第七十六話「激戦の終焉」
トリア暦三〇二五年、十二月二十六日午後四時五十分
冒険者の町、ペリクリトルの北の草原には、巨大な体躯を誇る大鬼族とオーガ、その半分にも満たない短躯の小鬼族とゴブリン、傷つき疲弊しきった冒険者たち、そして、援軍として現れた傭兵たちが入り乱れていた。
その混乱した戦場のやや南側で、レイは戦っていた。
彼はルークスの聖騎士と農民兵、獣人の奴隷を率い、敵の総大将、大鬼族のオルヴォ・クロンヴァールを目指していた。だが、敵の圧倒的な物量に阻まれ、敵中深くに進入したところで孤立した。
勢いを失い、足を止めてしまったレイの部隊は、崩壊の危機にあった。
すでに聖騎士の半数が倒れ、精鋭である獣人部隊ですら二人を失っていた。農民兵に至っては、立っているものは当初の四分の一である五十人を割り込み、臨時の指揮官である治癒師のヘーゼルですら、前線で剣を振るわざるを得ない状況に陥っている。
敵中で立ち往生してから、二十分ほど経った頃、味方の左翼側、草原の北側から、冒険者たちの上げる歓声が聞こえてきた。
微かに聞こえてくる声から、援軍が現れたことが聞き取れた。
レイは真偽を確かめることなく、「援軍が来たぞ! もう少しで助けがくる!」と叫ぶ。その声に、聖騎士はもちろん、フラフラになって槍を振るう農民兵たちですら、歓声で応えていた。
実際、その時点でハミッシュ・マーカットら傭兵たちは、彼らの百m先にいた。ただ、彼らの間にはひしめくように群がってくるゴブリンたちと、その先にいる巨大なオーガの分厚い壁があった。
歓声が聞こえてきてから数分後、小鬼族部隊の動きが不意に止まった。そして、その後ろから、二人の大鬼族戦士と、四体のオーガが現れた。
オルヴォは“白の魔術師”ことレイを倒すため、強引に小鬼族部隊の中を突き進んでいく。小鬼族の隊長が「我らの手柄を奪うおつもりか!」と叫ぶが、オルヴォは殺気を漲らせるだけで、答えることなく、前線に向かった。
普段の彼は、荒々しい鬼人族とは思えぬほど落ち着き大人然としているが、その時は冷静な指揮官という仮面を脱ぎ捨て、鬼人族らしい荒々しさを撒き散らしていた。
(奴を殺す。ただそれだけだ……邪魔する奴は誰だろうと殺す……)
彼は大鬼族本来の獣性を解放し、殺気の篭った目で前方に見える白い鎧を着た騎士だけを見ていた。その姿に小鬼族の隊長も思わず彼に道を譲ってしまう。
だが、オルヴォの殺気を感じることができない者がいた。一人の若い小鬼族の戦士が、オルヴォが小鬼族を無視したことに怒りを覚え、彼の前に立ち塞がったのだ。
「白の魔術師は我らが倒す! オルヴォ殿といえども……グッ!」
オルヴォは立ち塞がる小鬼族戦士を巨大な両刃斧で両断すると、「俺の前に出てくる奴は殺す」と凍るような低い声で呟いた。
その姿にゴブリンたちが、パニックを起こした。
ゴブリンは元々低い知能しか持たない。更に操り手によって生存本能を制限されているのだが、そのゴブリンたちが僅かに残った生存本能に従い、オルヴォの前から転がるように逃げ出していったのだ。
小鬼族の戦士たちもオルヴォに恐怖を感じており、眷属たちの行動を咎めることなく、立ち尽くしていた。
オルヴォの標的であるレイも同じように恐怖を感じていた。まだ、彼らの間には五十mほどの距離があったが、レイはオルヴォの発するビリビリとした殺気を強く感じていた。
だが、それ以上に小鬼族部隊が混乱していると感じ、この混乱に乗じて脱出が叶わないかと周囲を見回した。
(駄目だ。完全に囲まれている……今動けば、敵が我に返ってしまう。そうなれば、援軍が来る前に全滅してしまう。どうすれば……)
小鬼族部隊の動きは鈍ったものの、周りは敵で溢れており、脱出することは叶わない。彼はこの状況を打破する方法を思いつけなかった。
両軍ともオルヴォに見入るあまり、攻撃の手を止めていた。ゴブリンが逃げ惑う、わめき声は聞こえるものの、戦場とは思えないほどの静寂がその場を支配していた。
オルヴォが一歩踏み出すごとに、海を渡るモーゼの如く、彼の前に道ができていく。
彼は付き従う大鬼族戦士に血走った目を向け、一言、「皆殺しにするぞ」と命じた。
二人の若い大鬼族戦士は、オルヴォを敬愛していたが、残忍な表情を浮かべるオルヴォに恐怖を感じていた。彼らは何とか動こうとするが、足がどうしても前に出ない。一人、敵に進んでいくオルヴォが無言で振り返ると、その姿に更に恐怖を募らせてしまった。
オルヴォの目は鬼人族の特徴である赤目だが、いつもは深みのある赤色で思慮深さを感じさせた。だが、振り向いた彼の目は、鮮血のような真紅に染まり、そこには狂気の色しか見えなかったのだ。
それでも二人は何とか自分を取り戻し、それぞれ二体のオーガを引きつれ、彼の左右後方に陣取った。彼らは二度とオルヴォと目を合わさなかった。
その時、オルヴォを止めようと、獣人部隊のウノとシエテが飛び出していく。
「アークライト様! 我ら時間を稼ぎます! 今のうちに!」
ウノはオルヴォの只ならぬ気を感じ、レイを守るため、囮になろうとした。だが、オルヴォは二人を一瞥すると、「目障りだ」と言って、斧を一閃する。
彼の斧は十kg以上ある巨大な物だが、一閃するスピードはその重さを全く感じさせなかった。その常軌を逸した速度には、手練のウノたちといえども、迂闊に近づくことすらできない。
数度、攻撃を仕掛けるが、オルヴォは足を止めるどころか、速度を落とすことすらなかった。
焦りを感じたウノは、シエテともう一人の配下、クアトロに合図を送り、オルヴォの足を止めにかかる。
ウノは無造作に振られる斧の合間を縫ってオルヴォの懐に入り込もうとした。シエテとクアトロはオルヴォの注意がウノに向くタイミングを計って左右の足を狙っていた。
だが、オルヴォはウノたちの攻撃を察知したのか、不意に足を止める。そのため、ウノのタイミングが僅かに狂った。
更にオルヴォは斧での攻撃を止め、人の頭ほどある拳での攻撃に切り替えていた。ウノはその突然の変化に対応が遅れ、巨大な拳での一撃を受け、大きく吹き飛ばされる。左右から攻撃をかけたシエテとクアトロは、オルヴォの太ももに剣を突き立てるが、狙いがそれたため防具に阻まれ、致命的な傷が与えられない。
オルヴォは「小賢しいわ」と呟くと、持ち替えていた両刃斧を大きく振りぬいた。二人は咄嗟に剣を手放し、難を逃れたかに見えたが、鍛え抜かれた彼らですら、その斬撃から逃れることはできなかった。二人は大きく斬り裂かれ、血を撒き散らしながら、小鬼族たちの中に吹き飛ばされていった。
オルヴォは獣人たちに興味を失ったのか、再びレイに向かい始めた。彼は両足から血を流しながらも、馬が駆けるような速度でレイたちに突っ込んでいく。
二人の戦士と四体のオーガもそれに倣い、重い足音を響かせて彼に続いていった。
聖騎士のランジェス・フォルトゥナートは、大鬼族の突進に恐怖するが、すぐに残った部下たちに命令を下した。
「なんとしても閣下をお守りするのだ! 敵はでかいだけだ! 足を狙え!」
そして、レイに向かって「お逃げください! 奴は危険です! 我々が足止めしている間に……」と叫ぶが、オルヴォの足音にそれ以上の言葉を発することができなかった。
彼は突進してくるオルヴォたちを見つめる。
(ここが死に場所か……あの魔族が相手では、アークライト様といえども生き残れまい。ならば、ここで逃げても未来はない。最後に敵に一泡吹かせてやるか……)
フォルトゥナートは達観したような静かな笑みを浮かべた。そして、血塗れの騎士剣を目の高さに水平に持ち上げると、切っ先を敵に向ける。
彼は僅かに残った魔力を使い、剣に光の精霊の力を纏わせていった。
夕闇が迫る中、彼の剣は白く輝き、辺りは昼のように明るくなる。
オルヴォはそれでも速度を緩めることはなかった。
レイはウノたちがあっさりと敗れたことに声を失っていた。
(ウノさんたちが全く相手にならない。あの凄腕のウノさんが……)
レイは呆然とその様子を見ているだけだったが、横に現れた獣人部隊の生き残り、トレスに撤退を促される。
「今のうちにお逃げください。私が敵の包囲に穴を開けます」
だが、レイは動くことができなかった。トレスが更に何か言おうとした時、フォルトゥナートも撤退を促してくる。
(逃げるって言っても無理だ。それに聖騎士じゃ、あの大鬼族には敵わない……みんなを見捨てることもできない……)
レイの逡巡は数秒ほどだったが、その数秒でオルヴォらとの距離は一気に縮まった。
その時、フォルトゥナートの剣が真っ白に輝き始める。更に生き残りの聖騎士たちもフォルトゥナートの両脇に立ち、同じように剣に光を纏わせ始めた。
レイは聖騎士たちが限界以上に魔力を使おうとしていることに気づき、「無茶だ! それ以上魔法を使ったら死んでしまう! 駄目だ!」と叫んだ。
レイの叫び声が聞こえたのか、フォルトゥナートは一度だけ振り向き、笑顔で頷いた。
その清々しい笑顔には一片の迷いもなく、レイには殉教者の笑顔に見えていた。
レイがもう一度、叫ぼうとしたとき、聖騎士たちとオルヴォらが激突した。
大人と子供ほどの体格差がある両者だが、レイの目には一瞬だけ聖騎士たちの体が大きく見えた。
次の瞬間、聖騎士たちの剣の輝きが爆発するように膨れ上がり、周りにいた者の視界を奪う。その直後、ガシャンという金属同士がぶつかる音があたりに響き渡っていた。
思わず閉じてしまった瞼をゆっくりと開けていくと、そこには一人の巨人の姿だけが残されていた。
フォルトゥナートを除く六人の聖騎士たちは、それぞれ大鬼族戦士とオーガと刺し違えることに成功した。彼らの剣が大鬼族たちの心臓を抉っていたが、聖騎士たちもまた力なく倒れていた。横たわる彼らの目に命の光はなく、事切れていた。
フォルトゥナートは敵将オルヴォと刺し違えるつもりでいた。彼は渾身の力を込めた剣をオルヴォの胸目掛けて突き出した。
(敵将と刺し違えられそうだ。これで十分だ……)
彼は勝利を確信し、愛剣が敵将の胸甲を貫く感触を待った。だが、胸甲より硬い金属に阻まれる。フォルトゥナートが疑問に思い、顔を上げると、渾身の一撃は分厚い両刃斧に阻まれていた。そして、不敵に笑うオルヴォと目が合う。
「覚悟は見事だが、無駄死にだったな」
オルヴォが軽く斧を振るうと、力なく崩れ落ちるフォルトゥナートが吹き飛ばされる。オルヴォは部下たちを見ることなく、レイに向かって再び足を速めていった。
レイはその光景に恐怖を感じた。
聖騎士たちの命を掛けた攻撃ですら、オルヴォには通用しなかった。レイは呆然と立ち尽くしていた。
トレスの「アークライト様!」という声にレイは我に返る。トレスはそれを確認すると、オルヴォに向かって突っ込んでいった。
この時オルヴォは、闇の神の加護を感じていた。
(最後の騎士の攻撃は危うかった。普段の俺ならば防ぐことは望めまい。だが、今の俺には神の加護がある。偶然突き出した斧で防げたのだからな。今ならば、白の魔術師を倒すことも叶うはずだ。ノクティスよ! 我に力を与えたまえ!)
高揚した気分でオルヴォは前に進む。
彼の前に一人の獣人が現れるが、彼は「邪魔をするな! 虫けらが!」と吼え、煩わしげに斧を一閃するだけでその獣人を排除した。
レイはその様子を見て、「トレスさん!」と叫ぶ。
そして、手練のトレスが一太刀も入れることなく、斬り捨てられたことが信じられなかった。
オルヴォはトレスを排除すると、ゆっくりとレイの前に立つ。
「雑魚どもはもういい。白の魔術師よ。ようやくお前とまみえることができたぞ」
オルヴォが笑いながら、そう言うと、レイの怒りが爆発した。
「雑魚だと! 人を何だと思っているんだ! お前たちが、魔族が来なければ、皆生きていられたんだ! それを……」
オルヴォはレイの怒りに冷笑を持って応える。
「御託はそこまでだ。死ね!」
オルヴォの斧がレイを襲う。
だが、その斧はレイに届くことはなかった。
彼の斧は振り降ろされた瞬間、刃を失った。フォルトゥナートの渾身の一撃を受けていたため、柄が耐え切れずに折れてしまったのだ。
オルヴォは「チッ」と舌打ちすると、「悪運だけは強い奴だな」と言って、腰に差している片手剣を取り出す。それは普通の人間なら両手で扱うことすら難しい刃渡り一・五m以上ある分厚い刃の剣だった。
レイはオルヴォの斧が折れたことで、ようやく冷静さを取り戻すことができた。
(みんなの仇を取る! 奴は武器を失った。慣れない武器なら、僕でも勝てるかもしれない……あとは小鬼族たちが手を出さないようにしないと……)
レイは愛槍アルブムコルヌを構え、周囲に言い放った。
「オルヴォ・クロンヴァールに一騎打ちを申し込む! 他の者は手を出すな! オルヴォ! 白の魔術師が恐ろしいなら、周りの“手下”を嗾ければいい! 貴様ら鬼人族に武人の心は判らんだろうからな」
あからさまな嘲笑に、小鬼族戦士たちはいきり立つ。更に普段の冷静さを失ったオルヴォも本来の目的を忘れ、レイの挑発に乗ってしまった。
「貴様など、俺一人で十分! 他の者は手を出すな!」
この時、オルヴォは興奮のあまり、ペリクリトル側に援軍が現れたことを失念していた。更に魔族軍にとって不幸だったのは、先ほどのオルヴォの振る舞いに、小鬼族の戦士たちが委縮したことだ。彼らはこの状況で下手に手を出そうとすれば、興奮したオルヴォに自分たちの方が先に斬り殺されるのではないかと考えていた。
オルヴォは周りを見ることなく、レイに斬りかかっていった。彼の得意な斧ではなく、使い慣れない片手剣ではあるが、その膂力から繰り出される斬撃は鋭い風切り音を残して、レイに襲い掛かる。
ギリギリでかわすものの、その威力はレイの強靭な鎧ニクスウェスティスですら切り裂きそうな勢いだった。
更に、オルヴォの巨体から発する殺気を受け、レイは恐怖で体が動かなくなりそうになっていた。
(凄い殺気だ。僕を殺そうとそれだけを考えているんだ……駄目だ、体が言うことを効かなくなりそうだ……こんな大きな相手に僕が勝てるわけがない……)
その時、フォルトゥナートら倒れた聖騎士の姿が目に入る。
(フォルトゥナートさんたちも恐ろしかったはずだ。でも、あの人たちは自分の命を犠牲にして僕にチャンスを与えようとしてくれた……僕は他の人の犠牲で生きているんだ。こんなところで諦めるわけにはいかない!)
レイは一緒に戦った仲間が自分を生かすために死んでいったことを思い出す。そして、彼らを無残に殺したオルヴォに対し、狂気じみた怒りを覚えるが、冷静さを失うことの危険性にも気付いていた。
(怒りに任せてはいけないんだ。今は何とか時間を稼ぐことを考えないと……まだ、何十人も生きている。ケガで動けない人もいるはず……僕が死ぬか、奴が死ねば、小鬼族が生き残っているみんなを殺しに掛かる。だから、僕は冷静にならないといけない。だが、奴を冷静にさせてはいけない……)
レイは周りの小鬼族には聞こえない程度の声でオルヴォを挑発していく。
「力任せの攻撃なんて効かないね。僕のいた傭兵団なら、この程度の斬撃は当たり前だし。見掛け倒しもいいところだ。軍の指揮も大したことないしな」
レイはそういいながら、槍を繰り出していく。
オルヴォは宿敵である白の魔術師の嘲笑に、「何だと!」と咆哮を上げる。
「事実じゃないか。戦力的には数倍の差があったのに、僕の罠に嵌って……くくく、罠と言っても獣が掛かるようなチンケなものだったし……」
オルヴォは「貴様! 貴様!」と声を荒げて剣を振り回す。
彼は今回の敗戦が自らの失態だと認めていた。もし、同胞が同じことを言ったのなら、素直に受け入れただろう。普段の彼はそれだけの度量を備えていた。
だが、嘲笑してくる相手が自分を嵌めた本人だと思うと、自分の怒りを制御できなかった。また、相手の見た目が老練な武将か、歴戦の戦士であれば、まだ許容できたかもしれない。だが、目の前にいる男はどう見ても二十歳を超えているようには見えず、自分が初めて戦場に立ったときに生まれたような若造だった。それが彼の冷静さを更に奪っていく。
「さっき、僕の戦友を虫けら呼ばわりしたけど、それほどお前は偉いのか? お前たちは人を人とも思わぬ獣じゃないか」
オルヴォは「人を人と思わぬのは貴様も同じだ!」と吼え、剣を振り降ろしながら、言葉を続けていく。
「貴様は我らソキウスの同胞を何百人も焼き殺した。彼らとて愛する家族がおったのだ! お前にそれを言う資格はない!」
レイはその言葉に返す言葉を失った。だが、すぐに女性の体を使った魔物の召喚方法を思い出し、非難の言葉を投げ返した。
「貴様らは罪もない、抵抗する力もない女性を使って魔物を召喚した! 彼女たちが何をした? 貴様らは彼女たちを道具に使ったんだ!」
それに対し、オルヴォは剣を叩きつけるように振り降ろしながら、「貴様らも同じだろう! 貴様らは奴隷を使っていたはずだ。その貴様らがなぜ我らを非難できる!」と言い返す。
レイは槍を繰り出して反撃しながら、「それは詭弁だ!」と叫ぶ。
オルヴォは剣を横薙ぎに振り、更に言葉を続けた。
「貴様らは忘れたかもしれん! だが、我らは決して忘れぬ」
レイはダッキングの要領で剣を掻い潜りながら、「何のことだ!」と聞き返した。
オルヴォは横薙ぎに振った剣を斜めに振り上げ、
「貴様らは我らの土地を奪い、東の不毛の地、貴様らが“永遠の闇”、クウァエダムテネブレと呼ぶ土地に我らの祖先を追いやった! 不毛の地を行く中、どれだけ多くの同胞が命を散らせていったか、貴様に判るか!」
レイは初めて聞く事実に、僅かに動揺した。
(同胞を追いやっただと? 元々は魔族もこっちにいたのか……こいつの言うことが本当なら、この戦いは侵略戦争じゃないかもしれない……僕は正しいことをしているのか?……)
オルヴォの言葉が彼の動きを僅かに鈍らせた。
そのため、オルヴォの放った叩きつけるような斬撃を、レイは受け損ねる。オルヴォの剣はレイの左肩の肩当てに当たり、周囲に金属同士がぶつかる音と火花を撒き散らした。
レイは予想以上に重い打撃に膝をつきそうになるが、右手一本で槍を振り上げ、振り抜いた直後のオルヴォの左腕を切り裂いた。
オルヴォは痛みにうめき声を上げることなく、次の攻撃に移ろうとしていた。
レイは右手一本で槍を振り、オルヴォを牽制する。
彼は痛みに顔を歪めるが、うめき声を上げないよう努力していた。
(うっ、痛い! 拙いぞ……)
この時、レイの左肩の骨は折れており、彼の左腕は上がらなくなっていた。
オルヴォは打ち込んだ手ごたえから、かなりのダメージを与えていると確信する。
「さて、これで終わりにさせてもらうぞ!」
オルヴォはそう叫ぶと、剣を大きく振りかぶった。右手一本で槍を操るのは不利だと、愛槍をオルヴォの顔に向けて投げつけた。
予想もしない行動にオルヴォは思わず下がり、止めの一撃を繰り出すことはできなかった。
だが、オルヴォには余裕があった。
「これで本当に終わりだな」
レイは左手をだらりと下げ、右手の長剣を突き出す。
オルヴォは「ほう、まだ抵抗するか」と薄い笑みを浮かべるが、すぐに表情を引き締め、「死ね!」と叫んで剣を振り下ろした。
レイはその斬撃を長剣で弾き、更にだらりと下げた左手に無詠唱で精霊の力を溜めていく。
(気付くなよ……あと少しだ……)
レイは左腕が使えなくなったことで、左手の魔法陣を使って魔法を放つつもりだった。だが、無詠唱で精霊の力を集めるには、それなりの時間が必要で、その間、オルヴォの攻撃を捌く必要がある。
彼がこの賭けに出たのには理由があった。
オルヴォの剣術は、得意の斧術に比べかなり劣る。膂力に任せた強力な攻撃力は侮れないものの、マーカット傭兵団で厳しい訓練を受けていたレイにとって、オルヴォ程度の剣術はそれほどの脅威ではなかった。
動揺によって動きを鈍らせなければ、避け続けることができたはずだし、致命傷は与えられないものの、少しずつならダメージを与えることはできるとも考えていた。
レイは時間を稼ぐため、あえてダメージを与えず、オルヴォに声を掛け続けていたのだ。それはダメージを与えることによって、オルヴォがレイを侮ることを止め、それをきっかけに冷静さを取り戻す可能性があったからだ。
だが、左肩にダメージを負い、痛みで彼の動きは鈍くなりつつあった。そのため、時間稼ぎという選択肢を捨て、オルヴォとの決着を優先したのだ。
(奴は未だに冷静さを失っている。援軍が来るまでどのくらい掛かるのかは判らないけど、もう待っていられる状況じゃない)
レイは左手に闇の精霊の力を溜めていく。
今は日が落ちた直後で、戦場に立つ者は長い影を作っており、この状況なら、闇属性が最も目立たないと考えたのだ。
レイは右手一本でオルヴォの嵐のような斬撃を捌いていく。元々、彼の長剣は片手用であるため、痛みさえ堪えられれば、剣を捌くことに支障はなかった。
(フォンスでみんなに鍛えて貰っておいてよかった。それに右側じゃなかったのは運がいい。だけど、動くたびに痛みが体を突き抜ける。あと少し……よし、いける!)
レイは左手に溜めた闇の精霊の力を、長く伸びるオルヴォの影に打ち込んだ。
以前、モルトンの街で裏社会と繋がっていた冒険者、セロン相手に使った”影縫い”の魔法だった。
レイの放った影縫いの魔法は、オルヴォの右腕の影に突き刺さった。
ちょうどその時、オルヴォは大きく振りかぶっており、まさに剣を振り下ろそうとしている瞬間だった。
オルヴォには魔法を放ったレイの動きが、痛みを堪えているようにしか見えなかった。
(奴は痛みに苦しんでいる。これで同胞の仇を取れる……奴さえ仕留めれば……これで終わりだ!)
彼は勝利を確信しながら、残忍な笑みを浮かべ、「これで終わりだ!」と叫びながら、剣を振り下ろそうとした。
だが、彼の腕は後ろから掴まれたように動かず、腕を上げた無防備な姿で固まってしまった。
「なに! なぜだ! 貴様か! 何をした!」
オルヴォは動かない腕に力を込めながら、レイを睨みつける。
その時レイは、長剣をオルヴォの無防備な右脇に突き立てようと、体ごと突っ込んでいた。
オルヴォはレイの意図を悟り、自由の利く左手で防ごうとする。だが、レイの突きの方が僅かに速かった。
右の脇の下に剣を突き込まれたオルヴォは、「ウォォォ!」と激しい咆哮を上げた。
その悔しげな、そして、悲しげな咆哮が、草原に響き渡っていく。
彼は断末魔の叫びを上げながら、レイに向けて左手を伸ばしていった。レイは体重を掛けて長剣を突き入れた直後で、その左手を避けることができない。
レイはオルヴォの巨大な手に首をしっかりと掴まれてしまった。
「貴様さえいなければ!」
オルヴォは焼けるような痛みに耐えながら、残された力を左手に込めていく。
レイは剣を手放し、右手でオルヴォの手を引き剥がそうと抵抗するが、その万力のような力には抗しきれず、呻き声を上げるしかなかった。
(首が折れる……咽喉が潰される……最後の最後でしくじったのか……アッシュ! ステラ!……)
「貴様さえ……貴様を道連れに……」
オルヴォの呪詛のような声を聞きながら、レイの意識は混濁していった。
完全に意識が飛ぶ直前、締め付けていたオルヴォの力がふっという感じで消えた気がした。レイは訳が判らないまま、意識を失い仰向けに倒れていった。
そして、不思議なことに倒れ込みながらも、彼は首にオルヴォの左手が残っているような気がしていた。
どのくらい意識を失っていたのか判らないが、彼は自分を呼ぶ声に意識を取り戻した。
「レイ!」
再び名を呼ばれ、彼はゆっくりと目を開けた。そこには心配そうに見つめるアシュレイの顔があった。
彼はまだ首に残っているオルヴォの腕を外した。オルヴォの腕は肘の部分できれいに切断されていたのだ。
アシュレイがレイを抱え上げると、周りには懐かしい姿があった。
アシュレイの後ろにはステラが泣きそうな顔で立っており、更にその後ろにはハミッシュの姿もあった。
首をゆっくりと回していくと、レッドアームズことマーカット傭兵団の面々が、小鬼族部隊を掃討している姿があった。
レイは咽喉をさすりながら、状況を聞こうとするが、左肩に走る激痛で負傷を思い出す。
彼は残った魔力を使って左肩に応急処置を行うと、ゆっくりと立ち上がった。
「無事だったんだ……ハミッシュさんたちが助けてくれたんだね」
レイはそれだけを搾り出すように言うと、もう一度周囲を見回した。
自分がどのくらいの時間気を失っていたのか判らないが、既に戦闘は終結に向かっていた。空を見上げると未だに茜色に染まっており、ごく短時間、気を失っていただけだと気付く。
(勝ったのか? ランダルさんは? 他のみんなは?……)
彼の周りではへたり込みながら、勝利の雄叫びを上げる冒険者たちの姿があった。
ペリクリトル攻防戦はペリクリトル側の勝利で幕を閉じた。
最後は実質的な“大将”同士の一騎打ちで勝敗が決すると言う劇的な結末であり、後の世まで語り継がれることになる。
レイ・アークライトの名は“白き軍師”という二つ名と共に、世に知られることになった。
だが、当の本人は多くの死者を出した、この戦いに疑問を感じていた。




