邪竜様、覚醒(?)
抵抗もできぬまま運ばれたのは、消えた金山の跡地である。
一番大事な金山が消えてしまったのだから、周辺の地形を変えてしまってもいまさらどうということはない――というレーコの判断だ。
「それではお手合わせを願います邪竜様。私がどれだけ強くなったか、ぜひご確認ください」
「お主がどれだけ強いかはもう十分に知っとるから。ね? こんなことやめよ?」
「……そうですか邪竜様。手合わせの中で私が命を落としてしまわないかご心配されているのですね?」
「ううん、どっちかというとわしサイドの命の話かなあ」
「大丈夫です。邪竜様に見込まれし眷属として、なんとしても生き延びてごらんにいれましょう」
あ、こりゃもうダメだとわしは諦める。これはもう止まらないときのレーコだ。
レーコの背後では、精霊さんを担いだシェイナが細くした眼でじぃっとこちらを眺めている。
どういう意図が読めないが、こちらも邪竜としてのわしの力に期待しているのだろうか。
「それでは参ります邪竜様」
「せめて、せめて一つだけお願いレーコ。その短剣だけは使わないで。刃物は禁止」
「……この剣が? はっ、なるほど。武器を使っては私の真の力が分からぬということですね」
「もうそういうことでええから、お主だけの力でお願い」
「かしこまりました」
短剣を鞘ごと地面に置く代わり、レーコは手の五指を爪のごとくに開いた。
「では、まず邪竜様の基本技からお見せします――地を裂け。『竜王の大爪』」
レーコの腕が振り落とされると同時、膨大な魔力の斬撃が顕現する。
宣告通りに地を引き裂いてわしに襲来するのは、まさしく邪竜の大爪の一撃である。
わしは悲鳴も上げられない。白目を剥いて口から魂を噴き出している。
「……んあっ」
ようやく呻き声が絞り出せたのは、わしに触れた斬撃が完全消滅してからだった。
こうなることは以前の暴走で判明していたが、いざレーコの攻撃を目の当たりにすると腰は完全に抜けてしまったし、歳のせいかちょっと尿漏れの気配すら感じる。
ビクビクしながら「もういいかの?」とレーコに問おうとすると、既に正面にレーコの姿はなかった。
代わりに、上空から差していた日光が僅かに陰った。
慌てて空を仰げば、巨大な黒翼を生やしたレーコが日を覆い隠して瞳を蒼く煌めかせている。
ふうと息を吸い込んだかと思えば、降ってくるのは真っ青な業火の渦だ。
どうせ無効化されると理性では分かっていても、動物的本能では蒸発を覚悟してしまう。硬直したまま直撃を受けたわしの意識が、恐怖のあまり数秒間ぷっつりと途絶える。
そして意識が戻ったときには、背中に慣れた重さが乗っかっていた。
ゆっくり首を回して背を振り返ると、
「ふふふ。背後を取らせていただきました。私の炎も多少の目眩ましになったのではありませんか?」
ドヤ顔でわしの背中に跨るレーコがいた。
「あ、そうじゃね。たしかに眩んでおったね。意識ごと」
「それでは、お覚悟。この位置から一気に怒涛の物理攻撃を仕掛けさせていただきます」
「刃物はダメよ?」
「心得ております」
ぽこん、とわしの背中に軽く拳が落ち、わしは安堵して「よっこらせ」と地に伏せる。
続けて何度も落ちるのは、わしの肩や腰に対する的確な拳の乱打である。威力はちょうど、お灸の際のマッサージに等しい。
魔力ブーストのない子供の力で、わしの背中に跨った不安定な姿勢ともなれば、まあこんなものである。
「あー……そこそこ。もうちょっと下」
「く。さすがは邪竜様。なんという耐久力……岩をも砕くこの私の攻撃をまるでものともしないとは……」
レーコが耐えかねてわしの背中から飛び降りた。
もう諦めてくれたのかと思って安堵しそうになるも――
巨大な岩の塊を持ち上げて、こちらに投擲しようとしていた。
「あー! いかんいかんいかんって! そういうのはいかんって!」
「無駄とは分かっています。しかし、ここは一旦距離を取りつつ飛び道具による攻撃で隙を窺います」
腰はまだ抜けたままで、咄嗟にも足が動きそうにない。
ならばと久しぶりに狩神様からもらった変幻自在の黒い爪を起動させる。どこかに引っかけて、わしの身体をここから移動させねば――だが、既にこちらに向けて放たれた大岩は、そんな悠長な回避を許さぬほどに速かった。
え? まさかわしここで死ぬの?
岩が眼前に迫って、いきなり時間がスローモーションになる。
なんだかんだで少しは「まあいけるかな」と思っていたが、この大岩をどうにかできるビジョンがまったく湧かない。元の巨体なら片足骨折くらいで済んだかもしれないが、今のサイズだとぺしゃんこだ。
「押し花みたいに死ぬのは嫌じゃあっ!」
わしの防衛本能をフル動員して、狩神様からもらった黒い爪を変形させる。わしの身を護るように傘状となり、しかし岩が触れるなりベキベキと容易く砕けていって――
突然、その崩壊が止まった。それどころか、傘に入ったヒビがたちどころに修復され、何かの斥力でも発生したかのように、大岩を逆に跳ね返してしまったのだ。
「え……? あ、ありゃ? 助かったのかの?」
これがもしや、火事場の馬鹿力というやつだろうか。もしそうなら、わしもまだ捨てたものではないのかもしれない。
「あいだぁっ!」
しかし、奇跡の可能性を検討していると、いきなり鋭い痛みが尻尾の先に走った。
そこでわしの尻尾を噛んでいたのは、いつの間にかシェイナの元を逃れていた精霊さんだった。
「あいだだだ!」
わしはゴロゴロと転がって精霊さんを振り払おうと試みるが、尻尾の先に食い付いたまま一向に離れてくれない。
しかも、レーコまでぶすくれた顔でわしの近くに歩み寄り、
「邪竜様。私との手合わせ中に精霊なぞと戯れるとはあんまりでございます。私の実力不足で退屈させたなら申し訳ありませんが……」
「違うのよレーコ。これは戯れてるわけじゃなくて、この精霊さんが一方的に!」
「あ、ごめんごめん! つい観戦に夢中になってたらその子を逃がしちゃって」
慌てた様子でシェイナがこちらに駆け寄ってきて、精霊さんを回収する。相変わらずわしに向けてカチカチと歯を鳴らしているのがやたら怖い。
「えっと。で、今のはやっぱり邪竜様の勝ち? 攻撃してたのはほとんどレーコちゃんだったと思うけど……」
「ああ。残念だが、邪竜様はあくまで私の力を静観なさるだけのおつもりだったらしい。動かせなかった時点で私の力不足の証明だ」
「いや、わしはそんな風にお主を甘く見てたわけじゃないのよ? ただ、なんというか、ちょっと腰の調子がね」
「……それにしても邪竜様さ、どうやってレーコちゃんの攻撃を防いでたの? ほとんど魔力らしい魔力も使ってなかったみたいだけど……」
う、とわしは息を詰める。そもそもわしが防いだのではない。レーコの魔力の方に「わしには通じない」という性質が宿っているだけだ。
「邪竜様の鱗は魔力など通わせずとも、あらゆる攻撃に対する無敵の盾となる。その堅牢さは、この世に存在するどんな鉱物も及ばない」
レーコが胸を張って言うと、シェイナが確認するようにわしの横腹を指で突いてきた。
ぷにっ、とわしの弛みきった腹が鱗ごと凹み、むず痒さに「おふん」と声が漏れる。
「……?」
「どうだシェイナ。金剛石すら凌駕する硬度を誇る邪竜様の黒鱗は……」
「う、うん……?」
「おふん」
ぷにぷにと連打されてわしはくすぐったさに悶える。
「あ、でも一回だけ邪竜様も魔力使ったよね? あの大岩を弾くとき。あんまり大した攻撃じゃなかったと思うけど、なんであのときだけ使ったの?」
「へ?」
首を傾げつつ尋ねてくるシェイナに、わしも同じく首を傾げ返す。
なぜも何も、わしには魔力など備わっていない。だが確かに、あの岩を弾き返すなど普段のわしにはできぬ芸当だ。火事場の馬鹿力で済むような話でもあるまい。
まさか。
わしはごくりと唾を呑み込んだ。
――ついに聖女様式の悪行が実り、わしに邪竜パワーが宿り始めたというのか。




