第19章 名探偵ここにあり
正面から間中、左右からは汐見、朝霧の、それぞれの視線に挟まれ、乱場は口元を結ぶ。
「……ふふ」その沈黙を破り、間中が、「“名探偵が旅行先で殺人事件に遭遇する”、これまでに国内外を問わず何度も起きている、いわば名探偵の宿命みたいな出来事よね。乱場くんは、自分もそんな宿命を負っているから、こんな旅先で事件に遭遇してしまったのかと思ったかもしれないけれど、今回ばかりは違うの。乱場くんがこの殺人事件に巻き込まれたのは、私がそう仕組んだからっていうだけ。偶然でも運命でも何でもないのよ」
言い終えると、もう一度、ふふ、と笑った。
「先生……」
まっすぐに間中と視線を合わせた乱場に向かって、間中は、
「見せてくれるわよね。快刀乱麻を断つが如き、名探偵の推理を」
「ちょっと――」そこに、汐見が声を挟み、「あんた、勝手すぎるぞ。私たちを騙してこんなところに連れてきて、さらに乱場に事件を解決しろだなんて」
「そうです」朝霧も同調し、「私たちは、偶然この事件に遭遇してしまったのかと思って、であればここに居合わせた乱場さんが解決するのは、名探偵の宿命だろうって、そう思っていたのに、最初から仕組まれていたことだったなんて」
「さっきは、標的の大瀬さんを守れなかったことに同情して、確かにそれ自体は悲しむべきことだけれど、それと乱場とは何も関係ないじゃないか」
「もちろん、私だって、被害者を出さずにKの正体を突き止められれば、それに超したことはないと思っていたわよ。だから言ったでしょ、乱場くんを連れてきたのは、あくまで保険だって」
間中が言い返してくると、汐見は、
「そんな恐ろしい殺し屋のいる場所に生徒を連れて来ること自体が、どうかしてるぞ。あんた、それでも教師か!」
「違うわ」
「あ、そうだった」
「それにね、相手はのべつまくなしに人を殺して廻る殺人鬼じゃないわ。依頼を受けて仕事を遂行するプロの殺し屋よ。意味のない人殺しはしない。標的以外の人間に危険が及ぶことはないわ」
「逆に言えば」と、その論調には朝霧が、「意味のある人殺しなら、躊躇することなくやってしまうということですよね。犯人――殺し屋が、自分の犯行を暴こうとする人間がいると知ったら、それを阻止しようと行動することは十分に考えられます」
「そうね、だから、あのとき――死体発見直後に、乱場くんたちが堂々と『現場検証をする』なんて言い出したから、私、肝を冷やしたわよ。そういうことは、なるべく他の人に知られないよう秘密裏にやるべきよ。今後、本当に、偶然こういう“クローズド・サークル”で事件に遭遇したときには、気をつけたほうがいいわ」
「なっ――どの口がおっしゃるんですか!」
「心配しないで。こうなった以上、あなたたちのことは私が責任を持って守るから。公安の名に懸けてね。だから、乱場くん」間中は、改めて乱場の目を見て、「この事件を解決して」
「……し、しかし」と乱場も、間中を見返すと、「明日になれば、道を塞いでいた雪崩も撤去されて、警察が乗り込んできますよ。そうしたら、僕たちが昨日の現場検証で得た情報を渡して、捜査も警察に委ねたほうが確実なのでは――」
「逃げられる」
「えっ?」
「そんな悠長なことをしていたら、確実にKに逃げられてしまうわ。恐らく、Kの本来の計画は、標的――大瀬さん――を殺害したら、すぐさまこのロッジを脱出するというものだったはず。もちろん、誰にも気取られぬよう、こっそりとね。それが、予期せぬ雪崩が発生して、ここに閉じ込められてしまうことになった。だから、ここが“クローズド・サークル”と化した今の状況は、私たちにとってチャンスなのよ」
「しかし、このロッジに繋がる道は、僕たちが来た一本きりしかないわけでしょう。雪崩が撤去されたら、その道は警察の捜査部隊が連なって上ってくるはずで、警察が到着したら、僕たち全員は重要参考人として監視下に置かれます。そんな状況でここを逃げ出すというのは……」
「あいつを甘く見ないで。Kは、やむにやまれぬ事情から殺人を犯してしまったというような、一般人が一時的に転じた犯罪者じゃないのよ。根っからの犯罪者、殺し屋なの。警察の目をかいくぐることなんて訳がないわ。場合によっては、邪魔になる警察官を何人か殺してでも……。意味のある人殺しなら、躊躇わないやつだからね」
そこで間中は朝霧を見た。自分の発した言葉を逆手に取られた朝霧は、むっとして頬を膨らませた。
「だからね」と間中は乱場に視線を戻して、「雪崩で道が塞がれて、ここに閉じ込められている間に、乱場くんが犯人――Kを特定して、その推理を、みんなを集めた中で披露するのよ」
「はあっ?」
「それってベタすぎません?」
汐見と朝霧が声を挟んだ。
「だからいいんじゃないの」間中は、その二人を見て、「名探偵が関係者全員を集めた場で推理を披露して、犯人を特定する。不可能犯罪を犯した超犯罪者を観念させるには、この形式がもっとも効果的だというのは、古今東西、数々の名探偵の活躍で証明済みよ」
「しかし、先生、今度の相手は素人じゃない、プロの殺し屋ですよ!」
「分かってる」
汐見の言葉に、間中は頷いて、
「だから、私と汐見さん、朝霧さんの三人は、事前に乱場くんから犯人を教えてもらっておくのよ。で、乱場くんが推理を披露する際、私は、さりげなく犯人をすぐに捕縛できる位置に移動するわ」
「そんな面倒な真似をしなくても、乱場が犯人を特定した時点で、有無を言わせずに捕まえてしまえばいいじゃないですか。そいつが犯人である根拠は、あとからゆっくりとみんなに説明すればいい」
「駄目よ。そんなことしたら、他の人たちは、どう思う? もしかしたら、私たちのほうが犯人だと思われて、真犯人と一緒になって反撃されるかもしれないわ」
「そこは、きちんと説明して――」
「そうなのよ。犯人が分かったからって、何の説明もなしにいきなり捕まえるような真似はしてはいけないのよ。そんなの端から見たら、名探偵という真相を真っ先に解明できる立場にいる人間の権力の暴走に過ぎないわ。警察だってそうでしょ。現行犯でもない限り、人を逮捕するためには、それに見合った根拠、論理的な説明が不可欠よ。でなければ裁判所が逮捕状を出してくれるわけないもの。そういう公権力の及ばない、“クローズド・サークル”においては、名探偵がその役割を担うの」
一気に言い終えた間中は、一度深呼吸をしてから、
「それにね、乱場くん、汐見さんと朝霧さんもだけど」間中は、三人を順に見て、「この事件を警察の手に委ねたとして……解決できると思う? 胸をひと突きされて殺された上、首を切断された異常な死体に、容疑者全員にアリバイがある。こんな異様な事件を。警察の手には負えなくて、結局、どこかの名探偵に事件解決の依頼が行くことになると思うわ。それなら、今、まさに現場にいる名探偵が謎を解いて事件を解決するべきじゃない? 現場に残された手がかりや証拠、あるいは人の記憶は、時間が経過するとともに刻一刻と失われていくわ。捜査をするのに最も――時間的にも空間的にも――近い立場に名探偵がいる。この好機を活かさない手はないわよ……!」
話すうちに、間中は椅子から腰を浮かせ、頬を赤らめながら乱場に詰め寄り、その両肩を掴んでいた。
「ちょ、ちょっと、先生……」
「近い、近い」
「顔が寄りすぎです」
乱場は上半身を引き、汐見と朝霧によって、それ以上の乱場への接近を押しとどめられた。
「ごめんなさい」と微笑み、椅子に座り直した間中は、「どう? 分かってくれた?」
顔を上気させたまま、乱場を見つめた。その乱場も、間中の瞳を見返すと、
「……ここへ来た経緯や、名探偵がどうこうはともかく、事件をこのまま放っておくわけにはいかないというのは、僕も同意見です。それに、犯人が間中先生の言うとおりの人物だとしたら、犯人が特定されないままに大勢の警察がここへ乗り込んでくることは、確かに危険を伴うと思います。さらに言えば、犯人――殺し屋K――が誰であれ、ここで本名を名乗っているわけがありません。一度、ここから逃がしてしまっては、再び捕えることは困難に違いないでしょう」
「乱場くん、それじゃあ……」
「はい、やってみます。犯人の特定を」
「ありがとう!」
「――うわっ!」
間中は乱場に飛びつくと、そのままベッドに押し倒した。
「あっ! どさくさに紛れて何を!」
「教師と生徒だぞ!」
朝霧と汐見は二人を引き剥がしにかかる。乱場の肩口に頬を埋めたまま間中は、汐見を横目で見て、
「あら? さっきも言ったけれど、私は教師じゃないのよ」
「あ、そうか」
「そうか、じゃないですよ! 汐見さん!」
「そうだぞ! 離れて下さい! 間中先生――先生じゃないけど!」
二人の――主に汐見の――腕力でもって、間中と乱場は引き離された。
「何をしてくれてるんですか、先生。いきなり乱場さんに抱きつくだなんて……破廉恥もいいところですよ!」
ふう、と額の汗を拭って、朝霧は間中を睨み付けた。その横では、汐見も「そうだ、そうだ」と声を上げている。
「あら、大人の特権よ」
しれっと言う間中は、
「そんな特権はありません!」
再び朝霧の声を浴びせられた。
「まあ、それはともかく」ベッドに座り直した汐見は、「先生の話だと、Kは大瀬さんを殺害するためにこのロッジへ来た。ということは、Kの正体は宿泊客の誰か、と見て間違いなさそうだな」
「いえいえ」と朝霧もベッドに腰を下ろし、「駒川さんと有賀さんも油断は出来ませんよ。標的としている大瀬さんがたまたまここに宿泊に来ることを知って、これ幸いにとばかりに犯行を決めたという可能性も。あるいは、大瀬さんがここへ来るよう、巧みに誘導したとか」
「犯人が殺し屋だと分かったところで、それが誰かを絞り込むことは結局できないってことか……」
汐見は腕組みをした。
「それでも」と次に乱場が、「犯人が殺し屋で、殺人の目的は依頼の遂行だったことが分かったのは、良かったと思います。少なくとも、第二の犯行が行われる可能性が排除されたわけですから。とはいえ、あまり犯人を刺激してしまっては、間中先生も言ったように、新たな被害者が出てしまわないとも限りません。これからは、少し慎重に捜査を進めることにしましょう」
「このこと――第二の犯行が起きることはないってことを、犯人以外の人たちに知らせたら、ずっと気を楽にしてあげられるのにな」
「それはそうですが、汐見さん」
「分かってる。それこそ、いたずらに犯人――Kを刺激してしまうことになるもんな」
汐見と朝霧は同時に、はあ、とため息をついた。
「話がひと段落ついたところで、先生に伺いたいことがあるんですけれど……」
乱場はスマートフォンを操作して、一枚の画像を表示させる。それを見ると、汐見と朝霧は、
「あっ! そうだった」
「すっかり忘れてました」
そろって頭に手をやった。乱場が向けたディスプレイを見た間中は、
「……なに、これ?」
「大瀬さんの部屋のゴミ箱の中から見つけたんです」
乱場が答えると、
「あなたたち、大瀬さんの部屋に入ったの?」
間中は呆れたような表情をした。
「すみません、チャンスだと思ったものですから……」
「チャンスって……まあ、そういう行動力があるところも、さすがね。で、こんなものを見つけたから、私が犯人だと思ったということね。まあ、無理もないかもしれないけど……」
「これは、先生が書いたものではないんですね」
「当たり前じゃない。犯人……Kの仕業に決まってるわ。私の名を騙って、大瀬さんを資料室におびき寄せたのよ。彼、相当女性に興味があったみたいだから、私みたいな美人の誘いなら簡単に引っかかっちゃうわ」
「……」
「……ここ、笑うところよ」
間中は、不服そうな顔で乱場たちを見た。
「い、いえ……」と汐見が、じとりとした間中の視線を見返して、「先生、実際に美人だから、本気でそう思ってるのかなって……」
「なにおう」
「うわっ!」
間中は立ち上がると、汐見の頭を脇に抱えて、
「汐見さん、あなたの噂も妹から聞いてるわよ。強いんですってね。私も腕には相当自信があるわ。どう? 一度手合わせしてみない?」
「ぐっ……ギブアップ……!」
完全にヘッドロックに捕えられた汐見は、間中の体をタップして降参の意を示した。
それからすぐに昼食の時間となり、一同は再び食堂に集まることになった。
席に着く間中の様子には、これまでと何ら変化はなかったが、汐見と朝霧は違っていた。他の宿泊客三人と、食事の用意をする駒川と有賀に対して、窺うような視線を送っている。間中の口から、犯人はプロの殺し屋である、ということを聞かされたためだ。
「どうかしましたか? 汐見さん」
小坂井にそう問われた汐見が、「い、いえ……」と視線を逸らすと、
「朝霧さんも、なんだか変ですよ」
「そ、そんなことは……」
続けて声をかけられた朝霧は、無意味にスプーンをスープに突っ込んでかき回した。当然、昼食も、大皿から各位が自分の分を取り分けて食べる形式となっている。
「それで、皆さん、食事のあとのことなんですけれど」
話題を他へ向けようと、乱場がそう口にすると、
「分かっています。個別の聴取ですよね」
小坂井が答えた。
「はい。ですが、警察ではないので、聴取だなんて固く考えないで下さい。あくまでお話を伺うだけです。先ほども言いましたが、場所は二階の娯楽室を使わせてもらいます。ひとりずつ話を聞かせてもらいますので、他の皆さんはこの食堂に待機していて下さい」
乱場の言葉に、一同は頷いた。
「それで、乱場くん」と曽根が、「その聴取――いや、聞き取りは、きみと一対一で行うのですか?」
「はい」
「――お、おい」「乱場さん」
乱場が答えると、すぐに汐見と朝霧が口を挟んだ。
「いいのかい?」と、今度は岸長が、「もし、聞き取り相手が犯人だった場合、乱場くんに危険が及ぶのでは……」
「その心配はないと考えています。もし、二人きりになったのをいいことに、犯人が僕を殺そうとして、あるいは、そうしたのだとしても、このロッジは“クローズド・サークル”と化しているわけですから、どこにも逃げ場がありません。この状況で、誰がやったかが丸わかりの強硬手段を取るというのは、自分が犯人だと自白しているようなものですから」
「なるほど。そんなことをしたら、他の犯人以外の人たちにたちまち拘束されてしまうね。いかな殺人犯とはいえ、これだけ多勢に無勢では抗えるわけがない」
岸長はテーブルを囲う面々を見回した。
「はい」と乱場もぐるりを見て、「総勢九人。仮に犯人が僕を手にかけたとしても、それでも七対一です」
「……そんなことをしたら、私が犯人をぶっ殺してやるからな」
汐見の落ち着いた口調は、冗談とも思えない迫力を持っていた。
「それじゃあ、始める? ちょうど食事も終わったし」
小坂井が言ったとおり、出された料理はあらかた片付いていた。
「そうですね、じゃあ、順番は……」
乱場が言いかけたところに、
「乱場さま」駒川が声を上げ、「私と有賀は、食事の後片付けがございますので、あとのほうに回していただきたいのですが」
「分かりました。では、最初に間中先生、汐見さん、朝霧さんの三人は、一緒に聞き取りをしたいと思っているのですが、どうでしょうか?」
乱場が皆を見回すと、
「いいんじゃないですか」と小坂井が、「そのお二人は探偵くんの学友と教師なんでしょう。わざわざ分けて聴取――じゃなくて、聞き取りをする必要もないでしょうから」
「そうですね」
「構いません」
岸長と曽根が口にして、駒川、有賀も異論のないことを示すように頷いたが、
「ちょっと待って」間中が手を挙げて、「私は、ひとりで聞き取りをしてもらいたいと思っているんだけれど」
「わ、分かりました。じゃあ、最初に間中先生、次に、汐見さんと朝霧さんを二人同時にということで」
「ありがと」
間中は手を下ろして満足そうな笑みを見せた。乱場は、汐見、朝霧と怪訝そうな視線を交わしてから、
「三番目以降は、岸長さん、小坂井さん、曽根さん、有賀さん、駒川さん、という順番でどうでしょうか」
これには誰からも異論が出ることはなく、乱場はまず、間中と一緒に二階へと上がっていった。




