毒に酔った花は悪意を晒す
庭園を出て校舎の中に入っていった彼女の後を追う。階段を登っているその背中に声をかける。
「少しいいかしら」
振り返った彼女は不服そうに眉を顰めた。いい反応をされないことくらい予想はついていたけれど、あからさまに嫌そうだ。
「……なにか用」
一段一段近づいていく。そっと胸元の薔薇のブローチに触れて、念のため録音開始。
「私と蒼のことを流したのは貴方で合っているかしら」
「証拠なんてないわ」
一応あるといえばあるけれど、雨宮から中等部の子が英美李様の命令でやったって吐いたと聞いたし。それにさっきの言動で十分怪しいわよ。動揺していたのは明らかだし、このタイミングで揺さぶるのが一番だ。
「どうして私にそんなに冷たいのかしら。私、英美李様になにかしました?」
そこまで私のことを嫌う理由をそろそろ教えてほしい。私としては彼女個人に特別なにかをした記憶はないし、原作では同じ派閥だったはずだ。けれど、いつのまにか敵意を向けられていたようだった。
「今まで中等部の子を使って裏でいろいろとやっていたのは英美李様よね」
雨宮が中等部の子から得た証拠は〝英美李様〟とのやりとり。
私を花ノ姫から除名することができれば、彼女達を推薦してあげると言ってプールの一件を起こさせたのが英美李様だ。そして、私と浅海さんの画像を伯母様に送りつけたのも彼女だろう。
「貴方……婚約者がいるそうね」
「ええ」
「婚約者がいるのに天花寺様に近づいて、庶民の男にも色目をつかうなんて軽蔑するわ」
私を睨みつける英美李様。その様子になんとなく察した。つまりはそのことが気に入らなくて、ますます私を陥れたくなったのね。
「あら、天花寺様はご存知ですわよ。私に婚約者がいること」
わざとらしく笑みを浮かべると英美李様の表情が歪んだ。
「どうして英美李様がそんなに怒るのかしら」
「どうして! どうして貴女ばかり……っ! 天花寺様はどうかしているわ!」
激しく怒りを露わにしている英美李様が一歩階段を降りて私との距離を縮めてくる。恋に狂ってしまった彼女は正気を失っているように見えた。
「天花寺様は貴女のものじゃないのに!」
「そもそも彼は誰のものでもないわ」
そういえば原作でも英美李様は天花寺のことを想っていて、浅海さんに食ってかかるシーンがあった。ヒステリックに叫んで浅海さんを足蹴にするシーンがあって恐ろしかった。そのあと彼らに成敗されていたけど。
「ずっと見ていたのに! 天花寺様のこと、ずっと好きだったのに! どうして貴女が好かれるのよ!」
「……そもそもどうして私たちが親しいと知っているのかしら」
あまり表立って天花寺たちと親しくはしていないはずだ。だから、親しいことを知っているのは一部の人だけ。
英美李様はポケットから取り出した携帯電話の画面を押し付けるように私に見せてくる。
「っこれが送られてきたのよ!」
「……なに、これ」
画面には医務室の前で天花寺が私の顔を覗き込んでいるところの画像だった。確か私の具合が悪いことに天花寺が気づいて医務室まで送り届けてくれたことがあったから、そのときに撮られたのだろう。
……これはイチャついているように見えなくもない。
「こんな風にふたりで隠れて過ごしているのでしょう!」
否定しても彼女の場合、信じてはくれないだろうな。私のことなんて信用していないだろうし、下手なこと言ったら火に油を注ぐようなことになってしまうかもしれない。
「こそこそと近づいて、婚約者だっているのにっ! 彼を誑かして楽しいの!?」
英美李様が私の胸ぐらを掴みあげる。お嬢様だけど案外過激で力も強い。力なら鍛えている私も負けてはいないけれど、階段は危険すぎる。とりあえず場所を変えて話せばよかった。
「もう天花寺様に近づかないで! せっかく花ノ姫でも立場を危うくできたのと思ったのに……!」
「お、落ち着いて、英美李様」
「あんたなんて大嫌いよ!!」
面と向かって睨みつけられながらはっきりと告げられる〝大嫌い〟という言葉は容赦なく私に突き刺さる。
同じ花ノ姫でもスミレたちみたいに特別親しいわけではない。けれど、初等部の頃からずっと私たちは顔を合わせてきて、それなりに付き合いも長いので改めて言われてしまうとショックは受ける。
みんなに好かれるなんて無理な話だってわかっているけど、周りにどう思われても構わないなんて強い心があるわけでもない。
————ああ、でも私にも彼女に対して許せないことがあった。
「離れてください」
背後から聞こえてきた声に慌てて首を少し捻って振り返る。
「……私に指図する気?」
私の胸ぐらを掴んでいる英美李様の手にわずかに力がこもったように感じた。彼————いや、彼女の登場は英美李様にとっては不愉快なものなのだろう。
「浅海くん……どうしてここに」
「ふたりを見かけたので心配で後を追ってきました。勝手にすみません」
私と英美李様を見かけただけで浅海さんが後を追ってくるなんて違和感を覚えた。それに浅海くんからは明らかに英美李様への敵意のようなものがあるように見える。
「これ以上、雲類鷲さんに危害を加えるようなことをしないでください」
「っうるさい! 庶民は黙っていなさい!」
「どうして天花寺さんたちの傍にいるのが自分じゃなくて、雲類鷲さんなのかまだわからないんですか?」
あまり感情を表に出さない浅海さんが怒りを露わにし、あの英美李様に食ってかかっている。英美李様も自分に刃向かってくるのが気にくわないようで、眉根を寄せて憤然としている。
「……なにが言いたいのよ」
「人の価値を家柄で決めるような女性に誰も心惹かれたりなんてしませんよ」
「うるさいうるさいうるさいっ!! お前なんかになにがわかるのよ! 私はずっと! ずっと想っていたのに!!」
激昂し叫ぶように声をあげる英美李様は普段のお嬢様である姿とは違い、まるでだだをこねる子どものようだった。
けれど、英美李様の勢いはすぐに萎んでいき、私の胸ぐらを掴んでいた手を離した。その手は微かに震えていて、英美李様の瞳には私ではなく別の人物が映っている。
「俺の好きな子にそういうことしないで」
浅海さんではない声に、振り返らなくても誰かわかった。それは英美李様にとってはとても残酷な結末。
「て、天花寺様……」
今にも泣き出しそうな英美李様が消えそうな声で呟く。ああ、やっぱりと思いながら、ゆっくりと振り返った。
浅海さんの隣に立つ天花寺は普段の穏やかな表情ではなく、とても冷たい視線を英美李様に向けている。
「雲類鷲さん、ごめん。俺が元凶で今まで嫌がらせを受けていたんだね」
この絶妙なタイミングはおそらく偶然ではないだろう。きっと天花寺も浅海さんも、瞳とスミレも英美李様を疑っていた。だからこそ、花会で英美李様を疑うような発言をして、こうして後をつけてきたんだ。
どうして彼らが英美李様を疑っていたのかなんてわからないけれど。
「天花寺様、ち、違うんです、これは……」
この後に及んで必死に言い訳をしようとする英美李様に天花寺が首を横に振る。
「全部聞いたから。もう言い訳とかいらないよ」
「ぁ……いや……違います、私、私は……っ」
乱れた制服を正しながら、泣き出す英美李様を見遣った。気の毒だとは思うけれど、自業自得だとも思う。
それほどまでに天花寺が好きだというのなら、彼女は確実にやり方を間違えていた。けれど、きっかけを与えた誰かがいるのでしょうけど。
「俺は君のことは好きにはなれないよ。もう好きな人がいるから。だから、ごめんね。もう俺にも彼女たちにも必要以上に近づかないでほしい」
「ぁ、ぁああああぁあああっ」
天花寺の言葉が決め手となったようで英美李様がその場に泣き崩れる。好きな人からの明らかな拒絶。彼女の恋は叶うことはない。
「雲類鷲さん、大丈夫?」
「お二人とも、ありがとうございました」
こちらに寄ってこようとする天花寺を制して、にっこりと微笑む。
浅海さんにも天花寺にも聞きたいことは色々とあるけれど、今は先に弱っている彼女に聞くべきことを聞いてしまいたい。
「少し彼女と二人きりにしていただけますか」
「でも」
「大丈夫です。近くの部屋で数分話をするだけですわ」




