第18章 彼女の計画
乱場のもとに駆け寄った汐見と朝霧は、乱場を挟み込むように左右につくと、まっすぐにドア方向を見やった。敷居を挟み直立する間中と、三人の視線が衝突する。
「あ、あいつは……」汐見が、ごくりと喉を鳴らして、「間中先生じゃ……ない?」
「で、ですが……」頬に汗を流した朝霧は、「どう見ても、間中先生にしか……」
その――間中の顔を見つめた。
「変装? 顔にゴム製のマスクを貼り付けてるのか? 昔のスパイ映画みたいな?」
汐見が言うと、朝霧が、
「あ、ああいう変装って、本当に出来るものなんでしょうか? 技術的に」
「じゃなきゃ、整形……とか? 私たちを騙すために、そこまでしたのか……」
その汐見の言葉を聞くと、間中は、
「何の話?」
と訊いてきた。それまで乱場たちに接していたときとは、明らかにトーンの違う、冷静な声色だった。
「き、訊きたいのはこっちだ!」声を張り上げた汐見は、「お前、間中先生じゃないだと? だったら、何者だ?」
が、間中は汐見の質問には答えないまま、乱場に視線をやると、
「……いつから気付いてたの?」
「最初からです、と言えればかっこよかったんですけれど、本当は違います。たった今です」
「今……?」
「はい、今です。あなたが自分で間中先生じゃないって、自白してくれたようなものですから」
「……まさか、乱場くん」
「騙し討ちみたいな真似をして、すみませんでした。汐見さんと朝霧さんも」
「へっ?」
「どうして、私たちまで?」
汐見、朝霧の二人は、ドア方向から乱場へと視線を転じた。
「本当は、スマホの電波は繋がってなんていないんです。駒川さんが言ったとおり、本当に基地局のアンテナが損傷してしまったんでしょうね」
「はあ? で、でも、さっき……」
「これはですね……」
汐見の声に、乱場は自分のスマートフォンを再び取り出すと、ディスプレイを点灯させてみせた。
「……見ろ、やっぱりアンテナは立ってるぞ」
「しかも、感度全開良好です」
汐見、朝霧は画面を見て言ったが、
「違うんですよ」と乱場は、「これは本当の待ち受け画面じゃありません。電波が通っているときの待ち受け画面をスクリーンショットしたもので、今はその画像を表示させているだけなんですよ」
「ええ?」
「……あ、確かに、表示されている時刻が今とは全然違います」
汐見と朝霧が凝視する中、乱場はタッチパネルを操作して表示されている画像をしまい、本来の待ち受け画面を復帰させた。時計の表示は現在時刻を差し、確かに通信状態を示すマークも、電波を拾っていないことを表すものに戻っていた。汐見、朝霧、さらに間中も、自分のスマートフォンを取りだして画面を表示させる。
「本当だ」
「ええ、電波は来ていません」
「……やってくれたわね」間中は、スマートフォンを懐に戻すと、「電話をする振りをしたときに、保存してあった画像を表示させたってわけね」
「はい。こんなこともあるんじゃないかと思って、こういう画像を保存しておいたんです」
乱場が答えると、さらに間中は、
「どうして? なぜ、いきなりそんな真似をしたの?」
「さっき、汐見さんと朝霧さんが、間中先生犯人説について話し合いをしていたんです」
「私が、犯人?」
「はい。まあ、そのことはとりあえず棚上げにしましょう。で、その話を聞きながら僕も、思い返してみれば、どうも間中先生の様子がいつもと違うなって感じたもので。先生とプライベートで会うのは初めてですから、そのせいなのかもと思ったりもしたのですが、念のためにと」
「乱場くんが電話――の振り――をし始めたとき、私はあくまでしらを切り通せばよかったってことね」
「そうですね。そうされていたら、僕はとんだ道化になってしまっていたところでした」
「よく言うわよ。いきなりのことで、私がそこまで冷静に対処できないだろうって読んだ上での作戦だったんでしょ」
「すみません」
「別に、謝らなくてもいいわよ」
「はい」乱場は、ちょこんと頭を下げると、「……で、あなた、本当に誰なんですか?」
「おおかた、察しは付いてるんじゃないの?」
「もしかして、間中先生のお姉さん?」
「当たり。私は、秋菜――本郷学園高校で養護教諭をやっている間中秋菜――の姉、間中麻冬よ」
それを聞くと、汐見と朝霧は、えっ、と声を上げた。
「やっぱり、そうですか」
改めて乱場が言うと、間中――麻冬は、
「年子で、秋菜とはひとつしか違わないから、ほとんど双子みたいに育ったけれどね。そのせいかどうか分からないけれど、よく似てる姉妹だって、まわりから事あるごとに言われていたわ」
「それで、そのお姉さんが、どうして妹さんに成りすまして、こんなところに?」
乱場が訊くと、汐見も、
「それに、私たちをこの旅行に誘った理由も聞かせてもらいたいですね」
と詰め寄った。次に朝霧が、
「ここで起きた殺人事件と、何か関係があるんですよね?」
「もしかして……」汐見は、はっとした表情をすると、「やっぱり、先生――じゃなくて、先生のお姉さんが、犯人?」
「違うわよ」
はあ、とため息を吐き、間中が懐に手を入れたところに、
「ストップ!」
汐見が手の平を突き出した。
「なに?」
面倒そうな顔をしながらも、言葉に従って手を止めた間中が汐見を見やると、
「きょ、凶器を出そうとしてるんじゃ?」
汐見のその言葉に、ひっ、と体を震わせた朝霧は、
「ま、まさか、大瀬さんを刺し殺した、両刃の刃物?」
「違う、違う」
はあ、とため息を吐き、懐に入れかけた反対の手を顔の前で振った間中は、その間に素早く懐に手を滑り込ませた。
「あっ!」
汐見が声を出す間に、間中は取りだしたものを三人の目の前に提示した。
「それって……」よく見ようと、若干顔を突き出した朝霧が、「警察手帳?」
「そう」間中は、まっすぐに背筋を伸ばすと、「警視庁公安部公安第二課所属、巡査部長の間中麻冬よ」
「警視庁?」
「公安部?」
汐見と朝霧は、まじまじと突き出された警察手帳を見つめる。身分証明写真の制服姿のバストアップは、確かにそれを提示している間中麻冬その人だった。
「警視庁、ということは」乱場も、写真と間中の顔を何度か見比べつつ、「管轄は東京都ですよね。ここ福島県に、何の目的で……」
「こうなったら、詳しく話すわ、でも、その前に」警察手帳をしまうと間中は、「座っても、いい?」
ひとつしかない椅子は間中に座らせ、乱場たち三人は、それに対面する形で並んでベッドに腰を降ろした。
「公安部って」先に乱場が口を開き、「テロ組織や過激派なんかを相手に捜査を行う部署ですよね」
「そう」間中は頷いて、「時には、潜入捜査をしたりすることもある秘匿性の高い部署だからね。妹にも、なるべく私のことは話題に出さないでってお願いしてるの。もし、どうしても家族構成を教えなくちゃならないときは、『公務員の姉がいる』で通すことにしてもらってるわ」
「そういや、間中先生と家族の話題をしたとき、お姉さんがいるって話を聞いたことがあるな。職業までは訊かなかったけど。朝霧の滞在者名簿にも、そのことは書いてあった」
思い返すように汐見が言った。
「それで、こんなこと――妹さんの振りをして、さらに、私たちを誘ってここに来た目的は、何ですか?」
朝霧が訊くと、間中は、ちょっと長くなるんだけど、と前置きして、
「少し前にね、さる過激派組織を事実上の壊滅状態に追い込んだの。都内に潜伏している構成員のほとんどを検挙できたんだけど、そこでね、とんでもない情報を知ることになったのよ。ああいう反社会的組織って、自分たちの、あるいは、自分と利害関係が一致する人に依頼されて、邪魔者を排除するっていうこともやっているんだけれど、その組織の恐ろしいのはね、自分たちの利害関係なく、それ自体――殺し――を生業にしていたってことなの。でもね、構成員たちを検挙して取り調べてみると、あいつら自身がその仕事をやっていたわけじゃなくって、そういう殺しの仕事は、全部請け負いに出していたことが分かったのよ」
「請け負いって、ようは外部委託ってことですか?」
汐見の言葉に、間中は頷いて、
「そう。証言した構成員の話だと、活動資金を得るための仕事のひとつだった、なんてとんでもないことを言ってたけどね。公安としては、そういう危ないやつこそ何に優先させても捕縛しておかないといけないから、組織自体は壊滅状態に追い込んだけれど、正直、肩透かしをくったってところね」
「その“請け負い先”って、つまり……」
「そう、簡単に言えば“殺し屋”よ」
汐見と朝霧は、ええっ? と声を上げ、乱場も目を丸くした。
「当然、私たちはその“請け負い先”についての情報も提供するよう迫ったわ。でも、頑として口を割らないの。というか、そもそも“請け負い先”のことは、構成員たちもあまりよく知らなかったみたいね。月に一度くらいの頻度で向こうから連絡があって、そのときに依頼する仕事があればやってもらう、というやり方だったから、相手と直接に接触した人間は誰もいなかったそうよ。向こうの殺し屋にしてみれば、その組織のことは、営業先のひとつ、くらいの認識だったんでしょうね。だから、顔も名前も年齢も、性別さえも一切が不明なの。構成員たちは、その殺し屋のことを『先生』って呼んでいたんだけど、まさか、私たちも殺し屋のことをそんな呼び方するわけにはいかないから、独自に『K』と呼ぶことにしたわ。『killer』の『K』ね。逮捕した構成員の話ではね、かなり慎重というか、殺し屋に対してこんなこというのは不本意だけど、プロ意識の高いやつらしいわ」
「殺し屋のプロ意識、ですか?」
乱場が訊くと、
「そうなの。一度、こんなことがあったそうよ。まだKが駆け出しの頃に依頼された仕事の話で、そのときは、標的の釣り好きを利用して、あまり人の立ち入らない崖の上の穴場スポットに標的が入ったときを狙って、海へ突き落としたらしいの。標的はカナヅチだったくせに、救命胴衣を着用していなかったために、すぐに溺れ死んでしまったそうなんだけど、その“成果”を依頼主に報告したら、こっぴどく怒られたそうで」
「どうしてですか?」
「その依頼主は、すぐに標的が死んだ、という証拠を欲しがっていたからなの。たぶん、相続なんかの問題で殺しの依頼をしたんだと思う。でも、そんなことを言われても、もう後の祭りでしょ。標的の遺体は波間に消えていって、海岸に漂着したのを発見されたのが、突き落としてから半月も経ったあとだったらしいわ。かろうじて、歯の治療痕から標的本人だということが証明されたらしいけど。で、そんなことがあって以来Kは、とにかく殺し方に気を遣うようになったそうよ。依頼主が標的を殺したい理由をよく聞いて、その要望に沿うような殺し方をして、かつ、いつまでに標的を殺せばいいのかという期限も厳守してね」
「ははあ……。僕も不本意な言い方をしますけれど、殺し屋って仕事も大変なんですね」
乱場が言うと、間中も、やれやれという笑みを浮かべたが、乱場たちの表情には弛緩した様子はいっさい見られなかった。間中も顔から笑みを消して、
「だから私たちは、組織壊滅後も、Kのことを追っていたの。過激派の構成員というわけじゃないから、本当は捜査一課の領分で、そちらに捜査の主軸は移していたんだけれど、公安にも意地があるからね。時間を見つけては、私たちの方でも情報収集や捜査は継続していたのよ。で、Kが新しい依頼を受けたっていう情報を掴んだわ。依頼って、もちろん殺し屋としての依頼――誰かを殺すことよ。残念ながら、依頼者も標的も何者かは分からなかったけれど、標的はスキー旅行に行く予定で、そこでKが犯行に及ぶらしい、という情報だけは掴めたの。その日にちは、昨日と今日の一泊二日で、場所は、ここ、スキーロッジ深雪。そこで、私が潜入することになったのよ。こういう任務は、捜査一課よりは公安のほうが得意だからね」
「じゃ、じゃあ、その“標的”っていうのが、殺された大瀬さんで……つまり、犯人は……」
朝霧の言葉に、間中は黙って頷いて、
「そう、その殺し屋――Kよ。私は、ここの滞在者の中からKと標的が誰かを探って、Kを逮捕するか、標的を見つけ出して何とか犯行を阻止できればって思ってたんだけど……」
「そういうことだったんですか」朝霧は納得したように何度か頷いて、「それで分かりました。昨日のゲレンデで、間中先生――のお姉さんが、他の宿泊客たちにしきりに近づいたり、話しかけたりしていたのは、誰が殺し屋のKで、誰が標的かを見極めるためだったんですね」
「そう。でも、さすがに敵も然る者、全然尻尾を出そうともしなかったわ。当然、私が刑事だと知られるわけには絶対にいかないから、あまり突っ込んだ話も出来なかったというのもあるんだけど」
「そうだったんですか」と汐見も頷いて、「それじゃあ、昨夜、夕食が終わって大瀬さんの死体が発見されるまので間は、何を?」
「自分の部屋で、公安本部と電話で情報のやり取りをしていたのよ。向こうでも調査は継続してくれているからね。そこに、私が現地で得た情報――宿泊客たちと接した印象なんか――を交えて、Kとその標的が誰なのかを話し合っていたの」
「そうか、その時間はまだスマホの電波が通じてたから」
「そう。で、やり取りを終えると、私はロッジ内の見回りに出たわ。その途中、二階にいたときにギロチンの刃が落ちる音を聞いて、乱場くんたちが血相を変えて娯楽室を飛び出してきたのを見たってわけ。私も、まさか昨夜にKが犯行に及ぶとは思っていなかったわ。この決して広くないロッジ内で殺人なんて犯したら、すぐに露見してしまう。そうなったら当然、犯人たりえる人物なんて、ここにいる人間以外にあり得なくなるでしょ。わざわざKが自分が容疑圏内に入るような方法、タイミングで殺すわけはないだろうって、油断してたわ。不覚ね……。せめて、標的が大瀬さんだと分かっていれば、何か対策を練られたのに……」
間中は沈痛な面持ちになり、目を伏せた。
「それは仕方ないんじゃないですか」と汐見が、「殺し屋よりも、その標的を捜す方が難しいと思いますよ。なにせ、殺し屋と違って、標的のほうには、自分がそうであるという自覚がいっさいないわけですから」
「……ありがと」
間中は顔を上げ、寂しそうな笑みを浮かべた。
「それで、間中先生――のお姉さん」
汐見がそこまで言うと、間中が、
「今までどおり『間中先生』でお願い。いきなり呼び方を変えると、他の人たちに怪しまれるわ」
「そ、そうですね。じゃあ、間中先生、棚上げされていた質問に答えてもらってもいいですか」
「なに?」
「そんな任務に、どうして私たちを連れてきたりしたのかってことですよ」
「ああ……それはもう……さっきの乱場くんのお株を奪うわけじゃないけれど、こんなこともあろうか、と思ってよ」
「こんなことって?」
「決まってるじゃない」そこで間中は、視線を汐見から乱場に移して、「名探偵の力を借りるためよ」
「ええっ?」
汐見と朝霧の目も乱場に向いた。間中は、まっすぐに乱場を見つめる視線を逸らさず、
「秋菜――妹から、本郷学園の少年名探偵、乱場秀輔の話はよく聞いていたわ。私が、乱場くん、あなたを連れてきたのは、言ってみれば保険よ。私の力が及ばなかったときに、Kの正体を暴いてもらうためのね」




