第9章 不在証明
「皆さん」と沈黙を破り、乱場が、「とりあえず、このギロチンの問題は、いったん棚上げすることにしませんか。また何か思いついたら、みんなで考えてみることにしましょう」
その提案に全員が頷いたのを見ると、
「では、皆さんに、改めてアリバイを伺うことにします――もちろん、その中には僕も含めます。ご協力いただけますね」この提案にも全員が頷き返したのを確認した乱場は、「ありがとうございます。先ほども話しましたが、僕たちの検死によって、大瀬さんの死亡推定時刻は、午後七時四十分から、八時二十分までの約四十分間に絞り込まれました。その間全域のアリバイを教えて下さい」
「七時四十分ですか」と駒川が、「夕食が終わったのが、七時半でしたね」
「ええ。七時から七時半まで、僕たちは全員が一階の食堂に集まって夕食を摂っていました」
「その時間までは、全員が全員のアリバイを保証しているというわけですね。というか、その時間までは大瀬さんも生きていたわけですけれど」
小坂井の言葉に、乱場は頷いて、
「そうです。夕食が終わった午後七時半、僕たちは一斉に解散しました。その後、皆さんが、どこで何をされていたのか……」
真っ先にアリバイを申し立てたのは、駒川と有賀のロッジ従業員コンビだった。夕食後、二人は食事の後片付けのため食堂と厨房の往復を繰り返し、その間、駒川と有賀、どちらもほとんど常に互いを視界に捉えており、どちらかひとりがいなくなることはなかったという。
先ほどの話と重複する部分もありますが、と断ったうえで、駒川は話し始めた。
「片付けが終わると、私と有賀は自室に戻りました。……ええ、二人一緒にです。時間は、八時十分頃でした。どうして憶えているかといいますと、私たちは、片付けが終わったら、娯楽室にいるお客様にコーヒーでも振る舞おうかと話をしていて、自室で五分程度休んでから娯楽室に行こうと取り決めていたためです。ですので、部屋に戻るとまず時計を見たわけです。そうして、五分ほど休み、廊下に出て、有賀と一緒に娯楽室へ向かおうかという、そのとき、上階から物音――それは、皆さまが娯楽室から資料室へと移動する足音だったわけですが――が聞こえてきたため、私と有賀はそれを追って階段を上がり、三階の資料室前で皆さまと合流したというわけです」
「私も……」と続いて有賀が、「駒川さんと同じです。自分の部屋に戻って、時計を見ると八時十分でした。で、五分休んでから廊下に出ると、駒川さんも部屋から出てきたところでしたから」
「……つまり、死亡推定時間内に駒川さんと有賀さんのお二人が単独になったのは、夕食の片付けを終えて自室に戻り、廊下へ飛び出るまでの五分間しかなかった、というわけですね」
乱場のまとめに、駒川は「はい」と答えると、
「五分間で、一階から三階へ行き、大瀬さまを殺害してまた一階に戻ってくるなど、絶対に不可能ですよ。まして、普通の殺害方法ではありません。いったん刺殺したうえ、ギロチンで首を切断するなどと……。それだけでも五分程度の時間は容易に消費してしまいます」
身の潔白を訴える駒川の横で、有賀も強く何度も頷いていた。
「分かりました」と乱場は頷いて、「では……」
テーブル席に座る面々を見渡したが、皆が一様に乱場から目を逸らそうとしていたため、
「次に、僕自身の行動をお話しします。七時半に夕食を終えると、僕はいったん自室に戻って三十分弱ほど過ごしてから、娯楽室に向かいました。八時頃に先輩方とトランプをするためです」
「夕食のときに、そんな話をしていたね」
その岸長の言葉どおり、乱場たち高校生三人は、夕食の席で食後に娯楽室でトランプ勝負をすることを約束していた。それが行われることになったきっかけは、明日のスキーの際に、汐見と朝霧、どちらが乱場と一緒にリフトに乗るかで揉めたことにあった。ここ深雪に併設されたゲレンデのリフトは二人乗りのベンチ型であったためだ。この日の昼間のスキーで二人は、そのリフトの席をめぐって事あるごとに言い合いを演じており、その不毛な争いに決着を付けることが目的だった。
「本来は、先輩方お二人での勝負だったのですが、まずは肩慣らしということで、最初は僕もトランプに加わっていたのですけれど……まあ、そういうことで、僕は八時に部屋を出て娯楽室に行きました。そのときには、もう岸長さんと曽根さんも娯楽室にいらしていましたね」
「ええ」「そうです」
二人はそろって返事をした。
「ちょうど良いので、お二人の夕食後の行動を、ここでお話しいただけますか?」
乱場が言うと、岸長と曽根は、顔を見合わせてから小さく頷き合った。
「では、まず私から……」と岸長が先に、「私も、夕食のあとは自室に戻り、食後の一服をつけていたのですが、ひとりで過ごすのも味気ないなと思いまして。そういえば、高校生たちが八時に娯楽室でトランプ勝負をすると言っていたことを思い出して、観戦に行くことにしたんです。部屋を出たのは、八時少し前くらいだったと思います。それで、娯楽室に入ると、もう曽根さんがカウンターで一杯やっている最中でした」
「いえいえ」その言葉を聞くと、曽根が顔の前で手を振り、「岸長さんが来たときには、私はまだ、どのお酒をいただこうかと、棚を眺めて吟味しているところだったんですよ」
「そうでしたか。で、私は娯楽室に入ると、そのまま窓際に行き、窓を開けて喫煙を始めました。灰皿は携帯用のものを持っていましたから。そうして少し経ったところで、乱場くんが入ってきたんです」
「分かりました」乱場は、視線を岸長から曽根に移して、「では、曽根さんもお願いします」
「はい……」曽根は、椅子の上で尻を動かして居住まいを直してから、「私も、岸長さんとほとんど同じようなものです。夕食後は、いったん自分の部屋に戻ったのですが、満腹になった腹の様子が落ち着いたら、娯楽室に行こうと決めていました。ええ、カウンターのお酒目当てです。夕食の席で、娯楽室に用意してある酒は自由に飲んでよいと駒川さんがおっしゃっていたものですから。出された料理が予想以上に美味しかったもので――特にシチューが絶品でした――思わず食べ過ぎてしまって、三十分程度もベッドに横になっているうちに、少しうとうとしてしまって、目が覚めて時計を見たら八時近くになっていました。それで、本格的に寝てしまわないうちにと、ベッドから起き上がって部屋を出たんです。娯楽室に入ったのは、確かに私が一番最初でした。部屋には照明も点いておらず、誰もいませんでしたから。私は真っ先にカウンターに向かって、棚に並ぶ酒の中から、どれを味わおうかと吟味しまして――岸長さんが娯楽室に入ってきたのは、その最中でした――それからは、ずっとお酒を楽しんでいました」
「分かりました」
乱場が言うと、
「順番的に、次は私ですか」小坂井が供述を買って出た。「私も、岸長さん、曽根さんの二人と、ほとんど一緒です。夕食を終えて自室で少し休んでから、娯楽室に行きました。目当ては娯楽室の蔵書でした。昼間にここに来たときに、結構珍しい本があるのを見つけて、食後にでも読もうと決めていましたので」小坂井は、娯楽室に備えられた本棚を一瞬見やってから、「自室を出たのは、八時前後くらいとしか憶えていません。でも、あのときいたメンバーの中では、私が一番最後だったのは間違いないですね。私が娯楽室に入ると、もう他の人たちは全員そろっていましたから」
「はい」乱場が頷いて、「小坂井さんが娯楽室にいらしたのは、八時五分頃だっただろうと思います」
「娯楽室があまり騒がしかったら、本を自室に持ち込もうと思ってたんですけど、思いのほか皆さん静かにしていたから、そのまま読書することに決めたんです。客室よりはここのほうが雰囲気がいいですし」
「分かりました」
「じゃあ、次は私たちだな」
汐見が口を開いた。
「そうですね」と朝霧も、「私と汐見さんは夕食時からずっと一緒に行動していましたので、二人まとめたアリバイ証言としてもらって構いませんよね」
「ええ」
乱場が了承し、他の誰からも意見が出なかったため、代表して朝霧が話し始めた。
「では」こほん、とひとつ咳払いをしてから、朝霧は、「とは言いましても、私たちも皆さんとほとんど……いえ、まったく同じなのです。夕食後、部屋に戻って少し休んでから、八時近くになって娯楽室に向かったという」
「分かりました」と乱場は、「それでは、最後に……」
アリバイ証言をしていない残るひとり、間中に目を向けた。
「先生は先ほど、娯楽室に向かうために二階の廊下を歩いているとき、僕たちの足音を聞いて、追いかけて合流した、とおっしゃっていましたが」
「ええ、そのとおりよ」
「その間――自室を出て、僕たちと合流するまで――誰とも顔を合わせたりはしていない、ということになりますね」
「そうね、残念ながら……。こんなことなら、私ももっと早くに部屋を出ていればよかったわ」
間中が笑みを浮かべたところに、乱場は、
「分かりました。では、最後に、皆さん全員に伺います。夕食後に、大瀬さんを見かけた方はいらっしゃいますか?」
その質問がされると、皆は何も答えずに、互いの顔を見合うだけだった。
「……夕食後の大瀬さんを見た人は、誰もいないということですね?」
「そのようだね」と岸長が、「大瀬さんは、食事を終えるとすぐに食堂を出て行ってしまったから」
「曽根さんは、大瀬さんとは部屋が隣同士でしたね。食事を終えて、娯楽室に行くまでの部屋にいた間、隣室から大瀬さんの声を聞いたり、何かおかしなことがあったですとか、そういったことはありませんでしたか?」
「……いや、何もなかったと思います。先ほども言いましたが、私は部屋に戻ると満腹から眠気を憶えて、うとうとしてしまっていたもので、大瀬さんの部屋で何かあっても、気付かなかっただろうと思います。すみません」
「いえ。僕も大瀬さんの隣室ですが、そういった物音や話し声は聞こえて来ませんでした。ということは、大瀬さんは食事を終えたあと、そもそも自室に戻ったかどうかも分からないということになりますね」
場が沈黙に包まれると、乱場は、
「……みなさん、ご協力いただき、ありがとうございます」と頭を下げてから、腕時計に目を落とし、「今日はもう遅いので、続きは明日にしましょう」
それを聞くと、沈黙は解け、一同の中に漂っていた空気が弛緩する。曽根や有賀は、安心したように深いため息を吐いた。
「ところで、乱場さま」と、その緩んだ空気の中、駒川が、「続き、とおっしゃいましたが、具体的に、明日は何をされるおつもりなのでしょうか?」
「現場検証です」
「現場検証?」
乱場の口から捜査用語が出たことで、場の空気がまた一瞬だけ張り詰めた。
「はい。その現場検証には、このロッジに詳しい駒川さんと有賀さんのお二人に、ぜひとも協力していただきたいと思っているのですが」
「もちろん、それは構わないのですが、現場検証と言われましても、実際のところ、素人である私たちにどんな協力が出来るのか……」
「そう難しく捉えていただかなくても構いません。現場に犯行の形跡が残っていないかを知りたいんです。ようは、資料室――と併設された給湯室で、何かなくなっていたり、普段とは違っているものがないかを見てもらおうと思っています。それを確認できるのは、お二人だけですからね」
「そういうことでしたら」
駒川は、ほっとした様子で胸をなで下ろした。そこに、
「し、死体……は?」有賀が口を開いた。「大瀬さんの、し、死体は、どうするんですか? ギロチン台に寝かせられた、あの状態のままにしておくんでしょうか……?」
「……そのつもりです。警察の到着まで、なるべく発見時のまま現場を保存しておきたいですし、幸い、今の季節なら、死体も、すぐに痛んでしまうこともありませんから」
「じゃ、じゃあ……私たちは、死体があるまま、資料室を調べると、そ、そういうことになるわけ、ですね……?」
「はい。室温を上げたくないので暖房も入れません。申し訳ありませんが、ご協力ください」
乱場は改めて頭を下げる。
「明日の現場検証は、私ひとりで行いますので、有賀さんは……」
そう駒川が申し出たが、
「い、いえ、私も、行きます……。特に、給湯室は、駒川さんよりも私のほうが、詳しいと思いますから……」
有賀のその言葉を聞くと、駒川は会釈した。
「じゃあ、今夜はこれで解散ですね」
小坂井が立ち上がる。
「皆さま」と、そこに駒川が、「こんなときにですが、お風呂を用意してございますが」
「こんなときだからこそ、さっぱりしたいです」小坂井は、ふう、と深く息を吐き出すと、「私はお風呂を使わせていただきます」
「でしたら」と、そこに間髪入れず間中が、「私もご一緒してもいいですか?」
「構いませんが、二人同時に入浴できますか?」
小坂井の視線を受けた駒川が、
「ええ、ここをロッジとして使うにあたって、浴室も改装いたしましたので、大浴場、とまではいきませんが、大人数名が同時に利用できるだけの浴室スペースと湯船は設けております」
「そうですか。それじゃあ、女子高生たちも、どう?」
と小坂井に誘われると、汐見と顔を見合わせた朝霧が、
「時間の節約のためにも、相伴させていただきましょうか、汐見さん」
「そうだな。私も、早いところ汗を流したいぜ」
朝霧と汐見は、そろって返答した。
「有賀さんは?」
「いえ、従業員は、お客様のあとに入ることにしていますので。最後にお風呂の水を落として、掃除する仕事もありますし……」
「そんなの、気にすることありませんよ」
「そうそう」と汐見も、「何なら、風呂掃除も手伝いますよ」
「いえいえ、そういうわけには……」
有賀が顔の前で手を振ったところに、
「ちょっと、いいですか」乱場が声をかけ、「僕は、同性同士は全員一緒に入浴すべきだと思います。とりわけ、当面の間、誰かがひとりきりになる、あるいは、誰かと誰かが二人っきりになるという状況は避けなければいけません。ひとりきりになるのはそもそも危険ですし、二人きりの場合も、どちらかが犯人だったという可能性を考慮すべきだからです」
場に沈黙が戻ってきた。乱場は続けて、
「犯人の殺害対象が大瀬さんひとりに限っていた、という保証はありませんから」
「まだ、犯行は続くと思っているのね、探偵くんは」
「可能性がある限り、対策を怠るべきではないということです。だから当然、女性陣のあとには、僕たち男性陣も全員一緒にお風呂に入ります。駒川さんも」
「……その事情は理解できます。乱場さまのご提案どおり、私と有賀も皆さまと相伴させていただきましょう」
駒川が頭を下げると、「……は、はい」と有賀もそれに倣った。
入浴の順番は、男性陣のあとに女性陣、と決まった。風呂掃除は有賀の仕事で、彼女自身がそれを譲らなかったためだ。女性陣をあとにすれば、入浴後すぐに掃除が出来る。
「じゃ、そういうことで」立ち上がった小坂井は、「部屋に戻るのも、全員一緒にするんでしょ?」
「ええ、そうですね」
乱場も椅子から腰を浮かせ、それを契機に全員も立ち上がった。
「乱場さん」そこに、朝霧が声をかけてきて、「お風呂のときに、みなさんの年齢を訊いておいてくれませんか? 私の関係者ファイルに追記したいので」
「分かりました」
「お願いします。女性陣のほうは、私と汐見さんとで尋ねておきますから」




