第六十九話「ペリクリトル攻防戦:その四」
時は魔族軍がペリクリトル市街に突入した直後、十二月二十六日午前十一時頃に遡る。
月魔族のヴァルマ・ニスカは、月の御子であるルナと彼女たちの護衛である大鬼族戦士十五名、オーガ三十体と共にペリクリトルの東、二kmほどの森の中に潜んでいた。
ヴァルマはルナの安全を図るため、魔族軍がペリクリトルを占領し終えた後に合流するつもりでいた。
中鬼族の突撃によって始まった戦闘は、大規模な戦場を知らぬ彼女の目にも友軍が圧倒的に優勢に映っていた。彼女は今日のうちにも街の占領がなるのではないかと考えていた。
(さすがはオルヴォ――大鬼族の将、オルヴォ・クロンヴァール――ね。この位置からはよく見えないけど、街に突入できたみたいだから、あと二、三時間もしたら占領の知らせが届きそうね……)
それから一時間ほど経つと、ペリクリトル市街から煙が上がるのが、彼女の目にもはっきりと見えた。
(街に火を掛けたの!? 無傷で街を手に入れるはずじゃ……ヴァイノ――中鬼族の将、ヴァイノ・ブドスコ――が何かやったのかしら?)
だが、すぐにその火災が敵の罠だと気付く。
(火の回りが異様に速いわ。これは敵の罠……ほとんど全軍が突入しているのよ。オルヴォは大丈夫かしら。彼に限って討ち取られることはないと思うけど……)
同胞たちの安否を気遣いながら、更に一時間ほど待っていると、彼女たちのところにも木が燃える臭いに混じり、人が焼かれる嫌な臭いが漂ってきた。
(きっと、白の魔術師の仕業だわ。それにしても、あの男は一体何者なの! 私たちの、ソキウス――魔族の国――の、悲願をなぜそんなに邪魔するの……)
彼女だけでなく、大鬼族の戦士たちにも動揺が走っていた。
護衛部隊の長、イェスペリ・マユリが戦士たちを代表して、ヴァルマに声を掛けてきた。
「ヴァルマ様、味方が敵の罠に落ちたのでは……味方を救出に向かうべきではないでしょうか」
ヴァルマは冷静な表情を取り繕い、身長三mを超えるイェスペリを見上げる。
「いいえ。今は動くべきではありません。それにオルヴォは、あなたたちの将は、この程度の罠など食い破ってくれるでしょう。彼を信じなさい」
彼女の言葉にイェスペリは納得し難いという表情を一瞬浮かべる。だが、自分たちの将を信じろという彼女の言葉には首肯せざるを得なかった。
そして、午後二時前頃。
ヴァルマの目に大鬼族部隊が脱出した姿が映った。
彼らは東門を打ち破り、這う這うの体と言った感じで草原に倒れこむ。
イェスペリらは同族の危機にその場から駆け出そうとするが、ヴァルマに強く叱責される。
「待ちなさい! あなたたちの任務は御子様の護衛よ! 落ち着きなさい!」
イェスペリはジロリと彼女を睨むが、尊敬するオルヴォに直接託された任務を思い出し、部下たちを制した。
ヴァルマは今の状況が危ういと感じ、僅かに笑みを浮かべて話しかけた。
「私がオルヴォの無事を確認してきます。それまでここで御子様の護衛を頼みます」
そして、更に「大丈夫よ。オルヴォは大鬼族の誇る戦士でしょ。きっと、あそこで味方と合流するのを待っているだけよ」と付け加え、ひらりと上空に舞い上がっていった。
残された大鬼族戦士はヴァルマの言葉に首肯するものの、燃え盛るペリクリトルの街と一向に後続が出てこない状況に不安を隠しきれなかった。
そんな中、月の御子として捕らえられているルナは、これで脱出出来るのではないかと密かに希望を見出していた。一方で、激しく炎が上がる街の状況にも不安を感じていた。
(聖君の罠がうまくいったのね。何人か出てきたみたいだけど、それ以上は出てきていないわ……でも、街は大丈夫なのかしら。あれだけ燃えたら、街は全滅するかも……聖君がそんなミスを犯すとは思えないけど……)
彼女は不安を胸に抱えながらも、脱出の機会をうかがうことにした。
同じ頃、大鬼族のオルヴォ・クロンヴァールは、少数の配下の戦士と眷属のオーガと共に、燃え盛るペリクリトル東地区から、辛くも脱出した。そして、後続が出てくるのを仁王立ちして待っていた。
だが、一向に味方は現れず、自分たち以外は全滅か、街中央部に無謀な突入を行ったと結論付けた。
(あの状況で街の中心に向けて突撃を掛けても突破は出来まい。あの白の魔術師がその程度のことを想定せぬはずは無いからな。だとすれば、我ら以外に脱出できた者はほとんどおるまい……)
彼の予想通り、後続が出てくる気配は無く、激しい炎は一向に治まる気配を見せなかった。
彼はここに至り、街から生きて脱出できたのは自分たちのみと腹を括った。
彼に残された戦力は、各門に配置した小鬼族五百とゴブリン九百――当初は千匹だったがオーガの餌にされ、開戦前に百匹を失っている――。それに加え、体中に火傷を負った大鬼族の戦士六十名と百体のオーガだけだった。
だが、彼は戦いを諦めていなかった。
オーガの戦闘力は一般の兵士の五、六人分に当たる。更に大鬼族戦士の中でもオルヴォの直属は精鋭であり、それ以上の戦闘力を秘めている。つまり、大鬼族の戦力だけで兵士千人分以上に相当するのだ。
ゴブリンの戦闘力は一般の兵士の半分ほどだが、小鬼族戦士は一般の兵士と遜色ないレベルであり、全軍を合わせれば、訓練された兵士二千人分に相当する戦力を有していることになる。
更にペリクリトル側も最初の平原での戦闘で戦力を消耗しており、五分以上の戦いが出来ると彼は考えていた。
(まだだ。まだ、逆転の目は残っている。これだけの罠を仕掛けてきたということは、逆に他の門に仕掛けをする余裕はなかったはずだ。いや、各門の近くに何やら怪しげな魔法陣があるとの報告があったから、まだ仕掛けがあるのかもしれん……)
オルヴォは火傷を負い、へたり込む部下たちを見ながら、決意を固める。
(……例え罠があったとしても、ここで引くわけには行かぬ! 確かに当初の目的である月の御子の奪還は成った。だが、ここからは我ら鬼人族の名誉に関わるものだ!)
熱くそう考えるオルヴォだが、頭に血が上っているわけではなかった。
(この戦力では、街を占領できたとしても、敵の増援に対抗出来るほどの戦力の回復は望めまい。オーガの生産には時間が掛かる。ゴブリンはすぐに増やせるが、戦力としてはかなり劣る……中鬼族とオークを失ったことが悔やまれるが、今更言っても仕方があるまい。今は敵の“白の魔術師”と刺し違えることだけを考えるべきだろう。そのためには街に突入し、住民たちを人質にするのが、手っ取り早いだろうな……)
彼はある作戦を考えていた。
東門以外の門の一つを、オーガを使って破り、街に突入する。そして、適当な一画を占拠し、その地区の住民を人質に取る。その上で白の魔術師たちに対し、住民を虐殺されたくなければ、白の魔術師の身柄を差し出せと要求するつもりだったのだ。
(勇猛を旨とする鬼人族にしては、姑息にして卑怯な手だが、あの危険な白の魔術師を倒すためなら、どのような汚名でも着よう。いや、既に無能な指揮官として名が残るのだ。今更だな……)
そこにヴァルマが舞い降りてきた。
彼女は全身に火傷を負った無残な戦士たちの姿を見て、ペリクリトル占領は不可能だと直感した。
すぐにオルヴォを見つけ、「酷いやられようね」と言いながら、治癒魔法を掛ける。
「何があったのかは大体予想が付くけど、これからのことを含めて考えを聞かせてくれないかしら」
彼女は大鬼族戦士に治癒魔法を掛けながら、固い表情のオルヴォに今後の方針を確認する。
彼は「白の魔術師を倒す」と答え、それ以上何も言わない。
「倒せるの? 今なら撤退することも出来るわよ。それに今回の作戦の最大の目的は御子様の救出。ここで戦力を失うことは得策ではないわ」
オルヴォは「判っておる!」と、普段冷静な彼にしては珍しく、声を荒げる。
だが、すぐに「済まぬ」と謝り、
「今の戦力なら白の魔術師を倒すことも可能だ。こちらの戦力は情けないほど減ったが、敵の戦力もまた落ちている。更に言えば、敵にこれ以上の策はないはずだ。奴を倒す、この一点に絞れば、そして、我が命を賭ければ、必ずや成し遂げられよう」
ヴァルマにはオルヴォの考えは理解できなかった。
「確かにあの魔術師は危険よ。でも、今すべきはあいつを殺すことじゃないわ。御子様を無事にソキウスにお連れすること。それは判っているんでしょ。なら……」
オルヴォはヴァルマの言葉を遮り、
「判っている。だが、奴は想像を超える智謀の持ち主だ。実際、この戦力差で勝利を掴むなど、俺には到底出来まい。もし、その危険な男がソキウスに向かったら、御子様を奪い返されるだけでなく、祖国すら危うい」
「でも、白の魔術師は国に仕える将ではないわ。一介の傭兵なのよ。そこまでの危険は考えすぎではないの?」
「いや、考えても見よ。あの男は我らの作戦を読んでいたのだ。北部での陽動、月の御子の救出、ペリクリトルの占領……我らソキウスが長い年月を掛けて準備した策を尽く看破したのだ。智謀に優れる月魔族、その呪術師たるお前なら判るだろう。今のうちに倒しておかねば、我が同胞たちに災いをもたらす。今しかないのだと」
ヴァルマはオルヴォの顔を見上げる。
彼の顔に焦りの色は無く、心の底から白の魔術師の危険性を憂いていることが読み取れた。
「判ったわ。でも、イェスペリたちは借りて行くわよ」
オルヴォは「ああ」と言って頷く。
「判っているならいいわ」
「これは我ら鬼人族の意地も含まれている。祖国に迷惑を掛けるような戦いはせん」
オルヴォも大鬼族戦士十五名と三十体のオーガという戦力に魅力を感じていた。だが、今回の戦略目的を忘れるほど、彼は愚かではなかった。
ヴァルマはその言葉に安堵するが、忠誠心の高いイェスペリらが自分の言葉を信じるか不安が募る。
「だけど、イェスペリたちが納得してくれるかしら……そうね、一筆頂けるかしら。イェスペリに対する命令書をね」
オルヴォは小さく頷き、彼女が腰の袋から出した紙にイェスペリたちへの命令を書き込む。その内容は自分たちの生死に関わらず、月の御子の護衛を全うすることを命じるものだった。
ヴァルマは満足そうに頷き、そして、それを再び腰の袋に入れる。
彼女はルナたちのいる森に向かおうと飛び立とうとしたが、すぐに何かを思いついたように振り返った。
「確かに白の魔術師は危険よ。でも、倒せないと思ったら、脱出しなさい。私は打合せどおり、脱出用のルートを使うつもりよ。のんびり行くつもりはないけど、御子様のこともあるから、それほど速くは動けない。だから……」
オルヴォは晴れ晴れとした表情で「御子様を頼む」と応え、すぐに生き残った部下たちのもとに向かった。
ヴァルマは彼が生きて祖国に帰るつもりが無いことを悟った。
(オルヴォは白の魔術師を倒しても、帰ってこないような気がする。理由は判らないけど、彼の表情を見ると、そうとしか思えないわ……)
ヴァルマは森で待つイェスペリたちに合流した。
そして、このまま、アクィラ山脈に向かうと告げる。
イェスペリたち大鬼族戦士はその言葉に反発するが、オルヴォから預かった命令書を見せる。
「オルヴォの命令よ。御子様のことを頼むと彼は言ったの。その期待を裏切らないで。お願いだから……彼は必ず白の魔術師を倒すと言ったわ。そして、祖国のために命を賭けると。だから、彼を信じましょう。それに私たちの使うルートは言ってあるの。大丈夫。彼なら白の魔術師を倒して、私たちに合流するわ。ええ、きっと大丈夫よ……」
最後は自らに言い聞かせるような口調になっていた。
彼女の真摯な言葉に、イェスペリらも大損害を受けた味方を残して、祖国に帰ることに同意した。
ルナは移動を遅らせるため、反抗的な態度を取り、翼魔による移動を妨害した。だが、緊急時ということもあり、敬い続けるヴァルマも遂に彼女を拘束し、大鬼族戦士の背に取り付けられた背負子のような椅子に固定する。
これにより、森の障害をものともしない大鬼族と空中を行くヴァルマの戦力は、一気に速度を上げることが出来るようになった。
ルナは大鬼族戦士の背に揺られながら、胸に絶望感が広がっていくのを感じていた。
(このままではクウァエダムテネブレ――アクィラ山脈の東、魔族の土地――に連れて行かれてしまう。それだけならいい。でも、きっと、聖君やライアンは私を助けようと追ってくる。そうなれば、敵の支配する魔の土地に……無力な自分がこんなに恨めしいことはない。自らの命を絶てないほど無力なんて……)




