第六十七話「ペリクリトル攻防戦:その二」
十二月二十六日、午前十一時頃。
魔族軍はペリクリトルの街への突入に成功した。
オークを主力とする中鬼族部隊が先頭となり、防衛戦を展開していた冒険者たちの撤退に追従する形で、東門から侵入していく。彼らの後には身長三mを超える大型の魔物オーガを主力とした大鬼族が続き、幅十m弱の頑丈な門をくぐろうとしていた。
魔族軍全軍を指揮する大鬼族のオルヴォ・クロンヴァールは、猪突する中鬼族を追い、自らも街への突入を果たしていた。
ペリクリトルの街は南北一km、東西三kmほどで、太い丸太を突き刺した木製の防壁で囲まれている。
街の中は木造の建物がひしめいているが、東西南北にある門を繋ぐ大通りは大型の荷馬車が容易にすれ違えるよう、幅十mの道となっていた。
街の東地区は北から西に掛けての商業地区と南側の冒険者相手の工房や宿が並ぶ冒険者地区とは異なり、街で暮らす人々の住宅地区になっている。
このため、二階建ての家や平屋の長屋が並び、増築の影響によって本来広かったであろう道も狭くなっており、一部では迷路のような構造になっているところさえあった。
東地区では街の住民さえ迷子になると言われるほど入り組んでいた。そのため、行政府でもある冒険者ギルドでは、数十年前から区画整理の必要性を感じていたほどだった。
防衛軍として街の外で戦っていた冒険者たちは大通りを逃げる者と、その迷路のように入り組んだ路地に逃げ込む者に別れていく。千五百人ほどいた冒険者たちだったが、追跡していた魔族軍が魔法かと驚くほど、きれいに街に消えていった。
ペリクリトルの防衛責任者ランダル・オグバーン率いる精鋭部隊は、殿を務めながら、中鬼族部隊の進撃を遅らせていた。
だが、撤退戦ということもあり、東門の城門を閉めることができなかった。そのため、魔族軍の侵入を許してしまった。
ランダルはケガ人が先行したのを確認した後、共に戦う冒険者たちに「もう限界だ! 各自散開して撤退しろ!」と叫び、自らは大通りを馬で西に逃走する。
精鋭部隊の冒険者たちは、算を乱したように次々と路地に逃げ込んでいった。
そんな中、レイはランダルの後を追って、大通りを西に進んでいった。
中鬼族の指揮官ヴァイノ・ブドスコは敵の指揮官らしき黒尽くめの男と、白の魔術師が逃走したことで、勝利を確信した。
彼は指揮官が逃亡したことで、組織的な抵抗が終わったと判断した。配下の戦士たちに残敵を掃討することを命じ、自らは大物である白の魔術師を追うことにした。
さすがに全力で駆ける馬に追いつくことはできなかったが、真直ぐな道であり、彼らを見失う心配はなかった。
「追い詰めろ! 大鬼族に手柄を奪われるな! 行け!」
ヴァイノは勝利に酔う高揚した気分のまま、部下たちに指示を飛ばしていく。
部下たちも同様に勝利を確信し、いかに手柄を立てることができるかだけに注意が向いていた。
ヴァイノらが三百mほど走ったところで、道の両側から挟みこむように荷車が飛び出してきた。
その荷車には槍が取り付けられ、数名の中鬼族戦士が串刺しになる。
ヴァイノはその姑息な敵の戦術に怒りを覚える。敵の大物を捕えるという高揚した気分に水を差された気がしたからだ。彼は「ネズミが潜んでいるぞ! 炙り出せ!」と怒りに任せて命じた。
その命令に中鬼族の戦士数人とオーク十数匹が、荷車を押し出してきた冒険者を追って、路地に入っていった。
「最後の悪あがきだ! 白の魔術師を殺した者は最大の栄誉を得られるぞ! 恩賞も思いのままだ! 進め! 敵の姑息な抵抗など気にするな! 大物を取り逃がすな!」
ヴァイノは敵に引き込まれたとまだ気付いていなかった。
ステラは数名の斥候たちと外壁に近い住宅の屋根の上に潜んでいた。
彼女の目には、レイを追いかける数百のオークの姿と、路地を抜けて逃げる冒険者たちの姿が僅かな建物の切れ目から見えていた。
彼女は「皆さん、準備をお願いします」と斥候たちに声を掛ける。
頷いた斥候たちはそれぞれの持ち場に散っていった。
アシュレイは部下の若い冒険者たちを引き連れ、東地区の路地を駆けていた。彼女は時折、何かを探すように視線を走らせながら、複雑な路地を抜けていく。
「はぐれたら、目印に従って西に進め! 敵は近いぞ!」
彼女の言うとおり、すぐ後ろに中鬼族の戦士とオークの集団が追いかけており、壮大な鬼ごっこと化していた。
何度か狭い路地に入ることにより、追ってくる敵の姿は見えなくなった。そして、オークの悲鳴のような咆哮が後ろから響いてきた。
(どうやら成功しているようだ。敵が気付くタイミング次第だが、今のところうまくいっている……)
中鬼族の戦士は、大柄な女戦士が指揮を執る部隊を追跡していた。
幅一mほどの狭い路地を苦労しながら、追いかけるが、彼は確実な勝利を前に興奮していた。
「追い回せ! 回りこめ! 狩りと同じだ。炙り出して仕留めればいい!」
彼は部下の戦士にそう命じ、部隊を二つに分けた。
狭い路地では大部隊を率いるより、追跡が容易になるとの判断だ。だが、彼はこの追跡劇が仕込まれた物であり、自分たちが罠に引き込まれているとは知らない。
別れた部隊の方から悲鳴が上がる。
彼は何事かと思い、伏兵でもいるのかと周囲を警戒し始めた。だが、人のいる気配は無く、再び敵を追い始める。だが、曲がりくねった路地のため、すぐに敵を見失ってしまった。
彼は「探し出せ!」と命じ、自らも近くの家の扉を蹴り開けた。
その直後、彼はドンという音と共に悲鳴ともつかない声を上げて吹き飛ばされる。入口から路地に出てきた彼の胸には、先を尖らせた直径十cmほどの木の杭が生えていた。
その杭は天井から吊るされており、扉を開けると止め具が外れて、振り子のように入口に向かってくるように設置されていたのだ。
中鬼族の戦士は杭を腕で押さえながら、罠だと叫ぼうとしたが、既に声が出せる状態ではなく、ゴボゴボと口から血を噴き出すだけだった。
彼の部下たちはその様子を見て、警戒を強めていく。
だが、路地には様々な罠が設置されていた。単純な落とし穴――底には尖らせた木の棒が埋めてある――や、細い糸が張られ、それを引くと屋根から砂を入れて重量を増やした樽が落ちてくるような様々な罠が仕込まれていたのだ。
路地に入った魔族たちは罠を警戒しながら、敵を追いかけるが、徐々に被害が増えていった。
オルヴォは中鬼族の戦士から罠のことを聞き、やはり罠があったと逆に安心する。
(戦場までのしつこいまでの偵察に比べ、無謀な騎兵の突撃、野戦での消極的な戦闘に違和感があったのだ。しかし、これでようやく判ったぞ。白の魔術師の目的が。なるほど、野戦での不利に気付き、地の利を生かした市街戦に持ち込んだわけか……)
オルヴォはにやりと笑いながら、
(罠を仕掛けることよって、こちらの戦力を消耗させる。猪突する中鬼族の心理をよく読んでおる……さすがは白の魔術師といったところだな。うまくいけば、圧倒的に不利な戦力差を縮めることもできよう……だが、この程度の罠では我ら大鬼族には効かぬわ。まあ、僅かでも数を減らそうとでも言うのだろうが、大鬼族とオーガだけでも敵を殲滅出来るのだ。これで我が勝利は確実だ……)
彼は自らの考えが腑に落ちたことから自信を漲らせ、更に街深くへの前進を命じた。
先頭を行く中鬼族のヴァイノは、一kmほど進んだところに防御柵が築かれていることに気付き、呆然とする。
大通りを進んでいる間は何も見えなかったのだが、突然壁のようなものが倒れ、防御柵が目に飛び込んできたのだ。
彼の前方五十mほどのところには、尖端を鋭く尖らせた逆茂木が並べられ、その後ろには丸太で作った頑丈そうな柵があった。更に五mほどの高さの物見台があり、そこには敵の指揮官らしき男と白の魔術師が立っていた。
レイは大通りの建物を微妙に改築し、数mずつ張り出すような形にしていた。これにより、真っ直ぐであるはずの大通りの見通しが百m単位でしか利かず、追ってくる魔族軍には時々ペリクリトル軍側の姿が見えなくなるような作りになっていた。
更に最後のところの建物の間に門のような構築物を作らせ、大きな白い布――シーツを縫い合わせた物――に街並みを描かせたものを垂らしていた。それにより、遠目には防御柵の存在が見えず、布の上辺も建物の一部のようになり、ぱっと見では街並みが続いているようにしか見えなかったのだ。
もちろん、よく見れば明らかに絵と判る程度のものなのだが、興奮した魔族軍はかなり接近するまで、そのことに気付かなかった。彼らの接近と共にその門は引き倒され、彼らの目の前に防御施設が突如として現れた。彼らにとっては魔法によって防御施設が現れたようにしか見えず、一瞬パニックに陥ってしまったのだ。
動揺したヴァイノは思わず進軍を停止させてしまった。
そのタイミングを見計らったように、柵の後ろにいたペリクリトル軍から矢が放たれる。幅十mの大通りに棒立ちとなっていた中鬼族部隊に矢が雨のように降り注いでいった。
盾を持たない中鬼族の戦士たちは、慌てて近くの民家に逃げ込んだ。だが、そこにも罠が仕掛けてあった。
魔族軍が扉を開けて中に入った直後、ドンという音と共に建物が揺れ始め、一気に崩壊したのだ。
数軒の家が崩壊し、三十人近い戦士と五十匹近いオークが下敷きになった。幸い、ヴァイノは建物の梁の間の隙間に入り、難を逃れたが、逃げ場を失ったオークたちは次々に矢の餌食になっていった。
ヴァイノは廃墟となった民家の下で歯噛みしていた。
(卑怯な! 正々堂々の戦いなら負けぬものを……だが、罠などすぐに尽きる。矢も同じだ。後は力押しで十分だ……)
防衛責任者のランダル・オグバーンは、防御策の内側にある物見台に立ち、戦況を眺めていた。
彼は東地区に仕掛けた罠が効果を発揮していることに安堵していた。
(さすがはレイの罠だな。中鬼族とオークにかなりのダメージを与えている。二割から三割程度はダメージを負っているだろう。だが、奴の罠の狡猾なところはこんなものじゃない……)
彼は先ほどまで自らの傍らにいた若者を思い出し、僅かに戦慄を覚えていた。
(あいつは一体何者なんだ? ここまでの罠なら俺でも考えられる。だが、この後の罠は考え付いても実行できんだろうな……しかし、ここまで人の考えを読む奴は初めてだ。本当にあいつが味方でよかった……)
彼は物見台から、作戦が次の段階に入ったという合図を送った。
大鬼族のオルヴォにも敵の防御柵が見えてきた。
彼には強固そうな防御柵に感心する余裕があった。
(ほう、街を決戦の場に選んだだけのことはあるな。あれを突破するのはかなり骨が折れそうだ。だが、敵にもこちらを攻撃する術はない。中鬼族ならともかく、我らには普通の矢など大した脅威ではない……)
彼は後続のオーガが到着するのを矢の射程外で待っていた。オーガ五百の重量を生かして、一気に柵を突破するつもりでいたのだ。
だが、彼の嗅覚が焚き火のような煙の匂いを捉えた。
(火でも焚いているのか? この状況で火矢でもないだろう? それとも街を焼くつもりなのか……)
彼はぐるりと周囲を見回した。
そして、自分たちの後方から煙が上がっているのを見つけた。
(火計か! 一旦引くか、前方の柵を突破するか……風向きからして、突破すべきだな)
「敵は街に火を掛けたぞ! なに、これだけの街だ! 燃え広がるには時間が掛かる。このまま一気に突入するぞ! オーガどもを柵にぶつけて押し倒してしまえ!」
彼の命令に大鬼族の戦士たちが“オウ!”と呼応する。そして百体近いオーガが操り手たちの命令により、大通りを東に向かって走り出した。
巨躯のオーガたちがドシンドシンという重い足音を響かせて走り出す。大通りには矢を受けて倒れた中鬼族やオークの死体だけでなく、動けない重傷者たちも多数いたが、オーガたちは全く気にすることなく、踏み潰しながら突き進んでいく。
前方からは矢が次々と放たれ、先頭を走るオーガに突き刺さっていく。分厚い皮を持つオーガは血を流し、ハリネズミのようになりながらも、その突進の速度は一向に緩まない。
オルヴォはその様子を見て笑みを浮かべていた。
だが、オーガたちが防御柵の三十mほどの距離に迫った時、先頭を走るオーガたちの姿が突然消えた。
そして、その後ろを走るオーガたちも次々と消えていく。
オルヴォは何事が起ったのか、即座には掴めず、数瞬の間、呆然とする。だが、すぐにそれが落とし穴による罠であることに気付き、憎々しげに物見台を睨みつけていた。
大通りには深い落とし穴が掘られており、そこに分厚い木の板が張られ、その上を土で偽装してあったのだ。人間や馬なら通れる強度を持っていたが、体重数百kgのオーガが十数体乗れば、落ちるようにしてあったのだ。
更にその下には尖らせた杭があり、二十体近いオーガが串刺しになっていた。
オルヴォはその光景に歯噛みするが、周囲から上る煙の勢いが思いのほか強く、前進か後退かの選択を迫られていた。
(家を回りこんで行けば辿りつけぬことはないが、恐らくそこにも罠が仕掛けてあるのだろう。ここは一旦後退すべきか。それにしても、火の回りが早すぎる……)
「下がれ! 門から一旦、街の外に出るぞ! 順次下がれ!」
八百名近い大型のオーガや大鬼族が幅十mとは言え、一本の道にひしめいていたため、中々全軍に指示が届かない。幸い最後尾にいた歴戦の大鬼族の戦士が、周囲の煙と前方からの声から判断し、独自に後退の指揮を執り始める。そして、ゆっくりとだが、オルヴォの命令は実行されていき、大鬼族の戦士とオーガたちは徐々にだが、元来た道を戻り始めた。
最後尾で指揮を執っていた大鬼族の戦士はベテランらしく、周囲からの攻撃を警戒しながら、大通りを東に走っていく。だが、東に行くほど煙が濃くなり、目を開けているのが難しくなっていた。
百mほど走ったところで、彼は突然足を取られた。五十cmほどの高さに太いロープが大通りを渡すように張ってあり、それに足を取られたのだ。
彼は警告の声を上げようとしたが、すぐ後ろを全力で走るオーガが彼に躓き、それを合図に将棋倒しのように次々を味方が倒れ込んでくる。
頑丈さが取柄の大鬼族であっても、十数人分の体重には耐えられず、彼は押しつぶされて死んでいった。
オルヴォは突然部隊の足が止まったことに、いつもの冷静さを忘れ、怒りの声を上げていた。
「何をしている! 早くしないと焼け死ぬぞ!」
状況が判らないまま、そう叫ぶが、押し合うだけで一向に進まない。
彼は路地に迂回することを命じ、大鬼族部隊も中鬼族と同じように狭い路地に分散していった。




