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第8章 体重測定

「はあ?」「えっ?」


 (らん)()の言葉に一同は、意外そうな色を乗せた声を口々に発した。


「乱場くん、アリバイ、とかじゃなくて……体重?」


 ()(なか)も面食らったような表情をして訊いた。


「そうです。体重です」

「それは、どういう……?」

「あ、分かりました」と朝霧(あさぎり)が、「ギロチンの刃、ですね」

「ええ」乱場は頷いて、「先ほど、朝霧さんと間中先生に試していただいたように、犯行現場である三階資料室で、あの展示品であるギロチンの刃が落とされた――引いては大瀬さんの死体の首が切断された――ことは確実視されています。ということは、犯人は、あのギロチンの刃を断頭台の頂点まで引き上げることが出来たわけです。それは、つまり……」

「定滑車の構造からして、殺人犯――あるいは、あのギロチンの刃を引き上げた人物――の体重は、あの刃の重量である66キログラムを上回っているはずである、と」

「はい」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

「異議あり!」


 (あり)()()(さか)()が乱場に挑みかかってきた。


「女性に体重を訊くなんて、いくら探偵でもやっていいことと悪いことがあります」

「そのとおり!」


 つい先ほどまで視線を戦わせていた二人が、共闘せんばかりの勢いで論調を合わせる。そんな女性二人の剣幕を見て、岸長(きしなが)曽根(そね)は、そろってため息をついた。


(しお)()さんは当然、快く協力していただけますよね」


 朝霧に訊かれた汐見は、


「まあ、仕方ないな」


 と頭をかく。


「そ、それは、僕も心苦しく思ってはいますけれど……」有賀と小坂井に気圧されながらも、乱場は、「必要なことなんです。犯人を特定するために……」


 無言で乱場を睨み付けていた二人が、やがて、互いに顔を見合わせ、観念したような嘆息とともに頷いたところに、


「待って、乱場くん」


 間中が声を挟んだ。


「間中先生」乱場は顔を向けて、「すみません。先生にも体重を教えていただくことに……」

「それはいいの」

「えっ?」

「私が心配しているのはね、サバを読んだ体重を申告する人がいるんじゃないかってこと」

「ああ……」

「でしょ。だって、犯人の条件は、体重が66キロ以上であることなのよね。だったら、嫌疑から逃れるために、犯人が実際以下に自分の体重を申告することも考えられるわ」

「それはありえますね。それと、犯人がわざわざ下着姿になってギロチンの刃を引き上げたわけはありませんので、服を着た、いわゆる全備重量が分かったほうがいいですね。服の重量なんて、さしたるものではないでしょうけれど……。脱衣所に体重計がありましたよね」

「持って参りましょう」


 駒川(こまがわ)が立ち上がった。


 持ち込まれた体重計で全員が重量を計測し、数値を朝霧が手帳に書き込んでいくと、


乱場:45キロ

汐見:49キロ

朝霧:37キロ

間中:50キロ

岸長:62キロ

小坂井:52キロ

曽根:70キロ

駒川:67キロ

有賀:51キロ


 という結果となった。自身の数値を知った小坂井は、「今日は厚着をしてるから……」と顔を赤くしていた。


「計測結果によれば……」乱場は、朝霧から受け取った手帳に目を落とし、「体重が66キロ以上ある――すなわち、あのギロチンの刃を引き上げることが出来るのは、この中に二人しかいませんね」

「曽根さんと、駒川さん、ですね」


 自分でも横から手帳を覗き込み、朝霧が続けた。それを聞き、名指しされた二人は、ぎょっとした顔を見せ、


「じょ、冗談じゃありませんよ……」

「お言葉ですが、乱場さま……」


 間髪を入れず抗議の言葉を口にする。


「分かっています」と乱場は二人を抑えるように両手を動かして、「あくまで、参考までに体重を計測させていただいただけです。それに何より、お二人には、ギロチンの刃が落とされた八時十五分にはアリバイがありますから」


 曽根は乱場たちと一緒に、この娯楽室で酒を飲んでおり、駒川は自室前の廊下で有賀と顔を合わせている。


「ちょっと、探偵くん――」と、今の乱場の言葉に対して小坂井が、「あくまで参考って、そんなあやふやな目的のために、私たちは体重を量らせられたということですか?」

「そっ、そうですよっ!」


 有賀も小坂井に加勢して声を上げた。


「ああ、いえ、お気を悪くされたのでしたら謝ります。ですが、事件に関わる重要な情報だと思ったもので……」

「それに」乱場の言葉など耳に入らないかのように、小坂井は矢継ぎ早に、「考えてみれば、体重といっても、そんなのいくらでも調整が可能ですよね。ギロチンの刃を引き上げるときにだけ、体に何か重りを(くく)り付ければ済む話です。ちなみに、私の本当の体重はもっと軽いんです。今は服を着ているし、夕ご飯の直後だから、あの数値が出ただけであって……」

「はいはい!」と、そこにすかさず有賀も手を挙げて、「私もですっ! 私、先週のお風呂上がりに計ったときには、体重は五十キロを切っていたんですよ!」

「わ、分かりました……」


 女性二人の圧を受け、乱場は身を引いた。


「あの、私からも言わせていただけるなら」そこに駒川が参戦してきた。「……いえ、たった今計測された体重に対して、私もどうこう言うのではないのです。私が言いたいことはですね、朝霧さまから先ほどご説明いただいたとおり、確かに定滑車でものを持ち上げるには、ロープを引くほう――力点側――にいる人は、作用点側以上の重量を有している必要がありますが、そのことと、実際にものを引き上げられるかは、また別の問題かと思いますので。正直、私の腕力では、あの刃を引き上げられる自信はとうていありません」

「そ、それを言うなら、私も同じですよ」


 もうひとりの体重66キロオーバー組である曽根も同意した。


「乱場くん、そちらの方面から犯人を絞り込んだほうがいいんじゃないか?」と岸長が、「自重は、小坂井さんも言ったように、体に重りを括り付けるなりして何とかなったとしても、腕力のほうはそうはいかないだろう」

「そう、そうですよ」我が意を得たり、とばかりに曽根も、「これから資料室に行って、ひとりずつギロチンの刃を引き上げてみましょうよ。それではっきりします」


 その提案に対して、乱場は、


「いえ、それは難しいと思います。だって、出来ない振りをされてしまっては終わりですから」

「……それもそうか」

「実際は刃を引き上げられる腕力があっても、それを出来ないように見せかけるのは簡単だ、ということだね」


 曽根と岸長は、うーん、と唸った。


「私からも、いい?」


 と手を挙げた間中は、乱場から、どうぞ、と発言を促されると、


「あのですね、さっき、私と朝霧さんは、あのギロチンの刃を引き上げてみたわけですけれど、実際にやってみると、これが実に大変な作業でした。力点側の重量の問題は、私と朝霧さんの体重を合わせれば余裕でクリアできますが、いざ、ロープを引いてみるとなると……」

「そう、そうです」と、その朝霧も入ってきて、「私、人生であんなに腕力を振り絞ったのは初めてです。私の力なんて、刃を引き上げる十分の一、いえ、百分の一も寄与していなかったのはないかと。あの仕事をやってのけられたのは、ひとえに間中先生のお力あってのことです」

「そんなことないわよ、朝霧さん。私ひとりじゃあ、あの刃を引き上げることは出来なかったと思うわ」

「そうですかね……」

「そうよ。だからですね」と再び間中は皆に向き直って、「ひとりであのギロチンの刃を引き上げるというのは、かなり困難な仕事だと思うんです」

「……そうですね。確かに、66キロもの重量がある物体を定滑車で引き上げるというのは簡単じゃありません。やろうと思ったからって、すぐに出来ることでは……」


 乱場が首を傾げたところに、汐見が、


「そうは言ってもよ、ギロチンの刃が実際に引き上げられて、落とされたことは事実だろ。さっきのあの音、あれは間違いなく、八時十五分に私が聞いた音とそっくりそのままだったぜ。ギロチンの刃が落ちたように見せて――じゃなくって、聞かせて、実際は全然別の音を鳴らしたとか、そういうのではないと思うぜ」

「ええ、確かに、あの資料室で、66キロ相当のギロチンの刃の落下を誤認させるような音を出せるものは、なかったと思います。棚を倒すなりすれば、似たような音を立てることも可能でしょうけれど、そんなことをしたら後始末が大変ですし、実際、資料室にはそんなことをしたような形跡は認められませんでした」

「だろ。だから、資料室でギロチンの刃が落とされたというのは、実際に行われたことなんだよ」

「そう、そうなんです。あのギロチンの刃は、間違いなく落とされている。八時十五分の、あの時間に……」乱場は、少し黙ると、「ところで」と駒川と有賀を向いて、「お二人はその時間、一階の自室にいたということですが、ギロチンの刃が落ちる音は聞こえなかったということですね?」


 駒川と有賀は、顔を見合わせると頷き合って、


「はい。私――と有賀が部屋を出たのは、あくまで娯楽室にいらっしゃるお客様に何かお構いをしようと思ってのことです。ギロチンの刃が落ちた音は、私は耳に出来ませんでした」


 駒川が言うと、続いて有賀が、


「私も同じです。音は聞こえませんでした」

「私どもが三階に行ったのは、二階の廊下を走る皆さまの足音が聞こえ、それを追ってのことでして……」

「ということは、三階の資料室でギロチンの刃が落ちた音は、一階までは届かなかったわけですね。二階にいても、何かに集中していたりしたら、聞こえないこともある」

「そうですね」と朝霧が、「実際、二階にいた中で、音を聞き取ることが出来たのは、乱場さん、汐見さん、岸長さんの三名で、私、小坂井さん、曽根さんの三名は音に気付きませんでした。ちょうど半々に分かれましたね。二階にいてギロチンの音を聞き取れる確率は五十パーセント、と言うことが出来るでしょうか。一階にいれば、ゼロになるわけですね」

「そういうことになりますね……」

「ねえ」と、そこに小坂井が、「そもそもの話なんですけれど、探偵くんたちの調べによれば、大瀬さんは胸を刺されたことで亡くなったんですよね? だったら、ギロチンは何のために使われたって言うんですか?」

「首を……斬り落とすため?」


 汐見が答えると、


「どうして、すでに死んでいる人間に対して、首を斬り落とす必要があると?」

「むう……」


 その疑問には、汐見は黙り込むしかなかった。

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