“読者への挑戦”とは何か
「ここです!」
朝霧が、宙に向かって、びしりと指をさすと、
「……どこ?」
汐見は、きょろきょろと辺りを見回した。
「決まっているじゃありませんか、汐見さん」と、指を下ろしてから朝霧は、「“読者への挑戦”ですよ」
「“読者への挑戦”だと?」
「そうです。もし、この事件が小説化されたとしたならば、“読者への挑戦”を入れるべきタイミングは、まさにここ、乱場さんが犯人を特定した、この瞬間以外にあり得ないじゃありませんか」
「ははあ、そういうことか……」
汐見は納得し、あごに手をあてて頷いた。
「そうです。当然、ここに至るまでの文章の中には、乱場さんが見聞きして、犯人を特定するに至った、十分な手がかりを漏らすことなく書き入れます。読者と乱場さんが、まったく同じ条件となるように」
「まあ、それが“読者への挑戦”をやるうえでの、絶対的ルールだからな」
「じゃあ、さっそく始めますよ……」こほん、とひとつ咳払いをしてから、朝霧は、「さて、親愛なる読者諸君、私は今、ここに――」
「ちょっと待った!」
「何ですか、汐見さん、いいところだったのに!」
「どうして朝霧が“挑戦”するんだ」
「こういう“読者への挑戦”って、作者がするものと相場が決まっていますから」
「お前は作者じゃないだろ」
「もちろん、本当に小説化された暁には、実際にその小説を書いた作者による語り口で、挑戦は成されることになりますよ。でも、今、この場には私たちしかいないのですから、仕方ありません。私が代役を務めます」
「務めなくていいよ。事件現場でリアルタイムに“読者への挑戦”をしたって、それを読む――というか、聞く?――読者が、そもそもいないだろ」
「それはそうですが、雰囲気だけでもと」
「というかさ、そもそも、“読者への挑戦”って、なに?」
「なに、と言われましても……。そのままの意味としか答えようがありません」
「こういうさ、実際に起きた殺人事件をネタにして、『この謎が解けるか』って読者に謎解きを挑むってさ、なんでそんなことをするの?」
「まあ、確かに、殺人事件を、まるでゲームのように扱うことに、一部から『不謹慎だ』という声も上がっているようです」
「それはまあ、また別の話としてさ、私が言いたいのは、“読者への挑戦”っていう言葉自体が、おかしいんじゃないかっていうこと」
「どこが、どのようにおかしいとおっしゃるのでしょう?」
「“挑戦”ってさ、基本的に下の立場のものが、上の立場のものに対してやることじゃん? ほら、プロレスのタイトルマッチでも、現王者と戦う選手のほうを“挑戦者”って言うし」
「まあ、確かに、人以外の相手に使うときも、基本的に、自身よりも大きな相手に対して使われることが多い言葉かもしれませんね。『難攻不落の山に挑戦』とか、『自分の限界に挑戦』とか」
「だろ。でさ、こういう不可能犯罪の小説ってさ、さっき朝霧が言ったみたいに、パズルに例えられることが多いじゃないか」
「ええ」
「頭を使って難問を解く、つまり、試験とかと同じようなものだ」
「そうも言い換えられるかもしれません。難度の高い試験――つまり、自分の偏差値よりも高い進学先に入ろうとすることに対しても、『どこそこの大学に挑戦』とか言いますからね。もう間違いなく受かるだろう、っていうところを受験するに際しては、“挑戦”とはあまり使いません」
「うん。で、そう考えるとさ、“読者への挑戦”ってのはおかしいだろ? 今の朝霧の言葉を借りれば、“受験生が大学に挑戦する”んじゃなくて、大学のほうから受験生に挑戦してくる、みたいなニュアンスにならない? 言ってみれば、“受験生への挑戦”」
「そういう解釈も出来なくもないかもしれません」
「出来るって。でさ、受験とかパズルっていうのはさ、挑もうとする側が、それぞれの能力に応じて挑戦先を選べるし、実際そうする。仮に、私が『東大に挑戦』なんて言い出しても、受かるのは千パーセント無理だから」
「まったく、そのとおりですね」
「少しは慰めてくれるのかと思ったら……。まあいいや。でさ、“読者への挑戦”を謳ってくる小説の謎解きにもさ、それこそ大学みたいに、色々なレベルがあるわけじゃん」
「そうですね」
「だからさ、“挑戦”っていう言葉の定義と、小説の作者と読者の関係性を鑑みてみれば、やっぱり“読者への挑戦”ってのは、おかしな言葉なんだよ。挑戦するかしないかの選択権は、読者の側にあるべきだ」
「すると、どういう言い回しが適切となるのでしょう?」
「“この謎のレベルが、読んでいるあなたに見合っていると判断した場合、どうぞ挑戦してみて下さい”」
「長っ」
「で、首尾よく読者が、『よし、この謎解きに挑戦してやろう』となったときには、読者のほうが小説に、すなわち、名探偵の解いた事件の謎に挑むわけだから、“読者が挑戦”となるべきじゃないか?」
「挑戦の矢印が逆だと」
「そうそう」
「それは、作者から読者に対してのリスペクトの気持ちの現れなのではないでしょうか。つまりですね、作者は、読者のことを信頼しているっていうことですよ」
「どういうこと?」
「作者は、“挑戦”までの間に、事件の謎を解くに十分足る手がかりを書き込んできました。自作を読んでいる読者は、作者がばらまいたそれらの手がかりを読み逃すようなことはないだろうと。そんな慧眼の持ち主である読者に、挑戦させて下さい、という」
「読者のことをそんなに買いかぶってもらったら困るぜ。そもそもさ、事件の謎を解く――解いた――のは、世に名だたる名探偵の場合がほとんどだろ。そんな凄い人たちが苦労して解いた謎を、一般の読者にも解かせようっていうこと自体がさ、無茶な話じゃないか? それなのに、“読者への挑戦”をしてくる作家はあとを絶たない。私はこの場で、すべての作者に問いたい、なぜ、あんたらは“挑戦”をするのか。一方的に」
「いえ、一概に、そうとも言いきれませんよ。なぜって、不可能犯罪小説の中には、探偵行為とはまったく無縁だった人が、いきなり探偵役を買って出て――あるいは、そうせざるを得ない状況に追い込まれて――事件の謎を解いた、という例もたくさんありますから」
「それは、確かに」
「私の考えは汐見さんとは違ってですね、“読者への挑戦”という言葉にも、その行為にも、大きな意味があると思っているんですよ」
「それは、どういう?」
「“予行演習”です」
「よ、予行演習?」
「そうです。考えてもみて下さいよ。1841年に、パリのモルグ街で人類史上最初の不可能犯罪が起きてから、およそ二百年、これまでに世界中で、いったいどれだけの不可能犯罪が起きてきたか。それらの事件に巻き込まれた人たちの人数も、相当数に上っているはずです。もはや、“不可能犯罪に巻き込まれる”というのは、私たちの身の回りで起こりえる、現実的な災難として認知されるべきなのです」
「まあ、確かに、今の私たちが実際そうだからな」
「ええ。でも、今回は――今回も――乱場秀輔という名探偵が居てくれた――まあ、今度の場合は、間中先生の計略によって居させられた、とも言えますが――ことで、私たちは事件の推理を、探偵役の乱場さんに一切合切、委ねることができたわけです」
「それには、感謝してるよ」
「しかしながら、このような状況が何度も続くという保証はありませんよね」
「乱場が不在の状況で、私が何かしらの不可能犯罪に巻き込まれることも、あり得るってことか」
「まさに、そのとおり。もしも、そうなった場合、汐見さんはどうしますか?」
「どうしますって……」
「乱場さんが、探偵役がいない、そんな状況で不可能犯罪に巻き込まれてしまって、しかも、居合わせた人たちの中で、探偵役を務められそうなのが、自分しかいなかった場合、そうなったらもう、汐見さんが謎を解く、事件を解決するしかないじゃありませんか」
「そ、そのために?」
「そうなんです。いつなんどき、不可能犯罪――しかも、警察力を頼れない“クローズド・サークル”――に巻き込まれてしまうか分からない、そんな時代だからこそ、実際に起きた不可能犯罪事件の小説を読み、かつ、“読者への挑戦”を受けて立つことによって、推理力、探偵力を養う必要があるのです。すなわち、“読者への挑戦”というのは、不可能犯罪捜査のシミュレーションに他ならないのです。加えてですね、さきほど汐見さんが言った、“挑戦の矢印が逆”、つまり、挑戦される側が探偵であるべき、という問題についてはですね、“(未来の探偵である)読者への挑戦”と、こういう解釈も出来るわけです」
「ううむ……まあ、いいだろう」
「では、汐見さんにも納得していただいたところで、改めて……」こほん、とひとつ咳払いをしてから、朝霧は、「さて、親愛なる読者諸君――!」
「だから! なんでお前が挑戦するんだよ!」




