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第12章 白銀のゲレンデ

 チェックインを済ませた(らん)()たちは、昼食の十二時半までの間、スキー、スノーボードに興じるべく、さっそくゲレンデへと向かった。準備や後片付けなどの時間を引いても、たっぷり二時間は滑りを楽しめることになる。



「私です!」

「いいや、私だ!」


 リフトの前で朝霧(あさぎり)(しお)()が睨み合う。二人掛けリフトに、どちらが乱場と同席するかをめぐって争いを繰り広げているのだ。


「乱場さんは、スキーはあまり嗜んでいらっしゃらないそうです。ここは初心者同士で乗るのが良いのではと、私は思います」

「逆だろ。初心者には上級者の補助が必要だ」

「まあまあ……」そこに()(なか)が入って、「それじゃあ、ここは間を取って、私が乱場くんと乗るってことで――」

「ダメです!」「ダメだ!」


 二人はそろって声を上げた。


「先に乗りますよ」


 その横を、スノーボードを抱えた()(さか)()が通り過ぎていく。さらに、


「小坂井さん」と、同じようにスノーボードを持った(おお)()が追いついてきて、「僕も一緒にいいですか」


 小坂井の後ろについた。


「あ、それは……」


 小坂井は迷惑そうな顔をして足を止めた。そこに、


「大瀬さん」


 今度は、大瀬を呼ぶ声が聞こえた。(きし)(なが)のものだった。振り向いた大瀬に、


「これ、落としましたよ」


 スキーを履いた岸長が一枚のハンカチを差し出してきた。そのハンカチを見た大瀬は、


「……これ、僕のものじゃありませんよ」

「えっ、そうでしたか」

「はい……あっ」


 二人が会話をしているうちに、小坂井は、ひとりでリフトに乗り込んでいた。


「すみません。大瀬さんの後ろに落ちていたもので、てっきり大瀬さんの落とし物かと……」

「いえ……」


 ひとりリフトで上っていく小坂井の後ろ姿を、大瀬は恨めしそうに見送っていた。

(この岸長の行動は、絡まれている小坂井を助けるためのものだった、と本人が証言した。差し出したハンカチも自分のものだということだ。この証言がされると、小坂井は岸長に「どうも」と謝意を示した)


 先に大瀬、次に岸長が、ひとりずつリフトに乗るのを見送っても、未だ朝霧と汐見の(いさか)いは決着を見ていなかった。


「ストップ、ストップです」見かねて乱場自身が間に入り、「では、ここは各人がひとりでリフトに乗ることにしましょうよ。せっかくスキー場に来たんですから、少しでも滑らないと損ですよ」

「……そうですね」

「乱場がそう言うなら」


 二人は素直に言い合いをやめ、


「それじゃあ、汐見さん、お先にどうぞ」


 と朝霧はリフトに手を向けたが、


「その手は食うか。朝霧、お前、私がひとりでリフトに乗ったあとで、乱場と一緒になるつもりだろ」

「……ちっ」


 横を向いて朝霧は小さく舌打ちをした。


「そんなことをしたら、途中で朝霧たちのリフトに跳び移ってやるからな」

「リフト同士の間隔は五メートル以上はありますよ。いかな汐見さんとはいえ、そんな距離を助走もなしに跳べるはずがないじゃないですか」

「なんだと、試してみるか?」

「いいですよ。じゃあ、汐見さんが先におひとりでリフトに乗ってください」

「ようし……って、バカ! お前、また私を嵌めようとして!」


 汐見が眉を釣り上げたところに、


「乗らないんですか?」


 スキーを履いた曽根(そね)が近づいてきた。


「あ、いえ……」「お先にどうぞ」


 朝霧と汐見が道を譲るべく一歩引くと、曽根は、ゲレンデ頂上へと伸びるリフトを見上げて、


「皆さんも、気をつけたほうがいいですよ」

「えっ? 何がですか?」


 きょとんとした顔で汐見が訊くと、


「大瀬さんですよ」曽根は、もう一度リフトを――正確には、そのうちのひとつ、大瀬が乗ったリフトを見上げて、「先ほど、小坂井さんにちょっかい出していたでしょう」

「はあ」

「大瀬さん、喜多方駅前でバス待ちをしているときにも、道行く女性をしきりに目で追いかけていたんですよ。それで、この人、相当な女性好きなんだなって思ったものですから。バスの座席も、わざわざ出入口から遠い後ろの席に座ったじゃないですか」

「ああ、そうでしたね」

「あれだって、たぶん、皆さん女性陣を常に視界に入れておきたい、という目的のためにやったことなんじゃないかって、私は思いますよ」

「やばいですね」

「やばいです。そちらのお二人は特に気をつけたほうがいいんじゃないかと思います。なにせ、他の女性陣に比べて小柄で華奢ですからね」


 曽根が、朝霧と乱場の二人を交互に見やると、


「ぼ、僕は男だって言ってるじゃないですか!」


 乱場は抗議した。

(ここで改めて、小坂井、岸長、曽根の口から、「乱場が男性とは露ほども思わなかった」と感想が述べられた。「失礼ながら」と駒川もその意見に同意し、「私、会津若松駅で、バスの予約者名簿とお客様との照会を行いましたとき、乱場さまの名簿とお顔を照らし合わせて、ぎょっといたしました」と付け足した。有賀も、チェックイン時に部屋の鍵を渡す際、「乱場秀輔さま、とお呼びして、当の乱場さまが手を挙げられたとき、えっ? て思いました」と語った。当の乱場は、「その話はもういいじゃないですか」と頬を赤くしつつ、聞き取りへと舵を戻した)


「はは、冗談です。本当に乱場くんはかわいいなぁ」


 曽根は笑い声を上げる。


「やめてください……」

「では、お先に」


 曽根は、あはは、と笑い声を残し、リフトに揺られていった。


「じゃあ、次は、乱場くんね」


 と間中が乱場の背中を押す。その横では、「次は私だ」「いえ、私です」と汐見と朝霧の二人が睨み合っている。


「汐見さん、先にリフトに乗ることで、少しでも乱場さんに追いついて、私を置いてさっさと滑り降りようという魂胆なんでしょう。お見通しです」

「お前だって、そうだろ」

「私は汐見さんほどスキーが上手くないので、あとから来た汐見さんに簡単に追いつかれて、乱場さんをかっさらわれてしまいますよ」

「だったら同じことだろ。ここは大人しく負けを認めろ」

「いいえ。ハンデとして、汐見さんは私のあとにリフトを五台は空けてから乗ってきて下さい」

「ばかやろ、なんで私があとから乗ることが決まってんだ」

「まあまあ……」と間に入った間中が、「それじゃ、ここは間を取って、乱場くんの次には私が乗るってことで……」

「ダメだ!」「ダメです!」


 結局、乱場のあとに、汐見と朝霧が一台のリフトに同乗することで話は落ち着いた。



 乱場ら宿泊客たちは、午前中いっぱいスキー、スノーボードを楽しむと、昼食を摂るためロッジへ戻ることにした。


「いやあ、ここの雪質は最高ですね」


 かけていた偏光レンズゴーグルを額に引き上げて、曽根はまぶしそうに目を細めた。降り注ぐ陽光が、上空からだけでなくゲレンデにも反射して、その顔に照りつけている。


「本当ですね」と岸長も笑みを浮かべて、「しかも、お客は私たちしかいないでしょう。ゲレンデ自体は高低差はあまりなくて、そう広いものではありませんが、滑る人数を考えたら贅沢な話ですよ」


 総勢八名の宿泊客たちは、ロッジ玄関の前でスキー、スノーボードを外し、屋内に入る準備をしながら話していた。


「まさに、穴場って感じですよね」


 間中が言うと、


「そうですね」と小坂井も頷いて、「今どき、ホームページもなくて、予約は電話受付のみなんて。お客の収容数も、この人数で満室だというし」


 スキーロッジ深雪の客室は八室のみだ。


「駒川さんと有賀さんの二人だけで切り盛りしているそうですから、客数はこのくらいが精一杯なのでしょうね」


 朝霧が、幾度もの転倒によってスキーウェアにこびりついた雪を払いながら言った。


「もともと、このロッジは宿泊用に建てられた建物ではないそうですからね。正面玄関とロビー部分はあとから建て増しされたものだそうですし。それに……」大瀬が、白い雪山と青空を背景にそびえたつロッジを見上げて、「みなさん、当然ご存じですよね……」


 ことさら声を低くした。


「もちろん……」と曽根も声色のトーンを落とし、「“塞神(さいがみ)喜之助(きのすけ)記念館”またの名を……“首斬り博士の館”でしょ?」

「ええ……」


 このロッジに付けられた渾名を耳にすると、小坂井は、


「や、やめて下さいよ、その名前を出すのは……。意識して忘れるようにしていたんですから……」


 スノーボードに興じ火照っていた顔を青くした。


「三階に“資料室”があるそうですよ」と、その反応を目にした大瀬は、面白がるような笑みを浮かべてロッジ建物の三階部分を指し、「あとで一緒に行ってみませんか?」

「い、行きませんよ……」


 大瀬が指さす先を、ちらと見てすぐに視線を外した小坂井は、小さく首を横に振った。


 昼食を終えると、結局、乱場たちは、宿泊客八人総出で資料室へ見学に行くことになった。

(渋っていた小坂井も同行したことについて、本人は、「ひとりだけ別行動を取るのに気が引けたから」と答えた)


 資料室を訪れた一行を出迎えたのは、古今東西の“首斬り処刑”に関する、塞神喜之助の蒐集品の数々。中でもひときわ目を引いたのは、当然、


「……すごいものですね」


 大瀬は、資料室の中央にそびえる断頭台(ギロチン)を見上げて言った。


「大瀬さん、こういうものがお好きなんですか?」


 曽根が訊くと、


「好きっていうか、興味深いですね。死刑執行方法としてギロチンを提案して、しかも、こうして実際に執行用の試作品を自分で作ってしまうなんて、塞神喜之助という人物は医師だったそうですが、機械にも強かったんですね。この“塞神式断頭台”の肝である、執行官の誰が実際にギロチンの刃を落とすロープを切断したかをランダムに決める、この装置なんて特に……」


 大瀬は、実際興味深そうに“塞神式断頭台”と、その解説文に視線を送っていた。


「首を斬り落とされたら、一切の苦痛もなく死ねるって、本当なんでしょうか?」


 怪訝な表情で小坂井は断頭台を見上げる。


「こればかりは……首を切断された人間を蘇生する手段があり得ない以上、永遠の謎でしょうね……」


 と岸長も、あごに手をあてて同じように断頭台を眺めた。


「それが本当なら、自殺をするなら首を切断するのが最良の手段ということになりますね」

「そうは言いますが、曽根さん」と岸長が、「塞神説では、あくまでギロチンによって一瞬で頸部を切断されるから、苦痛を感じる時間がないというだけです」

「ああ、確かに。ということは、ギロチンを使う以外では、剣の達人なんかに頼んで、一刀のもと首を斬り飛ばしてもらうとかしないといけないわけですね」

「何ですか、それは」


 岸長は笑った。


「この窓、どうやって施錠するんですか?」


 窓際まで移動していた小坂井が、窓を上下させながら訊いた。そこへ、すかさず大瀬が駆け寄り、


「この窓の鍵は、今どき珍しいスクリュー錠でして……」


 説明を加えながら、スクリュー錠を閉める実演を見せていた。ネジを締めながら大瀬は、


「ちなみに、二階の娯楽室もここと同じ窓で、普段から鍵を掛けてはいないそうですよ」


 言い終える頃、ようやくスクリュー錠は回転を止め、窓は施錠された。錆のせいか途中でネジは何度も引っかかり、そのため通常に回すよりも余計に時間を取られていた。


「まあ、かけるのが面倒な鍵ですし、こちらの面は外がこのとおり、断崖ですからね」


 と別の窓から顔を覗かせた曽根が言うと、岸長もその横から、


「それに、こんな人里離れた雪深い山奥で、侵入者もないでしょう」


 窓外に広がる白銀に染まった山々を見渡した。

 小坂井が、「向こうの部屋は、何でしょうか?」と資料室奥に見えるドアを指さすと、ネジを緩めて窓を解錠状態に戻した大瀬が、


「あそこは、ここがまだ塞神記念館だった頃に、展示品の解説などをする係員用の待機室だったそうです。今は、ただの給湯室として使われているそうですが」


 それを聞くと皆はそちらへ移動した。

 給湯室は、八人もの人間が入るにはさすがに狭い。


「ちょっと、曽根さん」

「いや、こっちには何か面白いものはないのかなと思って」


 勝手に戸棚やらを開けて見て回る曽根を、その後ろから岸長が諫めた。

 小坂井は、部屋備え付けのウォーターサーバーで喉を潤すと、


「私、そろそろ滑りに行きます」


 紙コップをゴミ箱に入れ、狭い給湯室を出た。


「それじゃあ、私も……」


 大瀬も、彼女のあとを追って歩き出し、それに釣られるようにして、乱場たち他の宿泊客も給湯室、資料室を出た。



 午後も天候は晴天のままで、絶好のスキー、スノーボード日和となっていた。

 相変わらず、汐見と朝霧はリフトの座席で揉め、大瀬は事あるごとに小坂井、あるいは間中ら女性陣に話しかけ――そして(てい)よくあしらわれていた。しかしながら、小坂井が無下に相手をしないでいたのに対し、間中のほうは多少の会話に付き合うなど、大瀬に対して若干余裕のある言動を見せてはいた。

(このことについて間中は、「あまりに小坂井さんに無視され続けているので、大瀬さんのことが少し哀れになって」と行動原理を説明し、曽根からは「さすが教師は違いますね」と賞賛(?)の言葉をもらっていた。すると、その言葉に対して、今度は小坂井が「私もことさら大瀬さんのことをぞんざいに扱っていたつもりはありません。それは、多少うっとうしいことは確かでしたけれど、旅行先のことですし、少しくらいは仕方がないかな、という気持ちでいました。大瀬さんのほうでも、私が気のない態度を取れば、しつこく言い寄ったりしてくることもなく、素直に引き下がっていましたし」と弁明した)


 日が西に大きく傾き、この日の滑走を終えた宿泊客たちは、順次ロッジへ引き上げることになった。スキーロッジ深雪のゲレンデにはナイター設備がないためだ。

 ロッジ玄関前に集まった中、小坂井が浮かない顔をしていた。


「どうかしましたか? 小坂井さん」


 その顔色に気付いた間中が声をかけると、


「イヤリングを、片方なくしてしまって……」


 小坂井は顔を傾けて左右の耳を見せる。その左耳には何もさがっていなかったが、対して右耳には、真珠を模した洒落たデザインのイヤリングが揺れていた。小坂井は、残った右耳のイヤリングを、手袋を脱いだ指でつついて、


「うっかり外し忘れていました。滑って転んだときにでも外れてしまったみたいです」

「明日、明るくなったら私が探してきますよ」


 大瀬が言ったが、


「いえ、本物の真珠じゃなくて模造品で、安物ですから」小坂井は首を横に振り、「ありがとうございます」


 と大瀬に対して会釈をした。


「そうですか……残念ですねぇ……」


 大瀬は腕組みをした。

(このときの大瀬の口ぶりから、彼は明日になったら本気でイヤリングの捜索を始めるつもりなのかもしれない、と曽根は思ったと告げ、岸長、小坂井、乱場たちもその言葉に賛同した)


 部屋へ戻り着替えを済ませた宿泊客たちが一階食堂に集まったのは、午後七時少し前だった。夕食は七時ちょうどに始まり、終了したのは七時半。その後、駒川と有賀は片付けに入り、宿泊客たちは各自の部屋へと戻った。それから、午後八時十五分。娯楽室にいた乱場たち数名は、資料室でギロチンの刃が落とされた音を聞くことになる。

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