凄まじい罪悪感
「なんか最近わし、物事を真剣に考えるのが馬鹿らしくなってきてのう」
「疲れてるんじゃないですか? トカゲさん、結構なお爺さんですよね?」
さらさらとせせらぐ小川のほとり。
不貞寝場所を探してその辺を一人でぶらつくことにしたのだが、誘ってもいないのに聖女様が一緒についてきた。
レーコが精霊さんの現状を見破り、さらに魔力を補給までしたことで、すっかり用済みになった聖女様はあまり構ってもらえなくなったのだ。
それがつまらなくなって、話せば構ってくれるわしに付いてきたらしい。
「ところで聞いてください! 私、実はあれから出世したんですよ! うちの町からペリュドーナまで大規模な水路を引く工事が始まったんです。一流冒険者の集う街で私の湧かせた水が使われるなんてすごいことだとは思いませんか?」
「ああ、そういえばあそこの街は水道施設が老朽化しとるとかレーコが言うとったね」
この話をしたかったのがありありと伝わってくるほどに聖女様は饒舌だった。
「あ、もちろん私の居場所は今の町ですけれどね。だけど必要と言われれば断れないのが私なんです。聖女として救いを求める声にはなるべく応じないといけませんからっ」
「お主は真面目じゃね」
「えへへそんな……まだまだですよ。いずれは一国丸ごと私を崇めてくれたり……するといいなあ……」
「あんまり手広くしない方がええと思うよ。お主はどこかでポカやりそうだから」
それにしても、聖女様はかつて魔物だったとは思えないほど善良である。
魔物時代も相当なポンコツだったみたいだから本質は今とさほど変わりないのだろうが、魔物を神に変えてしまうとは、あの町の人々の信仰はよほど厚かったのだろう。
そこで、わしの中にふと疑問が芽生えた。
「のう聖女様。ちょっと聞いてええかの?」
「はい? なんですか?」
「さっきお主が言ってた『畏敬や畏怖が魔物の力になる』って話なんじゃけど、たとえば『実在しない魔物』に世界中のみんなが怯えたりしとったらどうなるんじゃろ?」
「実在しない魔物……?」
ピンと来ていないようで聖女様は首を傾げる。
「うん、つまりわしのことね。ほれ、わしって邪竜レーヴェンディアと誤解されとったじゃろ?」
「そういえばそうでしたね。でも、実際の邪竜様はレーコ様なんですよね?」
「お主まだそれ勘違いしとったの? 違うから。レーコは純粋にただの人間で魔物カテゴリじゃないから。邪竜レーヴェンディアなんてドラゴンはこの世に実在しないの」
聖女様はよほどショックが大きかったのか、石になったかのように固まった。
「ほ……本当ですか? あの魔王とも並ぶ――数千年の時を生きた伝説の邪竜が実在しないと……?」
「あ、わしが数千年生きとるのは事実だけどね。黒い体に青い瞳っていう特徴もまんまだし。レーヴェンディアっていう名前が勝手に付けられて、強さとか性格が極端に脚色されとるって話」
ちなみにレーコには絶対内緒ね、とわしは念を押す。
聖女様はわしの発する深刻オーラを読み取ったのか、ごくりと喉を鳴らして頷いた。
「で、こういう場合、わしに対する畏怖の念ってどこに行くんじゃろ? わしが本物の魔物だったら凄まじく強くなるんじゃろうけど、そんな気配は微塵もないじゃろ?」
なんたって、魔力を受けようにも受け皿がない。わしはただの草食動物なのだから。
「そうですねえ……。そんな例なんて聞いたことないから全然分かりませんけど、行き先が実在しない思念ならいつか消えちゃうんじゃないですか?」
「うん、やっぱりそうじゃよね。安心したわい。わしのせいでどこかに変な魔力がダダ漏れになってたりしたら責任を感じてしまうもんの」
「大丈夫だと思いますよ。トカゲさんの身の周りで、いきなり魔物が発生したりしたことなんてないですよね?」
「ないない。そんなことがあったらわしはもうこの世におらんよ」
トカゲさんすっごく弱いですもんね! と聖女様は笑った。
わしの記憶が確かなら、聖女様との勝負には勝った覚えがあるのだけれど。
「ああでも、気付かなかったことはあるかもしれんの。存在に気付かんほどすごく弱い魔物とかだったら、わしが寝てる間とかに発生してたかも……?」
「いえいえ。邪竜レーヴェンディアへの畏怖の念が具現化したんだったら、そんな低級の魔物じゃすみませんよ。たとえば爪を振るだけで地を裂いて、音をも超えて空を飛ぶようなすごい魔物が出てくるはずです」
「なら安心じゃね。そんな魔物がわしの周りでいきなり現れたなら、絶対気付いとるはずじゃから……」
ここ最近の記憶がにわかにフラッシュバックした。
何の変哲もなかった少女が、いきなり『信じられない量の魔力』に目覚めて、地を裂き空を飛び炎を噴いて空間を歪めて、『邪竜』の眷属として振る舞っている。
途端に、わしの首筋にだらだらと汗が流れる。
「どうしたんですかトカゲさん? なんだかすごく具合が悪そうですよ?」
もしかするとわしは、とんでもないものをレーコに押し付けてしまったのかもしれない。




