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第30章 ポンプの音とイヤリング

「……私のイヤリング?」

「……ポンプの音?」


 ()(さか)()(あり)()が、僅かの間を空けて呟いた。


「そうです」(らん)()は、小坂井と目を合わせて、「昨日の昼になくしたとおっしゃっていた、小坂井さんのイヤリングの片方ですが、実は見つかっていたんです」

「本当ですか? どこに?」

「資料室の一角に給湯室がありますね。そこに設置されている、ウォーターサーバーからです」

「ええっ?」


 あまりに意外な発見場所だったためか、小坂井は目を丸くした。


「正確には、サーバーにセットする予備の水タンクの中から、です」


 そこまで言うと乱場は、目だけを動かして岸長(きしなが)を窺った。心境を読み取れないポーカーフェイスながらも、その表情には、“どうして?”という驚愕の色が浮かび上がったように見えた。


「僕がそのイヤリングを発見できたのは、偶然の賜物でした。給湯室のサーバーの水が切れて、(しお)()さんが、サーバーに新しいタンクをセットして、そこから汲み上げられた水の中に、イヤリングが混入していたのです。ちなみに、その交換されたタンクの水を飲んだ汐見さんは、『いつもと味が違う』と言って、僕たちも飲んでみましたが、確かに、汐見さんの言葉どおりでした。交換されたタンク――つまり、小坂井さんのイヤリングが混入していたタンク――の水は、それまでとは違う味だったんです。このことも、今度の推理に到達する鍵となったのですが、それはひとまず置いておき、話を戻しましょう。

 犯人が自分の体重の不足を補うために使ったものについてですが、今、話題に出した水タンク、それこそが、犯人――つまり岸長さんがウエイトとして使用したものなのです。あの水タンクの容量は5リットルです。水の比重は1なので、5リットルの水の重量というのは、すなわち5キロです。62、プラス、5、イコール、67。ギロチンの刃の重量を1キロ上回り、これにより、力点、大なり、作用点(力点>作用点)の式が成り立ち、岸長さんはギロチンの刃を引き上げることが可能になったというわけです。引き上げるというか、力点の重量が作用点を上回っているので、岸長さんはロープ握り――あるいは体に括り付けて――窓から身を乗り出すだけで、あとは重力の作用によって勝手にギロチンの刃は引き上がって――同時に岸長さんの体は下がって――いくわけですが。それでも両手を自由にしたいというのであれば、持ち手にビニールロープを通して、タンク自体は背負ったのかもしれません」


 小坂井への乱場の声は、徐々に全員に向かい、そして最後は確認を取るように、岸長に対して浴びせられていた。その岸長も、乱場にまっすぐ視線をぶつけて、


「……どうして、そんなことが分かる?」

「何がですか」

「私――犯人が、ウエイトとして水タンクを使ったということがだ」


 一度は主語を思わず自分にしてしまった岸長だったが、それに動じた様子は見せないまま訊いた。


「さっきも言った、小坂井さんのイヤリングと、深夜のポンプの音で、です」


 対峙する乱場も、落ち着き払った言動を乱さないまま、再び全員に声を向け、


「それでは、先ほどに若干の補足を加えたうえで、僕が推理した犯人の行動を、再び話していくことにします。

 まず、加える補足点は、今しがた言ったように、犯人がギロチンの刃を引き上げる際に、給湯室から持ってきた水タンクを自分のウエイトに加えたことです。その後、犯人は、窓から壁を伝って娯楽室に侵入、部屋の暗さとドアの構造から生まれる死角を利用して、曽根さんと入れ替わるように部屋に再入室したわけですが、実は窓からの侵入直後、ある行動を取っていました。先ほど僕は、ウエイトの件を無視して話を進めていたため省いたのですが、そこで犯人が取った行動というのは……ウエイトに使用したタンクの栓を開け、中身の水を屋外に捨てたことです。時間にして……八時になる少し前です」


 そこまで乱場が言うと、「あっ!」と声を上げた人物がいた。有賀だった。


「もしかして……あの雨は……」


 そう言いながら顔を向けてきた有賀を見返して、そうです、と頷いた乱場は、皆に視線を戻すと、


「実は、午後の聞き取りの際に有賀さんは、こんな証言をしてくれていました。昨日、厨房で夕食後の後片付けをしていたとき――八時少し前――に、雨が降ったような水音を聞いた、というのです。厨房の窓は開閉幅が狭く外を見づらく、水音もすぐに止んでしまったため、実際に降雨があったのかどうかは分からなかったということですが、その雨らしきものの音が聞こえたていたのは、ごく短時間、一分もしないくらいの間だったそうです。この、有賀さんが聞いたという雨らしき音の正体は、犯人が娯楽室の窓から水を捨てていた音だったわけです。娯楽室の西側窓の直下には、ちょうど厨房の窓が位置していますから」


 乱場が指を差した西側の窓に、全員も視線を向けた。乱場はすぐに指を下ろし、話を続ける。


「どうして犯人がそんな行動をしたかというと、ただ単純に水タンクが荷物になって邪魔だからです。給湯室のウォーターサーバーで使用されている水タンクはビニール製のもので、中身が空のときは畳んで小さくしておけますからね。水を捨てるということは、犯人が得ていた追加重量を捨てることにもなるわけですが、今や娯楽室にいる力点側の犯人と、作用点側のギロチンの刃は、単純な定滑車の関係にあるわけではなく、両者を繋ぐビニールロープは、窓枠や外壁といった異物に接触することで、かなりの摩擦が生じています。加えて、資料室の上下開閉式の窓は、ストッパーを噛ませていない状態では自然に上げた窓が落ちてくる構造で、その窓の締め付けによる摩擦力も加算され、力点と作用点との4キロ程度の重量差は十分補えると――紐を引いた手応えなりで――犯人は判断したのでしょう。この犯人の判断は、結果、功を奏しました。その後すぐに曽根(そね)さんが入室することで、犯人は二番目に娯楽室に入ってきたふうをよそおえたわけですが、その際、細いビニールロープは誤魔化せても、5リットルの水タンクはそうはいかなかったでしょうから。中身を捨て、小さく畳んだタンクを懐に入れておく、という処置は有効に働いたわけです」


 説明する中で乱場は、確認を取るように何度か岸長の目を見ていたが、それに対して岸長は、あくまでポーカーフェイスを続け、何かしらも反応を返すことはなかった。乱場のほうも、それに何ら落胆も期待外れの色も見せないまま、話を続ける。


「さて、トリックに使用したこの水タンクを、いずれ給湯室に返しておかなければと考えていた犯人ですが、それを遂行しなければならないタイミングは、意外なほど早く訪れてしまいました。というのも、(おお)()さんの死体が発見された直後、僕たちは現場検証を行ったわけですが、それを終えてみんなと再び集まった際の別れ際――駒川(こまがわ)さんがお風呂を用意している、と言ってくれる直前でしたね――僕がその駒川さんに、『何かなくなっていたり、普段とは違っているものがないかチェックしてもらうため、明朝にも行う現場検証に立ち会ってほしい』と頼んだからです。ロッジに精通している駒川さんならば、サーバーの予備の水タンクがひとつなくなっていることは確実に看破されてしまうだろうと、犯人はそう思ったはずです。そうなれば、そのことをきっかけにして、犯行のトリックが見破られてしまうかもしれない。何せ――自分でこんなことを言うのは口幅ったいことですが――事件現場に“名探偵”なんていう人種が居合わせていることを、岸長さん――ひとりだけではなく、皆さん全員――は事件発覚後に知っているわけです。この場にいるのが普通の人だけならば、もしも水タンクがひとつ紛失していることを知ったとしても、どうしてだろう、と首を傾げるばかりで済むかもしれませんが、相手が探偵となれば話は別です。探偵という生き物は、どんな小さな手がかりでも、犯行を見破る鍵にしてしまう。探偵の活躍を小説化した読み物で、幾度となく描かれて周知されていることですからね。犯人は、何としても明朝、探偵が駒川さんと一緒に現場検証を行う前に、持ち出したタンクを戻しておく必要に迫られました。そのためには、空にしてしまったタンクを再び水で満タンにしなければなりません。ここが街中の普通のホテルなどであれば話は簡単でした。部屋の水道からいくらでも水は手に入りますからね。ところが、ここ“スキーロッジ深雪”では勝手が違います。奥深い山中に建つこのロッジには上水道など通っておらず、使用する水は全て、近くの川から汲み上げたものを使っているからです。食堂の冷蔵庫に飲み水もありますが、とても5リットルものタンクを満たすには足りませんし、急に大量の水がなくなっていることが分かれば怪しまれてしまいます。あと、大量の水のありかとして考えられるのは浴室ですが、そこに張られていた湯は、女性陣が入浴した直後、風呂掃除をする際に落とされており、一滴も残っていません。そこで犯人が、5リットルの水の調達先として選んだのが、厨房のポンプでした。あそこなら、川から無尽蔵に水を汲み上げることができます。深夜、みなさんが寝静まった頃、空の水タンクを手に部屋を抜け出した犯人は、厨房に忍び込んでポンプの栓を捻りました、が、その栓はすぐに閉じられることとなってしまいました。なぜか」

「あっ!」


 またしても声を上げたのは有賀だった。続けて有賀は、乱場の目を見ながら、


「作動音が……」


 と呟いた。


「そうです」頷きを返した乱場は、「ポンプの作動音が、犯人の予想以上に大音量で鳴り響いたためです。ただでさえ時刻は深夜――これも有賀さんの証言ですが、時間は深夜一時前後だったそうです――かつ、周囲は物音ひとつしない山林です。天候が豪雨や吹雪であれば、ある程度の音は紛れ込ませることも出来たかもしれませんが、変わりやすい山の天候は犯人に味方しませんでした。その時刻、この周辺には風も雨もなく、極めて静寂な夜を保っていたのです。そんな中で、いきなり響いたポンプの作動音。この音で誰かが目を覚まして、この現場を目撃されでもしたら終わりです。特に、厨房と壁一枚隔てた部屋にいる有賀さんは脅威です。犯人が、すぐにポンプを停止させ、自室にとんぼ返りせざるを得なかったのも納得できることでしょう。

 さて、こうしてポンプからの給水の道を断たれてしまった犯人でしたが、このまま引き下がるわけにはいきません。何としても、明朝までにこの空のタンクを満タンにして、給湯室に戻さなければならない。が、ここで犯人は気付きます。“水なら自分の周囲にいくらでもあるじゃないか”と。正確には、“加工すれば水になるもの”が。それは“雪”です。すぐさま屋外に飛び出して雪をかき集めにかかりたい犯人でしたが、先ほど、わずかな瞬間だけとはいえ、盛大にポンプの音を鳴らしてしまったことが頭をよぎります。あの音が耳に届いた誰かが、怪しいと感じて部屋を出て、ロッジ内の様子を見回ったりするのではないだろうか。外に出入りするところを、その人物に見られはしないだろうか。行きならまだしも、帰り――すなわち、雪で満タンにした水タンクを抱えているところ――を目撃されでもしたら……。

 ですが、ここで犯人は、自分が自室に居ながらにして雪を集められる環境にいることにも気付きました。犯人の部屋は一階だったからです。わざわざ廊下を歩き、玄関や裏口を通らずとも、部屋の窓を通して、いくらでも雪を入手できるじゃないかと。窓から外へ出た犯人は、雪をタンクに詰め、部屋の暖房で溶かして水にします。この作業をしつつも犯人は、常にロッジ内の様子に耳をそばだてていたことでしょう。何も物音も、足音も聞こえてこない。ということは、自分が鳴らしてしまったポンプの作動音は、誰の目も覚まさせはしなかったのか。あるいは、目を覚ました人がいたとしても、すぐに再び寝入ったのかと。あれから時間も経過しています。もう朝まで誰も目を覚ますことはないだろう。やるなら今しかない。雪を溶かした水で満タンにしたタンクを持って犯人は――当然、警戒は怠らずに――自室を出て給湯室に向かい、タンクを戻して帰ってきます。最初に話題に上げた、汐見さんが交換したタンクの水を飲んで『味が違う』と言った理由が、これです。そのタンクに詰められた水だけは、厨房のポンプを介して川から汲み上げられてきた天然水ではなく、ロッジ周囲に降り積もった雪を溶かして作った水だったからです。源泉近い清流から汲み上げた水と、世界のどこの水が蒸発して作られたものかも分からない氷の結晶――すなわち雪――とでは、味が違って当然ですからね。

 もうお分かりですね。小坂井さんのイヤリングが、給湯室の予備の水タンクから見つかったのも、これが原因です。恐ろしい偶然と言うしかありませんが、犯人が窓の外からかき集めた雪の中に、昼間に小坂井さんがなくしてしまったイヤリングが混入していたんです。ただでさえ白いイヤリングは、雪の中にあって見分けが付きにくかったことに加えて、雪を詰めて溶かしている最中にも、誰か起きてきたりはしないかと、そっちにばかり注意を持って行かれて、さらには、あのタンクは半透明のビニール製ですから、中に小さなイヤリングが入っていたとしても、そうそうよく見ないと分かりはしません。まさか、集めてきた雪の中にそんなものが混じっていたなんて、気が付かなくても当然です……岸長さん」


 乱場の視線が、再び岸長を捕えた。それでも……岸長の目は観念していなかった。ふう、とひとつ、深く、強いため息をついてから、岸長は、


「乱場くん……反論させてもらおう」 

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