5.講習
「あはははっ!!」
「……笑えよ。ああ好きなだけ笑うがいいさ」
翌日の昼休み。例によって購買でパンと飲み物を手に入れた虎之助と慎一郎は、内緒話をするために屋上へと足を運んでいた。
虎之助の高校では屋上を開放しており、二メートル以上の高さがあるフェンスで囲まれた空間には屋上緑化として花壇やベンチなどが存在しているのだ。
その雰囲気の良さからこの場所は主にカップルでの利用者が多いため、休み時間は常時ピンクな空気に溢れている。そのせいか一人での利用や友人同士での利用をしづらい雰囲気があり、同じカップルでなければ非常に居心地が悪い。
しかし互いに自分の相手しか眼中にないというような者たちばかりであるため、人が多くても逆に人目を憚るには都合のいい場所なのである。
実際、腹を抱えて転げる慎一郎の馬鹿笑いにも一時迷惑そうな視線を向けるだけで、周囲の面々はすぐに自分たちの世界へ帰って行った。
「……慎一郎、君。あんまり、笑ったら、虎之助君に悪い、わよ」
「別にこらえなくてもいいですよナタリアさん。笑われて怒るくらいならそも話しませんから」
慎一郎の端末内で顔をそらして肩をプルプル震わせているナタリアに、虎之助はため息まじりにそう伝える。
実際、今の言葉は掛け値なしに本音であった。たとえどんな事を言われようと、受け入れるより他にないのである。
「むー。ごめんね虎之助。わたしのせいで変な事になっちゃって」
「いや、鳳華のせいじゃない。あの場での選択をミスったのはあくまで俺だ。ちょっと考えが甘かったんだよ」
端末の中でしゅんとうなだれるメイド少女を見て、虎之助はゆっくりと頭を振った。
「それよりも、あまり不用意にしゃべるなよ。学校の中は大丈夫だと思うけど、どこで何がどうなるか分からないからな」
「あ、うん。わたしはあくまで虎之助のアドキャラの鳳華。そう振舞うんだよね?」
「ああ。それが一番面倒がない」
鳳華の言葉に虎之助がコクリと頷くと、
「そこのお二人さん。そもそもそういった会話をする事自体が妙に思えるよ」
横合いから慎一郎の突込みが入った。
彼に言われて、虎之助も自分たちの会話が普通ではない事が前提の会話になっていた事に気が付く。
家に置いておくわけにもいかないので鳳華を連れてきているが、これがなかなかに神経を使うのだ。今までアドキャラですら携帯してこなかっただけに、どう扱って接すればいいのか判断に迷うのである。
「まあ、他人がアドキャラとどんな会話してるかなんてそうそう気にする人もいないだろうけどね。あまり肩肘張って取り繕おうとすればするほど、かえって不自然に見えるってものだと思うよ?」
慎一郎の意見は至極もっともだった。人という生き物は堂々としている相手にはさして注意を払わず、こそこそしている者に対してより注意を向ける。空き巣が営業マンに化けて真昼間に悪事を働くのと同じ理屈だ。
それは虎之助にも分かっているのだが、自然に振舞えるようになるためにはもうしばらくの慣れが必要だろう。
「ところで、だけど。今日はどうする? 昨日はなんだかんだでまともにプレイしてないよね?」
「ああ。チュートリアルを終わらせたばかりだな」
昨日は色々な事があり過ぎたため、結局夜にログインをしていない。虎之助の状態はチュートリアルを終わらせた直後のままである。
「という事はデッキも初期のままって事だね。でも、機体は昇格させたんだっけ?」
「ああ。『パラディーノ・アルミジェロ』から『カヴァリエーレ・ディナスター』ってのに変化してるぞ」
「え? パラディーノからカヴァリエーレに昇格させた?」
虎之助の言葉に、慎一郎が訝しんだような表情を浮かべた。
「ちょっと待って。なんで下位ユニットが中位を飛ばして上位ユニットになってるんだい?」
「上位ユニット?」
「うん。君が今言った『カヴァリエーレ・ディナスター』は上位ユニットの一つだよ。ユニットカードの縁が金色になってなかったかい?」
「ふむ」
言われて、虎之助は確かにユニットカードの縁が銅色から金色に変わっていた事を思い出す。その事を慎一郎に伝えると、
「アルヴァテラではユニットにもレアリティみたいなのがあるんだよ。見分け方がその縁の色ってわけ。そしてその縁の色は下位ユニットが『銅』。中位が『銀』。上位が『金』。最後に特殊ユニットが『虹』って具合になっているわけ」
「なるほど。それで行くと確かに俺の機体は上位ユニットって事になるな」
どうりでカヴァリエーレの基本性能がパラディーノを遥かに上回っていたはずである。一段階飛ばしてもう一つ上となれば当然の性能差だろう。
「でも、下位から直接上位に昇格させるカードなんてないはずなんだよね。下位から中位。中位から上位って感じで、段階を踏まないといけないはずなんだけどな」
ちょんちょんと慎一郎が空中に指で階段を描きながら首を傾げている。
だが、虎之助にはそうなってしまった理由に心当たりがあった。それはあの時使った昇格カードそのものに原因がある。
「カードがバグってたせいかもしれないな」
「うん? ああ、そういえばそんな事言ってたっけ。でも、そこまでおかしい事になってるのに運営側で何の把握も出来ていないのはなんでなんだろうね。始めたばかりで上位機体ってのも出来なくはないから、問題だと思われてないのかもしれないけど」
「始めたばかりでいきなりそんな事が出来るのか?」
「うん。結局のところこのゲームってトレカでもあるわけだからね。カードパックを買ってすぐに運良く昇格カードがそろう事だってあるさ」
肩をすくめる慎一郎の説明によれば、アルヴァテラの世界ではゲーム内通貨でカードパックを買うか、リアルマネーでカードパック買う事でカードを増やしていくという事だった。
当然にしてリアルマネーで買うパックの方は優遇措置が取られており、レアリティの高いものが出易くなっているらしい。
「だから、お金を出してパックを買い漁れば昇格カード自体はそう出にくい物じゃないんだよ」
「それじゃあほとんどのやつがすぐに上位機体に出来るってわけか」
「理論上はね。けど、普通は上位ユニット持ちの人ほど強いカードもそろえているから、最初の内はむやみに昇格させない方がよかったんだよね」
「そうは言うが、あの時はああでもしないとどうなってたか分からなかったんだぞ?」
チュートリアル後の慎一郎の話では、操奏機神は戦闘不能状態になると機能を停止して消滅するという事なので、あの場面で負けていたとするならば虎之助と鳳華は確実にあの影に飲み込まれていただろう。
今にして考えてみれば、モブロボットを倒した後で機体ごと影が消滅してしまったのは僥倖だったと言える。
もし影だけが残ってこちらの機体まで乗っ取ろうとして来ていたら、さすがに打つ手はなかった。
「その謎の影というのが最大の謎だけど、まあ消えたのなら大丈夫じゃないかな。それよりも、今は上位ユニットになってしまっている君の方だね」
「何か問題なのか? 確かにカードはまだ全然そろってないが、別に今からでも揃えればいいだろう」
機体だけが強くなってしまった結果、確かに見かけ倒しの様になってしまう事は虎之助にも分かる。だが、だからと言って何が問題なのかが分からない。
彼が率直にその事について慎一郎に尋ねると、
「いや、このゲームって基本対人戦がメインになるんだけど、上位ユニット持ちは賭けバトル設定が出来るんだよ。もちろん受ける受けないは個人の自由だけど、対戦を断った場合はランキングポイントが減っちゃうんだよね」
「ランキングポイント?」
「そうそう。各陣営ごとに所属している操奏者の強さを示す指標みたいなものかな。あとは機体の強化を行う時にも消費するんだ。基本的な入手方法は対戦して勝つ事だけど、他にもいろんな要素に応じて取得ポイントが増えるから、負けてもちょっとはポイントが入るよ。――えっと、ナタリアさん。ランキング表を出してくれます?」
「分かったわ」
慎一郎がナタリアに声をかけると、即座にナタリアが画面から引っ込み、代わりに『ラクスビア所属操奏者ランキング』という題名の示された看板のようなものが映し出された。
現在画面に映っている範囲は五位までのようで、順に『プラチナ』『フォルテ』『フブキ』『バルドリア』『ルシーニュ』という名前が記されており、それぞれの右隣に何やら桁数の多い数字が並んでいる。どうやらこれがランキングポイントというものであるようだ。
「このランキングの上位何位までに入っているかでいろんな特典がもらえたりするから、結構重要なんだ」
「ふむ」
つまりはこの順位が下がるから、対戦を断り過ぎるのはよくないという事らしい。
「でも、だったら対戦を受ければいいんじゃないのか? 負けてもポイントは下がらないどころか増える場合もあるんだろう?」
始めたばかりの虎之助にしてみれば、負けたからといってどうという事もない。
しかし慎一郎はやれやれと言わんばかりに首を振り、
「だから、上位ユニット持ちは上位ユニット持ちとの対戦を『賭けバトル』に出来るんだよ。自分の所持カードのレアリティが『レア』以上の物からランダムで一枚選出されて、それを賭けないといけないんだ」
「ん? ちょっと待て。それじゃあ一枚しか持っていない場合はどうなるんだ?」
「当然それが選択される事になるね」
「……ふむ」
それはいかにも不味い話である。なにしろ今の虎之助の所持カードでレア以上のカードはデッキのキーカード一枚しかないのだ。つまり今の状態で対戦を受けて負ければ、いきなりそのカードを失ってしまう事になる。
「それを聞くと確かにいきなり上位ユニットになったのはよろしくないな。さて、どうしたものか……」
「うーん。なってしまったものは仕方がない。しばらく僕が付き添ってあげるから、ひとまずカードを集める事から始めよう。他に最初にやっておかないといけない事もあるし、学校が終わったらこの間と同じラクスビアの広場に集合でいいかい?」
「おう」
きりのいいタイミングで昼休みの終了を告げる予鈴が鳴る。
その時になって、虎之助は屋上に自分たち以外の誰もいなくなっているのに気が付いた。いつの間にか周囲のカップルたちはそれぞれの教室へ戻ってしまっていたようだ。
「さて僕らも教室に戻ろうか」
「あらあら。急がないと授業に遅れるわよ」
慎一郎とナタリアの言葉に一つ頷いて、虎之助もベンチから立ち上がった。
「あ。えっと、虎之助」
「ん?」
虎之助は自分の端末から聞こえてきた声に反応し、画面を覗き込んだ。
そこにはもちろん鳳華の姿があって、彼女は左右の人差し指をちょんちょんと突き合わせる仕草をしたかと思うと、
「わ、わたしもゲームに参加していいんだよね?」
なぜか不安そうな面持ちでそんな事を言って来た。
「何言ってるんだ? 当然だろ。そもそもお前がいないと参加すら出来ないじゃないか」
「あ……。そ、そうだったね。うん」
あははと笑う鳳華に、虎之助は変な奴だなと首を傾げる。
「おーいビャッ……虎之助。早くしないと真面目に遅刻になるよ」
「ああ。今行く」
一足先に屋上への出入り口に向かっていた慎一郎が、身振り手振りも交えて急かしてきた。
虎之助はもう一度だけ自分の端末に映る鳳華の姿を確認して、それをポケットにしまう。
屋上を吹き抜ける風が全身を撫で、空へと駆け上がって行った。




