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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第八話「雪崩」

 トリア暦三〇二六年、一月十八日午前十一時頃。


 ハミッシュ・マーカット率いるマーカット傭兵団(レッドアームズ)の傭兵たちは、雪深い山中を休むことなく南に向かっていた。

 彼らの後方には大鬼族の精鋭、約百名の戦士が迫っており、雪に足を取られながら、必死に歩を進めている。だが、鍛え抜かれた彼らですら、既に疲労はピークに達しており、その歩みは徐々に遅くなっていた。


 レッドアームズたちの最後尾にはアシュレイ・マーカットがおり、後方を気にしながら仲間たちを励ましていた。


「すぐ後ろまで敵は迫っているぞ! この先でレイが足止めの罠を張っているはずだ! もう少しだ! もう少しだけ我慢しろ!」


 最後尾に位置するのは五番隊だった。その隊長であるヴァレリア・マーカット――ハミッシュの妻、前年十月末に結婚――も普段の口調から戦場での口調に改め、部下たちを駆り立てていく。


「こんなところで弱音を吐くんじゃないよ! あと十分、あと十分だけ死ぬ気で前に進むんだ!」


 レッドアームズの中でも五番隊の面々は比較的若い傭兵が多く、全体的にレベルが低い。そのため、肉体的には限界に近く、アシュレイやヴァレリアの言葉を受けても、それに応えることができず、荒い息しか聞こえてこない。

 だが、彼らも厳しい訓練で知られるマーカット傭兵団(レッドアームズ)の一員としてのプライドがあった。声を上げることこそできなかったが、誰一人弱音を吐くことなく、重い足を黙々と前に出していった。



 レイ・アークライトはステラと獣人奴隷のディエスを従え、レッドアームズたちが進む谷の上に上がっていた。そして、彼の眼下には深い雪に苦しみながら先を急ぐレッドアームズたちの隊列があった。

 未だ最後尾の五番隊の姿は見えないが、すぐに現れることは判っている。


(何とか間に合いそうだ。さて、雪崩を起こす準備をするか……)


 彼はアイテムボックスからロープを取り出すと自らの体に巻き付け始めた。


「ステラとディエスさんは尾根の頂上で僕を支えて下さい。ここで雪崩を起こす準備をしますけど、逃げる余裕があるか判らないですから」


 その言葉にステラが悲痛な顔をするが、決意を固めたレイの表情を見て何も言わなかった。


 二人はロープを持ち、尾根の頂上に向かった。三十mほど上がると、糸杉のような針葉樹が生えており、その木にロープを巻き付け、待機する。


 レイは二人の方に視線を動かすことなく、すぐに魔法を発動した。


「すべての大地を支えし土の神(リームス)よ。御身の眷属、大地の精霊の力を固めし、天をも貫く槍を、我に与えたまえ。我は御身に我が命の力を捧げん。貫け! 大地の槍(ロックスピアー)!」


 呪文が終わると、彼は歩きながら雪に向けて腕をかざしていく。すると、雪の中から直径二十cmほどの尖った岩が次々と突き出していった。

 それは斜面の中央部を中心に一m間隔で現れ、まるで柵を作るための支柱のようだった。


(雪崩って、雪の層が割れたら起きるんじゃなかったかな。まあ、よく判らないけど、切り取り線みたいにすれば、雪の重みで層ごと滑り落ちていくはず。駄目なら、衝撃を与えれば……)


 彼は大地の槍(ロックスピアー)の魔法で雪の層に切れ目を入れ、雪の自重で急斜面を滑り落とそうと考えた。

 だが、ロックスピアーの魔法は射程が五mほどと短く、歩きながら魔法を発動しても、斜面の端から端まで出すことはできなかった。彼は仕方なく中央部だけに岩の柱を出現させることにし、最終的には五十本の岩の柱が斜面に現れる。

 ロックスピアーを出し終わった頃、ようやく最後尾の五番隊の姿が見えてきた。彼らは先ほどまでとは違い、大きくからだを動かし雪煙を上げながら走っていた。彼らの表情が見えれば、必死の形相で走っていることが見てとれただろう。


(敵が迫っている?……いや、今は雪崩を起こすことに集中すべきだ……)


 彼はそう心に決め、足下の雪を観察していく。

 すべての岩の柱が現れたが、雪崩が起きる気配は感じられない。

 その間にも五番隊には巨大な体躯を持つ大鬼族たちが迫っていく。彼らは未だに雪崩の影響を受ける場所を走っており、レイはもどかしい思いをしながらその様子を見ているしかなかった。


(拙いな。すぐに追いつかれそうだ。大鬼族を生き埋めにするなら、そろそろのはずなんだけど、雪崩の速度ってどのくらいだっけ? アッシュたちを巻き込むわけにはいかないし……)


 彼が逡巡している僅かの間に雪の下から、ゴッゴッという地鳴りのような低い音が聞こえ始めてきた。その音に驚き、雪の斜面に目をやると岩の柱の間にゆっくりと裂け目ができていく。


(何とか雪崩は起こせそうだけど、いつ落ちていくのか判らない……遅すぎたら意味がないし……いや、この方法がある……)


 レイは十mほど斜面の上に上がると、すぐに呪文を唱え始めた。


「すべてを焼き尽くす炎の神、火の神(イグニス)よ。凝縮せしその力を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。炸裂せよ! 爆裂の炎(イクスプロージョン)!」


 三十秒ほどで精霊の力を集めると、一気にその力を解放した。

 その直後、ボンという低く重い音が響き、雪の斜面が不自然に持ちあがった。




 大鬼族の戦士、ネストリ・クロンヴァールは百名の部下とともに兄オルヴォの仇、白の魔術師を追跡していた。

 クロンヴァール家は大鬼族の中でも名家であり、合議制で選ばれる族長を何人も輩出していた。

 西方派遣軍司令であったオルヴォは次期族長の最有力候補であり、その末弟であるネストリはそんな兄を崇拝していた。

 彼は月魔族の呪術師ヴァルマ・ニスカのもたらした報告、西方派遣軍全滅とオルヴォの死を未だ信じられずにいた。だが、ヴァルマの言う通り西側の軍隊が抜け道に現れたことで、それが事実であったと思い始めてもいた。


(兄上が敗れた……そんなはずはない! ソキウス最高の戦士だった兄上が人間どもに敗れるわけがない……だが、ヴァルマ(あの女)の言った通り、奴らはここにいた。やはり兄上は……だとしたら、仇を取るのは俺しかいない! 必ず、その“白の魔術師”という奴を討ち取って見せる……)


 ソキウス――魔族の国の名――において、大鬼族は少数ながらも最強の戦士として他の部族から一目置かれていた。その巨躯は眷族であるオーガに匹敵する戦闘力を生み出し、更に武術を極めた者は単独で竜をも倒すと言われている。

 その大鬼族の名家に生まれたネストリだが、彼自身、戦闘力に秀でているものの、性格が至って単純であるため、指揮官に向いていないと評価されている。もっとも彼も尊敬する兄と比べれば自分に指揮官としての才がないことは判っており、兄のもとで腕を振るいたいと常々考えていた。

 だが、今回はヴァルマの報告で逆上し、後続部隊の指揮官である小鬼族の戦士長エイナル・スラングスの制止を振り切り出撃した。


「急げ! 敵を逃がすな! 同胞の仇を討つのだ! 急げ!」


 大鬼族はその体躯を生かし、中鬼族や小鬼族の倍以上の速度で雪山を押し進んでいく。彼らは持久力にも優れているため、休憩を挟むことなく、既に五時間近く移動し続けていた。

 それでも疲労の色は隠しきれず、肩で息をする者が続出しているが、同胞の死を知った今、誰一人不平を洩らす者はいなかった。


 彼らが出撃したのは、午前五時過ぎだった。

 ヴァルマが予想した時間より一時間以上遅くなっているが、それには理由がある。

 ネストリの暴走を止めようとエイナルが説得を試み、更に説得が不可能であると判断した後は全軍による出撃と決まったためだ。

 エイナルは敵の実数がヴァルマの報告だけであり、不安を感じていた。このため、ネストリら大鬼族だけでの出撃は危険だと判断し、最大戦力で打って出ることにしたのだ。戦術的には正しい選択だが、逆上したネストリにはそのことが理解できなかった。


(時間を潰さねば、今頃、白の魔術師とやらの首を取れていたものを! あの小鬼族(エイナル)はいつもそうだ。俺が、いや、大鬼族が手柄を上げるのが気に入らぬのだ……だが、今はどうでもよい。すぐに敵を蹴散らしてくれる)


 追跡開始から既に六時間が経ち、敵との距離がかなり近いと直感していた。


「敵は近い! あと少しで同胞の仇が取れるのだ! 急げ!」


 ネストリは部隊の中央部でそう鼓舞する。

 大鬼族戦士たちも敵の気配を何となく感じており、その声に雄叫びをもって応えていた。


 そして遂に敵の姿を目にした。


「敵がいたぞ! 進め! 敵を蹴散らしてやれ!」


 敵の最後尾にいた兵たちは大鬼族の雄叫びに気付き、雪の中を駆け始めた。だが、深い雪に足を取られ思うように進めていない。

 敵兵たちは緩やかに左に曲がる谷に入っていった。そのため、大鬼族たちの目からその姿が消えた。だが、誰も気にしていなかった。

 雪道では自分たちの方が素早く動けること、この距離なら十分もすれば追いつけることから、追撃戦というより狩りを行っている気分になっていたのだ。


 そして、彼らもその谷に入っていった。




 レイは眼下で繰り広げられる追撃戦に焦慮を覚えた。

 未だにマーカット傭兵団(レッドアームズ)の最後尾は谷から尾根に登りきっておらず、あと数分と掛からず、次々と谷に入ってきた大鬼族たちに追い付かれそうに見えていたからだ。


(間に合うのか……ここで失敗するとアッシュたちが危ない……)


 その間にも彼の足元の雪からゴゴゴという不気味な音が聞こえてくる。

 だが、比較的しっかりとした雪は崩れることはなかった。


(駄目だ。やっぱり、こっちに目を向けさせるしかないか……)


 レイは真っ白なマントを目立つように翻し、大声で叫んだ。


「大鬼族の戦士たちよ!」


 その声は雪に覆われた谷であるにも関わらず、木霊こだまを打つように反響し、谷の底に届いていた。


「私はマーカット傭兵団(レッドアームズ)の軍師! お前たちが“白の魔術師”と呼び、恐れている、レイ・アークライトだ!」


 その言葉が聞こえたのか、五番隊を追っていた大鬼族たちの視線が一斉に上に向く。


 レイは自らを囮にして、追いつかれそうな五番隊を逃がそうと考えたのだ。

 先頭を行く大鬼族戦士は五番隊を追うか、レイを狙うか、僅かない間だが迷った。ヴァルマからの情報で白の魔術師が同胞の仇であり、彼の者を討ち取れば軍功の第一となると言われていたからだ。

 その動きにレイが更に追い討ちをかける。


「臆したのか! オルヴォ・クロンヴァールは正々堂々と戦いを挑んできたぞ!」


 オルヴォの名を出した途端、大鬼族部隊の中央付近から雄叫びのような命令が下った。


「奴を討て! 兄上の仇! 白の魔術師を討ち取るのだ! 進め!」


 それは怒りに任せたネストリの命令だった。だが、大鬼族のほとんどが彼と同じ気持ちでいたため、誰一人罠の可能性を指摘することなく、レイに向かって狂ったような勢いで斜面を登り始めた。


 その時、雪の下から聞こえる“ゴォゴォ”という不気味な音が突然大きくなった。


「レイ様! 早くこちらに! そこは危険です!」


 レイはステラの声に周囲を見回した。彼の足元ではガリガリという氷がこすれる音が響き、ゆっくりと雪が動き始め、亀裂が出来始めていた。

 慌てて数mほど上がるが、足元の雪が亀裂に引き摺られるように崩れていき、何度も足をとられて前に進めない。


「レイ様!」


 ステラの叫び声が聞こえ、ロープが強く引かれた。足元が完全に崩壊し立つことが出来なかったが、ステラとディエスが引く力で何とか這い進む。


 彼の後ろでは低く重い轟音が響いているが、後ろを振り返る余裕がなかった。


「助かった……」


 レイが尾根に登り、安堵の息を吐き出すが、彼の目の前には放心したように立ち尽くすステラとディエスの姿があった。

 レイもそれに釣られるように振り向いた。

 彼の目には雪崩によって吹き上がった真っ白な雪煙だけが映っていた。


(うまくいったのか? アッシュは? アッシュは無事なのか……)




 五番隊の最後尾にいたアシュレイは迫り来る大鬼族たちに意識を向けていたが、左手から響いてくる雪崩の音に驚き、叫んでいた。


「急げ! 巻き込まれるぞ! 早く尾根に上がるんだ!」


 彼女の命令は不要だった。レッドアームズの傭兵たちは皆、雪崩に気付いており、その迫りくる白い壁に恐怖を感じていたからだ。


 最後の力を振り絞って谷を上り切ると、彼らの十mほど後方を白煙を巻き上げて流れる雪の川ができていた。冷たい風とともに細かい氷が彼らを襲うが、誰一人気にすることはなかった。


「助かったのか……」


 アシュレイの呟きは未だに続く雪崩の轟音に掻き消されたが、皆同じことを考えていた。




 大鬼族の将、ネストリ・クロンヴァールは谷の上方に兄の仇、白の魔術師がいると知り、怒号にも似た命令を下した後、自らも駆け出していた。

 その直後、ゆっくりと滑り落ちてくる雪の塊が目に入った。それは最初、ゆっくり動いているように見え、目の錯覚かと思うほど静かだった。数少ない木々を押し潰すように薙ぎ倒しながら、自分たちの方に向かってくるのだが、白一色の世界では大きさを比較するものが少ないため錯覚していたのだ。だが、雪崩は徐々に加速していき、重く低い音を立て始める。

 経験豊富な戦士たちは、それがここアクィラでは魔物以上に危険なものだと知っていた。


「下がれ! 雪崩が襲ってくるぞ! 戻れ!」


 彼らの叫びは低く重い雪崩の音に掻き消されていく。

 大鬼族たちはレイを討つということを忘れ、必死になって雪崩から逃れようと後退していく。だが、如何に大鬼族といえども、加速された雪崩の速度には成す術もなかった。


 先頭を行っていた戦士の一人が真っ白な壁に飲み込まれた。

 その後、必死になって尾根に登ろうとする者、元来た道へ戻ろうとする者を次々と飲み込んでいく。

 そこにいた者たちは誰も彼らの悲鳴を聞くことは叶わなかった。なぜなら、その瞬間、轟という音だけがその場を支配していたからだ。

 雪崩が収まるまで、それほど長い時間は必要なかった。だが、雪崩によって巻き起こった真っ白な雪煙が収まるまでは数分を要した。

 雪煙が収まると、そこには雪で埋もれた谷の痕跡だけが残っていた。


 ネストリは運良く、雪崩に巻き込まれることなく、全くの無傷だった。だが、彼の顔は蒼白になり、言葉を完全に失っていた。


(何が起こったのだ……雪崩だというのは判る。だが、このタイミングで……奴の仕業か! 白の魔術師の呪術か!)


 ネストリが生き残れたのは隊列の後方、前方から見て四分の三くらいの場所にいたためだ。それにより、谷に入るタイミングが他の者より遅く、側近たちによって引き摺られるように後退したにも関わらず、逃れることが出来たのだ。

 もう一つ助かった要因があるとすれば、雪崩が始まるタイミングだ。もし、あと一分雪崩が始まるのが遅かったら、大鬼族部隊は全滅していただろう。


 ネストリは我に返ると、谷の上方で杉の木に掴まって立っている白の魔術師への攻撃を命じた。


「奴を殺せ! 同胞の仇を討つのだ!」


 その言葉に側近の一人が反論した。


「埋もれている者たちの救出を! まだ助けられるかもしれません!」


 その言葉にネストリは本当の意味で我に返った。そして、周囲を見回すと雪の中から腕や足だけが見えている同胞たちを助けようとしている戦士たちの姿があった。


 ネストリはもう一度、白の魔術師の姿に目をやるが、そのときには既にそこに姿はなく、彼らが追い掛けていた傭兵たちの姿も見失っていた。


(くそっ! 絶対に許さん! この屈辱、必ず果たしてみせる!)


 そう考えるものの、周囲の視線を感じ、同胞たちの救出の命令を下した。


 大鬼族百名のうち、雪崩に巻き込まれたものは約五十名。そのうち、生還できたものは二十名に満たなかった。

 ネストリ・クロンヴァールは僅か半日で彼の持つ戦力の三分の一を失った。

 そして、戦力だけではなく、部下たちの信頼も失っていた。

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