1.予兆
虎之助がアルヴァテラをプレイし始めてから、二週間が経過した。
連日慎一郎との試合を行い、最初の四日以降は対戦拒否権を手に入れた状態で他のプレイヤーとも交戦している。
全て同意の上での非賭けバトルであり、勝ったり負けたりを繰り返しながら賞金を稼ぎ、徐々に所持カードの種類を増やしていった。
二週目に入ったところでリアルマネー三百円のプレミアムカードパックにも手を出し、その露骨な中身の差に何とも言えない気分を味わっている。
だが、何はともあれ虎之助は久々のゲームを存分に楽しんでいた。
「プレイし始めて二週間って事は、鳳華ちゃんが虎之助の家に居候を始めてからも二週間って事になるわけだよね」
「そう、なるな」
「なるね」
「あらあら。もうそんなに経つのね」
例によって、虎之助は慎一郎とともに鳳華とナタリアを交えて屋上で昼食をとっていた。最近は居候である鳳華を連れて学校へ行く事にも慣れ、ごくごく自然に振舞えるようになっている。
彼女は彼女で色々と馴染んできたようで、今のところ誰に怪しまれている様子もない。なぜかずっとメイド服のままだが、虎之助は本人が気に入っているなら構わないだろうと放置していた。
「どうなんだろう。さすがに二週間ともなればご両親が心配されてるんじゃないかな?」
「…………うーん」
慎一郎の言葉に、鳳華が難しい顔になって唸る。
出会った当初は意地になって家に帰る事を拒んでいた彼女だったが、最近は軽いホームシックにでもなっているのか、パソコンの中でぼんやりしている事が多くなった。
ゲームをやっている間はいつも通りなのだが、それが終わると一気にテンションが落ちるのである。
「帰るにせよ帰らないにせよ、一度連絡くらいはした方がいいんじゃないか?」
「……それは、そうなんだけど」
鳳華の言葉も態度も歯切れが悪い。
気になった虎之助が何か心配事でもあるのかと尋ねると、彼女は少し迷ってからコクリと頷いた。
「ママって逆探知が上手いから、下手に連絡を取るとあっという間に居場所がばれちゃうと思う。そうしたら強制的に連れ戻されちゃうかもしれないしなぁって」
つまるところ久しぶりに家族に会いたいとは思うものの、まだ帰る気にはなれないという微妙な心境という事なのだろう。
飛び出した手前、寂しくなって戻りましたというのも格好がつかないと思っているのかもしれない。
「なるほど。それだと確かに直接お家の方に通信をつなげるのは不味いかもね」
慎一郎の言う通り、電話にせよメールにせよ、少なくとも携帯端末や自宅のパソコンから連絡するのは止めておくのが得策だろう。
「あ、ねえ鳳華ちゃん」
「なに?」
「結局鳳華ちゃんの実家ってどこなの? それが分かれば居場所を特定されないでも連絡を取る方法を思い付けるかもしれないんだけど」
「う……」
鳳華が言葉に詰まる。居心地悪そうにもじもじしたり、落ち着かないのかすりすりと両手を擦ったりしていた。
「やっぱり、あまり人には言えないような場所なのか?」
虎之助がやっぱりという言い方をするのは、鳳華という存在の特殊性を考えた結果である。
何の巡り合わせなのか今現在は彼の家、彼のパソコンに居ついてはいるが、本来であれば彼女は彼の手元にいていいような存在ではないのだ。
「………………」
今度は完全に黙り込んでしまった。自分の素性については会って早々にべらべらしゃべっていた彼女だが、家の事に関しては口が重い。それは意地を張っているのとはまた別種のものだ。
「ん?」
ちらりと、鳳華が虎之助に視線を向けてくる。なにかを言いたそうにしている様子だったが、その顔には迷いの色が濃かった。
そんな彼女を見て虎之助はかしかしと頭をかき、小さくため息を吐いてから、
「なあ鳳華。慎一郎の繰り返しになるが、やっぱり一度連絡はした方がいいと思うぞ。どういう経緯があったにせよ、お前の両親はひどく心配しているはずだ」
「……うん」
「メールならアクセスポイント喫茶からでも送れば直接の場所はバレないだろうしさ」
不特定多数が利用する場所からメールを送るのであれば、潜伏地域を限定される恐れはあっても直接虎之助の家にたどり着かれる心配はない。
場合によっては電車か何かで遠出した先から送る手もあるだろう。
虎之助の提案に対し、それでも鳳華はずいぶんと躊躇っていたが、
「……うん。分かった。メール、送ってみる」
最終的には家族への気持ちが勝ったらしく、ややしおらしくもコクンと頷いた。
それを確認して、
「ん。さて、それだとどこから送るかだな。やっぱりこういう場合は地元を避けた方がいいか?」
虎之助は視線を慎一郎へ向けながら尋ねた。慎重をきす意味でも複数人で考えた方がいいだろうと思ったからだ。
「そうだね。セオリーで考えるならそうなんだけど……ねえ鳳華ちゃん。もし君が一人で連絡を取ろうとしてどこかからメールを送ったら、その後どうする?」
慎一郎は腕を組みながら少し考える仕草をしてから、鳳華にそんな質問を投げた。
問われた彼女は一瞬きょとんとして目を瞬かせ、
「どうするって、すぐにその場を離れるよ。さっきも言ったけど、ママに逆探知されたら一発で分かっちゃうもん」
すぐにアヒルの様に口をとがらせながら答えた。
「だよね。なら、ここは裏をかくのも手って事になるんじゃないかな?」
「え?」
「……ああ、そういう事か」
虎之助は慎一郎の言わんとしている事を理解した。
逃げ隠れしている者の心理として、自分の痕跡を残した場所にいつまでも留まろうとは思わないだろう。今さっきその逃げ隠れしている本人の口からも言質を取っている。
だが、だからこそわざと地元を晒すのは十分にアリだ。相手方も親であれば娘の考えをある程度予測出来るだろうが、虎之助と慎一郎の考えまでは予測出来ない。
鳳華の行動を予測されたとしても、彼女に影響を与える存在の入れ知恵まで看破するのは不可能だ。
「それなら確かにわざわざ遠出する必要はないな。今日にでも駅前のアクセスポイント喫茶に行ってみるか」
「どういう事?」
「相手の裏をかくって事。放課後までにメールの文面を考えておけよ」
話を理解しきれずに首を傾げている鳳華に答えつつ、虎之助は時計を確認する。もうそろそろ昼休みが終わる時間であった。
「そんじゃ、今日は二十時半くらいに集合でいいよな。帰ってすぐ駅前行かないといけないし」
「そうだね。それでいいと思うよ」
「ねーねー。だからどういう事?」
「あらあら。うふふ」
この後の予定を確認し合い、虎之助はゴミをまとめて座っていたベンチから立ち上がった。
◆
虎之助が利用する最寄駅は学校とは正反対の方向にあるため、彼は一度家に寄って着替えてからアクセスポイント喫茶へ赴くつもりでいた。
「ん? 小鳥はまだ帰ってきてないのか」
帰宅して家のドアを開ける際、虎之助は妹の自転車が定位置にない事に気が付いた。普段であれば彼よりも帰宅が早いはずなのだが、今日はそうでもないらしい。
珍しい事もあるものだと思いながらドアを開けて帰宅を告げる。すると、美雪がリビングからひょっこり顔をのぞかせた。
「あら、お帰り虎之助。今日は貴方の方が早いのね」
「みたいだね。っと、母さん俺ちょっと出かけてくる。割とすぐ戻っては来ると思うから心配しないでいいよ」
「あらそう? どこに行くの?」
「駅前の方」
虎之助が行き先を告げると、これ幸いとばかりに美雪がポンと手を打った。
「あ、じゃあちょっとスーパーでお味噌買って来てくれるかしら。今日安かったんだけど、別のスーパーに買い物行ったから買えなくて」
「ん。分かった。でも先に用事済ませてからになるから、買えなかったらごめん」
「その時はその時よ。それじゃお願いね」
ひらひらと手を振って、美雪がリビングに引っ込んだ。
虎之助はさっさと自分の部屋を目指し、カバンを床に置いて財布や端末をベッドの上に放り投げる。
「わわっ!? もうっ。そんな乱暴に投げないでよ虎之助。びっくりしちゃうよ」
「ん? ああ、悪い悪い」
制服を脱ぎ、ワイシャツのボタンをほぼ外していた虎之助は、そこで着替えを中断してベッドに放り出した端末を手に取った。
「だいた――っ!」
何かしら文句の一つでも言ってやろうという感じだった鳳華が急に言葉を切り、直後にかーっと顔を赤くして落ち着きをなくし始める。
「ん?」
その急激な変化に虎之助は首を傾げ、まじまじと鳳華を見つめる。
しかし彼女は依然として顔を真っ赤にさせたまま口をパクパクとさせていた。
ふと、虎之助は下の方で玄関ドアの開け閉めする音を聞いた。どうやら小鳥が帰って来たらしい。美雪と二・三の言葉を交わす声が聞こえ、そのまま階段を上ってくる音がし始めた。
「鳳華。一応外に出るまでしゃべるな」
とっさに端末を自分の胸に寄せて画面を隠しながら虎之助は鳳華に注意を促すが、なぜか彼女の返事がない。
さてどうしたのかと画面を確認すると、鳳華はゆでだこのような状態になって「はだ……はだ……」とわけの分からない言葉を繰り返していた。
そんな姿に虎之助は首を傾げるが、とにもかくにもさっさと着替えを済ませてしまおうと念のため端末を裏返しにしてベッドの上に置き、ぱぱっと私服のシャツとズボンに着替えて冷房対策の薄手の上着を引っ掴む。
ベッドに放置した財布と端末をそれぞれポケットに入れ、彼はそのまま部屋を出ようとして――
「うおっ」
「あ……」
ドアの向こうで今まさにノックしようとしている体勢の小鳥と鉢合わせ、思わずつんのめる。
「っと……。どうした小鳥。なにか用か?」
「あ……えっと、その……」
ふいと小鳥が虎之助から視線をそらし、もじもじと落ち着かない様子を見せた。帰ってきて自分の部屋に行かずにここへ来たのか、カバンを手に着ているものは学校のセーラー服のままである。
「えっと、ね。だから……」
なかなか言葉が続かない。彼女は普段から言いたい事ははっきりと言う性格であるだけに、こうして躊躇いを見せるのは比較的珍しい事であった。
これは何かあるなと虎之助は思ったが、間の悪い事にこれから別件を片付けに行かなくてはならない。ゆえに彼は妹の話を後回しにするという選択をしてしまった。
「おにいあの――」
「悪い小鳥。俺ちょっと急ぎで出かけないといけないから、話は帰ってきてからでもいいか?」
「……え?」
ぱんと両手を合わせて頭を下げたため、虎之助は小鳥のショックを受けたような表情を見逃してしまった。
彼女にしても即座に表情を取り繕ってしまったため、虎之助が顔を上げた時には少し悲しそうな笑顔で、
「そっか。急用じゃ仕方ないよね。うん、分かった。それじゃあまた今度にするね。……行ってらっしゃい」
「ん? お、おう。行ってくる」
嫌味の一つでも言われると思っていた虎之助は、どこかシュンとなってしまった小鳥の態度に内心で首をひねりつつ微妙な罪悪感を覚えていた。
しかし今は鳳華の件を片付けるのが先である。彼はポンポンと妹の頭を軽くなで、その横を通り過ぎて階段を下りて行った。
その際うつむいた小鳥の口が動き、「おにいの馬鹿」と非難の言葉を紡いでいたのだが、声があまりにも小さかった事と階段を駆け下りる騒々しさのせいで虎之助の耳に届く事はなかった。
一人残された小鳥はしばらくその場に留まっていたが、やがて小さくため息を吐き出し、彼女は自分の部屋へと戻って行った。
◆
自転車を飛ばして駅前に至り、虎之助は目当てのアクセスポイント喫茶を訪れていた。
過去に作った会員証で利用登録を済ませ、さっさと指定されたブースに移動する。
鍵のかけられる狭い個室内にはパソコンとバーチャルリアリティ機器が設置されており、普通のネットサーフィンからバーチャルリアリティログインまで何でも出来るようになっていた。
「さてと」
パソコンのスイッチを入れ、虎之助は無料メールのアカウントを取得する。当然、打ち込む情報は全部デタラメだ。
最初は全部鳳華にやらせようと思ったのだが、不特定多数が利用するごちゃごちゃなパソコンに入りたくないと頑なに拒否の姿勢を見せたため、仕方なく端末から画面が見えるように壁に立てかけてやっている。
「――これでメールアカウントはよしと。で、送り先はどこにすればいいんだ?」
「あ、うん。えっと――」
鳳華がすらすらと文字列を暗唱する。虎之助はそれを口述筆記するようにキーボードで打ち込んだ。
「k-otori……kujougiken……と。ふむ。なあ鳳華。ここがお前の実家なのか?」
「一応、ね。えっとほら、ママも私と同じデータ生命体だから、現実世界にいるのってパパだけでしょ? どこかにアパートか何かを借りてるってパパは言ってたけど、わたしとママがその『久条技研』にいるから、パパもずっと泊まり込みをしてるんだよ」
「ああ、なるほど」
確かに家族が全員そこにいるのであれば、わざわざ一人になるアパートに帰ろうとは思わないだろう。
「鳳華の親父さんは科学者だったんだな」
「うん。ママも非公式にだけど研究のお手伝いをしてるみたい。だからわたしも二人の役に立ちたくて手伝わせてって言ったんだけど……」
そこまで話して、鳳華が画面の中でシュンとうなだれてしまった。
つまりは手伝うと言った彼女の申し出を両親が断るか何かをして、それが気に入らなくて家を飛び出したという事だろう。
「まあだいたい事情は分かったよ。ああそれと、なんとなくお前の本名が分かったんだけど、訂正した方がいいか?」
「え? あ、ううん。せっかくだから鳳華のままでいいよ。その名前は、また今度ちゃんと自分で言うから」
「ん。じゃあその時まで待つか」
「……うん。ありがとう虎之助」
ようやく鳳華の顔に笑顔が戻る。
その笑みに満足して、虎之助は彼女にメールの文章を口頭で言うように促した。
しばしメール作成に時間を使い、何度か確認作業をしてから送信の準備を整える。
メールの内容はいたってシンプルなものだ。両親に対して鳳華が無事でいるという事。もうしばらくは戻るつもりがないという事。そして何か連絡を寄越したい場合は指定された場所に書き込みをしてほしいという事の三点だ。
「この指定してる場所ってどこだ?」
「九条技研の外部掲示板だよ。他の職員の人たちも利用している場所だから、パパが書き込むにはちょうどいいでしょ?」
「ふむ」
鳳華の話によれば、九条技研にはパスワードのかかった内部掲示板というものもあるという事だが、いちいち承認させるのが面倒という事で、頻繁にやり取りされる事務的な連絡はオープンなものを使用しているという事だった。
研究所内と直接リンクしていないため、書き込みを確認に行って捕捉される事もまずないという事らしい。
「ちゃんと考えた上での選択か」
「もちろん。って、虎之助わたしの事馬鹿にしてる?」
「いいや別に」
ぶーと軽く頬を膨らませた鳳華が、じと目で虎之助に疑いの目を向けてきた。
向けられた当の彼はその視線をさらりと流しつつ、子供だとは思ってたという言葉を飲み込んでいらぬ波を立てないようにする。
「じゃあ送るぜ。その後すぐに出て、買い物してから帰りだな」
「スーパーに寄るんだよね? だったら何かご飯買って」
「はいはい」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる鳳華を見て、虎之助は仕方ないなといったため息を吐き出した。
「食事がデータで安価だからまだいいけど、これが現実だったら俺の小遣いがもたないな」
「あ…………ごめんなさい」
「ん? ああ、いや、別に謝る事はない。お前を家に置いておくって決めたのは俺なんだ。食費ぐらいまかなってやるのが家主の務めってもんだろう」
正確に言うと家主は虎之助の父親なのだが、あの部屋に関しては虎之助の使用権があるわけで、意味合いとしては間違っていない。
彼は立てかけていた端末を手に取り、椅子から立ち上がった。
「ついでに飲み物のデータも買ってくか」
「あ、じゃあ――」
「分かってるよ」
はいはいと元気良く手を挙げた鳳華の言葉を手で制し、虎之助はキーボードのボタンを押してメールの転送を開始する。
そうして、端末の画面の中で首を傾げている鳳華に対して笑みを作った。
「カルピスソーダの濃いめ、だろ?」




