もう少し待ってて
あれから二週間が経過したものの、瞳ともあまり会話を交わす機会がなく、雨宮とは一切口をきいていない。ふたりとも第二茶道室には顔を出さなくなってしまったのだ。
三人でのカシフレの活動も一旦休みだ。時折、浅海さんやスミレ、天花寺が集まることはあるけれど、みんなどこか元気がない様子で、会話が盛り上がらない。私は流音様と景人のところにおじゃましてお昼を食べることが多くなった。
なんとなく帰る気分にならなくて、放課後にひとりで校内をふらつく。開いている窓から冷たい風が吹き抜ける。季節はすっかり冬を纏い始めて肌寒くなってきた。
制服は春夏秋冬に分かれているので、そろそろ冬服に変えた方がいいかもしれない。
たどり着いた部屋の前で足を止める。無意識にここに来てしまったようだ。誰もいない薄暗い第二茶道室。ここでみんなで楽しく過ごしていた。それに雨宮とここで待ち合わせをしたこともあった。
携帯電話を取り出して画面をチェックしても、着信もメッセージも届いていない。
「……バカみたいだわ」
ぽつりと消えそうな声で呟いた。
声が聞きたいとか、話したいとか、会いたいとか。そんなこと思うなんてどうかしている。
連絡先を開くと一番上に出てくる雨宮譲という名前が胸をチクリと刺した。震える指先でそっとその名前に触れる。瞳との婚約の話が進むのなら、もう連絡なんてしてはいけないとわかっている。それなら、この感情はどこにやればいいのだろう。
「あれ? 雲類鷲さん?」
振り返ると天花寺が立っていた。不思議そうに私を見ていた天花寺がわずかに目を見開く。彼の視線の先には私の携帯電話。慌てて、携帯電話をしまったけれど、もう見えてしまったようだった。
「雲類鷲さんは本当にこれでいいの?」
瞳と雨宮のことを言っているのだろうけれど、答えに困ってしまう。
「……私が決めることじゃないもの」
「そうだとしても、気持ちを伝えないままでいいの? まだふたりは婚約者ってわけではないよ」
息を飲み、じっと天花寺を見つめる。どういう意味なのか、聞いていいものなのか迷っていると、天花寺が眉を下げて微笑んだ。
「雲類鷲さんを見ていれば、もう答えはわかるよ」
心臓がどきりと跳ねる。自分でも確信には触れないようにしてきた気持ちは、必死に箱の中に仕舞い込んでいた。けれど、今にも箱の蓋が揺れて溢れ出しそうで手を握りしめてぐっと堪える。
「私は……」
「俺への答えももうわかってる。だから、最後にこれだけは言わせて。雲類鷲さんの気持ちをなかったことにしないで」
指先から少し力が抜けていく。抑えていた力が緩まり、重たくのしかかっていたものが消えていった。
私の気持ちをなかったことにしない。それは誰かにとって迷惑なものになるかもしれない。困らせるだけかもしれない。……ああ、これじゃあだめね。ハルトさんに偉そうに言ったくせに。勝手に相手の気持ちを決めつけて逃げているだけだわ。
「俺は雲類鷲さんを好きになってよかったって思っているよ。よければ、これからも友人として仲良くしてほしい」
「天花寺様……」
「ダメかな」
天花寺は優しくて真っ直ぐで、私にはそれが眩しく感じた。こんな風に私の背中を押してくれるなんて、本当お人好しだ。
「ありがとうございます。……私のことを好きになってもらえて嬉しかったです」
精一杯のお礼を伝えると、天花寺は微笑んでくれた。ふわりとした穏やかな笑みは私の中に優しさとほろ苦さを残していった。
***
天花寺と別れ、一人とぼとぼと誰もいない廊下を歩く。
携帯電話の画面に表示されている彼の連絡先。このままなにもしなかったら伝わらないままだ。
勇気を振り絞って、電話マークを人差し指で押す。コール音が振動して伝わって来るたびに、どきどきと心臓が高鳴っていく。
『……はい』
久しぶりに聞く雨宮の声。押し込んでいた感情がせりあがってくる。
「う、雲類鷲です」
か細く頼りない声で自分の名前を告げるのが精一杯だった。
どうしよう。なにか言わなくちゃ。そう思うのに言葉が出てこない。
『……どうしたの? なにかあった?』
雨宮の優しい声音に強張っていた緊張が少しずつ解けていった。結んだ唇を開いて弱々しく言葉をのせていく。
「あ、その……こ、」
『ん?』
「声が聞きたかったの」
ああ、もっと違う言葉を伝えたかったのに。上手い言葉がひとつも出てこない。
雨宮の返答が強くて、今度は別の緊張がこみ上げてくる。呆れられてしまっただろうか。どうして上手く話せないのだろう。
本当は会って話したい。婚約の件の話もしたい。雨宮の本音を聞かせてほしい。
それにしても無反応は怖すぎる。本気で呆れられているのだろうか。
「えっと……あの、もしもし?」
『…………はぁ』
「え、ため息!?」
『……そんなこと言われると今すぐ会いたくなるから困る』
想像とは違う返答に思わず携帯電話を落としそうになってしまった。このタイミングでそんなことを言われると勘違いしてしまいそうで私の方が困る。
……私は電話する前から会いたいんですけど。なんて恥ずかしくて言えない。自分じゃないみたいだ。最近なんだか自分が変だ。
『やっぱり諦めるのは無理。だから……もう少し待ってて』
雨宮の声が少し緊張をはらんでいるような気がした。
「え……どういうこと?」
『父のことも、真栄城さんのことも』
「それってどういう……」
『きちんとするから』
なんの話なのかわからない。それに雨宮は今回の件でなにかしらしようとして動いているということ? 天花寺の話だと、雨宮は基本的に父には逆らわないと言っていた。それなのにお父さんたちが進めようとしている婚約を止めようとしているの?
「大丈夫なの?」
『俺を信じて』
「……わかったわ」
久しぶりに話した雨宮はいつもよりも覇気がない気がしたけれど、このあと用事があるらしく、詳しくは聞けないまま電話を終えた。
雨宮の計画も、スミレのひらめきも私にはわからないけれど、それぞれが考えて動き出している。
瞳のバースデーパーティーはもうすぐだ。




