かつての短剣の持ち主
「ライオットの先祖の記録かあ……」
正直、あまりいい予感はしなかった。ライオット本人は善良な少年と見えたが、生贄を捧げる提案をしたのもこの司祭一族である。
となると、わしに対してネガティブなイメージを書き残している可能性は大きい。
「でもま、聞くだけ聞いてみるかの。レーコ、だいたいでいいから内容を話してくれる?」
「かしこまりました。だいたいと言わず、一語一句違わず話してごらんにいれましょう」
「すごいの。記憶力ええのねお主」
レーコはこほんと軽く咳払いをして、
「『わしの眷属になるがいい。ともに魔王を倒し、この世界を手中に収めるのだ……』。それが邪竜様と私の劇的かつ運命的な出会いであった。
村より捧げられた誉れ高き生贄である私が、そのお言葉に感涙しむせび泣いたのは言うまでもない。
邪竜様の背に乗らせていただく名誉にはしゃぎながら村に帰ると、村人たちは既に宴の準備を整えていた。しかも、単なる宴ではなかった。
そう。邪竜様が動き出したとなれば魔王の死はもはや確定事項。戦の門出を祝う宴ではなく、いわば魔王の死に供する生前葬といって過言でない式典だったのだ。
主賓たる邪竜様は肉と酒を浴びるように喰らい――」
「それは違う記録の内容じゃと思うなあ。なかなか強引に一押しのタイトルをぶち込んでくるねお主」
どう考えても、間違いなくさっきの『眷属直筆~』とかいう執筆中の伝記だ。
しかも事実と一致している描写がほとんどない。記憶力がいいという判断は前言撤回しよう。
「大丈夫です。間違えたわけではありません。話の前座というやつです」
「前座にしては結構尺が長そうじゃないかの?」
「ダイジェスト版ではいかがでしょうか? 魔王を倒すクライマックスまでで三十分ほどに短縮できます」
「えっ。既に魔王倒した後まで出来上がってるの?」
「はい、ボロ雑巾のように魔王はくたばりました。現在はアフターストーリーの執筆中にございます」
「気になるなあ。でも気にしたら負けじゃよなあ」
おそらくここで妄想のストーリーを聞いてしまえば、そのとおりの未来をなぞってしまう気がする。
ぐっとこらえて、話を本筋に戻す。レーコを促すと、件の書物の詳細を語り始めた。
「……ライオットの先祖と思しき者の記録は、一冊の書物として書かれていたわけではありません。複数の邪竜様に関する異説をまとめた写本の一節に残っていたものです。この写本がまた粗末な代物でして、明らかに邪竜様ではない別人もとい別竜の描写もあれば、それぞれの節が記された時代もてんでバラバラなのです」
「わしじゃないドラゴンの描写ってどんなの?」
「『街の外れにドラゴンがやってきた。黒い巨体が恐ろしげな竜であった。そこに勇気ある牛飼いが名乗り出て、竜に慈悲を乞うた。するとその竜は『喉が渇いとるから飲み物をくれんかの』と言ってきた。そこで牛乳を飲ませたところ、腹を壊して苦しそうに去っていった』」
わしだ。
大昔、図体がでかくなり始めた頃、なんだか行く先々で食べ物を恵んで貰えた時期があったのだ。
人間の食べ物だから、腹に合わずに食あたりになることも多かったけど。
「逆に、これこそ邪竜様だという記録もいくつか。たとえば『確実なる死の未来を告げてくる黒き竜』というのが登場しますが、これはまだ邪竜様が冥府の闇より生まれたばかりの頃の描写と推測されます。冥界に近しく、死の運命を司っていた時期でございます。それゆえの描写でしょう」
「そういえば昔、占いのバイトをさせられたことがあったのう。なんも分からんから『人間どうせいつか死ぬんじゃから気楽にいけばええんじゃないかな』とか言ってたけど、まさか違うよなあ」
商人の売り物にされていた太古の昔の話である。
玉乗りも火の輪くぐりも覚えられず、結局は喋れるという特性を活かして占いに転身させられたのだ。
客足はせいぜい日に一人か二人だった。
「……して、本題のライオットの先祖の描写でございます。これも信憑性でいえば先の牛乳のものと同類でしょう」
レーコは宝石の短剣を再び抜いた。
「あの村の位置や邪竜様の住まわれていた洞窟など、地理的な描写は極めて正確でありました。その上で述べられるのは『黒鱗に蒼い瞳の巨体。山の洞窟に住む邪竜レーヴェンディアは、神代より生きる強力無比な竜族にして、秘めたる魔力は天地すべてに並ぶ者なし。暴虐と破壊を尽くす究極の存在なり』と――ここまでは非常に正確な描写のため、かなり惜しいといえます。問題はその後です」
「問題?」
「そんな天地無双の邪竜様を相手に、筆者である流浪の冒険者は戦いを挑んだというのです。そして敗北はしたものの、この宝石の短剣で一太刀だけ邪竜様に掠り傷を浴びせることに成功したと」
「あ、そりゃ嘘じゃね」
断言できた。刃物を持った人間を相手にわしが掠り傷なんかで済むわけがない。普通に殺される。
「そうでございましょう。邪竜様に刃を向けて死以外の結末を得られる人間がいるはずがありません。ましてや、傷を浴びせるなど論外でございます」
「まあ逆回りの理屈でもそうなるよね」
レーコも同様の認識である。できるだけ穏健を貫きたいわしの立場からしても『暴虐と破壊を尽くす』あたりがアウトで、わしを無敵としたいレーコの立場からしても『掠り傷』がアウト。この説を今後の路線として採用するメリットはない。
ただ、純粋にどういう話なのかは気になった。
「で、その後はどうなったの?」
「――よいのですか? これより先はこのストーリーを書いた者の願望剥き出しの妄想話が続きますが、それでもお聞きになるのですか?」
「なんかさっきも似たような話を聞いた気がするから、構わんよ。一度も二度も同じじゃし」
レーコは「そんな話が先刻あったでしょうか?」と首を傾げつつも、わしに促されて渋々と続きを語った。
「後の物語は至極単純な英雄譚です。『永劫の生涯の中で初めて傷を受けた邪竜は、人間が持つ可能性に感銘を受け、その行く先を見届けることとした。そして冒険者は邪竜を奉じる司祭となり、かの竜を鎮める役を負うこととなった』――なんとも都合のいい話でございます。邪竜様は祀られて安穏としているような小さい器の持ち主ではありません。そんなので満足するのはあの水魔のような小物だけでこざいます」
ううんとわしは唸る。
聖女様へのディスはさておき、今の話にはかなり矛盾点が多い。しかし、書き手や地理が明確な上にわしの身体的特徴まで押さえているとなれば、偶然とは言い難い。
とすれば結論は一つしかないが、それを言ってしまうのではライオットに失礼では――
「十中八九、これは詐欺でございます。どこぞの山師が己に箔を付けて、司祭を名乗り始めたのでしょう。邪竜様をダシにして金儲けとはいい度胸です。今度ライオットに会ったらその旨をたっぷり叱ってやりましょう」
わしが遠慮していたことを、なんかちょっと活き活きしながらレーコが言ってのけた。




