拉致
話を聞いてみる価値はあると思ったが、話を聞く資格があるとは思えなかった。
聖女様との別れはレーコによるぶん投げであった。
あの後聖女様がどうなったかは知れないし、会ったところで怯えさせてしまうだけだと思う。
「うん、レーコ。わしもそのあたりは気になるけど、聖女様も何かと忙しいじゃろうし、わしらの都合だけで話を聞きに行くわけにはいかんと思うのよ。あとよく考えたらわしらあの町に出禁喰らっとるし」
そう言ってレーコを振り返ったとき、わしは手遅れを悟った。
既にレーコの姿はなく、土煙を巻き上げるつむじ風だけがその場に残っていた。
遠方の空を仰げば、黒い翼をはためかせて一直線に聖女様の町へ向かっていくレーコの姿。
「いかーん! レーコ! 早く戻ってきなさーい!」
もはや点にしか見えないほどの距離だが、レーコがわしに向けて「分かりました」と拳を握ったのがはっきり分かった。主に勘で。
違う。そうじゃない。「聖女様を掴まえて早く戻ってきなさい」ではなく、純粋に今すぐ戻って来て欲しいだけなのに。
「……ああ、もう見えなくなってしまったのう」
「邪竜殿。いったい眷属殿はどこに向かわれたのですか? あの魔物を追跡しに?」
「いんや、そうじゃなくてね。わしらの知り合いで、もしかしたら精霊に詳しいかもしれない人がいるっていうだけで――」
「え、ほんとほんと? さっすが邪竜様。人脈が広いっ」
へこへこと揉み手してシェイナが近寄ってくる。うへへと密かに笑うその表情ははっきりいって小悪党のそれである。
「あ、でも期待はしないでね。何も知らんかもしれないし、そもそも来てくれるかどうかも分から……まあ、たぶん拒否しても連れてくるとは思うんじゃけど」
案の定。
数分後には、レーコは獲物を鷲掴みにした猛禽のように人影を吊るして戻ってきた。
水色の髪を揺らす人影――聖女様は、特に騒いでいない。だが、口から魂がはみ出たような放心状態に陥っている。
「さあどうぞ邪竜様。お好きなように尋問を」
地に降りたレーコは厳かに物騒なことを言う。
「あ、あの。聖女様? 大丈夫かの? いきなり連れてきてしまって本当すまんの」
「と、トカゲさん……? ここはいったい……?」
聖女様に返事をする前に、とりあえずわしは「トカゲさん」呼ばわりに無言で短剣を抜いたレーコを押さえにかかった。
「いいんじゃよレーコ。お主にはまだ言っとらんかったけど、わしはこう見えて聖女様の力を認めておるから。ちょっといろいろ残念で面倒臭いところはあるけど、わしに一対一の勝負を正々堂々と挑んできた豪の者じゃからね? 一度戦えばもう戦友じゃから。トカゲさんって呼んでも全然構わんわけ。いい?」
「なるほど。邪竜様がそう仰るなら許しましょう」
しばらくボケっとしていた聖女様だったが、地に足を付けて落ち着いたのか、だんだん目に光が戻ってきた。
「えへん、そうですよ! 私とトカゲさんはデスマッチを経たマブタチなんです。で、どうしたんですか? レーコ様ったらいきなり来るものだから本当にびっくりしちゃいまし――」
ざわっ、とハイゼンやシェイナたち一同がどよめいて聖女様を取り囲んだ。
「邪竜殿とデスマッチを繰り広げて生き延びておられると……?」
「すごいすごい! 見た目、あんましあたしと歳も変わらなそうなのに!」
聖女様の実際の歳はたぶんシェイナの比ではないだろうが、そこは触れないでおく。
そして、囲まれてやいのやいのと賞賛を受けた聖女様は、先ほどまでの自失状態はどこへやら、どんどん得意顔になり始めた。
「どういうことか分かりませんけど、ここにも私の価値を分かってくれる人がたくさんいるんですね! あ、でもでも移住はできませんよ? 私には帰るべき町がちゃんとあるんですから」
「あ、それは別にどうでもいいからお姉さん、この子と喋ったりできます?」
調子に乗りかけた聖女様の言葉を遮って、シェイナが精霊さんを押し付けた。
いきなり野生児を押し付けられた聖女様は、きょとんと眼を丸くして懐に抱える。
「あの、これどういうことですかトカゲさん?」
助けを求めるように尋ねられたわしは、声を落として聖女様の耳元で言う。
「ああ、誰も彼もみんな言葉足らずでごめんな。その子はどうも精霊らしいのよ。だけど意思疎通がまるで取れんときとる。んで、魔物から神様になったお主なら、その中間の精霊の気持ちも分かるんじゃないかなあと思って」
「なるほど! 私だけが頼りなんですね!」
ぴこーん、と聖女様は常人よりちょっと長い耳を立てた。
そして意気込んで精霊さんを高い高いして、
「さあ精霊さん。清浄と豊穣の聖女たるこの私に心を開いて!」
『高くなる』
「照れないで。大丈夫。私も昔はヤンチャだった時期があったからあなたの気持ちは分からなくもないから……」
『天地返る』
「聖女様。熱がこもるあまりに精霊さんを落っことしとるよ。しかも頭から」
ガリガリと精霊さんは石ころの食事を再開する。それを見た聖女様の結論は、
「――はい、分かりませんっ!」
「じゃろうね」
「よく考えたら、私って生まれたときからずっと人間を沈めようとか助けようとか意識してきたので、こんな風に人間に無関心だった時期はないと思います。つまり今自覚しましたが、私に精霊だった時期はないということです!」
なるほど、構ってちゃんは精霊になりようがないということか。
「結構だ。用済みだから帰っていいぞ水魔。帰りの準備は整えてある」
「レーコ。腕をぐるぐる回して投擲姿勢に入ることは帰りの準備と言わないからね」
何としてでも普通に送り届けさせねば、とわしが言い聞かせようとしたとき、再び聖女様が精霊さんを持ち上げた。
「だけど、魔物も精霊も人の意思から生まれるのは同じですからね。たぶんですけど、この子は私みたいにわちゃわちゃ動かなくても、周りから注目されてたんじゃないですか? だから、こんなにマイペースでのんびりしてるんだと思いますよ。でも急に環境が変わったんですかね? お腹が減ってるのは注目が薄れて魔力が足りなくなったからかな……? このあたりの石は少し魔力を含んでるみたいですし。たぶん、貴金属の鉱石とかですね。それを食べて魔力を補充してるんだと思いま――」
シリアスな表情になったハイゼンとシェイナがそれぞれ聖女様の肩をポンと叩き、参考人として粛々と連行していった。




