない!」と叫ぶ。次の瞬間、レイの足元から、鋭い槍のようなものが飛び出し、避ける間もなく、太ももに当たる。
カーンという硬い音が荒野に響く。更にアシュレイとステラの「「レイ(様)!」」という声が被り、ウノたちは飛び出してきた金属目掛けて投擲剣を投げつけていた。
レイは「うわ!」と悲鳴を上げるものの、彼の鎧、雪の衣が防ぎ切り、衝撃を受けた以外のダメージはなかった。
金属の魔物はすぐに地面に溶け込むように消えていった。
レイは警戒しながらダーヴェに治癒魔法を掛けようと手をかざすが、先に確認していたウノが首を小さく左右に振り、「既に事切れております」と報告する。
レイが失意に沈みこみそうになると、アシュレイは「動き回れ! 止まれば良い的になるぞ!」と警告し、剣を構えて円を描くように回り始めた。他の者たちも同じように足元を警戒しながら、動き始める。
レイは周囲を警戒しながらも、ダーヴェが死んだ事実を重く受け止めていた。
(傀儡の魔法で操ったまま死んでしまった……これは許されることじゃない! 確かにダーヴェは敵だったけど、こんな死に方をしていいはずはない……)
そんなレイの姿にステラは危惧を抱く。
(レイ様はダーヴェが殺されたことで悔やんでおられるわ。でも、今は悔やむ時じゃない。この状況で考えに没頭することは危険……)
そう考え、「今は危険です! 敵に集中してください!」と言い、更に「これ以上犠牲を出さないためにも」と付け加える。
レイは自分が悔恨の念に囚われていたことに気づき、「了解」と答え、笑みを向けた。
(ステラの言う通りだ。今は生きているみんなのことを考えなければいけない……相手が金属生物だとして、どう倒せばいい……)
歩き回りながら、対策を練っていく。
その間にも仲間たちが次々と攻撃を受け続ける。ウノたちですら、完全には避け切れず、大きなケガこそ負っていないものの、かすり傷が徐々に増えていった。
(のんびり考えている暇はない。敵は液体金属……地面の中に入り込める……本当に入り込んでいるのか? この辺りは砂地じゃない。結構硬い地面でそんなに簡単に浸透できるものなのか?……もしかしたら薄く身体を伸ばして周囲の色に擬態しているんじゃないのか……だとすれば、やりようはある……)
レイは考えをまとめると、すぐに指示を出していく。
「全員、適当な岩に上がって! それから地面全体の動きを見て! 多分、薄く身体を伸ばして擬態しているはずだから!」
レイの指示に全員が一斉に岩に上がる。この辺りには一、二mほどの大きさの岩がごろごろと転がっており、逃げ場に事欠くことはなかった。
全員が岩の上に上がったところで、敵の正体が徐々に見え始めてきた。じっくりと地面を観察していると、土や石を模した細長い布のような物がゆっくりと動いているのが分かる。
「見つけた! 魔法で攻撃する!」
レイはそう叫ぶと愛槍アルブムコルヌを地面に突き刺す。その振動を感知したのか、金属生命体はゆっくりとレイの方に向かってきた。
(そのままだ……よし!)
そして静かに呪文を唱えていく。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を集め、雷帝の槍、雷を我に与えたまえ。我はその代償として、御身に我が命の力を捧げん……」
敵も精霊の力を感じられるのか、動きが急に速くなった。だが、レイの魔法の方が一瞬早く発動した。
「我が敵を焼き尽くせ! 雷!」
その瞬間、落雷のような轟音が周囲に鳴り響き、地面から大量の小石や砂が巻き上がる。
(相手が金属なら電気が通るはずだ。僕の最高の攻撃魔法、雷を撃ち込めば熱で蒸発するはず……)
レイがイメージしたことは、金属は電気を通しやすいから敵全体にダメージが与えられるということと、大量に電流が流れれば熱を発生するだろうということだった。
文系の彼にとって、どの程度の効果が発揮されるか未知数だったが、それ以上の攻撃手段を思いつかなかったのだ。
砂塵が収まると、槍を中心にすり鉢状の穴が空いていた。更には放射状に白く焼けた後があった。
「倒したのか!」
アシュレイの言葉が響くが、レイは慎重に確認していく。そして、岩に銀色の液体が点々と付着していることを確認し、敵を倒したと確信した。
「大丈夫みたいだ……ちょっと待って!」
すり鉢状の穴の中から、再び銀色の液体が流れ出てきたのだ。
「まだいる! 岩の上から動かないで! もう一度魔法を撃ち込んでみる!」
レイはそう叫び、再び雷の魔法の呪文を唱えていく。だが、目の前の金属生命体の動きがおかしいことに気づいた。
液体金属の表面に白っぽい曇りのような斑点が浮き、あれほど完璧だった擬態が中途半端にしかできていない。それは一部が欠けた液晶画面のようだった。
(擬態ができていない? 今の一撃で機能の一部がおかしくなったのかも……もう一度撃ち込めば完全に倒せるはずだ……)
流れ出てきた液体金属にもう一度、雷を撃ち込む。今度はくぐもったような鈍い轟音が地面の下から響く。
その直後、地面が大きく動いた。
レイは「うわぁ!」と悲鳴を上げながら、岩の上から転げ落ちる。アシュレイたちも同様に地面に放り出された。
ウノたち獣人奴隷部隊の面々は転倒することなく着地しており、すぐに周囲を警戒し始めた。
突然、レイの倒れている地面が割れ、徐々にその亀裂が大きくなっていく。
「お逃げください! アークライト様!」というウノの叫びが響くが、レイはその叫びを聞くまでもなく、必死に立ち上がり、距離を取ろうとした。しかし、亀裂が成長する速度の方が速く、その深いクレパスに引きずり込まれそうになる。
ステラは背嚢から素早くロープを取り出し、「レイ様!」と名前を叫びながら、ロープの先端を投げ込んだ。レイもすぐにその意図に気づきロープを掴み、必死に這い上がっていく。更にステラと共にアシュレイがロープを引くことで、レイは何とか亀裂から脱出することができた。
間一髪、引きずり込まれることを免れたが、亀裂の下から現れた巨大な物体に圧倒されてしまった。
彼らの目の前には銀色に輝く巨大なナメクジか、ウミウシのような軟体動物が現れたのだ。その大きさは優に十mを超え、体高は三mに達していた。
顔に当たる部分にはユラユラとした触手の先にメッキされたような銀色の目玉があり、その冷たい目は彼らを捕らえて離さない。
「こいつが本体だ! 多分剣は効かない! 僕が槍に魔法を纏わせるから、援護して!」
その巨体からは数本の触手が現れ、鞭のようにしなりながら、襲い掛かってくる。ただし、思ったより攻撃速度は遅く、彼らの技量なら十分に回避できた。
アシュレイは自分には牽制以外に何もできず、悔しい思いをしていたが、傭兵として冷静に敵を観察していた。
(表面の動きがおかしい。表面の色も異常なほど変わっている……もしかしたら、先ほどのレイの攻撃で感覚がおかしくなったのかもしれん……それに目の動きもレイ以外に見ていない感じだな……あの目の部分なら斬り落とせそうだ……)
アシュレイはそう判断すると、「ステラ! 目を狙え! ウノ殿たちは触手を斬り落としてくれ!」と叫び、自身もユラユラと動く目を狙って斬撃を繰り出していく。
彼女の剛剣が目を支える触手に当たる。硬い感じはしないだろうと予想していたが、思った以上に手応えがなく、まるで泥を斬りつけているような感じだった。
不思議な手応えではあったものの、触手はきれいに斬り落とせていた。アシュレイが剣を振り抜いた後、どさりという音を立てて触手が地面に落ちていく。
隣ではステラも同様に目を斬り落としており、金属生命体は視覚を失ったことで大きく身体を揺らしていた。
その間にウノたちも次々と触手を斬り裂いていく。目の触手とは異なり、“カーン”という硬い金属音が時折響いていた。良く見ると触手が剣のように変わっているところがあり、その刃部分に当たると金属音を上げているようだった。
金属生命体はレイたちを飲み込もうと大きくうねる。
レイの「全員下がって!」という声が荒野に響く。レイの槍がオレンジ色に輝き、次の瞬間、金属生命体の中心部に吸い込まれていった。
金属生命体は断末魔を上げることなく、激しく痙攣した。十トン以上ありそうな身体が地面を激しく叩く。
レイは槍を素早く引き、一気に距離を取った。
「やったのか!」というアシュレイの声が聞こえているが、レイは敵から目を離さず、しっかりと槍を構えている。
一分ほど金属生命体が体をうねらせながら、バタンバタンと地面を叩いていたが、次第にその力は弱まっていき、最後にはくたっとした感じで動きを止めた。
完全に動きを止めたが、レイたちは誰一人近づこうとしなかった。このような魔物を見たことも聞いたこともなく、死を偽装している可能性があったからだ。
二、三分すると魔物の身体が徐々に解けていった。それは水銀のような、あるいは熱した金属が炉から流れ出るような感じでゆっくりと地面に流れ出し、現れた亀裂に吸込まれていった。
その様子を見ながら、「倒せたのか……」とレイは呟いていた。だが、アシュレイもステラもその問いに答えることはなく、その様子を静かに眺めていた。
液体金属がすべて亀裂に吸込まれると、地面には魔物の形が銀色で描かれていた。更には直径七cmほどの大きな金色の魔晶石が転がっていた。
アシュレイは慎重にその魔晶石を拾い、「二級相当だな……金属性か」と言ってレイに手渡す。
「アッシュはこんな魔物がいるって聞いたことがあるか……」
「私は知らぬな。ステラはどうだ? ウノ殿たちは?」
アシュレイの問いに誰もが首を横に振る。レイが小鬼族の捕虜ラウリに確認するが、彼も知らないという。
誰も知らなかったが、この魔物は二千年前、魔族が西からこの地に入った時に最も手を焼いた相手だった。当時は相手の姿すら見えず、不可視の殺戮者と呼ばれ、突然、地面から剣を突き出す魔物と認識されていた。
膂力に優れた大鬼族、魔法が得意な妖魔族ですら倒すことができず、この魔物に襲われたら逃げるしかないと言われるほど厄介な敵だった。
今回、レイは雷の魔法を使用したが、これが思わぬ効果をもたらした。この“不可視の殺戮者”と呼ばれる魔物は金属の身体を持つため、熱にも冷気にも強かった。更に本体は深い地面の中に隠れており、触手を斬り裂いても液体状の身体は簡単に元に戻るため、ほとんどダメージを与えられなかったのだ。
幸い、レイには映画のイメージがあり、斬りつけるという攻撃を選択しなかったが、もし、斬りつけたとしてもほとんど効果はなかっただろう。
この特性が魔族たちを悩ませた。妖魔族の中には火や風属性を使う者がいるものの、基本的には闇属性が得意な種族だ。そのため、闇の反属性である光属性を使える者はほとんどいなかった。
仮にいたとしても、レイの雷はオリジナル魔法であるため、使えるわけではないが、それでも最も効果がある属性が“光”であったため、妖魔族も有効な攻撃ができなかった。
レイたちにとって不幸中の幸いは就寝中に襲われなかったことだ。地面に身体を横たえた状態で襲われれば、ほぼ確実に致命傷を負う。魔物が朝になって接近してきたことにより、ダーヴェ一人の犠牲で済んだとも言える。
荒野に入って四日にして初めて仲間を失った。
レイは自らの選択により犠牲者が出たことが悔やまれて仕方がなかった。
(僕の選択がダーヴェを殺した……この荒野が危険だと分かっていたけど、こんなに早く犠牲者が出るとは……この先、どれだけの犠牲が出るんだろう……)
アシュレイにはレイが何を考えているのか分かっていた。
「お前のせいではない。今は考えるな。お前には私がいる。ステラも、ウノ殿たちも……ルナを救い出さねば世界が滅びるのだ。今はそのことを考えるのだ……」
そう言って強く抱きしめる。
レイは「ありがとう……そうだね」と言い、顔を上げる。
そして、ダーヴェの遺体に向けて大きく頭を下げると、「出発しようか。まだ、危険がなくなったわけじゃないから」と言って歩き始めた。




