第十八話「掌握」
トリア暦三〇二六年、一月二十六日の夜。
ルナたちは中鬼族の町クフィリで最も大きな屋敷に入った。
彼女たちの後ろには百人以上の中鬼族の民たちがいた。彼らは当初、月の御子であるルナに対し、反感を抱いていたが、自分たちに共感を示す彼女の演説に心を打たれ、族長の館にまでついてきたのだ。
この事態に町を治める中鬼族のユッカ・ベントゥラは困惑を隠せなかった。ベントゥラ氏族は中鬼族の中では比較的小さな部族だが、族長会議、すなわち鬼人族の主要な族長からなる鬼人族の最高意思決定機関に名を連ねる名門である。
その当主としては今回の騒動が自分を非難しているように感じ、非常に不愉快であったが、民衆が言っていることも理解はできた。
今回の作戦にはベントゥラ氏族からも多くの戦士が出征していたが、誰一人帰ってこなかった。もちろん、ブドスコやバインドラーといった大きな部族の戦士たちも帰ってきていないのだが、ユッカは今回の作戦に消極的であり、積極的に出征すべきと主張した部族がより大きな代償を支払うべきだと考えている。
(確かに賛成はしたが、我らは巻き込まれただけだ。しかし全滅とは酷すぎるな。聞いた話ではブドスコのところのヴァイノが暴走した結果だと聞いた……“月の御子”の言葉は民たちの心を引きつけておる。もし、ここで粗略に扱えば、我が一族の結束にひびが入り兼ねん。それどころか、儂を追い落とそうと、御子を利用する者が出てこんとも限らん……)
ペリクリトル攻防戦で猪突し、レイの罠に嵌る原因を作った中鬼族の将ヴァイノ・ブドスコの暴走が敗因ではあったが、自らの責任問題に発展させないよう、ルナたちを丁重に迎え入れ、歓迎の宴を催した。
そして、機嫌をとるように褒め称えるが、あまりに見え透いた言葉にルナは呆れていた。
(町の人たちが私のことを敬うようになったから、手の平を返したのね。まあいいわ。その方が私としては楽になるから……)
ルナは昔見た映画の女王を思い出しながら、クフィリの有力者に向かって「歓迎に感謝します」と鷹揚に言い、
「皆さんが心から歓迎していないことは分かっております。ですが、私も同じです。私もここに無理やり連れてこられたのですから」
その言葉にユッカたちは唖然とし、ヴァルマが何か言いたそうな顔をするが、ルナが目で制する。
「ですが、町の皆さんは私のことを心から歓迎してくださいました。私の心は少しずつですが、ソキウスの皆さんに近くなっている気がします。それはここにおられるような指導者の方々ではなく、心から私のことを想ってくださる人々に対してです。私はここにいる皆さんと外にいる町の人々の心が離れないことを祈ります」
ルナは自分にはここにいる指導者よりも民衆の支持があり、自分に付くべきだと示唆した。
(何だか分からないけど、私は民衆から支持されている……少しずつ味方を増やしていって……あれ? 私は何をしているんだろう?……)
唐突に我に返り、困惑する。
(誰かに操られているの? 私がこんなことを考えるなんて……いいえ、私は操られていない。精神系の魔法は効かないはずだから……でも、なぜ?……昔、そう、日本にいる頃に見た映画か何かの知識かしら?)
自分の性格ではありえないと思うものの、自分を操ることはできないはずだと言い聞かせる。
「クフィリの方々がこれ以上不幸になるのを見ていることはできません。ザレシェの方たちは人の命が懸かっているにも関わらず、現地に赴くことなく安全な地で命令を下すだけです。月の御子として、このようなことは認めたくありません。ソキウスの理想は“全ての者に平等な機会を与えること”だったはずです。少なくともザレシェにいる人たちはソキウスの理想を見失っています……」
ゆっくりとした口調で語るルナの言葉に、ベントゥラ氏族の者たちは徐々に引き込まれていった。それは族長であるユッカも同じだった。
(御子様のおっしゃるとおりだ。ブドスコやバインドラーの連中はソキウスの理想を失っている。“同志”であるはずの我らを家臣のように扱っている……)
「……ここにいるヴァルマには悪いですが、ルーベルナも同じです。月魔族は確かに優秀な呪術師を多く輩出しています。だからと言って尊いということはないのです。額に汗して畑を耕す農民たち、冬の寒さに震えながら魔物から仲間を守る兵士たち……その人たちも等しく尊いのです。ソキウスの“同志”という意味はそれを表している言葉なのです……」
十分ほどの演説だったが、ベントゥラ氏族は完全にルナに魅了された。演説が終わると族長以下の面々が片膝をついて忠誠を誓ったのだ。
「我らベントゥラ氏族は御子様に忠誠を捧げます。度重なる非礼、何卒ご容赦ください」
ルナは半ばトランス状態のまま、「ベントゥラ氏族の忠誠、確かに受け取りました」と微笑む。その笑みには女王の貫禄と聖女のような慈しみがあり、ユッカたちは涙を流して額を床に付けていた。
ただ一人、ヴァルマだけはその様子に危惧を抱いていた。
(御子様が鬼人族に慕われるのはいいこと。だけど、このままでは二千年続いたこの国の体制がおかしくなるかもしれない……)
ヴァルマはそう思いながらも、ルナの言葉に同調していく。
(でも、それが悪いことかしら? 確かに御子様のおっしゃるとおり、指導者たちは安全な地から命令を下すだけ。巫女も命じるだけで何もしてくれなかった。もし、一人でも同胞を付けてくれたら、もっと簡単に任務が達成できたはず。例え見習いであっても……自分たちの身を守る者を減らしたくなかったのかも……)
彼女は月の巫女であるイーリス・ノルティアを心の中とはいえ、敬うことをやめていた。
冷静にルナを観察していれば、闇の精霊たちがルナの願いに応じて、魅了の力を振りまいていることに気づいたはずだが、ヴァルマには月の御子であるルナを観察するという行為が不遜に思え、注意を払うことをやめている。
彼女自身、闇属性魔法の使い手として、自分の精神に影響がある行為が行なわれれば、すぐに気づくと油断していた。しかし、闇の精霊たちは明確に力を行使することなく、僅かずつ彼女の精神を侵していった。そのため、ヴァルマは自分の感情の変化に気づくことはなかった。
ベントゥラ氏族の歓迎の宴が終わり、ルナたちは用意された豪華な客室に案内される。部屋に入ると、ルナはソファに腰掛け、ふぅーと息を吐き出す。
(疲れたわ。でも、うまくいきそう。鬼人族を味方につけて、妖魔族と仲違いさせれば、私を使った儀式は行えなくなる。後はヴァルマをどう丸め込むか……この人は今のところ、私に心服しているように見える。でも、“神の寄り代”になるから、そう見えるだけかもしれない。私が儀式を邪魔しようとしたら、態度が変わる可能性があるわ……)
ルナはヴァルマに「明日はここでゆっくりしたいわ」と言った。
「それがよろしいでしょう。明日は吹雪くそうですから。それに、ここはレリチェと違って敵意を持つ者もおりませんし」
ルナはそれに頷くが、「でも、いいのかしら? 早くルーベルナに向かわないといけないのではなくて」とヴァルマの考えを探る。
ヴァルマは首を横に振り、「いいえ、無理に移動してお身体に障る方が大変ですから」と答えた。ルナは「そうね」と答えるが、自分の考えに没頭していく。
(疲れたと言えば、時間は稼げそう。でも、あまり露骨に時間を稼ぐと無理やり連れて行かれるかもしれない。ここは慎重にいかないと……)
ルナは自分が今まで以上に冷静に物事を考えられていることに違和感を持っていなかった。数日前までは、あれほど違和感を抱いていたというのに。
翌日、一目でいいから“月の御子”に会いたいという思いに駆られたクフィリの民衆が、次々と族長の屋敷の前に集まってきた。それに気づいたルナは吹雪であるにも関わらず、民衆の前に立ち、前日と同様に演説を行った。
ザレシェとルーベルナの指導者を糾弾し、更にソキウスの理想のために共にありたいという趣旨の演説だった。その最後にこう付け加えた。
「……私と共にソキウスの理想を守りましょう! すべての人々が闇の神の安らぎを享受できるために……ノクティスは私たちと共にあります。ルーベルナの神殿におられるわけではないのです!」
闇の神殿で祭祀を司る月魔族を否定しているとも取れる演説だった。だが、ヴァルマを含め、誰一人、そのことに疑問を持つ者はいない。
一月二十八日。
ルナたち一行は鬼人族の都ザレシェに向けて出発した。
彼らの後ろには百人を超える中鬼族戦士が続いていた。
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同じ頃、絶望の荒野ではレイたちが北東に向かって歩いていた。
昨夜のゴーストたちの攻撃で睡眠を邪魔され、体力の回復ができておらず、皆無口だ。特に夜間に魔力を消費したレイはリーダーという立場もあり、精神的にも限界に近づいていた。
幸い、昨日の雪は止み、視界は開けているが、吹きつける風は肌を斬り裂くかと思うほど冷え切っている。
そんな中、アシュレイには他の者より余裕があった。彼女は獣人たちと異なり、夜目が効かないため、夜間の警戒を免除されており、十分とはいえないものの休息を取れていたためだ。
(危険な状況だ。あのウノ殿たちにすら疲労が見える……特にレイの状態は危険だ。気力で歩いているが、体力も魔力も尽く寸前という感じだろう。だが、休めといっても休まぬ……どうすればよいものか……)
アシュレイが心配そうに見ていることに気づくことなく、レイは黙々と足を前に出していく。
(できれば今日一日で三十kmは進んでおきたいな。昨日までの二日間で三十kmだから、それだけ進んでおけば、一日の目標の二十km平均になる……)
ウノたちが周囲を警戒し、アシュレイとステラがレイと小鬼族の捕虜ラウリとダーヴェを守るという隊形で進んでいく。その日も午前中は順調に進むことができた。
もちろん、岩に化けたアンコウかオコゼのような魔物が突然、大口を開けて襲い掛かってきたり、オーガサイズのスケルトンが現れたりと危険な状況に替わりはなかったが、それでも精神を痛めつけてくるような魔物はおらず、また、ガスの噴出のような危険な罠にも遭遇していなかった。
午前中一杯で十五km以上進み、歩きながら拾った木の枝で焚き火を熾して暖かい昼食をとる。一時間ほど休憩を挟んで、再び歩き始めるが、昨日のような悪天候に見舞われることなく、目標であった三十kmという距離を進むことに成功した。
夜間はアシュレイの提案で、レイ以外のものが不寝番につくこととなった。ウノとステラが反対したが、アシュレイがこう言って説得した。
「獣人だけでは昨夜のようなことが起きぬとも限らぬ。私とラウリ、ダーヴェの三人が交代で不寝番に加われば、少なくとも二つの種族に有効な手段でなければ、警告はできるはずだ」
ステラは「そうですね……アシュレイ様にはレイ様についていて頂きたかったのですが、仕方がありません」と同意した。ウノも最善の選択ということで渋々ながらも首肯する。
レイだけが、「僕だけ休むのは悪いよ」と自分も不寝番に立とうとしたが、「お前は休むことが仕事だ」とアシュレイに言われ、引き下がった。
その夜は昨夜と同じ幽霊が現れたが、音が聞こえた瞬間、耳を布で覆うことで精神攻撃を防ぎ、難なく撃退している。
最初はアシュレイが心配し、「音が全く聞こえないわけではないのだろう? 大丈夫なのか」とステラに尋ねるが、「聞こえ始めて、すぐに対応すれば、少々音が聞こえても問題ありません」と答えた。翌日、レイがその話を聞き、仮説を立てた。
「多分なんだけど、あの音は呪文に近いものなのかもしれないね。だから、発動する前に警戒できれば効果は少ないんじゃないかな」
アシュレイは「なるほどな。不意打ちを受けねば、防ぐこともできるということか」と納得する。
レイは明るい声で「昨日はよく寝れたよ。大分楽になったし、今日もがんばっていこうか」と言い、全員の顔を見回していく。
ウノたちの顔にも余裕が戻っており、これで大丈夫だと思ったとき、突然、小鬼族のダーヴェが血を吹いて倒れた。彼の胸から剣のような銀色の金属が飛び出していた。




