花は毒を晒して微笑む
電気が消されている放課後の教室。窓の外からの日暮れ前の明かりが室内を照らしていて、ほんの少し開けられている窓の隙間から緩やかな秋風が流れ込んできた。
授業が終わっても残っているたった一人の生徒の姿が目に止まる。正しくは、残っているというよりも戻ってきたかしら。
「お待たせしてしまったかしら」
声をかけてみると席に座っていた相手は読んでいた本を閉じて、刺すように冷たく鋭い視線をこちらに向けてきた。けれど、それは一瞬ですぐにいつも通りの冷たい微笑みに変わる。
「……真莉亜様とお約束をした覚えはありませんわ」
そんな彼女に対して作り笑いを浮かべて、目の前まで歩み寄る。
「そうでしたわねぇ。私としたことが間違えてしまったわ」
静寂の中、自分の声が鮮明に聞こえてくる。緊張に手に汗が滲むけれど、悟られるわけにはいかない。
私の中にある自分の記憶を手繰り寄せる。前世の記憶が戻る前は、怯えなどとは無縁な性格だった。けれど、思い出してしまってからは弱気になることが多くなってしまった。今は自分の弱気な部分を全て押し込んで、強気な自分だけを引き出す。
「貴方が待っていたのは、一木先生よね」
〝一木先生〟という名前を出したことで、少し強張った表情へと変わったのを見逃さなかった。
「真莉亜様、どういうつもりですの」
「どういうつもり? それはこっちが聞きたいわ。雅様」
机に手をついて、彼女を見下すように目を細める。
これは絶好のチャンスだ。原作とは違う展開ではあるものの、彼女の存在は浅海さんを追い詰めていく。ここで止めるいい機会だわ。
「……貴方なにをしたの」
「スミレの水着写真を一木先生に送っていたのは雅様よね」
「なんのことかしら」
「しらばっくれるんじゃないわよ」
おっと、口が悪くなってしまった。仕切り直すように咳払いをして、余裕たっぷりといった笑みを見せる。
「一木先生も素直に吐いたわよ。やり取りのメッセージもスクリーンショットを撮ってあるわ」
まあ、半ば脅して吐かせて、メッセージ見せてもらったけれどね。見せなければ問答無用で伯父様に言いつけるって。スミレは一木先生がもう自分に近づかずに、二度と繰り返さないことを望んでいたみたいだけれど、あの人に教師を続けさせるべきではない。
この学院にいる以上はスミレがまた危険に晒されるかもしれない。だから、ここは原作通り辞職という形で退場してもらった。他の生徒や教師、保護者に伝わらないだけ優しい対応だと思うわ。けれど、やっぱり後味のいいものではないわね。それにこんな大ボスが後ろに控えているなんて、私としてはHP削られまくりよこのヤロー。
「証拠が残るようなことをするなんて、それほどバレない自信でもあったのかしら」
「真莉亜様ったら、怖いわ。私、なにも悪いことなんてしていないわよ」
白々しくも困惑したような微笑みで返してくる雅様に苛々してきてしまうけれど、ここは耐えないと。
「怖いのは貴方よ。あの水着の写真は、ダリアの君の別荘で撮影されたものよ。招待されたのは花ノ姫だけ。一木先生からの証言もあるわ」
それもバッチリ録音済みよ。水着の写真を見つけた時点でおかしいと思っていた。だから、一木先生が花ノ姫の誰かと繋がっているとわかったのよね。
雅様は鬱陶しそうにため息を吐いて、腕を組むと目を細める。先ほどのわざとらしい態度とは打って変わって、面倒な会話を切り上げたいように見える。
「……それが? 私が犯人だとして、真莉亜様はどうしたいのかしら」
彼女も察しているだろうけれど、私がしたいのは咎めることではない。雅様に謝罪ではない別のものを求めている。
「私、先輩方に貴方たちが不審な動きをしたり、問題を起こしたら報告をしてほしいと言われているの。これってどういうことかわかるかしら」
わずかに雅様の眉が動いた。まさか私がダリアの君たちに個人的にお願いされているとは思わなかったのだろう。それほど自分たちの言動は目の余るもので、花ノ姫として疎まれる存在になっていたことに気づいていなかったのね。まあ、原作だとそれは先輩方の警戒はすべて真莉亜に向けられていたから、彼女にはこの危機はなかったはずだ。
上級生たちは花ノ姫であることを誇りに思っている人が多い。そして、ダリアの君は特待生への差別を快く思っていないようだった。優遇されている花ノ姫のトップに君臨している以上は完全なる平等を望んでいるわけではないだろうけれど、虐めなどが学院内で起こることは防ぎたいのだろう。そして、学院の顔ともいえる花ノ姫が虐めの主犯だなんてことは最も防ぎたいことのはず。
だからこそ、花ノ姫に泥を塗りかねない雅様たちは危険視されているのだろう。
「雅様、キッカケさえあれば先輩方は貴方を花ノ姫から除名する気よ。貴方たちは少し自由に遊びすぎたのよ」
「……っ」
「それってどういうことかわかるわよね」
花ノ姫からの除名というのは、居場所を失うことと同じだ。問題を起こして落ちぶれた生徒は憧れの対象から軽蔑へと変わる。そして、二度と花ノ姫には戻れない。
滅多にそんな人はいないけれど、過去に虐めを率先して行った花ノ姫は除名されて、肩身の狭い思いをしながらひっそりと過ごしたのだとか。プライドの高い人たちの多いこの学院で花ノ姫という地位を失うことは絶対に避けたいことだろう。
「……私を除名処分にさせるつもり?」
「あら、できないとでも? 一木先生から得た証拠もあるのよ。それに本当はこんなこと言いたくないのだけれど、私を誰だと思っているの? 理事長は私の伯父よ。それに花ノ姫としての立ち位置も貴方よりは上だと思うわ。先輩方からも貴方よりは信頼されているもの」
ここぞとばかりに使える技を使っていく。内心チキンハートはブルブルだけど、ここは余裕のある悪い女を熱演。ひいいい……雅様の睨みが怖すぎる。
理事長は私の伯父様。……伯母様には嫌われてるけど。花ノ姫としては立場が上。……私の場合は家の力が大きいけれど。先輩方からの信頼が厚い。……と思いたい。
さてと、最後に含笑いをトッピングして、雅様の髪を指先で掬い上げる。
「除名されたくなければ、これから私の言うことをしっかりと聞いてちょうだいね」
「……脅すつもりなの」
「いやだわ。これは〝お願い〟よ? 今後一切、他人を貶めるようなことをしないこと。これを破れば、私も容赦しないわ」
先ほどまでの強気な雅様は消えて、不満げに顔を歪めていく。彼女がこんな表情を見せるなんて珍しい。いっつも心の中を見せないような薄っぺらい笑顔ばかり浮かべていたけれど、感情が見えると少し接しやすくなる。
観念したのか、雅様は「わかったわよ」と吐き捨てて私の手を払った。気にくわない人の排除か、自分の立場とプライドか天秤にかけて後者がとったということね。
「私は別に貴方のことを貶める気はなかったのよ」
それなら雅様が陥し入れたかったのは、スミレ? 二人にあまり接点はないように思えたけれど。ああでも、思い当たるのは花会で前に浅海さんに関して、スミレと雅様たちとでバチバチあった気がするわね。
それともう一つ気になっていることがある。雅様の独断で動いていたようには思えない。原作で一木先生と雅様が今回みたいな接触はしていなかった。
文芸部の海老原くんから聞いた〝ある写真〟の情報のことも気になる。海老原くんの妹は私をプールに落とした中等部の子だ。海老原くんに妹と誰が繋がっているのかを探ってもらってわかったことは、海老原くんの妹にある写真が届いていた。誰が送ったものなのかは、名前が伏せられていてわからなかったらしいけれど。
その写真は私と浅海くんが図書室で夏休みの約束をしていた日のツーショット。なにに使うつもりなのかはわからなかったけれど、嫌な予感しかしなかった。一木先生を半ば脅して確認をしたところ、その写真を撮ったのは彼らしい。誰から依頼を受けたのかというと、雅様だった。でも、彼女は私を貶める気はなかった言っている。でも、あのツーショットを客観的に見たら、広められて困るのは浅海くんではなく私のはず。実際原作の真莉亜と違って今の私は困らないけれど。
私を貶める気がないという雅様が写真を撮らせたのは雅様の意思ではなくて、別の人からの依頼の可能性がある。
「……貴方の後ろにいる人は誰」
試しに訊いてみると、雅様は肩を竦めてみせる。
「そう聞かれても私も知らないもの」
「知らない? 自分を裏で操っている人物を知らないで従っていたの?」
「従っているなんて思ったことないわ。ただ情報を与えてくるだけよ」
どうやら裏に人がいることは確かのようね。でも、肝心な正体がわからないままだ。いったい誰が情報なんて雅様に与えていたの。
「正体を明かさない相手を信じるほど貴方は根が真っ直ぐな人だとは思えないけれど」
「まあ、そこは否定しませんわ。そうね、別にこれくらい話してもいいかしら」
雅様の話はこうだった。
中等部の頃に突然送られてきた手紙。そこには今後起こる予言のような内容と、連絡先が書かれていたらしい。
一応目は通したもののくだらないと思い、連絡はしなかったそうだ。けれど、そこに書かれていた内容が次々に起こり、興味をもった雅様は連絡を入れてみた。
そこから雅様は名前も顔も知らない相手から時折予言のような情報を受け取っていた。最初はただの興味本位。次第に相手は対価を求めてきたらしい。それが、情報を渡す代わりに相手のお願いを一つ聞くというもの。
一木先生と雅様が関わりを持ったのも、その人物の差し金らしい。
雅様にしてはただの暇つぶし。けれど、私が予想外な動きをしたせいで私に思わぬ弱みを握られてしまった。そのことが彼女にとっては痛手だったようだ。
「ずいぶんとあっさり話してくれたけれど、私に話してしまってよかったの?」
「どうせ真莉亜様に首輪をつけられてしまったわけですし、私は情報提供者の名前も顔も知らないもの。これで薄っぺらい関係が切れるだけよ」
この様子だと、隠しているわけではなく本当に知らないみたいだ。一番近くにいる英美李様ではおそらくないだろう。予言という時点で、相手がどういう存在なのかは予想がつく。それでも、雅様を使っていろいろとしているあたり、もしかして原作通りに進めたいということ?
「もう一つ聞かせて。雅様はなんの情報をもらっていたの?」
「いろいろよ。気に食わない人の情報とかね」
ま、まさか私の情報も!? 雅様が私を殺す可能性もないとは言い切れない。こんな展開は原作ではありえないだろうけれど好かれていないことは確かだろうし。
「私になにかあれば仲間がこのことを公にしますからね。間違っても闇討ちなどをなさらないように」
暗殺が強いのでここ重要。なにかあったら雨宮から流れるからね!
「おもしろいことを考えるのね。心配しなくとも私は貴方に対してはなにかをするつもりはないわよ」
「終業式の日、私の名前を使って中等部の子を利用したのは雅様ではないの?」
「終業式の日? 私には心当たりはありませんわ」
つまりはプールの件とは雅様は無関係。やっぱり中等部の子たちを動かしていたのは雅様ではない。雅様の後ろにいた人物の可能性が高い。
「けれど、一木先生に私の写真を撮るように指示したでしょう」
「ああ、あれは例の情報提供者に頼まれたのよ。真莉亜様と浅海奏が接触しているところを一木先生に撮らせてくれってね」
一木先生と裏にいる人物は繋がっていない。雅様と同じように中等部の子に接触しているのか、それとも雅様のように利用している人物が他にいて、その人が中等部の子を動かしているのか、どちらかだろう。
雅様や別の人物を使って、裏にいる人物は原作通りに事件を起こすことが目的なのかしら。でも、なんのために? 浅海くんを原作のシナリオ通りに天花寺とくっつけるため?
〝憶測だけど、おそらく目的は浅海奏ではなく君だよ〟
〝原作で君は殺されるんだよね? その犯人が既に動いているんじゃないのかな〟
いつだったか雨宮が言っていた。もしも雨宮の予想通りなら、裏で動いているのは私を殺す犯人というのはおかしい。原作通りにことを進めれば、犯人は捕まるはず。あの少女漫画の世界で完全犯罪が起こるはずがない。だとしたら、逆に犯人が前世持ちなら回避するはず。私を殺す犯人ではないけれど、原作通りに進めたい人がいるということなのかしら。
「先ほども言いましたけど、私は真莉亜様に特に恨みはないわ。自分は何もせずに、周りに守られているような人が気に入らないだけ」
「守られている?」
現状で考えると、浮かび上がるのは二人だ。周りから大事にされていて守られる対象の人物。
「それはスミレや浅海くんのこと?」
すると、雅様は肯定するように微笑んだ。
天花寺たちに守られている特待生の浅海さんや、瞳に大事に守られているスミレ。それが嫉妬からくるものなのかはわからないけれど、つまり雅様は乙女ゲームや少女漫画でいう愛されヒロインみたいな子が嫌なのね。
「その点においては己の力で相手をねじ伏せる貴方は清々しいわね」
私がもの凄く物騒な人間みたく言われているけれど、そこまで恐ろしいことしていないわよね!? ちょーっと脅して、これ以上はやめてねって言ってるだけだもの。一木先生の退職は自業自得だし。
「まあ、私はこれからの貴方の行く末を傍観して楽しむことにするわ」
「それは雅様が退場しても、まだ仕掛けてくる人がいるって聞こえるけれど」
「あら? 気づいていなかったの? 貴方、とっても憎まれているわよ。ふふふ、気をつけてね。真莉亜様」
そんな恐ろしいことを告げて、愉快そうに笑いながら雅様は教室を出てい行った。
え、ちょっと待って! 不穏なことだけ残して去って行かないで! 待って、雅様ー!
慌てて廊下に出たものの、すでに雅様の姿はなく撃沈して崩れ落ちた。
……私、誰に恨まれてるの?




