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トリニータス・ムンドゥス~聖騎士レイの物語~  作者: 愛山 雄町
第三章「冒険者の国・魔の山」

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第八十話「決断」

第三章の最終話です。

 トリア暦三〇二五年、十二月二十七日午後一時。


 ギルド総本部では、ギルド長であるレジナルド・ウォーベックが渋い顔をしていた。彼の前にはハミッシュ・マーカットと防衛責任者であるランダル・オグバーンがおり、何か協議しているようだ。


「……しかし、これだけの犠牲を出したのだ。祝勝会と言ってもな……」


 ウォーベックはそう言って小さく首を振る。


「いや、こういう時だからこそ、祝勝会は行うべきだ。死者を弔う意味もある。ここで何かやっておかねば、皆の心に傷が残る」


 ハミッシュのその言葉にウォーベックが更に「だが、知り合いを亡くした奴が多い。不謹慎だろう……」と続けようとすると、ランダルが口を挟んできた。


「いや、ハミッシュの言うことはもっとだな。なあ、レジナルド。ここは赤腕ハミッシュの言うことを聞いてみちゃどうだ? 俺はともかく、お前さん、戦争は初めてなんだろ。いくさに慣れた傭兵の言葉に耳を傾けちゃどうだ」


 ウォーベックは未だに納得がいかない様子だが、プロの傭兵たちの言葉を信じることにした。


「良かろう! 今回、俺は大したことはしちゃいねぇんだ。今から準備を始めるよう指示を出そう」


 ウォーベックの言葉にランダルは頷き、すぐに職員たちを集めるため部屋を出ていった。




 午後二時。


 レイは光神教の宿舎からギルド総本部に戻ってきた。

 ちょうどその時、祝勝会のことで打合せを終えたハミッシュらと合流する。


「総本部で何かあったんですか?」


 ハミッシュは、普段通りに話をするレイに心の中で安堵の息を吐く。


(どうやら立ち直ったようだな。こういうことはヴァレリアが一番だ。ハルを使うところなんざ、俺には思い付かん……)


 ハミッシュはそんな考えをおくびにも出さず、


「ああ、祝勝会のことでちょっとな。それより、どこに行っていたんだ?」


 レイの後ろに所在なげについてくるウノたちを見付け、ハミッシュはそう尋ねた。


「ちょっと、光神教の宿舎に……後で話します。それより、相談があるんです……」


 ハミッシュは、「アッシュから聞いた」とやや表情を硬くする。

 立ち話でする話でもないということで、マーカット傭兵団の主だった者が泊る宿に向かった。


 宿に着くと、ハミッシュは副官のアルベリックとガレス・エイリングら隊長たちを食堂に集めた。

 アシュレイもその場にいたが、その表情が曇っていた。


 ハミッシュは椅子に座るとおもむろに話し始めた。


「まず、アッシュの言った魔族の残党の追撃だが、俺たちは参加できん」


 レイは腰を浮かせながら、「なぜですか! 今逃せば大変なことになるんです!」と声を張り上げる。

 ハミッシュはそれを眼で制しながら、


「俺たちは傭兵だ。金のために命を張っている。それにな、俺たちは契約に縛られているんだ。今回はいい。国の要請って奴があったからな。だが、この街を守りきった以上、これ以上戦う必要はない」


「それじゃ、駄目なんです! 今を逃したら……」


 レイの叫びを無視して、ハミッシュは無表情のまま言葉を続けていく。


「お前が言っているのは個人的な依頼だ。だとしたら、俺たちを雇う必要がある。経費抜きで一日当たり一万(クローナ)(=約一千万円)だ。それに違約金も必要だ。お前にそんな金はないのだろう?」


 レイはハミッシュの言葉が信じられなかった。ラクスの東部に魔族が侵攻してきた時には討伐隊の指揮を執り、誰よりも魔族の危険性を理解していると思っていたからだ。


(ハミッシュさんなら僕の言うことをちゃんと理解してくれると思っていた……自惚れかだったのか……)


「ハミッシュさんはチュロック砦を救いにいったじゃないですか。あの時だって、敵の戦力は判らなかったし、今回より危険はあったはずなんですよ。なのにどうして?」


 そう言って、レイはラクスの東の辺境チュロック砦救援の時のことを指摘すると、ハミッシュに代わり、ヴァレリアが話し始める。


「あの時とは状況が違うのよ。あの時は騎士団からの正式な要請があったし、第一、チュロック砦が陥落してしまえば、ラクスの東部は魔族に蹂躙されてしまう。それを防ぐことが出来たのは私たちだけ。でも、今回は違うわ。逃げる敵を追う必要はないの。これだけの大勝利を上げたのに、更に危険を冒す必要はない。それにただでさえ危険なアクィラの麓で、残党とはいえ、鬼人族の戦士と渡り合うのはリスクが大き過ぎるの」


「でも、今を逃せば、魔族は大きな力を得てしまうんです! もし、ルナが……月の御子が月魔族の都に入ったら、大変なことになるんです!」


 レイは叫ぶようにそう言った。


「だが、それは確実なことなのか? 証拠はあるのか?」


 ハミッシュは僅かに目を細め、射抜くようにレイを見つめる。そして、ゆっくりとした口調で話を続けていった。


「お前が捕虜にした小鬼族の戦士も大したことは知らなかったのだろう? 俺はお前の言うことを疑ってはおらんが、それだけじゃ、動けねぇんだ。どうしても、俺たちの力が必要っていうなら、違約金と俺たちの日当を用意しな。それが無理なら、魔族追撃の許可をペリクリトルの偉い奴に認めさせろ。そうすりゃ、俺たちも動ける」


 魔族討伐は主要な国が結ぶ協定に基づき実施されるもので、直接戦闘を交えていない国も分担金を支払うことになっている。都市国家連合に所属するペリクリトル市が追撃の必要性を認めれば、その費用は各国が分担することになる。また、傭兵たちが結んでいる契約についても、免責規定が適用できるため、契約不履行で発生する違約金を払う必要が無くなる。ハミッシュはそのことをレイに言ったのだ。

 アルベリックがいつものように飄々とした感じで話しかけた。


「レイ君、ハミッシュも意地悪で言っているんじゃないんだ。マーカット傭兵団(うち)は家族持ちがあまりいないけど、それでも全然いないわけじゃないんだよ。それに戦えば、けが人や死人も出るからね。それに装備にお金も掛かるし。いくらハミッシュでも、そこまで無茶は言えないんだ」


 レイは自分の考えの足りなさに唇を強くかむ。


「……それにね。傭兵は契約が何よりも大事なんだ。もし、ここでハミッシュが勝手に動けば、傭兵ギルドから除名される。ううん、それだけじゃないんだ。故意に契約を破棄したっていうことで、最悪、討伐の対象になるかもしれないんだ」


 アルベリックの説明では、傭兵ギルドの規約の中で最も重視されるのは顧客との信頼関係であり、正当な理由なく契約を破ることは厳罰の対象になることもあるというものだった。

 傭兵が“ならず者”と同義と言われていた時代、一部の傭兵たちは護衛契約を結んだ上で顧客を裏切り、盗賊たちに襲わせることがあった。その場合、顧客である商人たちは皆殺しにされ、傭兵が裏切ったという証拠が見つかることは少なく、処罰されることはほとんどなかった。

 そんな中、その状況を打破しようとした傭兵たちが、傭兵ギルドを作った。そして、不正を働く傭兵たちは、ギルドによって容赦なく排除された。その結果、傭兵たちの信用度は上がり、商人たちも命を預けるようになった。


「でも、ハミッシュさんほどの人を除名なんてできないんじゃないですか。いくら契約を反故にしたからって……」


「確かにハミッシュなら除名されないかもしれないね。だから余計に勝手なことは出来ないんだ。ハミッシュの影響力は馬鹿に出来ない。他の傭兵たちへの影響を考えたら、自分を律しないといけないんだよ。面倒なことだけどね」


 レイはまだ納得いかず、「でも……」と呟く。アルベリックはレイの言葉を遮るように、


「納得いかないかもしれないけど、正当な理由がない限り、レイ君の手伝いはできないってことなんだ。そう、理由(・・)がないとね」


 アルベリックはニヤリと笑いながら、小さく頷く。

 レイはそれに気付くことなく、自分の考えの甘さを恥じ、更にどうすべきか考え始めた。


(そうか……確かにアッシュと出会ったときにも同じようなことを言われた気がするな。だとしたら、冒険者ギルドを動かさないと埒が明かないってことか……でも、ギルド長に直談判しても難しいかもしれないな。ランダルさんなら判ってくれるかもしれないけど、今は街の復興が最優先事項だし、僕の罠のせいで街の予算が大きく減っているはず。でも、今から各国を説得して回るわけにもいかない……どうしたらいいんだろう……理由がいるって言っても、信じてもらえないだろうし……)


 彼が視線を動かすと、偶然、ハル・ランクルの姿が目に入ってきた。


(ハルみたいにうまく話せたらなぁ……理由はともかく、危機が去っていないことは間違いないんだし……)


 そこであることが閃いた。


(そうか! うまくいけば、魔族討伐の特例が使えるかもしれない! ペリクリトル以外にもメリットがあると思ってもらえればいいんだ。祝勝会のタイミングがいいだろうな……)


 レイはハルに声を掛けた。

 ハルは嫌な予感でもしたのか、「また変なことを企んでいないですよね?」と警戒しながら近づいてきた。


「頼みがあるんだ。ハルじゃなきゃ無理なんだよ」


 レイはにこりと笑ってそう告げた。その姿にアシュレイは彼が何か考えついたと感じていた。


(レイが何かを思い付いたようだな。ならば、明日にでも出発かもしれん。準備をしておいた方がいいだろう)


 ハミッシュらもレイの表情の変化に安堵の表情を浮かべる。


「ハル! 団長命令だ。レイの言う通りにしろ」


 ハルはその言葉に「えっ! まだ何も聞いてないんすけど、悪い予感しかしないんですけど……」と肩を落とす。


「ハルだけじゃないよ。ハミッシュさんにも一肌脱いでもらわないと。僕の考えをこれから話します……」


 レイはハミッシュたちに自分の考えを話していく。

 ハミッシュとハルは自分たちに割り振られた役割に肩を落とすが、他の者たちはこれなら行けるかもしれないと、部下たちに明日にでも出発するかもしれないと伝えに行った。



 午後五時。


 ギルド総本部前の広場に市民たちが用意した食べ物や酒が並び始める。

 未だに治癒師たちは軽傷者たちの治療を行っているが、やや元気を取り戻したレイが再び重傷者たちの治療を行ったことで、深刻な症状の者はほとんどいなくなった。

 ケガを負った冒険者たちも、ギルドの発表した祝勝会と言う話に、明るい表情を見せる者が多かった。


「みんな、昨日はよくやってくれた! 俺たちの手で街を守った! 死んでいった奴もいる。だが、俺たちはこの手で街を守ったのだ! 今日はそいつらの分も騒いでやってくれ!」


 ギルド総本部の前でウォーベックが簡単な挨拶を行い、その言葉を合図に冒険者たちが「ウォォ!」という歓声で応え、宴が始まった。

 宴が始まると、すぐに街に残っていた吟遊詩人たちが楽器を奏で、詩を歌い始める。戦死者を悼む者も多かったが、それでも陽気な歌が流れ始めると、場は徐々に明るくなっていった。


 レイたちもその祝勝会に参加していたが、一騎打ちで敵将を仕留めた彼の周りには多くの冒険者や市民たちが集まってくる。

 彼らは口々に「良くやってくれた」と言って彼の肩を叩いていく。

 レイは、はにかみながら、「ありがとうございます。皆さんのおかげです」と頭を下げていく。


 レイが街の人たちに声を掛けられている横には、マーカット傭兵団の一団がいた。そして、ヴァレリアの指名でハルが壇上に立ち、今回の傭兵たちの思いを話していた。


「……俺たちがペリクリトル(ここ)がやべぇって話を聞いたのは、ブリッジェンドの街だった。そう、ここから五百kmほどのところにある小さな街だ。俺たちレッドアームズは魔族討伐軍への輸送隊の護衛をしていたんだ……」


 ハミッシュらは、十日ほど前の十二月十四日にラクス王国東部の街ブリッジェンドで、ペリクリトル周辺にオーガたちの足跡があったと言う情報を聞いた。彼らはすぐにラクス王国の王都フォンスに戻った。

 だが、その時はまだ魔族軍の規模も判らず、また、援軍を出すと言う話もなかった。

 ハミッシュはレイが書いた“アークライトレポート”を思い出し、ペリクリトル周辺が魔族の本当の狙いではないかと考えた。そして、ラクス王国の武の要、ブレイブバーン公爵にそのことを伝える。

 ブレイブバーン公も同じことを考えていたが、その時、フォンスには満足な兵力が無かった。もし、情報が正しい場合、僅か数百の兵力では敵に損害を与えることなく、消耗するだけだと考え、ラクス王国は兵力を集中するという選択をとった。

 ブレイブバーン公に断られたハミッシュは、仕方なく彼の部下百名――ミリース谷の戦いの後、補充している――を引き連れ、十二月二十二日にフォンスを発つ。


「……俺たちも気が気じゃなかった。ここは守りにくい街だ。俺のようなペーペーの傭兵でも判る。いくら、ミリース谷で十倍の敵を防いだ“白き軍師”がいるとはいえ、街を囲まれたら、一日ともたないだろうとな……」


 聴衆たちはその言葉に皆頷いていた。


「もちろん、我らが団長、赤腕ハミッシュもそのことは判っていた!……俺は初めて見たね。ミリース谷じゃ、三千の敵を前に笑っていた団長が、今回ばかりはニコリともしねぇ。それだけヤバい状況だったと判っていたんだ……」


 周りの聴衆たちは徐々に彼の言葉に引き込まれていった。


 マーカット傭兵団はフォンスからペリクリトルまでの三百kmを、五日で駆け抜けている。全員が騎乗して移動するため、かなり速い速度ではあるものの、驚異的な速度というほどではない。だが、ペリクリトルの北にあるカルドベックからフォンスまでの二百五十kmは、家財を満載した荷馬車で移動する避難民たちで埋まり、思うように移動ができなかった。


「……さすがにうちの隊長連中ですら、イライラするくらいだったんだ。だが、我らが団長は浮き足立つ俺たちを、たった一言で落ち着かせたんだ。何を言ったか判るか?」


 聴衆たちは皆、首を横に振り、黙って先を促す。


「団長はこうおっしゃったんだ。“ペリクリトルにはレイがいる”と。たったそれだけの言葉だった……だが、俺たちレッドアームズにはそれで充分だった。そりゃそうだろう。ミリース谷の白き軍師様がそう易々と魔族如きに負けるわけがねぇ……その話を聞きつけたんだろうな。途中の街で俺たちと一緒に行くと言ってくれる奴が随分いたんだ……」


 今回、マーカット傭兵団百名に対し、援軍として駆け付けた傭兵は二百名いた。彼らはフォンス街道――ペリクリトルとフォンスを結ぶ街道――で合流した者たちだった。実際には百人以上が同行を望んだが、商隊や避難民の護衛を減らすわけにはいかないと、ハミッシュが断っている。


「俺たちがカルドベックに着いた時には、まだ始まっちゃいなかった。だが、昼過ぎに早馬とすれ違った時には、かなり焦ったね。もう始まっちまったのかってな。それからが強行軍だった。足の遅ぇ輜重隊はカルドベックに置き去りにして、馬を潰す勢いで駆け抜けた……そして、ギリギリで間に合った……」


 ハルの言葉に聴衆たちは皆頷いている。その頃には数十人だった聴衆が百人を超え、更に人の輪が大きくなっていく。


「今回は運が良かった。いや、団長に軍師がいた。それ以上に、この街の連中が頑張ったから勝てたんだ!」


 そこで「そうだ!」という声が上がる。

 ハルはそこで表情を僅かに曇らせ、沈黙する。聴衆たちはその“間”が何なのか不思議そうに顔を見合わせ、ハルの次の言葉を待っていた。


「だがよ。本当にこれで終わりなのか?」


 前列にいた一人の男が「どういう意味だ?」と問う。


「俺たちは、ミリース谷で、チュロック砦で、そして、ここペリクリトルで魔族たちと戦った。だがよ、これっておかしくないか? 今、ペリクリトルとラクスに兵隊が集まっちまっている。これが罠じゃねぇって本当に言えるのか?」


 その言葉に聴衆たちも考え込んでしまう。


「これはな。そこにいるうちの軍師、レイさんが考えたことなんだが、奴らの狙いは別にあるんじゃないのか? 今回は街の連中が予想以上に頑張った。だがな、敵の主力、大鬼族の数が合わねぇんだ。聞いた話じゃ、攻め込まれる前に傀儡くぐつの術を使っていた月魔族って奴がいたんだろ? そいつがいねぇ。それに翼魔もな。おかしいと思わねぇか……」


 ハルがそこで言葉を切ると、レイが壇上に上がってきた。


「僕は思うんです。魔族の狙いは別にあるんじゃないかって」


 白き軍師の言葉に聴衆たちは囁き声すら発しない。


「大鬼族の数が五十くらい足りないんです。もし平原の戦いで、その戦力がいたら……僕たちは負けていたかもしれないんです。それに闇属性魔法の使い手、月魔族が突然消えた。これも理由があるはずなんです……」


 レイはそこで言葉を切り、声が良く通るように自らを落ち着かせる。


「僕は思うんです。魔族には別の目的があったはずだって。それもここペリクリトルを占領するって目的より大事な目的が……」


 聴衆の中から、「それは何なんだよ!」という声が上がる。


「それが何かは僕にも判りません。でも、五千もの兵力を失っても成し遂げる必要があるほど大事な何かなんです! 今、彼らを逃がせば、取り返しがつかないことになるかもしれないんです!」


 そこでハルが再び話し始めた。


「俺たち、マーカット傭兵団(レッドアームズ)に力を貸してくれ!」


 そこで大きく頭を下げる。

 聴衆たちは何のことか判らず、ざわつき始めた。


「俺たちは動けねぇんだ! 今のままじゃ、俺たちはラクスに引き揚げなきゃならねぇんだ! 頼む! 街の偉いさんたちに、魔族追撃が必要だって言ってくれねぇか! そして、この話をみんなに広めちゃくれねぇか! 俺たちはレイさんを、白き軍師を助けてぇんだ……」


 そして、レイも同じように深く頭を下げていた。



 その三十分ほど後、ハミッシュの周りにも多くの人が集まっていた。

 元々、一級傭兵として名を馳せており、今回も街を救ってくれた英雄として、多くの市民たちが彼を囲んでいた。

 市民の中には既に酔いが回り、ハミッシュに演説をせがむ者も現れる。


「ハミッシュさん! 俺たちに何か一言もらえませんか!」


 ハミッシュは「俺は口下手だからな」と断っていたが、冒険者たちからも彼の演説を望む声が大きくなる。

 ハミッシュは仕方がないと言う感じで、用意された木箱の上に立ち、


「今回は俺たち傭兵の手柄ではない! お前たち冒険者、ペリクリトルの民の力で街を守ったのだ! いや、俺の娘、それに俺の後継者の命も守ってくれた」


 そこで聴衆たちから歓声が上がる。ハミッシュはそれを手で制した後、真剣な表情で話を続けた。


「だが、まだ安心できん! 逃げた奴らがいる。あいつらはこの街の弱点を知った! それに侮れん数の大鬼族が逃げている!」


 明るい話を期待していた市民たちは、ハミッシュの悲観的な言葉に首を傾げる。


「俺たちは魔族を追い返したんだ! それで充分じゃないのか!」


「いや、うちの軍師が言うには、今回の戦いは前哨戦に過ぎんそうだ。今回、奴らの動きがおかしかったと思わんか? のろのろと動いて、見計らったように街に攻め込んできた……」


 その言葉に市民たちも頷いていた。


「ここが本命だったのか? 本命は他にあるんじゃないのか!」


 そこで言葉を切り、聴衆たちをゆっくりと見回していく。


「今、俺たちの戦力はどこにいる? 北のラクスとここペリクリトルだ! フォルティスの傭兵たちも、ほとんどが出払っている。この機に狙うとすれば、どこだ?」


 そこでハミッシュは言葉を切った。


「一つしか考えられんだろうな。奴らが狙うのはトーア砦。そして、そこから手薄になったカウムを落とす。これが本当の狙いだとすれば、今逃げている連中の一部は少数精鋭の別働隊だ。よく考えてみろ! 大鬼族の戦士たちが五十もいれば、恐ろしい戦力の別働隊になる。実際、大鬼族とオーガの数が合わんのだ」


 市民たちは大鬼族部隊の恐ろしさを思い出し、酔いが急速に冷めていった。

 北の平原の戦いに参加したのは、傷付いた大鬼族戦士六十と、オーガ百に過ぎなかった。その大鬼族部隊は平原の戦いで無敵を誇っていた。僅かにランダル率いる高レベル冒険者たちだけが、何とか渡り合っていたにすぎない。


「トーアの正面に本隊がいて、後ろに大鬼族戦士だ。今回、翼魔がいたが、戦闘には参加しておらん。何故だ?」


 聞き入っている市民たちは皆首を傾げている。


「奴らは俺たちがどの程度戦えるのか、確認しに来たんだ。ということは、まだ戦いは終わっちゃいねぇってことだろう」


 その話を冒険者ギルド長のレジナルド・ウォーベックと防衛責任者のランダル・オグバーンが聞いていた。


「確かに考えられる話だ。レジナルド、どうする?」


 ランダルの問いにレジナルドは小さく首を振る。


「証拠がねぇ。確かに白き軍師のレイと赤腕ハミッシュが言うなら、間違いないんだろう。別働隊って話はカウムに伝えるべきだが、俺にはトーアが次の標的だと宣言することはできん。つまり、協定に基づいた出兵は無理だということだ」


 ランダルはやや不本意なのか、顔を顰めながら頷いた。


「ああ、だが、このまま放置していいのか? レイの言う通り、月魔族が攫ったルナ、月の御子って奴がカギになるとすれば……」


 レジナルドは小さくかぶりを振る。


「それは分かる。分かっちゃいるんだが、金がねぇんだ。これ以上、軍を動かすには更に金がいる。街の復興だけでも頭が痛ぇんだ」


 そんな話をしていると、周囲に街の人々が集まってきた。

 そして、口々に魔族を放置していいのかと迫ってくる。


「レイやハミッシュの言っていることは分かる! だが、証拠がねぇんだ! 俺たちが魔族討伐の要請をするのはいい。だが、もし、魔族が逃げていくだけなら、討伐隊の費用はすべてペリクリトルが持たなきゃならねぇ。それだけの金がねぇんだよ。分かってくれ」


 周りにいた一人がその言葉に反論する。


「だがよ! 白き軍師は敵を見付ける前からペリクリトルがやべぇって言っていたんだろ。なら、今回もやべぇんじゃないのか!」


 レジナルドに代わり、ランダルがそれに応える。


「確かにレイの奴は俺たちが魔族を見付ける前から警告していた。俺たちがただのオーガやオークの群れだと思っている時に、奴は魔族の目的はペリクリトルだと断言していた」


 街の人々はその言葉に頷き、冒険者らしい一人の男が声を上げる。


「確かドクトゥスの偉い学者先生を連れて来てくれたんだよな。なあ、みんな! 俺たちはレイに借りがあるんだ! あいつは自分の言葉を信じなかった俺たちを助けてくれたんだ! 今度は俺たちがあいつを信じる番だろう!」


 その言葉に周囲から「そうだ!」という声が上がる。そして、魔族追撃の指示を出すようギルド長に迫る意見が飛び交っていく。

 レジナルドは苦虫を噛み潰したような表情になる。


(ここまで来たら仕方があるまい。確かに俺たちはレイに借りがある。奴が必要だと言うなら、俺が一肌脱ぐべきだろう……腹を括るか……)


「よし! 冒険者ギルド長として宣言するぞ! 魔族の危機はまだ去っちゃいねぇ! 魔族の残党の追撃をペリクリトル市の責任者として、マーカット傭兵団(レッドアームズ)

に依頼する! ハミッシュ! 聞いているな!」


 ハミッシュは「おう! 聞いているぞ!」と答え、


マーカット傭兵団(俺たち)は明日の朝一番で奴らを追撃する! なあに、奴らの行き先はうちの軍師がしっかり掴んでいる。何も心配はいらん」


 その言葉に「頼んだぞ!」、「俺も連れて行ってくれ!」という声が湧きあがり、一気に祝勝会場は高揚した雰囲気に包まれていった。


 今回レイが考えたのは、話がうまいハルに“白き軍師”を持ち上げさせ、その軍師、すなわちレイが今の状況に危惧を抱いていることを訴えるというものだった。ハルの話で引き込まれ、高ぶった聴衆たちは、レイが訴える追撃作戦が必要だと感じるはずだ。その後、同じようにハミッシュが危険性を訴える。ハミッシュの近くにはギルド長のレジナルドや防衛責任者のランダルがいるはずで、そこにハルの話で熱くなった聴衆たちが加われば、場は一気に魔族追撃に傾くだろうというものだった。


 だが、レイは自分のしたことが正しかったのかと後悔していた。


(確かにハミッシュさんたちに来てもらった方が良かったけど、本当に良かったんだろうか。嘘は言っていないけど、街の人を騙しているようで……僕がカウム王国に出向いて説得すれば、街の人にも、ハミッシュさんたちにも迷惑をかけずに……いや、これでも間に合うかギリギリなんだ。もし、ルナが、月宮さんが魔族の土地に連れていかれたら、あれ(・・)がこの世界に……“あれ”って何だ。今、何か思い出しそうだったのに……)


 何か思い出せそうで思い出せないもどかしさに、レイは僅かに頭を振る。


(僕は腹を括らないといけない! この街の多くの部分を廃墟にしたんだ。それに多くの人たちを死に追いやったんだ。復興にお金が掛かるし、遺族の人たちの生活もある。でも、これ以上、こんなことにならないようにしないといけないんだ! だから、どんなことをしてでも、魔族のやることを止めなくちゃいけないんだ!)


 隣にいたアシュレイは、レイの吹っ切れた様子に小さく笑みをこぼした。


(吹っ切れたようだな。明日からは強行軍だ。レイの予想なら十日と掛けずにトーア砦に行かねばならん。それから真冬のアクィラに入る。覚悟を決めねばならんが、こいつの顔を見ているとどうしても頬が緩んでしまうな)


 アシュレイはレイの肩に手を置き、「父上たちと明日の打ち合わせをするぞ」と声を掛ける。


「そうだね。でも、もう少し英気を養っておこうよ。ステラもね」


 レイはそう言って、後ろに控えるステラに声を掛けた。

 その表情は明るく、先ほどまでの悲壮感は完全に影を潜めていた。


 ステラは「はい」と頷き、彼の横に座る。


「明日から、また三人一緒ですね」


 彼女の明るい声にレイとアシュレイも笑顔で頷いていた。


第三章がようやく終わりました。

仕事が忙しくなったこともあり、更新頻度が落ちたこともありますが、第三章だけで一年かかってしまいました……orz

第四章は「魔族の国・東の辺境」となりますが、相変わらず土日の出勤が続き、執筆時間がとれません。

不定期更新のままとなりますが、今後ともよろしくお願いいたします。

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