スミレロックオン
水谷川スミレ視点です。
渡り廊下を歩いていると、前方からこちらへ向かって歩いてくる人物に気づいたクラスの女の子たちが道を開けるように捌けていく。相変わらずすごい存在感ね。
ひえー! 怖い。こっち見てる! こないでこないでー! 明らかにスミレがロックオンされてる! どうしよう逃げたい。だって、確実に嫌なこと言われるもの。
腰あたりまで伸びた黒髪に、長い前髪が緩やかに巻かれていてどことなく色気を漂わせた鈴蘭の君と栗色の髪をハーフアップにしている金雀枝の君。この二人の組み合わせは妙な威圧感があって、それが少し苦手。
「あら、スミレ様。どうかされましたか。なんだか元気がないように見えますわ」
「……雅様、英美李様」
多分雅様は苦手だと思われていることに気づいている。それでもこうして笑顔を貼り付けて声をかけてくるのだ。このときの視線がいつも怖い。顔は笑っているのに目は全く笑っていない。それに雅様ってスミレのことをあまり好きではないと思う。
「一緒にいた子達いなくなってしまったけれど、よかったのかしら」
英美李様は一人ぼっちになった私を嘲笑うように口元を歪める。彼女たちの言いたいことはなんとなく察している。瞳と真莉亜たちにいつもべったりで、友人は少ない。花ノ姫として女の子たちに慕われていても、どこか距離があって友人とまではいかない。寂しいやつとでも思われているのだろう。
流音様や桐生景人、浅海くん、あの三人組とも交流があることはおそらく彼女たちには知られない方がいい気がするわ。だってこの二人って浅海くんのことあまりよく思っていないみたいだもの。お茶会のとき恐ろしかったわ。どうしていつもピリピリしているのかしら。ひっとしたらカルシウム不足? 今度花会のときにカルシウムたっぷりのモォモォクッキー混ぜておこうかしら。
「スミレ様、顔色が悪いわ」
伸びてくる雅様の腕に肩が跳ねる。
びっくりした! 一体、なにをされるのかと思ったわ。
「あら、驚かせてしまったかしら」
少し伸びた爪先が頬を撫でるように滑り、ぐっと力を込められて僅かに痛みを感じて顔を顰めた。
つ、つつつ爪! 痛いし長いし怖いし、やめてほしい。これ何されているのかしら。毒でも塗られてたら、確実に毒殺されていると思う。ひぃいい!
「ねえ、スミレ様。お兄様たちにとても可愛がられていらっしゃるのよね」
「えっ……あ、兄たちが過剰なだけです」
何故うちの兄たちの話を知っているのかしら。怖い。まあ、目立つから知っている人は知っているでしょうけど、あまり一緒にパーティーとかに出席していないのに。
兄の誰かを気に入ってしまっていたら、どうしよう。雅様が義理の姉とか恐ろしすぎる。駄菓子とか見つかったら全て破棄されそうだもの。……たとえ、お兄様の誰かが雅様を気に入っても、妹は断固拒否するわ! 兄よ〜結婚相手は駄菓子を受け入れてくれる女性を選んでおくれ〜!
「でも、お母様の件は気の毒よね」
「…………なにが言いたいのですか」
自然と雅様を睨みつけてしまった。まるで弱みを知っているとでも言いたげで試すような眼差し。優しげな笑顔の裏側にはこういった毒を含んでいる。彼女に鈴蘭の花名を与えたのは正解ね。美しい鈴蘭には毒がある。まさに彼女にぴったりだわ。
「水谷川さん、姉さんが捜していたよ」
聞こえてきた第三者の声に振り向く。どうやら声をかけてきたのは真莉亜の弟のようだった。
「え、あ、ありがとう」
「向こうで待っているから行こう。…………それと、人の家の問題に無遠慮に首をつっこむのはどうかと思う」
あまり話したことはなかったけれど、雅様たちの前でも臆することなく堂々としていて表情からは感情は読み取れない。
「……どういう意味かしら」
「わからないならこれ以上話しても無駄だからいいよ」
笑顔を貼り付けたままの雅様に対して、真莉亜の弟は表情を変えずに淡々とした口調で返した。彼は雅様が本当に意味をわかっていないとは思っていないだろうけれど、結論の出ない会話を繰り返すことが無駄だということなのかもしれない。
雅様はあくまで本音を隠している。笑顔の裏側の黒い部分を薄いベールに包んで、毒を少しずつ敵に向けていく。
「雲類鷲様、私たちが花ノ姫であることはご存知ですの!」
黙っていられないといった様子で英美李様が一歩前へ出た。けれど、彼の表情は全く変わらない。いや、多少面倒くさそうにしているように見えるわ。
「一応知っているけど、それがなに?」
「なっ」
「その名前に誇りを持っているなら、汚さないように気をつけて。こんな場所で同じ花ノ姫の人を虐めているなんて知られたら、大事な名前に傷がつくよ」
さすがは真莉亜の弟というべきなのかしら。あの雅様と英美李様を黙らせてしまうだなんて。姉弟といっても容姿はあまり似ていないけれど、立ち向かっていくかっこいいところは似ているわ。
「行こう。姉さんが待ってる」
「は、はい」
彼に促されて、廊下を突き進む。真莉亜が呼んでいたから声をかけてきてくれたみたいだけれど、助けられてしまったわ。お礼を言いたいけれど、話しかけるタイミングがつかめない。男の子って苦手だけど、彼はまた少し違った感じがして、先ほど雅様たちに向けていたような冷たい眼差しを向けられたらと考えると怖くて萎縮してしまう。
右折して階段を登りきると、背後を確認してから彼が安堵したようにため息を吐いた。
「ごめん、嘘」
「へ?」
「姉さんが呼んでるって嘘ついた」
何故彼が嘘をつくのか理由がわからない。
先ほどの無表情とは違って少し気まずそうな様子で目が伏せられていて、更に困惑していく。彼はもしかして助けてくれたのかしら。
「困っているように見えたから。……違った?」
「いえ。あの、ありがとうございました! えっと……蒼様」
「あのさ、様とか付けなくていいよ。そんなすごい人でもないし。普通に呼んで」
とはいっても、彼は十分有名ですごい人なのだと思うけれど。
この花ノ宮学院の理事長の甥で、花ノ姫の中でも特に目立っている紅薔薇こと雲類鷲真莉亜の弟。それだけで様を付けられて呼ばれる理由になると思うわ。
けれど、本人が様をつけないでほしいというのだから、付けない方向でいこうと思うけれど、うーん。呼び捨ても馴れ馴れしい。かといって、雲類鷲くんと呼ぶのも真莉亜も同じ名字なので妙な感じがしてしまう。
「じゃ、じゃあ……蒼くん?」
「うん。じゃあ、それで」
顔を顰められてしまうかと一瞬呼ぶことを躊躇ったけれど、彼は快く了承してくれた。今まで特に親しい男の子がいなかったから、下の名前で呼ぶなんて不思議。そういえば、桐生景人のことも、名前で呼んだことがなかったわ。彼にも今度なんて呼べばいいのか聞いてみようかしら。
「あ、そうだ。水谷川さん、この間もらったケーキすごく美味しかった」
「え、本当に?」
彼と話していてわかるのは、虐めてくる男の子とも好意を寄せてくる男の子とも違う。ただ純粋に助けてくれたんだ。こんないい人もいるのね。
「またいつでも遊びに来て。姉さんも楽しそうだったし」
きっと蒼くんは真莉亜のことがとても大切なのね。姉さんって呼ぶときの彼の表情が優しげで柔らかい。助けてくれたのも、真莉亜の友人だからという理由が大きいと思う。
「あまり友達のお家って行ったことがなかったから……はしゃぎすぎちゃったんじゃないかって思っていたのだけど」
「ああ、確かに水谷川さんの声がときどき聞こえてきたけど、普段とはかなり違ったね。すごく楽しそうだった」
「え! き、聞こえていたの!?」
ぎゃあああああ! 真莉亜たちの前だからすっかり気が緩んで、人様のお家なのに思いっきり素を出してしまっていたわ。それを聞かれていたなんて、恥ずかしすぎるわ!
「水谷川さんってあまり話さないのかと思ってたから意外だった。姉さんもだけど、みんな普段見せている顔とは違う一面を持っているものなんだね」
「う……変なところを見せてしまってごめんなさい」
「別に謝ることでも、変なことでもないと思うけど。素の水谷川さんも明るくていいと思う」
素のままでいいと言ってもらえるのは嬉しい。
自分でもこの性格が水谷川家としては、あまり良いものではないとわかっている。だからこそ令嬢として家の名前を汚さないために、今まで参加するパーティーなどでもきちんとやってきたつもりだ。
それでも素でいられる場所はやっぱり必要で、瞳だけではなくて真莉亜や流音様たちの前でも自分をさらけ出せるようになって、ようやく自分の居場所ができた気がする。
「あ、あの! ま、また……その、ケーキ持っていきます」
スミレの三番目の兄が作ったケーキですが。でも、きっとケーキの感想を伝えたら喜ぶわ。喜びすぎてホールケーキ作り出すわよ。そういうときは瞳を呼んで止めてもらうしかないわ。
「ありがとう。楽しみにしてる」
幻滅されるのはやっぱり怖くて、本当の自分を知られることに怯えていたけれど、また一人受け入れてくれる人が増えたことが嬉しかった。
真莉亜の弟だからかしら。男の子は苦手だけど、案外話してみると緊張も恐怖感も溶けるように消えていった。
平穏を崩すようにポケットに入れていた携帯電話が振動した。
<その男は君にとって大事?>
携帯電話のメッセージを確認した直後、咄嗟にあたりを見渡した。ここは学校内だ。目撃者なんてたくさんいるはず。もしかしたらさっきすれ違った男子生徒かもしれないし、遠目から蒼くんのことを見つめている女子生徒たちかもしれない。犯人の可能性のある人なんていくらでもいて、そのことに背筋が凍りつく。
怖い。誰が監視しているの? どうして、そんなにスミレに拘るの? 目的はなに?
「水谷川さん?」
「え?」
「大丈夫? なにかあった?」
どうしよう。彼にも被害が及んでしまうかもしれない。ただでさえ真莉亜を巻き込んでしまったのに、真莉亜の大事な弟まで巻き込むわけにはいかない。
にっこりと微笑んで「なんでもない」と答えると、蒼くんは一瞬訝しげな表情をしたけれど何も言わなかった。おそらくはこれ以上踏み込んでほしくないというのを察したのかもしれない。
あの作戦を決行しよう。そして、今日で全てを終わらせるんだ。




