荒ぶる邪竜様
幸いとターゲットには事欠かなかった。
駐屯地の地面はほとんど舗装もされておらず、そこかしこに草の株が根を張っている。
聖女様も元魔物の本領発揮といったところか、やる気満々である。
どこからともなく取り出した麦わら帽子と軍手を装着し、草たちに引導を渡す仕事人の風格を漂わせている。
まずわしらは、ハイゼンの屋敷の裏に回った。裏手ということで手入れも行き届いておらず、好都合なので昨日から何度もここで草を食わせてもらった。
――それを今度は、敢えて無駄にしようとしている。
「うんしょ。えいやー」
既に聖女様はぶちぶちと勢いよく草をむしり始めている。
根っこから抜かれた草を見て、わしは口から垂れかけた涎を慌てて抑えた。いかん。今は食事のために来ているわけではないのだ。
「聖女様だけに手を汚させるわけにはいかんしの……」
わしも意を決して草抜きに取り掛かる。ただ、わしの手は器用に草を掴めるようにはできていない。
必然として、口で咥えて引っこ抜く形となる。
「……いかん」
一口咥えた途端、舌の上に草の味が伝わってくる。新鮮な青草の香りが鼻腔をくすぐり、そのまま咀嚼して呑み込んでしまえとわしの中の本能が囁く。
「ダメです! 誘惑に負けないでくださいトカゲさん! 今、すごく食欲に負けそうな顔をしてますよ!」
「う、うう……だけど聖女様。考えてもみとくれ。これはもう半分くらい拷問じゃよ。口に食べ物を入れておいて、それをすぐ吐き出さないといけないなんて……。もったいないし腹は減るし……」
「いいんですか? そんな弱気なことを言っていては邪竜にはなれませんよ? レーコ様に向かった魔力を取り戻すには、この方法しかないんです」
そうだった。草は惜しいが、このままだと暴走レーコとともに魔王討伐まっしぐらなのを忘れてはいけない。
そしてついに意を決する。わしは修羅と化して、口で引きちぎった草を地面にそっと置いた。
「ふぅ……どうじゃの聖女様。今のわしはなかなか邪竜ぽかったかの?」
「私もイマイチ邪竜がどんな感じかはピンときませんが、普段のトカゲさんよりもワイルドな感じでしたよ!」
「ならよかったわい。じゃ、どんどん続きといこうかの」
良心と食欲の壁を乗り越えたわしは、聖女様とともに本腰を入れた草抜きに取り掛かる。
緑で埋まっていた屋敷の裏庭は、みるみるうちに地面の土色が顕わとなっていく。
そこで、屋敷の窓から声がかかった。
「……あ、あのさ? 何してるの? 二人とも……?」
山の精霊さんを肩車して懸命に懐かれようと試みている、シェイナだった。
雑草をひたすら掘り尽くすわしらの姿に戦慄したのか、若干顔を引きつらせている。
いかん。怯えさせてしまったか。
ここで本来なら「恐れ慄いたかシェイナよ。これこそわしの真の姿。邪竜レーヴェンディアの恐怖をとくと記憶に刻むのだ」とか言うべきなのだろう。
しかし、そんなことをしては少女の心にトラウマを残しかねない。
聖女様と目を見合わせて、この場をどうフォローしたものか考えていると、屋敷の窓枠からぴょこんとレーコが顔を出した。
万が一、魔物が精霊さんを奪還しに来た場合のことを考えて、見張っておくように命じていたのだ。
そしてわしの姿をまじまじと見るなり、満足げに言った。
「今日の邪竜様は一段と荒ぶっておられる……」
よし。レーコにも伝わっている。やはりこの道で間違いはなかった。
あとはシェイナへのフォローを早急に――
「ね、ねえ邪竜様? そ、そんなに雑草が気になったなら今すぐこっちで掃除するから、邪竜様がわざわざそんなことしなくても!」
物凄く狼狽して、シェイナが窓枠を飛び越えてきた。精霊さんを肩車したままだが、上手い身のこなしで着地。
そうだった。なんだかんだで、この子はわしを尊敬してくれていたのだった。
この悪事の片棒を担ぐことで、あるいは邪竜レーヴェンディアの力にありつこうとしているのかもしれない。
――待て。レーコに力が流れたなら、ここで悪行に及べばシェイナに力が流れる事態も十分ありうる。
「いいや、ならん。これはわしがやるべきことだからの。お主は精霊さんの世話をしとるがええ」
「え、でも邪竜様にそんなことさせるわけには」
「いいから下がれ。邪竜様が仰られたことに異を唱えるな」
いつの間にか裏庭に降りてきていたレーコがシェイナの手首を握って制止した。
「だってレーコちゃん。さすがにこれは私も手伝わないと……」
「――いいか、これはお前のためでもある。あそこまで荒ぶった邪竜様は私も初めて見た。今の邪竜様とともに業を重ねれば、お前はもう人間に戻れなくなるぞ」
「そ、そこまですごい事態が展開されてるの? 今?」
思わぬレーコの援護もあり、わしはシェイナに深々と頷く。
「そうなんじゃよシェイナ。今のわしはすっごくすごいのよ。そうじゃろレーコ?」
「はい。かつてなく邪竜様の闇を感じます」
ぐっと両拳を握ったレーコは嬉しそうに何度も縦に首を振る。
わしは涙目になるほど歓喜して、浮かれ調子のドサクサ紛れにちょっと草を食べた。美味かった。
「ところで、なぜそこの水魔を随伴させているのでしょうか? 大いなる闇の破壊活動ならば眷属たるこの私にお声がけをいただきたいところでしたが」
「えへん! それはですね、この行為はレーコ様にはまだ早いとトカゲさんが判断したからなんです! その点、これでも私は酸いも甘いも善悪も知り尽くした頼れるオトナですから――」
空気を読まずに自己アピールに突入しかけた聖女様の言葉を、レーコが短く遮った。
「そうか。大したものだ。お前の町に魔物が近づいているようだが、それを放ってまで邪竜様に忠誠を誓うか……」
「え? レーコ様? 今なんて言いました?」
「ついさっき探知したが、お前の町にまた魔物が迫っていた。確かに邪竜様とともに破壊の覇道を歩むなら、あんな町の一つや二つは見捨てても当然といえようが」
あんぐりと口を開けて聖女様は硬直した。
町を護るという自分の役割を拉致されてすっかり失念していたらしい。
「い、今すぐ私を町に送り返してくださいレーコ様! 投げてでも何でもいいですから!」
「何だ、その程度の決意か……。邪竜様、よろしいですか?」
「うん。大至急送り返してあげて。なるべく優しく」
レーコがぱちんと指を弾くと、さきほどイケメンさんが転送されてきたのと同様に亜空間が口を開き、聖女様を丸ごと呑み込んで消失させた。
「送り返しました。村に来た狼にも劣る雑魚魔物ですので、あの水魔でも十分に対処できるでしょう」
「あ、それならよかったけど、お主もう普通にその技を使い始めるようになってきたね。使われるたびにわしの神経が擦り減るから緊急事態以外はちょっと控えて欲しいんじゃけど」
「かしこまりました。やはり、自然の理を歪める技はこの世に少なからず影響を与えますからね。邪竜様が軽率に亜空間創成をしないのと同様に、私も今後は自重します」
安堵して頷きつつ、わしは目の前の空間に「レーコがやったみたいに歪め」と念じてみる。
もちろん何も起きない。
草を無駄にすることでそろそろ邪竜パワーが宿ってくるかと思ったが、まだ効果は顕れていないようだ。
だが、この調子でいけば遠からず宿るに違いない。
心なしか気分も軽くなって、わしは引き続き草をむしることにした。
ただ一点。
「荒ぶる……? ううん……?」
シェイナがこちらを見て首を傾げていたことだけが、少し気になった。




