秘密は散っていく
翌日の放課後、緊張を押し隠しながら第二茶道室で犯人を待っていた。原作で私を殺した相手だから自分も立ち会うと言ってくれたので、雨宮も同席することになった。
「大丈夫?」
「ええ、心の準備はできているわ」
今日はカシフレの活動はなしにしてもらったので、スミレたちもここにはこない。相手には警戒をされないようにお茶をしましょうとだけ伝えてある。私と雨宮のふたりで待っていたら驚くだろう。
少しして茶道室のドアが開かれた。肩くらいまでの長さの艶やかな黒髪の少女が私と目が会うと嬉しそうに微笑む。
「真莉亜様!」
慕ってくれていると思っていた。憎まれているなんて気づかなかった。
「来てくれてありがとう。————希乃愛」
久世の従妹で真莉亜とも昔から交流があった五辻家の令嬢。彼女はレケナウルティアというタイトルの小説を書いた文芸部の部長であり、百合園同好会のメンバーだ。
「あら? 雨宮様もいらしたのですね」
「希乃愛、単刀直入に言うわね」
普段のおっとりとした笑みを貼り付けたまま、希乃愛が視線を向けてくる。
この子が私を陥れようとしていたなんて想像がつかないけれど、レケナウルティアの小説は従兄を想っていても報われず、傲慢な婚約者に囚われている彼を救うために人殺しをした女の子の話だった。けして報われることのない悲恋。最後には彼女自身も命を絶つ。
舞台となっている場所も、関係性や性格も原作の久世と希乃愛、真莉亜とよく似ていた。
「私を陥れようとした犯人は希乃愛よね」
希乃愛の眉がピクリと動き、一瞬笑顔が消える。
「陥れるってどういうことですか? 心当たりがありません」
カバンから蒼に借りている文芸部の初恋想を取り出す。それを見た希乃愛の目が見開かれ、なにかを察したように苦笑した。
「……今頃」
「希乃愛がレケナウルティアの作者でしょう。この物語は私と貴方と久世によく似た人物が出てくるわ」
「そこまでわかっているのなら、理由も当然わかっているんでしょう」
敬語がとれ、笑顔が消えた希乃愛は別人のように見える。今までがずっと偽りの姿だったのだろう。
「そこにいる彼も、真莉亜様と同じだと考えてもいいの?」
「ええ」
「本当はあのとき半信半疑だったの。貴方に前世の記憶があるのか」
誤魔化す気がなくなった希乃愛は畳に座ると、壁にもたれかかり脱力した様子で話し出す。
「原作通りに進むのなら、どのみち貴方は嫌われ者だった。だから、私は何もする気はなかったの。それなのに貴方は天花寺様たちから嫌われず、むしろ親しげ。しかも光太郎とも原作よりも友好的だった。予想外なことばかりで困惑したわ」
希乃愛は雨宮に視線を向けて、「貴方のこともね」と乾いた笑みを落とした。
「だから、試してみようかと思ったの。手荒なやり方だったけれど、貴方や周りの人がどんな行動をするのか観察することにした」
「手荒なやり方ってプールの件?」
あのとき私が浅海さんを退学に追い込もうとしているという話をみんなの前で聞こえるようにしたのもわざとだったのね。そのあと謝ってきたのも演技かと思うと恐ろしい。
「中等部の子たちを使って、浅海奏を追い込んでみるとやっぱり原作の雲類鷲真莉亜とは違っていて、原作ではあんなに嫌っていた浅海奏のことを助けていた。だから、わざと文芸部の冊子のタイトルを告げてみたの。それを読めば、前世持ちなら私も同じだと察するだろうと思ったから」
「それなのにどうしてその冊子を隠したの?」
「最初は探ることだけが目的だった。光太郎と貴方のことを応援しているふりをしていたけれど、それは二人が惹かれあっていないことがわかっていたから」
最初は私が自分と同じように前世の記憶があるのか知りたかった。けれど、それよりも私を陥れることを優先したくなることが起こったということ?
「あの後から光太郎が本気で貴方を気にしだしたから」
「気にしだす?」
「たとえ婚約者でも光太郎の気持ちが貴方にないということが私にとっては救いだった。それなのに……光太郎の気持ちが貴方に傾き始めた。それだけは嫌だった。近くで見ているのは耐えられなかった! だったら、貴方を追い詰めて、問題を起こさせて光太郎の想いも冷めさせようって思ったわ」
いろいろと突っ込みたいことが多いのだけれど、私と久世がお互いに結婚を嫌がっている事実は今も変わっていないはずだ。それに久世が私を想っているなんて誤解だ。確かに原作よりはマシな関係になっている。けれど、恋情は混じっていない。
「光太郎にはずっと貴方が雨宮様や天花寺様、桐生様と仲良くしている写真を送り続けていたのに……彼は全く動じなかった」
「それは私のことをなんとも思っていないからよ」
「違う。光太郎は貴方のことが好きだから言えなかったのよ!」
何度言っても希乃愛は納得してくれなさそうだ。久世からはお土産をもらったり、謎の顔文字メッセージが送られてくることがあるけれど、特別仲が良くなったわけではないのに。
「五辻希乃愛は久世を解放するために原作で雲類鷲さんを殺したんだよね?」
「……そうよ」
「決まっている運命を普通は抗いたいものなんじゃないの?」
雨宮の言う通り、前世の記憶を持っているのなら原作通りに進めば自分が久世のことを好きになることも、殺人犯になることも知っているはずだ。
「最初は好きになんて絶対になりたくないって思ってた。けど……光太郎と過ごしているとどんどん惹かれていって、婚約者である貴方と親しくなっていくのがたまらなく嫌になっていたの」
自分の中にある久世への想いが本物なのか、それともシナリオ通りに作られたものなのかわからなくて不安で苦しかったと希乃愛は顔を歪ませる。
「なんでも持っている貴方が憎かった。学院でも花ノ姫として一目おかれていて、原作とは違って周囲にも好かれている。光太郎はいつの間にか貴方のことばかり話すようになって……悔しかった。私がずっと傍にいたのに!」
「だから、裏で手を回したってこと? それって自分のためだよね。久世光太郎のためじゃない」
目に涙を滲ませた希乃愛が雨宮を睨みつけた。雨宮は顔色一つ変えずに、咎めるような厳しい眼差しで「勝手だな」と吐き出した。
「君が陥れようとしていたことによって、雲類鷲さんは原作通りに自分が殺されるかもしれない恐怖を抱きながら過ごしていたんだよ」
「殺す気なんてないわよ! ただ、光太郎に嫌われればいいって思っていただけ!」
「それなら、彼女の周りの人も巻き込んで傷つけても構わない?」
そうだ。私だけじゃない。あの百合園新聞が原因で蒼は傷つけられた。私を試すために浅海さんは嫌がらせをされた。雅様たちだって自業自得な部分もあったけれど、希乃愛の恋情によって利用された。
「みんな自分が可愛い。そんなの当然のことでしょう。私のことを信じて、いい人ぶっている貴方を見ていて、バカみたいって思っていたわ」
「希乃愛、私は久世と結婚する気なんて本当にないわよ」
「……っそんなこと言っていても、結局破棄できていないじゃない! 貴方のそういうところが大嫌いなのよ!!」
希乃愛の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。彼女は本気で久世のことが好きなのだろう。けれど、彼女がしたことをすんなりと許せるほど私はできた人間じゃない。
報われない片想い。辛く悲しいものだとしても、私は身勝手に人を巻き込んだことは許せない。私に見せていた笑顔が全て嘘だったことは正直かなりショックだけれど、胃のあたりがじくじくと熱くなっいる怒りがあることも事実だ。
「ねえ、希乃愛」
希乃愛の前まで歩み寄り、にっこりと微笑む。
「その望みを叶えてあげるわ」
「……は? なにを言っているの」
「貴方を利用させてもらう」
涙に濡れた希乃愛の瞳が戸惑うように揺れる。彼女が望んでいた婚約破棄を、彼女を利用して叶えさせてもらう。
卑怯だとか罵られても構わない。怒りもあったけれど、私も貴方を罵る気はない。汚いことをするのはお互い様。




