邪竜レーヴェンディアの伝承
この上なく平和だった。
ハイゼンが本国とやらに書状を送って、早三日が経っていた。
当初はすぐに返事が来る――という予想だったが、ちっとも返事が来る様子がないのだ。
遠慮がちにハイゼンが言うのは「おそらく邪竜殿をどうもてなすかで意見が割れているのでしょう……」ということだった。
つまり、わしを招くか、断固として拒むかという問題が偉い人達の間で議論されているのだろう。
悪名高き「邪竜」を厚遇して魔王討伐の切り札とするか、はたまた「邪竜」を国に招くリスクを考えて敬遠するか。
厚遇するならどんな儀礼を尽くすか。
敬遠するなら、機嫌を損ねないための方便はどうしたらよいか。
大方、そんなところだろう。
「んー……あんまり気苦労をかけるのも悪いし、もう少しだけ待って返事がなかったら、わしらの方で勝手に出て行こうかの。『邪竜は返事を待たずにどこかに旅立った』っていうことなら、みんな安心するじゃろうし」
「なるほどさすがは邪竜様。人間どもの些細な政治問題など眼中にないということですね。我らは一刻も早く、魔王を倒す覇道を征かねばならぬ――と」
「うん。でも、あと少しだけ待とうね? わし最近ちょっと疲れが溜まってたから、ここらで少し発散しておきたいのよ」
そう言いつつ、わしはハイゼン邸内の客間で恍惚と伏せっていた。
身体の節々から上がる煙は、衛生兵たちが調合してくれた薬草のお灸である。運動のし過ぎによる関節炎や、加齢による各種のコリにも効くという。
わしの身体はアリアンテくれた薬によって若い時分の姿となっているが、どうも体力まで完全に戻っているわけではない印象を受ける。
長年引きこもって暮らしてきた不養生のツケは、若返っても解消されずにそのままのようだ。
「もちろんでございます。魔王討伐も邪竜様のお力あってこそ。その疲れを癒すは、この世界を統べる第一歩に他なりません」
「素直にそう言ってくれるとわしも助かるなあ。あ、レーコ。今度は肩の付け根あたり叩いてくれる?」
「かしこまりました」
レーコは傍らで肩叩きやらマッサージをしてくれている。
お灸をしてもらっている間、自分も何かするといって聞かないので適当に頼んだが、意外と上手くて助かっている。
そこに、がちゃりと扉を開ける音があった。
「ええと邪竜様。頼まれてたパパの文献持ってきたんだけど……」
両手に山積みの本を抱えたシェイナだった。背中にはおんぶ紐で精霊さんを背負っている。
懐かせようと肌身離さず連れ回しているが、まだ効果はないようだ。
「ああ、ありがとの。部屋のすぐ外の廊下に置いといてくれるかの? 今はこのとおりお灸をしとるから、部屋の中に置いてたら煙臭くなってしまうしの」
「邪竜様はただいまリラックスタイム中だ。下がっていいぞ」
ポコポコポコと肩が小刻みに叩かれて、わしは喉から「あー……」と眠気混じりの声を漏らす。
なぜか本を抱えるシェイナの目線が怪訝なものとなり、弛んだわしの顔をじっと眺めてくる。
「ん? どうしたのかの?」
「あ、いやなんでもないよっ。じゃあ部屋の外に置いてくからね」
なにやらここ数日、シェイナの様子がおかしい。
わしが聖女様とともに渾身の闇を発揮してから、態度がソワソワしている気がする。
おそらくは怯えさせてしまったのだろう。もう少しだけ落ち着いたら出ていくので、どうか心配しないで欲しい。
「しかし邪竜様。あのような文献が必要だったのでしょうか? 人間どもの筆によりますゆえ、一部には捏造と思しきものも存在します。必要とあらば私が五千年分のすべてを口述いたしますが」
「いいのよレーコ。人間たちにどう思われているかというイメージを把握するのも重要じゃろ?」
なにより、あの文献の方がレーコの妄想よりはいくらか現実的だと思う。
人間たちの語る「邪竜レーヴェンディア」のあり方には諸説あるようなので、その中でも一番穏健的なスタイルを公式設定ということにしたい。そして今後はその設定で通すのだ。
「ところで邪竜様。既に私はあの書物すべてに目を通しておりますので、目録代わりにお使いください。最適な本を選んでみせましょう」
「え? 本当? そんじゃ、あの本の中で一番わしのことを穏便に書いてるのってどんな感じじゃった?」
「そうですね……」
レーコはしばし記憶を探るように沈黙し、
「まず邪竜様が――冥府の闇より生まれて旧文明を殲滅したところまでは、すべての書物に共通する最低限の前段といえましょう」
「最低限がやたら重くない? そこから穏健路線にいくのって至難の業じゃない?」
「もちろんそうした記述のない書物もありました。しかし、邪竜様の研究を行う者としてそこは譲れぬ一線のはず。それすら踏まえぬ低俗な創作物は考慮の対象外としました。個人的になかなか真を突いていたと考えられるお勧め書物は三冊です。『邪竜覇王伝』、『冥府の帝竜の正体に迫る』そして『眷属直筆・邪竜様の魔王殲滅録(執筆中)』で……」
「お主の独自フィルタリングをかけないで。お願いだから全部対象に入れて。あと最後の執筆中ってなに? 明らかにお主が新たな一ページを刻もうとしてない?」
「これが最もオススメの伝記でございます。正確性においては他の追随を許しません」
すっ、とレーコが懐から紐で括った紙束を取り出してくる。細かい文字でびっしり何かが書かれていた。もう嫌だ。
「お願いだから、書物全部を候補に入れてもう一回検討してみてはくれんかの。わしが一番平和な感じで書かれている本はどんなのじゃったかの?」
「……その類の本ですか。燃やす衝動を堪えるのに大変苦労したところではありますが」
レーコが不機嫌そうに顔をしかめる。
そして腰の短剣をおもむろに抜いた。ライオットから貰ったという宝石の短剣である。
「この短剣が登場する書物がございました。書かれている内容からして、あの村の司祭一族――つまりはライオットの先祖が記したものではないかと思われます」




