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瞳のバースデーパーティー



 瞳のバースデーパーティーは真栄城家で行われる。瞳と親しい友人たちや、真栄城家と親交の深い人たちが呼ばれているバースデーパーティー。

 瞳のお父さんは盛大にしたかったらしいけれど、瞳が嫌がったため、小規模になったそうだ。


 私もこの日ばかりはちょっと張り切っておめかしをして、シルエットが綺麗に見えるらしいAラインのワンピースを着た。落ち着きのあるピンクベージュで胸元にあしらわれているレースがほんのり甘めで可愛らしい。そして、何故かお店の人に強く勧められた肘あたりまであるふんわりとした袖口。どうやら私はこのタイプの服のほうがいいらしい。

 蒼にも絶対このタイプの方がいいと言われてしまった。いったい何故。



 昨夜から胃が時々痛む。今日で瞳と雨宮の婚約の話が進むかもしれないからだろうか。スミレもなにやら考えがあるみたいだし、いったい今日何が起こるのだろう。

 ふと腹部をさすっている男の人が目に止まった。私のお父様と同じくらいの年齢に見えるその人は、なにかに耐えるように眉根を寄せている。


「あの、どうかなさいましたか?」


 声をかけてみると、男の人はぎこちなく微笑んだ。


「ああ、大丈夫だよ。少し胃の調子が悪くてね」

「まあ、それはお辛いですわね。 あの……これ、よろしければ」


 この人も私と同士! 胃痛仲間なのね。取り出した薬を男の人に手渡す。男の人は不思議そうに薬を見て首を傾げた。


「これは?」

「胃痛薬です。……実は私も胃痛仲間ですわ」


 こっそりと告げると、男の人は何故か肩を震わせて笑い出す。胃が痛すぎて変になってしまったのかしら。


「おもしろいお嬢さんだね」

「え」

「ご令嬢から胃痛薬を渡されたのは初めてだよ」


 おかしな人だと思われてしまったようだ。胃痛仲間がいてつい力になりたくて渡してしまったけれど、有難迷惑だったかしら。


「よくあることだから心配いらないよ。私も薬は常備している」

「そうでしたの。私ったら余計なことをしてしまいましたね。申し訳ございません」

「いや、せっかくだからこれはいただいておくよ。ありがとう。お嬢さん。君のお名前は?」


 胃痛令嬢というイメージがついてしまっているかもしれないのに、名乗ってしまってもいいものなのだろうか。けれど、ここで名乗らないのも失礼よね。


「雲類鷲真莉亜と申します」

「君が……そうか」


 意味深に微笑んだ男の人に違和感を覚える。まるで私のことを知っているみたいだ。けれど、この人とは初めて顔を合わせたはず。雲類鷲という苗字に反応したというよりも、雲類鷲真莉亜に反応したように思える。


「心配かけてすまないね」

「いえ。お大事になさってください。あの……胃痛薬のことは秘密にしていただけますか?」

「ああ、お互いに胃痛のことは秘密にしよう」


 男の人の笑った目元が誰かに似ている気がした。けれど、誰なのかわからない。もどかしさを感じながらも思い出すことができず、男の人は薬を飲みに行くと言って、去っていった。

 うっかり名前を聞き忘れてしまったけれど、また後で会えるかしら。


 そんなことを考えていると、近くのテーブルに出来上がった料理が並べられていく。来る前に飲んできた薬が効いてきたのか、すっかり胃の痛みが治まってきた。今度はお腹が鳴りそうだ。食べ過ぎなければ、少しくらいお肉を食べてもいいわよね?


「ここでは食い意地はるなよ、真莉亜」


 淡いブルーのシャツと紺色のスーツ姿の景人がお皿を手に取ろうとした私を制した。彼がこういう場に来るなんて珍しい。


「……てっきり来ないかと思ったわ。あまり人に会いたくないんじゃないの?」

「そろそろ表の方にも戻ってこないとね。拓人にばかり押し付けてしまっていたからさ。それに面白いものが見られるかもしれないし」

「……面白いもの?」

「まあ、水谷川の方は詳しくは教えてくれなかったけど。でも、あいつもなにか企んでるでしょ」


 景人の言う通り、スミレはなにやら動いているらしいけれど、私も詳しく教えられていない。今日行動を起こすことはわかっている。けれど、当のスミレは特に何もする様子もなく男の人ふたりと一緒にいた。おそらくあのふたりがスミレの一番上と真ん中のお兄さんだろう。


 立食形式のようなので、出席者は入り口で配られたドリンクを片手に各々で談笑している。学校関係の人はいつものメンバーしかいない。他の出席者の名前はわからないけれど、見覚えのある人はちらほらいた。きっとパーティーなどで見かけたことがあるのだろう。


 先ほどまで私の横にいたはずの蒼は珍しく天花寺と浅海さんと話している。すると、雨宮もその中に入って談笑しはじめた。この間の電話ぶりだからか気恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。



「景人様、流音様は一緒ではないのですか?」


 流音様が見当たらず、探していると景人が窓側を指差した。


「拓人と一緒にいる」

「え!」

「普段と全く違うから気づかないのも当然だよ」


 艶やかな着物姿でトレードマークのパペットを持っていない流音様は別人のようだった。隣に並んでいる桐生拓人も着物姿だ。


「景人様は着物にしなかったのですか?」

「流音に誘われたけど、断った。着物苦手なんだよ。息苦しくて」


 彼ならきっと着物姿も様になっただろうな。そんなことを考えていると、にやりと笑って「見たかった?」と聞いてきた。


「まあ、ちょっと見てみたい気もしますけど」

「ふーん」

「似合うのはどうせわかっていますので」

「まあ、そうだろうね」


 自分で認めてしまうのも彼らしい。私が笑うと景人も同じように笑っていて、少し和やかな雰囲気になる。こんな風に笑うのは久しぶりかもしれない。

 またみんなで笑って過ごせる日々が来てほしい。


 扉が開き、歓声が上がった。その中心にはロイヤルブルーのシフォンワンピースを着た瞳がいた。いつになく色っぽくて、綺麗な彼女に見惚れてしまう。

 手足が長くてスタイルもいいし、少し伸びてきた髪もふわりと巻かれていて似合っている。才色兼備ってまさに瞳のことって感じだ。

 中等部の頃はカッコイイ女の子だったけれど、高等部に入ってから女性らしさが一気に上がった。……きっと瞳はハルトさんに見てほしかっただろうな。


 けれど、ハルトさんの姿はない。スミレのお兄さんふたりは来ているけれど、ハルトさんだけは来ないつもりなのだろうか。



「本日はお集まりいただきありがとうございます」


 瞳の挨拶と参加者からのお祝いの言葉に溢れ、祝福ムードが流れる中、少し離れた位置から年配の男の人がふたり並んで立っているのが目に止まった。ひとりは先ほどの胃痛仲間の男の人だった。


「景人様、あの方々はどなたかご存知ですか」

「……ああ、右側は譲の父親。となると、もうひとりは真栄城の父親じゃない?」


 胃痛仲間の男の人は、雨宮のお父さんだったの!? その隣で柔らかな表情で微笑んでいる人が瞳のお父さんか。

 瞳のお父さんは微笑んでいる表情が似ているけれど、雨宮のお父さんはあまり似ていない。




「仕掛けるならそろそろだね」

「え、そろそろって……始まったばかりですよ」

「だからでしょ」


 立食用のテーブルの前でシェフが腕を振るい、温かな食事がどんどん提供されていく。シェフが料理を作りながら見せるパフォーマンスには時折拍手が起こるくらいだ。

 この状況でいったいどんなことを仕掛けるというのだろう。


「婚約の話はこのパーティーで進んでいくのはわかりきっている。父親も子どもも揃っているしな」

「瞳も今日進むだろうって言っていたわ」

「だったら進む前。このタイミングの方がいい。お喋りな大人たちがうじゃうじゃいるこの空間で婚約の話が出てからじゃ手遅れだ。あっという間に広まる」


 確かにこの場で瞳と雨宮の婚約の話が出てしまえば、話は一気に広まり、数日後には生徒たちに知れ渡る可能性が高い。とはいっても、スミレや雨宮がこの状況でなにをするというのだろう。


 瞳の周りに集まっていた出席者たちがはけたので、瞳の元へとお祝いをしにいく。


「お誕生日おめでとう。瞳」

「ありがとう。真莉亜、すごく似合ってる。可愛い」


 さらりと褒めてくれる辺りがさすが瞳イケメン女子。そんなことを言う瞳もロイヤルブルーのドレスがとっても似合っている。


「まあ、ありがとう。瞳も素敵よ。その色気を少しでいいから分けてほしいくらい」


 冗談だと思っているのか瞳は「そんなのないよ」と笑ったけれど、自分でその色気に気づいていないのかしら!? 切実に分けてほしいわ!


 談笑している私たちの横にゆらりと影が落ちた。振り向くと、ふんわりとした白のワンピースに薄い紫色の髪飾りをつけたスミレが立っている。

 まるで妖精のような可愛らしさだ。スミレは黙っていれば金髪美少女だったことを改めて思い知らされる。


「瞳、お誕生日おめでとう」

「スミレ……」


 ふたりがこうして話しているのを久しぶりに見た気がする。あれから一緒に行動することもほとんどなくなっていた。


「スミレからの誕生日プレゼントよ」


 扉か開かれ、入ってきたのは男の人だった。彼が持っているお皿にはケーキが乗っている。


「な、んで……来てくれると思いませんでした」

「お誕生日おめでとう。瞳ちゃん」


 男の人————ハルトさんはそう言うと、ケーキを瞳に差し出す。真っ白なケーキには艶やかな木苺がたっぷりとのっていて、その中心にはホワイトチョコレートらしきものでつくられた白百合が飾られている。


「これは俺からのプレゼント」


 白百合は瞳の花の名だ。そのことに瞳も気づいたのか、目に涙を溜めていた。


「こんなの諦められなくなる……本当ずるい人」


 大粒の涙がぽろりと瞳の頬に流れ落ちる。その涙にはさすがのハルトさんも少し動揺しているようだった。


「瞳ちゃん、ごめん。泣かせるつもりはなかったんだ」

「ハルトさんに泣かされるのは慣れています」

「俺、そんなに酷いことしてきた?」

「自覚なしですか? 本当酷い人ですね」


 瞳は泣きながら困ったように笑う。ハルトさんは瞳を愛おしそうに見つめながら、宥めるように優しい口調で告げた。


「これで最後にするよ」

「……最後」


 笑みが消えた瞳の表情は強張っていく。


「俺は水谷川の家を継がないし、事業に携わる気もない。家を出てしまえば、ただの一般人だよ。それに来年にはフランスに行く予定なんだ」

「……夢のためですよね」

「うん。たった一人の女の子ですら幸せにする自信がなかったんだ。それでも、最後にきちんと伝えにきた」


 いつのまにか周囲から話し声が消え、みんなが瞳とハルトさんに注目しているのがわかった。けれど、ハルトさんはあえてしっかりとした声で瞳に隠していた本音を伝える。



「真栄城瞳さん、君のことが好きだよ」


 どこからか興奮した女性が「きゃあ」なんて歓声を上げたけれど、瞳は目を見開いたまま時間が止まったかのように立ち尽くしている。



「いつも傍にいてくれてありがとう」


 自分のことが好きなのだと今まで実感したことがなかったのか、呆然としていた瞳がみるみる顔を赤く染め上げていく。


「わ、私のこと……好き、なんですか」

「うん」

「い、妹の友達としてではなくて?」

「違うよ。一人の女の子として特別なんだ」


 真っ赤な顔を隠すように俯いた瞳は、微かに震えた声でハルトさんの名前を呼んだ。


「ハルトさん」

「うん」

「……私の幸せはハルトさんが傍にいてくれることなんです。最後なんて言わないで。……私を突き放したり、置いて行こうとしたり、冷たいこと言わないでください」


 ぽたりと床に涙がこぼれ落ちていく。瞳は意を決したように顔を上げると、涙を拭うことなく大きな声を上げた。まるで、あえて周りに聞こえるように。


「私はずっとハルトさんが好きでした。きっとそれはこれらも変わりません」


 瞳のお父さんは目を丸くして、その様子を見つめている。きっと瞳はお父さんに婚約の意思はないこと、自分には思っている人がいるということ、そして周囲にもそれを知ってもらうことが目的だ。

 周囲が祝福ムードになれば、お父さんたちも強引には婚約を進めないだろう。


「……君は本当かっこいい子だね」とつぶやいたハルトさんは、瞳の手をとって、甲にキスを落とした。



「瞳ちゃん、君を一生大事にするよ」


 その一言でふたりの周りは祝福の声と拍手に包まれる。

 瞳がずっと抱えていた想いと、ハルトさんの想いがようやく伝わりあって重なった。涙を流しながら、瞳は幸せそうに微笑んでいた。

 本当によかった。感動で私までうるっときてしまう。


「譲」


 胃痛仲間————雨宮のお父さんの声が聞こえてきて、思わず背筋が伸びる。呼ばれた名前は雨宮のものだ。


「お前が婚約の断りを真栄城さんとする前に終わったな」

「……まあ、結果的にはこれで一番よかったよ」


 雨宮親子の会話が聞こえてきて、どういうことだと驚いていると近くにいた景人がにやりと笑った。


「譲は好きな人がいるから婚約はできないって父親に話したらしいよ。あいつが自分から父親にそんなこというなんてすげー意外」

「え……」

「で、自分から真栄城の父親に断りの話をするつもりだったんだと」

「それって……」


 『待ってて』と言った理由はそういうことだったのだろうか。自惚れてしまいそうで、間違っていたらものすごく恥ずかしいけれど、頬がどんどん熱くなっていくのを感じる。


 目が合うと雨宮のお父さんが微笑んだ。ああ、そうだ。笑った顔が雨宮とよく似ているんだ。


「先ほどはありがとう。真莉亜さん、また会えるのを楽しみにしているよ」


 まるですべてを見透かすような眼差しにどきりとした。

一気に緊張が押し寄せてきて、「はい」としか答えられずにいると、雨宮のお父さんは隣にいた景人とも言葉を交わした後、瞳のお父さんのもとへ行ってしまった。婚約の件について話をしに行ったのかもしれない。


 雨宮と目が合い、心臓の鼓動が加速していく。きちんと話をしなくちゃと焦り、最初の一言はなんて言えばいいのだろうと迷いつつ口を開こうとする。しかし、カシャという音によって遮られた。

 一体なんの音だろう。


「めでたいな! 今日はハルトの代わりにこの俺がカメラマンだ!」


 振り向くと、先ほどスミレと一緒にいた男の人が、何故か瞳とハルトさんではなくスミレのことを一眼レフで撮っている。スミレはというと、涙をぽろぽろと流していた。


「ス、スミレ、泣いているの?」

「……嬉しいけど、寂しいの。瞳がハルト兄様のことばっかりになっちゃったらどうしようとか考えちゃう自分がすごくいやだわ」


 スミレの可愛らしい独占欲に微笑んでいると、再びカシャカシャと音が聞こえてくる。……気が散る。


「待て、シオン。お前はアングルに工夫がなさすぎだ。ローアングルのものも押さえておけ。せっかくスミレのドレスアップ姿と涙のコラボレーションだぞ」

「レオ兄、横顔アップもなかなかよく撮れたぞ! さすが俺だ! 褒めてほしい!」

「お前は時々できるやつだ!」

「もっと褒めてくれ!」


 噂には聞いていたけれど、スミレのお兄さんたちはかなり変わっている。これはスミレも日々大変だ。けれど、この様子をまるでいないもののように無視を続けているスミレもなかなかすごい。慣れというものなのだろうか。



「ハッ! もしやそこのお嬢さん。君が噂の〝マリアちゃん〟か!」

「え……噂?」


 私いったいどんな噂を水谷川家でされているのかしら。


「初めまして、水谷川家長男のレオです。スミレが一番頼りにしている兄です」

「スミレが一番懐いている兄、次男のシオンだ。マリアちゃん君に頼みがある。学院でのスミレを毎日写真に収め、ぜひ送ってくれ!!」

「……はい?」


 メガネをかけていてインテリ系なレオさんと、正統派イケメンという感じのシオンさん。黙っていれば水谷川家の兄妹たちは美形なのに話すと残念な人ばかりだ。


「ちょっと! 真莉亜に変なこと言わないで! あっち行ってよ! 人の誕生日会でなにしてるのよ! バカ兄!」

「瞳にもご両親にも事前に撮影許可をもらっている!」

「そういう問題じゃないわ!」


 スミレは怒って私の後ろに隠れてしまった。慌てて機嫌を取ろうとするお兄さんたちに笑ってしまう。賑やかな兄妹たちだ。それと同時に瞳の日々の苦労が少しわかった気がした。 ……このテンションに常に囲まれるのは大変だ。





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