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書籍発売記念SS【ディスカウント・ドラゴン】


「売れんのう、お主」

「そうじゃのう」


 それはそれは太古の昔。まだわしが百年くらいしか生きておらず、図体も小さかった頃の話。

 今は歴史にのみ名を残す古代王国の中央市場で、わしは石畳に伏せて買い手が付くのを待っていた。


 首から下げた木の板には【喋るドラゴン。値段は応相談】と書いてある。

 わしの隣に茣蓙を敷いて座っている、長い白鬚を生やした老商人は、歴代で三十五人目に当たる買い手である。

 市場で延々とたらい回しに遭ってきたわしだが、ここしばらくは買い手が付かず、ずっとこの老商人の下で飼われている。

 おかげで口調もなんとなく影響されてしまった。


 この日も人波は目の前を通り過ぎていくばかりで、わしを買おうという情報弱者は現れなかった。


 呑気に昼酒をあおっている老商人に、わしは申し訳なく頭を下げる。

「すまんのう。いつも売れ残ってしまうのに、毎日ええ野菜を食わせてもらって。これでは赤字というやつではないのかの?」

「なに、どうせ切れっ端じゃよ。商品に腹を壊されちゃこっちも商売上がったりでな」

「それでも申し訳なくてのう。どうせ売れんなら、その辺で見世物でもして小銭でも稼いでくるけど」

「やめとくのがええ。お主みたいにボンヤリしていると、いつぞやみたいにまた闘犬小屋に連れ込まれるかもしれん」

「ああ、そんなこともあったのう」


 この老商人に買われる直前、わしは当時の飼い主から高報酬の見世物稼ぎを要求され、闘犬小屋に送られたことがあったのだ。


 なお、最終的に犬さんの方がわしを見向きもしないまま時間切れで試合終了となったが、あまりの駄試合にブーイングが凄まじく、「犬の闘争心を極端に削ぐ」という理由で出入り禁止になった。

 今でもあの出禁は続いていると思うが、似たような危険行事に攫われる可能性は否定できない。


「じゃ、見世物がダメならまっとうに売れるよう頑張ってみるかの。ねえ、わしの値段っていくらぐらいまで安くできる?」

「そうじゃのー……パン一斤の値段で買ったから、できれば同じくらい。もし買ってくれそうならさらに半額までは許す」

「わしってパン一斤相当だったんだ。具体的に聞くとちょっとショックじゃの」

「まあ、どうしたってお主は売れないと思うけどのう」

「まあのう。わしだって無駄とは思うけど、ちょっとくらいは見栄を張りたいもんじゃろう」


 老商人は好々爺というにふさわしい笑みを見せて、わしの好きにするよう言った。

 わしはここで一発男の意地を見せようと、意気込んで市場の路地に踏み出す。


「はいみなさん注目! 今ならわしがパン一枚で買えちゃいます!」


 総スルー。

 気まずさに老商人を振り返ると、酒を飲みながらただ穏やかな笑みを浮かべていた。ただ、助けてくれる気配はない。


「わ、わしは草食だから食費もかからんし、ほんのちょっとなら見世物とかも頑張るから! あ、でも火の輪くぐりとか闘犬とかはダメ。玉乗りも怖いからダメ。安全で簡単なやつね」


 またしても誰も足を止めない。

 なぜだ。確かにわしには金稼ぎの能力はないが、かといって維持費もかからないのだ。買うだけ買って小銭を稼がせれば、それだけで多少の得になるのではないか。


「ここいらは商人しかおらん。商人は験を担ぐから、一度ケチの付いた商品はなかなか買わんもんでな」


 と、背後で老商人が種明かしをするように言った。


「ケチ?」

「ありていにいえば、お主はドラゴンを騙ったトカゲという詐欺まがいの商品じゃからの。そんなインチキ商品に手を出したらツキが落ちると考えるのが普通よ」

「お爺さんはええの?」

「ほれ。わしはもう半分くらい隠居しとる身じゃから。逆にお主みたいなのを置いとる方が忙しくならんでええ」

「わしって客よけ?」


 わしは少し悔しくなって、何としてでも売れて見せるという反骨心を燃やした。

 考えた末にふと出た案は、


「ねえわしいいこと思いついた。商人の人が買わないなら、民家を訪問して売り歩いてはどうかの? 商人以外なら買ってくれるのかもしれんのじゃろ?」

「『ちょうど夕飯の鍋の具材が足りないところだったの。パン一枚の値段でこのお肉の量なら安いわね』なんてことにならんとええがの……」

「ちょっと言ってみただけよ。そんな風に訪問して売られたら迷惑じゃもんね。わしは常識を弁えておるよ」


 わしはさらにアイデアを掘り下げる。


「わしに価値がないのは認めるとして、オマケを付けるのはどうじゃろう?」

 老商人は首を傾げ、ゆっくりと尋ねる。

「オマケ……? たとえば、どんなものを?」

「パン一枚の値段でわしを買うと、漏れなくパンが一枚ついてくるとか」

「それはもう単純にパンを買ったほうがええね」


 自分で言っていてなんだが、わしも同感だった。無駄なトカゲが一匹ついてくる分邪魔である。


「いっそのこと、荒唐無稽なオマケを騙った方がいいかもしれんの。わしを買ったらドラゴンの眷属になってすごい魔力が身に付きますとか」

「そういう嘘はいかんよ。嘘も真とか言ってな、そういう適当なことを言っておったらいつか巡り巡って自分が困るハメになるかもしれんからの」

「まっさかぁ。わしは魔力なんてちっともないし、そんな心配は無用よ」


 ふ、と老商人は笑った。遠いどこかを見つめての笑いだったようにも思う。


「実はな、お主を買ってくれる者の心当たりが一件だけあるんじゃ。聞くか?」

「え? そうなの? わしに買う価値があるって思ってくれる人なら歓迎よ」


 ふりふりと尻尾を振ったわしに対し、老商人はピンと人差し指を向けた。


「……ん? わしがどうかした?」

「だから、お主じゃよ。お主自身が、自分を買えばいい。今までずっと人間に買われたり売られたりしていたお主には実感がないかもしれんが、売り物にならずにどこにでも行ける自由というのはいいものだぞ。どうじゃ、買ってみるつもりはないか?」


 わしはぽかんとして、しばらくして笑った。


「面白い冗談じゃのう。だって、そんなことを言われてもわしはお金なんか持っとらんよ。だいたい、売り物が自分自身を買うなんておかしくない?」

「お代は……だから気にせんでええ」

「ん? 何と言ったのかの?」


 わしが聞き返すと、老商人はごまかすように首を振った。


「気にせんでええ。さあ、どうするかの? お主はまだ老い先も長そうだし、自分の足で世界を見て回るのもよかろう?」

「うーん……、まあ。草さえあればどこでも生きていけるしのう。売れるのを気にせんでええのは魅力的かも」


 恥ずかしいことに、このときのわしは人里を離れたら魔物の脅威があるということをあまりよく知らなかったのだ。

 わしが肯定的な反応を示すと、老商人は「決まりじゃな」と頷いた。



「心の準備もあるじゃろうから、すぐにとは言わん。お主が好きなときに発つとええ」


 ――――――――――――――――――――――――――――……


 こうして自由を得たわしが後に知ったことが、二つある。

 一つ目は、わしが発って数年後に没した件の老商人が、あらゆる商品の真価を見抜く「目利きの神」とも謳われた凄腕の商人であったということ。


 そして二つ目は、約4900年後に分かった。

 あのとき老商人が「お代は……だから気にせんでええ」と言ったのは、たぶん――



「うぎゃぁあ―――――――――――っ!!」



 半ば竜と化して暴走したレーコをやっとのことで鎮めたかと思いきや、今度は別の意味で暴走を始めてしまった。

 聖女様の結界の天井をぶち破り、泥地と化した町を遥か地上に見下ろして、わしはレーコの生やした翼で強制的に飛行させられている。


「邪竜様。今の私はなんでもできる気がします。さあ、チャチャっと魔王を倒して世界を救いに参りましょう。これはその前奏の舞にございます」




 あのとき老商人は――4900年分の利息が付いた【ツケ払い】と言ったのだ。

 根拠はないが、なんとなくそう確信した。

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