闇を纏ったイケメンの襲来
目覚めたらおかしなことになっていた。
まず、ハイゼン邸の客間の隅っこで寝ていたまではいい。背中にレーコが寝ているのもいつも通りだ。
が、目の前でシェイナが猿ぐつわを噛まされて柱に縛られているのは理解できなかった。ふんぐぐぐ、と唸ってじたばたしている。
「起きてレーコ。これはどういうこと?」
「……おはようございます邪竜様。何か問題がありましたでしょうか」
「いやいや、これってお主の仕業よね? 他にこんなことをする人はおらんじゃろうし」
「意識を取り戻したときに、自らの恥を思い出して自決せぬよう配慮をした次第であります」
「ここまでやる必要があったかな」
レーコに命じてすぐに縄を解いてやると、シェイナは涙目でひどいと訴えた。
「ひどいよレーコちゃん! 眠らせて家に連れて帰るなんてあんまりだよ! どんな顔してみんなに会えばいいか……!」
「ていうかさ、お主は魔法が使えるんじゃから縄ぐらい千切れんかったの?」
「抜かりはありません邪竜様。念のために魔力の発動を封じるツボを突いておいたのです」
「そうなの」
どこでそんなツボを知ったのだろう。もうどうでもいいけど。
シェイナはブツブツと愚痴を吐きながら絨毯の毛玉をむしっている。
「うう、ひどい。もうお嫁に行けない。『あいつ実は努力家なんだぜ』とかみんなして陰口を叩いてるに決まってる。全員闇討ちして二度とそんな口聞けなくしてやる」
「落ち込むな。邪竜様を崇めよ。さすれば力は与えられん」
「さりげに宗教勧誘みたいなノリで落ち込んだ人に付け込むのはやめようね」
と、呆れながら二人を眺めているうちに、妙なことに気付いた。
屋敷の外がやけに騒がしいのだ。
「大変です邪竜殿!」
そう思うなり、部屋の扉を開け放ってハイゼンが飛び込んできた。一瞬、シェイナが部屋にいたことに驚いたようだったが、すぐに窓の外を指さして、
「一大事です! 山が! 我らの金山が消えてしまいました!」
「へ?」
山が消えた?
そんな馬鹿な、と言いかけて、わしはすぐにレーコに向きなおった。
「のうレーコ。お主の火って山を消すまで燃えたりはしないよね?」
「そこまではしないように火力調整はしておりました」
「やろうと思えばできたのね」
だが安心するのは早い。山の精霊がレーコに恐怖してどこかに山ごと逃げてしまったという可能性も考えられる。
わしはだらだらと汗を流しながら、
「と、とにかく見てみようかの。もしかしたら霧が出てるだけとかの見間違えとかかもしれんしの」
「それはありません。今日は雲一つない快晴でありますし、何よりつい先ほどまでは目の前に山が存在していたのです。それが、ただの一瞬で忽然と消えてしまいまして……」
「魔物の仕業か?」
レーコが身を乗り出して尋ねる。ハイゼンは「おそらくは」と頷いた。
その緊迫した最中にあって、どこか拍子抜けした顔をしているのはシェイナだ。
「あ、あのパパ? 兵士の人達からあたしの話とかなんか伝わってきてない?」
「ん? 何がだ? すまんが、今は金山が消えたことで皆大慌てでな……。危急の話でなければ後にしてもらいたい」
「いーや何でもないよ! 全っ然気にしないでいいから!」
シェイナは途端に満足げな顔になってふふんと鼻を高くした。この場にあって、山の消失というハプニングを唯一ポジティブに捉えていそうだ。
「とにかく邪竜殿。山を一晩で消す魔物など、到底我らの手には負えませぬ。どうか山を取り戻していただけないでしょうか。見張りを命じられておきながら金脈をむざむざ失ったとあらば、この部隊の面々は軍人として二度と拭えぬ汚名を着せられてしまいます。私も本国に残した家族に顔向けできません」
「あ、お主ら二人暮らしかと思ってたら普通に家族はおるのね?」
「七人家族にございます。シェイナだけが本国の魔導教導院に行くのを嫌がって辺境警備の赴任に着いて来ましてな。『天才に学び舎は不要』と……」
「ううん、プライドがいろいろ邪魔しとるね」
「邪竜殿? それはどういう?」
「いんや何でもないよ。とりあえず外の様子を見に行こうかの」
小走りで駆けるハイゼンの背を追って屋敷の外に出る。
一目で判った。昨晩まで存在していた燃え盛る金山が、影も形もなく視界から消え去っていた。
国境として伸びていた山脈に、忽然と一か所だけ歯抜けが生じたような風景になっている。
もちろん、わしが見ても何ともいえない。
その辺で騒いでる兵士たちと同じ感想しか抱けない。
「どうじゃなレーコ。お主としてはこの状況をどう見るかの?」
わしがそう言って背後を振り返ったとき、レーコはボロ切れのようなものを片手で振り回してべしべしと何度も地面に叩きつけていた。さしずめパン生地を叩きつけるような動きである。
ボロ切れは結構長い。ちょうど人間の身長くらいはありそうである。
「レーコ? 何をして遊んどるの?」
「犯人らしき魔物がいたのでとりあえず捕まえて戦闘不能にしました」
ぽいっ、とボロ切れが投げ捨てられる。
わしの眼力が見据えたその正体は――人外の証たる暗き魔力を纏い、紫色の長髪をたなびかせた二枚目極まりない男だったが、
今はもう、白目を剥いて虫の息だった。




