表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/39

第28章 来たのは誰だ

 推理を語るにつれ、(らん)()の雰囲気は徐々に変化を見せていった。前髪の先にある大きな双眸は細められ、喋り方、態度も落ち着き払ったものとなり、妖艶と形容してもいいような、一種異様な色気とも呼べる空気を発している。


「話が前後しましたが」その妖艶さをまとう少年探偵は、しばしの沈黙を破り、「改めて、犯人が資料室を抜け出した手段についてです。

 結論から言うと、犯人の逃走口は窓です。資料室には、他に出入口がない以上、当然ですね。隣接した給湯室にも窓はありますが、ここは、これから僕が推理する犯人の逃走手段には使えないため除外されます。

 さて、窓から逃走した、とはいっても、これも当たり前ですが、犯人はただ単に窓から飛び降りたわけではありません。ご存じのとおり、資料室の窓はすべて北側に向いており、その真下は断崖絶壁です。三階から飛び降りて、わずか数十センチの地面に着地するというのは、人間の身体能力的にも、夜で外の視界がほとんど効かないという事情を考慮しても至難の業――いえ、不可能でしょう。

 そこで犯人が利用したのが、あの“塞神(さいがみ)式断頭台”です。具体的に説明します。まず、犯人は資料室奥の給湯室にあったビニールロープを、十分な長さ――恐らく三十メートル程度もあれば十分でしょうか――に切断。その紐を、ギロチンの刃と繋がっている紐の先端、あの環状部分に通し、紐の両端をしっかりと握ります。細いビニールロープを直接掴んでは皮膚に食い込んで痛みを生じてしまうため、服やハンカチなどの上から握ったのだろうと思います。滑車からロープが外れてしまうのを防ぐため、もしかしたら紐は断頭台後方のレバーも通し、あくまでロープが滑車の回転方向に引かれるように調整した可能性もあります。ともかく、その工作を終えた犯人は、最後に部屋の照明を落とすと、窓を開けて壁を伝い下ります。当然、ビニールロープは握ったままです。犯人は、ビニールロープとロープでもって、鋼鉄製のギロチンの刃と繋がった状態にいることで、ギロチンの刃がいわばカウンターウエイトの役割を果たし、引力に任せた危険な自由落下とはならず、ゆっくりと壁を伝い下りることが出来ます。そうして壁を伝い犯人が逃げ込んだのは、資料室の真下、ここ、娯楽室でした」

挿絵(By みてみん)

 乱場が自分の足下を指さすと、皆は一様に自分たちがいる室内ぐるり――昨日から何度も訪れているはずの娯楽室――を、まるで初めて見るかのように目を丸くして凝視した。


「犯人は、資料室の窓から真下を覗いたとき、二階に位置する娯楽室の窓とカーテンの隙間から明かりが漏れていないことを見て、娯楽室には誰もいないと確信したのでしょう。資料室と娯楽室の窓は、普段から施錠はされていない状態です。そのことは従業員である駒川(こまがわ)さん、(あり)()さんはもちろん、昨日の昼間に資料室を見学に訪れた際に、(おお)()さんの話で僕も含めた皆さん承知済みでした。よって、三階資料室の窓から抜け出た犯人が壁を伝い、やはり窓から真下に位置する二階娯楽室に侵入するという思考に達することは可能です。犯人が窓から娯楽室に侵入したのは、時間にして恐らく、八時直前のことだっただろうと思います」

「八時直前……」


 と呟いたのは()(さか)()だった。そのまま小坂井は、乱場に目を向けて、


「で、では、窓から娯楽室に入った犯人は、その足で自室に戻り、何食わぬ顔をして、また娯楽室に姿を現したと、そういうことですね……」

「あるいは」と、そのあとに岸長(きしなが)が、「厨房に戻ったか……」


 駒川、有賀、二人の従業員の顔を交互に見た。


「わっ――私じゃありません!」


 腰を浮かせて叫んだ有賀だったが、「落ち着いて下さい」と乱場に言われ、体を震わせたまま座り直した。乱場は話を続け、


「小坂井さんの考えは間違っています。といって、岸長さんのそれも正解ではありません」

「どういうことなの? 自室にも、厨房にも戻っていないって……」

「“トイレに行った”という言葉遊びなのかな?」


 小坂井と岸長の言葉に、それぞれ視線を合わせるだけで返事とした乱場は、


「どこにも行っていません。三階から二階へ、窓から窓への移動を完了した犯人は、そのまま娯楽室に留まり続けたのです」

「ええっ?」目を見開いた小坂井は、「留まり続けたって、で、でも、それからすぐに、私たち宿泊客は――間中さんを除いて――全員、ここ娯楽室に順次集まってきたんですよ?」

「そうです」

「だ、だったら、犯人は……」

「はい。昨夜、ここ娯楽室に一番最初に入った人物、ということになります」


 直後、小坂井は、昨夜「一番最初に娯楽室に来た」と証言した人物に視線を突き刺した。


「な……何を言うんだ乱場くん!」


 曽根は勢いよく立ち上がり、その音で有賀は、「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。


「待って下さい」


 乱場の声が通り、皆はその場に静止した。


「落ち着いて下さい」


 ――自分のように、とでも言わんばかりに、乱場の声は終始落ち着きを乱さなかった。


「でっ、でも……」


 目に涙を溜めて、有賀は曽根と乱場を交互に見やる。


「曽根さんではありません」

「……えっ?」

「犯人は、曽根さんではありません」

「……ええっ?」

「で、でも……」と小坂井も、曽根に刺し続けていた視線を乱場に戻して、「昨日の夜、ここ娯楽室に一番乗りしたのは、曽根さんだと……自分でも証言していましたし……」

「た、確かに」と、その曽根も、「娯楽室に一番最初に来たのは私でした。でも、わ、私は犯人じゃない! 乱場くんも、そう言っているじゃないですか!」


 ええ、と頷いてから、乱場は、


「実は……曽根さんよりも先に、娯楽室に来ていた人がいたんです。言うまでもなく、資料室で大瀬さんを殺害し、逃走経路である窓から侵入してきた犯人です」

「し、しかし……」曽根は、安堵と狼狽がない交ぜになったかのような口調で、「私の口から言うのも何ですが、昨夜、私が娯楽室に来たとき、室内には他に誰もいなかったことは……事実ですよ」

「そう思わせられたのは、犯人のトリックが功を奏したからです」

「トリック?」

「そうです。犯人の行動を追う推理を続けましょう。

 三階に上がってくる――と犯人が思い込んでいた――間中先生から逃れるため、塞神式断頭台を使って娯楽室への侵入を果たした犯人は、その最中、ずっと上を見上げていたに違いありません。注視していたのは、自分が抜け出した資料室の窓です。犯人は脱出直前、資料室の照明を落としていきました。であれば、階段を上ってきた間中先生が資料室に入ったならば、まず照明を灯すはずです。犯人は、その瞬間を狙って、握っていた紐を放すつもりだったのでしょう。そうすると、資料室にいる――と犯人が仮定した――間中先生の目には、その現象はどう映るでしょうか。資料室に入る、照明を点す、その瞬間――ギロチンの刃が落ちる音が響き、慌てて断頭台に向かうと、そこには首を切断された大瀬さんの死体が……。当然、ギロチンの刃を落とした犯人は、まだ室内にいると思いますよね。間中先生が、そのまま室内を捜索するか、怖くなって逃げ出すか――恐らく犯人は、こちらの行動を取る公算が高いと踏んでいたでしょう――前者であれば、犯行が行われた瞬間に犯人が消え失せてしまうという不可能状況となり、後者であれば、悲鳴を聞きつけて走ってくることで、犯人――も含めた全員――に鉄壁のアリバイが生まれ、どちらにせよ犯人にとっては好都合な展開となります。……が、壁を伝い下り、娯楽室に侵入し、窓から顔を出して三階資料室の窓を見上げ続けていても、一向に明かりは点らない。これはどういうことなのか……。もしかしたら……間中先生は三階へ上がっては来なかった、少なくとも、資料室に入ってはいないのではないか? 犯人はそう考えたはずです。であれば、このまま掴んでいる紐を放すのは惜しい。現在、資料室のギロチンの刃は、犯人がビニールロープを握っていることによって、宙に吊り上げられた状態を保っています。つまり、犯人は、階下の二階に居ながらにして、三階のギロチンを操作できる状態にあるわけです。この状況を利用すれば、ギロチンが落下したその瞬間に、この娯楽室にいるという完璧なアリバイを手にすることが出来る、犯人はそう考えました。

 そのためには、自分のアリバイを保証してくれる証人がいなくてはなりません。時刻は午後八時直前。犯人は、夕食時に高校生たちが八時になったら娯楽室に集まってトランプ勝負をする、と話していたことを思い出します。ならば、もう少しの間我慢して、娯楽室に誰かひとりでも来た時点でビニールロープを放せば、その人物を証人として、鉄壁のアリバイを得ることが出来る。すでにここにいる自分は、娯楽室に一番最初に来たことにするしかない。何かあった場合――まさか、滞在者の中に探偵がいるなどと思ってはいなかったでしょうが――そのことで疑いが生じてしまう可能性もゼロではないが、その可能性は著しく低いと犯人は見積もったでしょう。

 そう考えていたところに、犯人にとって福音ともいえる音が娯楽室ドアの向こうから聞こえてきました。暗闇に包まれた室内に――まだ照明が点されていないのだから当然ですね――客室ドアの開閉音と、直後に廊下を歩く足音が聞こえてきます。東側、南北に延びる廊下のほうからです。さらに、その足音はすぐに鳴り止みます。娯楽室ドアの前に到達したのでしょう。その一連の音で、犯人は足音の主が曽根さんだと確信しました。なぜって、客室ドアの開閉音に続いて足音が東側から聞こえ、その足音がすぐに娯楽室のドア前に到達したということは、その足音を鳴らした人物は、娯楽室から一番近い東側の部屋にいた人物であるとしか考えられないからです。その部屋の主は、曽根さんです。相手が曽根さんならば、さらに一段先のトリックを仕掛けられると思った。そのトリックを使えば、自分が娯楽室に入る一番手になるのを防ぐ、という効果も得ることが出来る。

 曽根さんがドアを開けようとして、ドアノブが回る音が聞こえます。同時に、犯人は足音を殺して――敷かれた絨毯の上を歩けば十分可能です――室内を横断し、西側のドアの前まで移動します。当然、ギロチンの刃と繋がったビニールロープは掴んだままです。ビニールロープに、そこまでの距離を移動できるだけの余裕があったことを確認していたからこそ、このトリックを仕掛ける決意を固めたのです。ドアが開き、敷居の向こうに曽根さんが姿を見せますが、犯人にそれを見ることは出来ません。この部屋のドアの構造と配置からすれば、そうなります」


 と、そこで乱場は娯楽室南側の壁に並ぶ、二枚のドアを指して、


「あのドアはどちらも、廊下から室内を見て、左側を軸として開閉する内開きの構造をしています。つまり、西側ドア前にいると、東側のドアを開けて入室してきた人のことは、開いたドアが死角となって視認できないわけです。それは同時に、東側ドアから入ってきた人にも同じ条件が当てはまります。入室した直後では、自分が開けたドアが視界を塞いでしまい、西側ドア前の様子を目視することは出来なくなります。もっとも、曽根さんがドアを開けた時点では、娯楽室の照明は点っていなかったため、ドアの死角の効果がなくとも、曽根さんが犯人の姿を目撃することは出来なかったでしょう」


 乱場が指を降ろした。皆の視線も、ドアから自分へと戻ってきたことを確認して、乱場は話を続ける。


「自分の姿が、ドアの死角で曽根さんの視界から遮断されており、さらに、まだ曽根さんが照明スイッチを入れない間に、犯人は静かに西側のドアを開けて廊下に出ると、またすぐにドアを閉めて息を潜めます。曽根さんと入れ替わりに廊下に出た感じですね。ビニールロープ程度の細いものを挟めたままでも、ドアを閉めることは出来ますから。

 室内に視点を戻すと、入室した曽根さんは、部屋の明かりを点け、まず、まっさきに室内東側のバーカウンターを目指しました。犯人が、“相手が曽根さんなら、このトリックを仕掛けられる”と判断した理由がこれです。夕食の席での会話から、曽根さんが娯楽室に来る目的は酒以外にあり得ないと確信していたからです。曽根さんお目当ての酒は、娯楽室東側のバーカウンターに並んでいます。入室してきた曽根さんは、すぐにそちらへ向かうため、今、自分がいる西側スペースにはまったく注意は向かないだろうと判断し、結果、その読みは当たりました。バーカウンターの前に立った曽根さんは、棚に並ぶ酒類を見渡し、どれを飲もうかと吟味し、最初の一杯を決めてグラスに注いだ直後――ガラスの音などからそのタイミングを計ったのでしょう――犯人は西側のドアを開け、娯楽室に入室、今度こそ、その犯人の姿を曽根さんも目視します。もし、そこで、曽根さんが注意深く犯人のことを観察していたら、異様な光景に気が付いたはずです。犯人の手にはビニールロープが握られており、その紐は西側ドア正面の窓の外に向かって、一直線に伸びていたからです。とはいえ、それに気付くのは相当に難しかったでしょう。ただでさえ細いビニールロープを、距離のある室内最東端のバーカウンターにいて目視するというのは。そもそも、まさか今しがた部屋に入ってきた人間の手に、室内の窓と繋がったビニールロープが握られているだなんて、想像だにしないでしょうからね。ちなみに、このトリックを使うには、当然ロープを通した窓を開けたままにしておく――というか、ロープの緊張により開けたままの状態の維持を余儀なくされる――わけですが、その、窓が開いたままという違和感は、カーテンを引いておくことで隠蔽できます。

 そうして、さも“二番手”として娯楽室に入ってきたふうを装った犯人は、そのまま一直線に窓際を目指します。気付かれる可能性は低いとはいえ、ビニールロープなんていうやっかいなものをなるべく室内に留めておきたくないからです。そうして無事、窓際まで辿り着いた犯人は、入室するなり窓際へ足を運んだことのエクスキューズとして喫煙を始めます。その後、曽根さん以外にも、僕、汐見さん、朝霧さん、小坂井さんと娯楽室に集まってきて、もう証人の数としては十分だろうと判断したところで、ようやく犯人は握り続けていたビニールロープを手放します。紐はギロチンのロープ先端の輪に通していただけなので、握っている二本のうちの片方だけを離せば、自然と紐は手元に残り、あとはそれを遙か下の湖に投棄して証拠品隠蔽完了です。三階の資料室では、ギロチンの刃が落下し、その音を、僕、汐見さんの耳が拾い、そして、犯人自身も、音が聞こえた、と証言しました。そうですね……岸長さん」

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ