第六十六話「ペリクリトル攻防戦:その一」
十二月二十六日、午前十時過ぎ。
傷付いた聖騎士隊が本隊に向けて撤退し、その後ろを多数のオークたちが全力で追いかけていた。
レイはその様子を見ながら、作戦が次の段階に移ったと考えていた。
(聖騎士隊は思った以上にやってくれた。前衛は血の気の多い中鬼族だし、オークたちの叫びを聞く限り、かなり興奮しているみたいだ。脇目も振らず攻め掛かってきているから、ここからが勝負だ……)
フォルトゥナート率いる十数騎の聖騎士たちの速度は上がらなかった。ほとんどの馬が傷つき、速度が上がらないからだが、そんな中でもフォルトゥナートは味方を鼓舞し、時折光の矢を敵に撃ち込んで時間を稼いでいた。
レイはランダルに向かって、「彼らを助けてきます」と言って、愛馬を駆けさせる。
後ろから、「戻って来い!」という焦りの混じったランダルの声が聞こえるが、レイは軽く左手を上げるだけで、そのまま進んでいった。
そして、聖騎士たちとの距離が百mほどになったところで馬を止め、呪文を唱え始めた。
「世のすべての光を司りし光の神よ。御身の眷属、光の精霊の聖なる力を固めし、光輝なる矢を我に与えたまえ。御身に我が命の力を捧げん……」
そして、聖騎士たちとの距離が五十mを切り、オークたちが追いつきそうになるところで、得意の光の連弩の魔法を発動した。
「……我が敵を貫け! 光の連弩」
彼の左手から五本の光の矢が次々と放たれていく。
光の矢が放たれるたびに彼の体が光り、周囲の冒険者たちは、その純白の装備と相まった彼の姿に目を奪われる。
レイの放った矢は聖騎士を追うオークたちの喉を次々と貫いていった。
全力疾走していた最前列のオークは喉を貫かれ、つんのめるように転倒する。そして、後ろを走るオーク二匹を巻き込み、更に数匹のオークが足を取られていた。
その僅かな混乱を聖騎士隊のフォルトゥナートは見逃さず、巧みに馬を操り、彼らは何とか安全圏に逃れることができた。
レイは聖騎士たちが自分の横を通り過ぎるまで、敵を睨みつけていた。
あわやオークの群れに飲まれるというタイミングで、彼は馬首を返して本隊に戻っていった。
本隊に戻ると、ランダルが何か言おうとしたが、敵が間近に接近したため、指揮に専念するしかなかった。
彼は剣を握る右手を大きく振り上げ、「弓隊、放て!」と叫び、鋭く振り下ろす。
後ろから弓弦のなる音と風切音が響き、多数の矢が山形の軌道を描いて、オークたちに降り注ぐ。
数十のオークが矢を受けて倒れるが、後続のオークたちは気にすることなく、仲間の体を踏みつけて突き進んでいった。
ランダルが「戦闘準備!」と叫ぶと、冒険者たちは武器を構えて、開始の合図を待つ。
その間にもオークがドッドッという重い足音を響かせながら近づいてくる。
若い八級クラスの冒険者の中には恐怖によりガタガタと震えるものもいた。だが、三級や四級のベテラン連中は、横にいる戦友にニヤリと笑い、戦いを楽しむとでもいうような表情を浮かべる者もいた。
ランダルの「掛かれ!」という合図と共に冒険者たちは、迫るオークに斬り掛かっていく。
オークは立木の枝を払っただけのような棍棒を振り回し、歯をむき出して咆哮を上げる。
両者が激突すると、怒号と悲鳴、肉体がぶつかるドンという音が辺りを支配する。
レイはランダルに「前線に出ます」と言って、愛馬を走らせる。ランダルも「俺にも楽しませろ!」と叫び、戦場に身を躍らせていった。
その間にも弓隊が放つ矢が雨のように降り注いでいく。
レイは魔法を使うことなく、敵の中に馬ごと躍り込んだ。
彼は愛槍を振り回し、オークを次々と葬っていく。
純白の騎士が通るたびにオークの血飛沫が吹き上がるため、レイの姿は一際目立っていた。
彼の横ではランダルが両手用の大剣を片手で振り回し、オークたちの首を次々と跳ねていた。
二人の活躍は馬上ということもあり、後方にいる中鬼族のヴァイノにも見えていた。
そして、魔術師だと思っていたレイが戦士顔負けの槍遣いを見せていることに、驚きを隠せなかった。
(白の魔術師は槍の名手でもあるのか! 先ほどの光の魔法、シェフキを罠に嵌めた智謀……こいつを仕留めれば、我が中鬼族の功は揺ぎ無いものになる。何としてでも、白の魔術師を仕留めねば……)
ヴァイノは自らの配下である中鬼族の戦士を投入するため、更に前進を命じた。
大鬼族のオルヴォは前線の一kmほど後方から戦況を見ながら、更に自らの部隊を進めていく。
彼の目には中鬼族部隊と冒険者たちが拮抗しているように見え、自分たちが戦場に着けば、一気に勝利に導けると楽観視していた。
(中鬼族で手一杯のようだな。ここで我らが突入すれば、敵の戦線は一気に崩壊するはずだ。ここまでくれば、我らの勝利は揺らがぬ。街の占領の方に手を打つべきだな)
彼は小鬼族の部隊長に対し、ゴブリンと小鬼族の戦士を他の三つの門を押さえるよう命じた。
小鬼族の部隊長は不満気な表情を見せたが、確実な勝利のためと言われ、渋々命令に従った。
ペリクリトル防衛責任者のランダル・オグバーンはオークたちと斬り結びながら、敵の動きを見ていた。
(オーガたちがかなり接近してきたな。頃合か……)
彼は一旦前線から下がり、「弓隊、一斉射撃!」と命じた後、
「敵の主力が近い! いったん押し込んでから撤退だ! 最後の力を振り絞れ!」
ランダルの命令に弓隊が一斉に矢を放ち、それに合わせて前線部隊が死力を尽くしてオークたちに斬り掛かる。その頃には中鬼族の戦士たちも参戦しており、前線部隊は中々敵を押し込めない。
レイはこの状況を変えるべく、花火の魔法を使うことにした。
「今から大きな音が出る魔法を使います! 隙が出来たら撤退してください!」
彼はそう言いながら、一旦後方に下がり、花火の魔法の呪文を唱えていった。
「すべてを焼き尽くす炎の神、火の神よ。大輪の炎の華を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。天空に開け! 大輪の牡丹!」
呪文が終わると、左手から敵の上空に向かってヒュルヒュルと火の玉が飛んでいく。
戦闘に集中している兵たちはその出来損ないの火の玉に注意を向けることはなかった。
三秒後、ドーンという音が響き、オレンジ色の炎の花が前線の先三十mほどのところで開いた。
冒険者たちも目の前で開く巨大な炎と、体を揺るがすほどの大音響に驚き、一瞬手が止まる。だが、敵は更に混乱していた。彼らは自らの後方から背中を押されるような信じられない音が響き、更に細かい炎の粉が振ってきたため、ほぼすべての兵が振り返ってしまったのだ。
冒険者たちはその隙を見逃さなかった。
敵が後方に気を取られた瞬間、ランダルが「押し込め!」という命令を叫ぶ。ペリクリトル防衛隊はその言葉を受け、一気に攻勢を掛ける。
中鬼族の戦士やオークたちは、花火の魔法によって一瞬恐慌に陥った。そこにランダルの命を受けた冒険者たちの攻勢が加わり、更に混乱していく。
何人かの歴戦の戦士たちは、比較的早く立ち直り、「敵を防げ! 中鬼族の意地を見せろ!」と叱咤する。だが、多くのテイマーを失い、オークたちの混乱は容易には収まらなかった。
ランダルは前線に空白が出来たタイミングを見計らい、「下がれ!」と命じた。
そして自らは最後尾に立ち、再び攻勢を掛けようとしている敵から味方を守ろうとしていた。
アシュレイは若手冒険者部隊を率いて、苦しい戦いをしていた。
彼女の部隊には七級以下の若手しかおらず、オークを相手にするにはかなり荷が重い。
彼女は味方が囲まれないように巧みに陣形を変えさせ、徐々に後退していた。そこにランダルの撤退命令が下った。
「撤退するぞ! 一旦全力で押し込め! 行くぞ!」
そう言うものの、彼女の部隊の力量ではオークを押し込むことはできず、撤退する機会が訪れそうにない。アシュレイは歯噛みするが、レイが何かしてくれるだろうと信じて辛抱強く状況が変わるのを待つ。
その時、ドーンという花火の魔法の音が響き渡る。
「レイの魔法だ! 一気に押し込め!」
敵と同じように呆けていた兵たちが彼女の声で勢いを盛り返す。
そして、隙だらけの敵にダメージを与えたところで、
「撤退する! ケガ人に手を貸せ! 引くぞ!」
彼女の声に若い冒険者たちは素直に従う。
彼らはケガをした兵を庇いながらも、後方の逆茂木のところまで撤退していった。
中鬼族の指揮官ヴァイノ・ブドスコは何が起こったのか理解できなかった。信じられないほどの爆音と眩い光に、敵の白の魔術師が必殺の魔法を撃ち込んできたのではないかと焦った。
(何だ、今の魔法は……恐ろしい音と光だ。俺たちの知らない魔法が使われているのか?)
十秒ほど呆けていたが、大きなダメージもなく、新たな衝撃も来ないため、こけおどしの魔法だと気付いた。
「ただのこけおどしだ! 怯むな! 今が好機なのだ! 進め!」
彼がそう叫んだときには、前線にいる味方の多くが討ち取られ、敵はその隙を突いて後退していた。
「追え! 敵と共に城門をくぐるのだ! 大鬼族に手柄を奪われるぞ! 早くしろ!」
彼は一瞬とはいえ、怯んだ自分を恥じたが、すぐに敵の最後の足掻きだと余裕の表情を取り戻す。
(敵はこれで町に撤退するしかない。だが、この距離なら城門が閉じられる前に突入出来る。敵の街への一番乗りは我が中鬼族が貰った……)
彼は護衛の戦士たちを引き連れ、最前線に向かった。
大鬼族のオルヴォは目の前で広がる巨大な光の花に唖然とし、その後の腹に響くような大きな音に思わず耳を塞いでいた。
彼らは既に中鬼族の後方二百mほどまで接近しており、今の魔法を使ったのが、白の魔術師であることに気付いていた。
だが、オルヴォらが立ち止まったのは一瞬だった。ある程度離れていた彼らには、花火の魔法に殺傷力がないことはすぐに判ったからだ。
(初めて見る敵には有効な魔法だな。だが、二度は効かぬ。ヴァイノも既に立ち直っているようだ。僅かな撤退時間を稼ぎたかったのだろう……戦いは順調だ。これなら勝てる……)
彼はそこまで考えたところで違和感を覚えた。
(相手は月魔族の呪術師――魔族での魔術師の呼び方――を手玉に取り、小鬼族のシェフキ――小鬼族の長、シェフキ・ソメルヨキ。オルヴォの盟友――を捕らえた男だ。今のところ俺の考え通りに戦いが進んでいるが、本当に順調なのか? あまりに策が単調すぎるのではないか……)
彼にしては珍しく逡巡していた。
(確かに罠の可能性があるが、ここまで来てヴァイノに下がれとは言えぬ。言えば、我らが手柄を横取りしたようにしか見えんだろう。だが、我らが残り、奴らだけを先行させれば敵は城門を閉じ、中鬼族を分断するだろう。街の中に入れば、敵の方に地の利がある。中鬼族が全滅する可能性も……その場合、俺が中鬼族を見棄てたと言われるはずだ。シェフキに続き、ヴァイノまで失えば、勝ったとしてもソキウスに戻ることはできん……シェフキがおれば、このようなことを悩まずとも済んだものを……)
彼は敵の罠を警戒しつつも、猪突する中鬼族の後を追うしかできなかった。
レイはランダルと共に最後尾で敵を蹴散らしていた。
久しぶりに愛馬トラベラーに乗ったのだが、ブランクを全く感じさせず、人馬一体になって敵にダメージを与えていく。
レイが愛槍白い角を振って敵を突き殺し、トラベラーが前足を振り上げ、蹄でオークの頭を割っていく。
ランダルは自らも戦いながら、レイの戦いに舌を巻いていた。
(本当にこいつは何者なんだ。カエルム――南部のカエルム帝国、強力な騎馬部隊を持つ――の騎士でも、ここまで馬を乗りこなせんぞ。本人は記憶を失くしていると言っているが、ガスタルディ司教が神の使いだと言いたくなる気持ちが判る気がするな……)
ランダルの率いる精鋭は集団戦の経験が無いにも関わらず、すぐに連携を覚え、撤退する味方の退路を守るべく、奮闘していた。
最後の部隊が門に入る直前、ランダルは「引け!」と叫んだ。
馬上の二人は門を目指して馬を走らせ、ランダルの直属の兵たちも同じように一目散に走り出した。
中鬼族の戦士たちは大声で「引き離されるな!」と叫び、すぐ後ろを追いすがる。
冒険者たちにはケガをしたものもおり、歩みは遅くすぐに追いつかれてしまう。ランダルは「城門を閉じる準備だ!」と叫び、更に「引くぞ! 街に魔族を入れるな!」と叫ぶ。
レイも槍を振るいながら、「撤退!」と叫び続けていた。
ケガ人を運び込み、最後に残った二十人ほどで門を守るが、限界と見たランダルは「レイ!」と叫ぶ、彼は花火の魔法を準備し、そして、敵の後方に放った。
ドーンという音が再び響き、隙を突いて撤退しようとしたが、中鬼族の戦士たちに動揺はなく、逆にニヤリと笑っていた。
ランダルは悔しげな顔を見せ、「引け!」と命じる。ランダルたちは脇目も振らずに門に逃げ込んだ。
中鬼族の指揮官ヴァイノ・ブドスコは二度目の花火の魔法に僅かにビクリと反応するが、敵がミスをしたとほくそえんでいた。
「二度は効かん! 敵は魔法を使うのが早すぎた。我ら中鬼族に二度は効かぬわ。城門を閉じる隙は与えるな、突っ込め!」
彼は自らも巨大な曲刀、ファルシオンを構え、門に向かって突入していった。
大鬼族のオルヴォ・クロンヴァールは自らの懸念が杞憂であったと安堵した。
(敵はミスをした。あの轟音の魔法を出すタイミングを誤ったのだ。これで敵の街に突入出来るぞ。もし、中鬼族だけを分断するつもりなら、あそこであの魔法は撃たぬ。俺は白の魔術師の名に踊らされていたのだ……オーガが侵入できれば多少の罠があろうと破壊出来る。中鬼族と共に突入するぞ……)
彼は小鬼族部隊を除き、すべての部隊を街に突入させた。




