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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第四章「魔族の国・東の辺境」

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第七話「雪中の退却」

大変お待たせしました。


あらすじ

ペリクリトルで鬼人族の大軍を打ち破ったレイたちは、月の御子ルナを奪還するため、魔族の土地との境界にあたるアクィラ山脈の山中でルナを運ぶ月魔族のヴァルマ一行を待ち受けていた。

彼らの東方には魔族の前線基地となるレリチェ村があり、ヴァルマはそこに増援を要請した。

当初はヴァルマの要請を断ったが、大鬼族の部隊長ネストリ・クロンヴァールが猪突する形でレイたちの背後を突こうとしていた。

一方のレイたちマーカット傭兵団は、ルナの居場所を発見し、奪還に向かっていた。

 トリア暦三〇二六年、一月十八日の早朝。


 アクィラ山脈の山中で野営していたマーカット傭兵団(レッドアームズ)の傭兵たちは、寒さに震えながら西に歩を進めている。

 獣人奴隷のウノが発見したルナの居場所に向かい、彼女の奪還を目指しているためだ。


 幸いなことに天候は比較的穏やかで、ここアクィラの冬にしては珍しく、針葉樹の枝の間から澄んだ青空すら覗いていた。それでも吹き付ける寒風は身を切るように冷たく、傭兵たちの口元を覆うマフラーは白く凍り付いていた。


 そんな中、レイ・アークライトは東にある魔族の拠点レリチェ村の方を気にしていた。


(夜中に月魔族がレリチェに入ったとすると、今すぐに敵が出てきてもおかしくはない。月の御子(ルナ)を救出するのが今回の作戦の一番の目的だったみたいだから、一気に押し寄せてくるかも……)


 レイは魔族内の対立について漠然と知っている程度だった。また、月の御子奪還は魔族全体の悲願であり、少々の対立があったとしても大義の前では一丸となるはずだと考えていた。

 彼の知識は自らが書いた小説“トリニータス・ムンドゥス”の内容からおぼろげに思い出したものと、月魔族のヴァルマとの会話で知ったもの、更に小鬼族の捕虜ダーヴェとラウリから得たものであり、いずれも正確な情報ではなかった。


 全体の考えと個々の考えが異なる場合、常に全体の考えに従って物事が進んでいくわけではない。特に個人に至っては自らが属する集団の考えと真逆の考えを持ち、行動することすら起こりえる。こういった心理は本などから知識を得られたとしても、一高校生に過ぎない彼が本質を理解するには無理があった。

 つまり、レイには魔族が分裂しつつあるという認識はなかったのだ。

 もし、彼にその認識があれば、魔族内の対立を煽り、この状況を打破することが出来たかもしれない。



 夜が明ける前に出発してから、既に四時間が経過していた。

 ウノたちが見つけたルナの居場所まであと二kmほど。

 獣人奴隷たちのように木の枝を使って移動することが出来ない彼らにとって、一時間当たり二kmの移動が限界だった。

 ウノが放った伝令オチョから、ルナたちはゆっくりと西に後退しているという報告があった。


(やっぱりレリチェから敵が出てくるんだ……後ろにも斥候を回しているけど、間に合うんだろうか……)


 レイの得た情報はそのままハミッシュ・マーカットにも伝えられており、彼もこの状況が危険であると考えていた。


(敵は大鬼族とオーガが三十弱。こちらは百だが、レイの魔法があってもすぐには片付かんだろう。だとすると、後ろから敵が追いついてくる方が早いかもしれん……撤退のタイミングを見誤ると全滅するな……)


 ハミッシュ自身、ルナの奪還は非常に困難なことだと考えているが、それでも必死に危険を訴えていたレイの言葉を信じてもいた。


(何が危険かは判らんが、レイの奴があれほど危険だと言うのだ。間違いなく何かある……それは判るが、世界が滅ぶとか話がでかすぎて俺には理解できん……レイ以外が言ったのなら笑い飛ばすところだが……ルナという少女が鍵となると言われても全くピンと来ん。だが、魔族の地、クウァエダムテネブレから軍が出てくるなら間違いなく何かがある……)


 ハミッシュが何気に空を見上げると、枝に積もった雪がバサリと落ちてきた。冷たい雪が顔にかかり、払いのけようとしたとき、後方から獣人奴隷の一人、セイスが飛び込んできた。


「後方二kmほどに約百名の大鬼族部隊を発見! 更に後方にも敵がいる模様。後方の敵の数は不明。現在、ディエスが確認しております!」


 ハミッシュとレイは大鬼族百名と聞き、顔を見合わせる。

 だが、結論は既に決まっていた。


「トーアに引き上げる! 急げ!」


 ハミッシュは誰に相談することなく即断し、命令を下す。

 アシュレイ・マーカットはその命令にレイが反発するのではないかと彼の方を見た。

 だが、彼女の予想に反してレイは何も言わず、そばに控える獣人奴隷オチョに冷静な口調で話しかけていた。


「ウノさんに連絡を。トーアに引き上げます。そちらも撤収してくださいと、大至急、そう伝えてください」


 オチョは静かに頭を下げると、そのまま木の枝を利用して飛ぶように西に向かった。


「良かったのか? 今を逃すとルナを失うことになるのではないのか?」


 アシュレイがそう言うと、レイはサバサバとした表情で応えた。


「ハミッシュさんの判断は正しいよ。レリチェには千人の鬼人族戦士がいるんだ。そのうち百人は大鬼族戦士って話だから、全軍が出撃してきたんだと思う。レッドアームズでもこの場所で千人の敵と戦うことはできないよ。それより早く撤退しないと追いつかれてしまう」


 そういいながらも彼は西の方を何度も見ていた。


(やはり悔しいのだな。だが、意外と冷静なのが驚きだ。てっきり父上に食って掛かると思ったのだが……)


 アシュレイはレイの背中を見つめながら、そう考えるが、すぐに次の行動について考え始めた。


(力が強く体が大きい大鬼族の方が雪の中では動きが速い。このままでは追いつかれるな……レイの魔法で追撃を諦めさせることは出来ないものか……)


 彼女は同じようにレイの背中を見つめている狼人の少女、ステラに声を掛けた。


「撤退するのは良いが、大鬼族が追ってきたら拙いことになる。レイの魔法で雪道をふさぐとして、よい場所がないか探してくれないか」


 アシュレイは追撃を妨害するため、人工的な雪崩を起こそうと考えた。そして、最適な場所がないかステラに偵察を頼む。

 ステラは小さく頷き、


「雪が多く溜まっている場所を探せばよいのですね。それも急な斜面のある場所を」


 彼女にもアシュレイの考えが読めたようで、すぐに行動を開始した。

 一人前方に向かうステラを見て、レイは何をする気なのか判らなかった。


「ステラはどこに行ったんだい?」


 アシュレイにそう尋ねると、彼女はステラにした説明を繰り返す。


「……追撃されぬようにお前の魔法で道を塞ぐのだ。良い場所があればよいのだが……いや、ステラなら必ず見つけてくれるだろう」


「なるほどね。雪崩か……魔法は考えておくよ。それにしてもアッシュも考えるようになったね」


 レイがそう言うと、アシュレイは少しむくれた表情をし、


「それでは以前の私が何も考えていないようではないか」


 抗議の言葉を口にするが、すぐに笑い声を上げ、釣られるようにレイも笑い始めた。

 その様子を見たハミッシュは微笑ましく思いながらも、「敵が近い。気を抜くな!」と小さく叱責した。

 レイとアシュレイは小さく肩をすくめ、互いに顔を見合わせていた。



 ステラは先頭を行く二番隊の前に出ようとしていた。

 二番隊の後ろにいる一番隊を追い抜くとき、隊長であるガレス・エイリングが「偵察か?」と声を掛けてきた。

 ステラは足を止めることなく答えた。


「追撃を防ぐための場所を探しに行きます。レイ様の魔法で道を塞ぐのです」


 ガレスが何かを思いついたようで、「南に二kmほど行ったところに、ちょうどいい斜面があったはずだ。そこを見てきてくれ!」と叫ぶ。

 ステラは小さく頭を下げながら、「判りました!」と元気に叫んで走っていった。

 ガレスはその姿を見て、ステラも明るくなったものだと考えていた。


(初めて会った時は無表情だったのだが、今ではあれほど明るい表情が出せるようになったか。レイとアシュレイ様の努力も実ったようだな……)



 ステラは柔らかい雪の上を駆けていた。

 ウノたちのように木々を使っての移動ほどではないが、それでも抵抗の多い雪の中とは思えぬほどの速度で走っていく。茶色いマントをなびかせ、低い姿勢で走る姿はまるで野生動物のようだった。


(大鬼族は倍くらいの速さでこちらに向かっている。恐らくガレス様がおっしゃった場所くらいで追いつかれることになるはず。早く見つけてレイ様にお伝えしないと……)



 ステラは二十分ほどでガレスの言っていた場所に着いた。

 その場所は深いV字の谷になっている高さ三百mほどの斜面で、そこには吹き溜まった雪が深く積もっていた。


(谷をこの雪で埋めてしまえば、いくら大鬼族でも通るのに時間は掛かるはず。でも、ここに着く前に追いつかれないかしら……ううん、今は考えている時じゃないわ。ここまでに足止めできる場所はなかったんだから、ここしかないはず。すぐにレイ様にお伝えしなければ……)


 彼女は再び飛ぶような速度で来た道を引き返していった。



 ハミッシュ率いるマーカット傭兵団(レッドアームズ)は纏わりつく雪に悪戦苦闘しながら南に向かっている。その速度は通常の移動速度より遥かに遅いが、既に五時間近く雪の中を歩き続けており、厳しい訓練を受けている彼らでも息は上がりつつあった。

 そのせいか、吐く息が真っ白な煙のように見える極寒の山中にも関わらず、彼らの顔には汗が噴出していた。


「急げ! こんなところで大鬼族とやりあうわけにはいかん!」


 ハミッシュの言葉が無くとも、レッドアームズの精鋭たちには今の状況が危機的であることは理解できている。尊敬する指揮官の言葉に新たな力が湧くことを感じ、更に足を進める速度を上げていった。

 レイは最後尾に付き、後方を警戒しながら進んでいく。彼の息は荒く、重い足に挫けそうになるが、隣にいるアシュレイの励ましを受け、弱音を吐かずに足を前に出していく。彼の場合、他の傭兵たちより装備の重量が軽い――彼の鎧、雪の衣(ニクスウェスティス)は重量軽減の魔法が付与されている――ため、他の者より有利であり、更にレイ・アークライトの肉体のスペックも高いのだが、彼の精神は萎え始めていた。

 アシュレイはレイの他にも挫けそうなものがいることに気付き、努めて明るい声を上げる。


「もう少ししたら、レイの魔法で鬼人族を足止めできるぞ! 今、ステラが場所を探しているところだ! レイなら何とかしてくれる! それまでの辛抱だぞ!」


 その声に五番隊の若手、ハル・ランクルが追従する。


「はぁはぁ……レイさんの魔法で……はぁはぁ……一気に逆転ですね!……はぁはぁ……それまで何とか頑張りますよ……はぁはぁ」


 息が上がり、切れ切れの言葉にアシュレイが笑いながら突っ込む。


「何だ? この程度で息が上がるのか。これは帰ったら、また父上の特訓を受けねばならんな」


「はぁはぁ、それはないっすよ、アシュレイさん……はぁはぁ、あれだけは勘弁してください……」


 ハルの情けない声に周囲から笑い声が上がる。


「他の者も同じだぞ! 弱音を吐いた奴は父上から特別にしごいてもらうからな!」


 周りから「勘弁してくださいよ、お嬢!」という明るい声が上がり、下がり始めていた士気は一気に回復した。


 レイはその様子を見て、内心で感心していた。


(アッシュは本当に指揮官に向いているよ。血は争えないって奴かな。ハミッシュさんとは少し違うけど、みんなのやる気を一気に引き上げている。僕には絶対出来ないことだな……)


 それから十分ほど経った頃、獣人奴隷のディエスがレイのもとに走りこんできた。


「大鬼族部隊が一km後方まで迫っております。あと一時間程度で追いつかれるのではないかと」


 レイは予想より速い敵の動きに焦りを覚える。


「大鬼族の後ろにいた敵の様子はどうですか」


「はっ! 小鬼族を主体とする五百以上の鬼人族部隊が追従しております」


 レイは頷き、更に敵の状況を確認していく。


「後ろの小鬼族はどのくらいの速度で進んでいますか?」


「詳細は判りませんが、大鬼族たちに引き離されております。恐らく、こちらより遅いと思われます」


 その言葉にレイは頷き、僅かに安堵の息を吐く。


(小鬼族の体が影響しているのか、指揮官が別のことを考えているのか判らないけど、大鬼族だけを足止めできれば、何とか逃げ切れるってことか。後はどうやって足止めするかだけど……)


 彼はディエスに大鬼族の動きを監視するように命じた。


「敵の動きが変わったら、すぐに連絡を。頼みます」


 ディエスは「御意」と言って頭を下げ、再び後方に消えていった。

 横で聞いていたアシュレイが誰に言うでもなく呟く。


「あと一時間か。足止めできる場所があればよいのだが」


「大丈夫だよ。ステラがいい場所を見つけてくれるさ。それにもう魔法は考えてあるから」


 レイはあえて大きな声でそう答えた。


「ならば、我らは先を急ぐだけだな」


 アシュレイの言葉にレイは大きく頷いた。



 それから二十分ほどでステラが戻ってきた。

 前方で指揮を取るハミッシュに簡単な報告をすると、すぐに最後尾に向かう。


「いい場所がありました! この先にある谷が使えると思います」


 ステラは上気した顔でそう報告する。

 レイは「ご苦労様」とステラを労った後、アシュレイに声を掛けた。


「先に行って見てくるよ。あと三十分くらいで追いつかれるなら、ここで食い止めた方がいいしね」


 それだけ言うと、ステラを伴って雪道を駆けていった。


 マーカット傭兵団(レッドアームズ)は熊獣人ゼンガ・オルミガを筆頭に大柄な傭兵が多い二番隊を先頭にして、雪道を押し進んでいた。

 先頭に追いつくと、ゼンガの横で指揮を執るハミッシュに声を掛ける。


「先に行って道を塞げるか見てきます。出来ればここで何とかしたいですから」


 ハミッシュは片手を上げ、「頼む。これ以上、速く動くのは無理だからな」と伝える。

 レイも片手を挙げてそれに応えるが、すぐに前に出ていった。


 ステラの足跡以外ない、深く積もった新雪に足を取られ、思うように進めない。


(これだけ柔らかいと進むのは大変だな。先頭を行くハミッシュさんとゼンガさんは凄いと思う……)


 谷を回り込むように進むと、V字になった谷のような斜面が左手に見えてきた。ステラが報告したように幅百m、高さ三百mほどで四十五度ほどの急斜面だった。そこには針葉樹などの大きな木は生えておらず、吹き溜まったのか、他の斜面より雪が多く溜まっているように見える。そして、重要なことはトーア砦へのルートは上り坂になっており、ここで雪崩を起こしても通り過ぎてさえいれば、自分たちに被害が出る恐れがないということだった。


(ちょうどいい具合に上の方に雪が溜まっている。あれだけあれば、この谷を埋めることもできそうだ。全員が抜けた後に埋めてしまえば、乗り越えてくるのは難しいはず。あとは雪崩がきちんと起きるかどうかだ……)


 彼はそんなことを考えながら、谷の南側の尾根になった部分を登っていく。思いの外、雪は硬く、歩くたびにザクザクという音を立てる。


(意外としっかりとした雪だな。これだと谷を埋めても大鬼族なら乗り越えてきそうだ……誘いこんで生き埋めにするしかないか。それだとタイミングが難しいな……)


 尾根の中ほどまで上がる頃、先頭を行くハミッシュたちが谷底を抜けようとしていた。


(あと十分くらいでレッドアームズのみんなはここを通り過ぎるはず。その後、どのくらい余裕があるかだけど……)


 その時、獣人奴隷のディエスが飛ぶように近づいてきた。驚異的な肉体能力を持つルークスの獣人奴隷である彼が息を荒くして報告を始めた。


「はぁはぁ……大鬼族たちは……あと十五分ほどでここに……」


「ご苦労さま。とりあえず、僕と一緒にいてください」


 レイはそう言いながら、眼下の傭兵たちの隊列を眺める。そして、すぐに斜面を登り始めた。


(あと十五分ってことはアッシュたちが登り切ってから五分くらいしかないってことか……間に合うんだろうか……)


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