幼き日のヒーロー
水谷川スミレ視点の過去編です。
あまり表現の良くない言葉が出てきますので、苛めなどが苦手な方は飛ばしてください。本編に支障はありません。
今もどこかで自分を見張っている人がいるのかと思うと怖くて、周囲を警戒しながらクラスの子達に混ざって更衣室を出た。体育の授業が終わり、教室へ戻るこの瞬間も盗撮犯はシャッターチャンスをうかがっているかもしれない。
昨日、真莉亜と瞳に全て話した。真莉亜は絶対に犯人を捕まえてみせると意気込んでいたけれど、大丈夫かしら。瞳も「空回りしないか心配」と言っていたし、桐生景人と流音様も真莉亜の暴走を危惧していた。
クラスの女の子たちと一緒に渡り廊下を歩いていると、すれ違う男子生徒から「あ、水谷川さんだ」と私のことを話している声が聞こえてくる。
「人形みたいだよなぁ。あの髪の色本物かな」
「俺今、目合った! やっぱちょーかわいい」
「でもさー、ほとんど喋らねぇし。いつも王子と女王と一緒だもんな」
せめて聞こえない距離で会話をしてほしい。昔から髪のことはよく言われたし、男の人の前で口数が少ないのは兄たちのせいってだけではない。幼い頃に嫌な経験をしてきたからだ。
『異国の血』『作り物みたいで気持ち悪い』
そうやって言ってくる男の子が何人もいた。けど、小さい頃はお友達が欲しくて嫌なことを言われても『そんなことないよ。ちゃんと笑うし、作り物なんかじゃないよ』って笑顔で耐えていた。
————だけど、ある男の子が言ったんだ。
『お前って母親殺して生まれてきたんだろ』
その言葉は心をえぐり、真っ黒な感情がせり上がってきた。
自分自身が一番よくわかっていた。お母様がいないのは、スミレを産んだからだということ。親戚の人がまるで生き写しのようで、お父様や兄たちは辛いのではないかと言っていたのを聞いたこともあった。
でも、お父様も兄たちもみんな笑顔でスミレを守ろうとしてくれるから、悲しいとか辛いとかそんな感情を抱いたり、俯くことはやめようって思っていた。
〝スミレは俺たちの自慢の妹だ〟
変な発言ばかりだし、写真撮ってくるし、面倒なこともたくさんあるけど、兄たちは嘘偽りのない言葉をくれる。
意地悪。大っ嫌い。馬鹿。酷いことを言っても、兄たちは距離を置かない。でもね、知ってるの。お母様の肖像画の前で泣いていたこと。アルバムを見ながら寂しそうにしていたこと。スミレの前では気丈に振舞っていること。全部知っていて気づかないふりをしていた。
『え、人殺しじゃん』
誰かが口にした言葉が波紋のように広がって、スミレから距離をとるように身構えているのが見える。意地悪ばかりしてきた男の子たちの瞳は真っ黒で、嫌悪と困惑が入り混じっているように思えた。
大人たちはおしゃべりに夢中で、兄たちも大人に捕まって話に花を咲かせている。ここの場所だけの不穏な空気を誰も察する気配がない。お茶会なんて来なければよかった。そしたら、こんな想いをせずに済んだのに。
『こいつ人形だから感情ねぇんじゃねぇの』
怖い。
『気持ち悪』
嫌い。
『この髪って本物なのかよ』
触らないで。
先ほどまで一緒に遊んでいた女の子たちは一歩引いて、男の子たちに囲まれているスミレのことをただ眺めている。誰も助けてはくれない。だったら、自分で言うしかない。
『やめて』
どっと笑いが起きる。人形がしゃべったと一人が言えば、近くにいた子たちももっとしゃべれよと肩を叩いて、髪を引っ張ってくる。
怖い。嫌だ。やめてと言っても、笑われるだけ。泣きそうになれば、人形のくせに泣くのかよと更に笑われる。力じゃ男の子に叶わなくて、掴んでくる手を振りほどこうとしても離れてくれない。叫んだら、きっと誰かが気づいてくれる。でも、招待されたお茶会を台無しにしてしまう。水谷川家として参加した以上は、主催者を立てなければいけない。
主催者の家の子どもは、今スミレの腕を掴んでいる男の子だ。今叫んでしまったら、水谷川家に不利益なことが起こってしまうかもしれない。きっとこの男の子は、口が上手い。さっきだって大人たちの前では完璧な男の子を演じていた。今みたいに意地悪な顔を全く感じさせず、優しくて気遣いができて、けれど無邪気な子だった。叫んだところで、都合のいい言い訳をして、周りの子に嘘の証言をさせるだろう。
それくらいわかってる。そして、彼もスミレがそのことに気づいていることもわかっているんだ。耐えるしかない。我慢すれば終わる。家に迷惑をかけたくない。ただでさえ、悲しい想いをさせているのに。
『つまんねぇな、なんかしゃべれよ』
話せば笑う癖に、黙ると話せと言ってくる。理不尽で我儘な彼は自分が一番偉いとでも思っているのだろう。
大嫌いだ。消えちゃえ。みんなみんな消えちゃえばいいのに。
『おい、人形』
こんなやつら大嫌い。だけど、弱くて力のない自分のことも大嫌いだ。
震える手も、涙で滲む視界も、喉元につっかえている言葉も、すべて自分自身の弱さの証。いい返さなきゃ。でも、わかってもらうにはどうしたらいい? どうしたらやめてくれるの?
わからない。どうすれば、誰も傷つけずにこの場を乗り切れるのか答えが見つからない。なにもできないスミレは、彼らの言う通り、空っぽな人形なのかな。見た目だけ着飾って、中身がなくて、強い意志もない。
『つまんないのはアンタだ』
どこからか凛とした声が聞こえてきて、弾かれたように顔を上げる。
今まで彼に反発する人なんていなかったはずなのに、一体誰?
『女の子相手にいじめなんてカッコ悪い。とっとと離しなよ』
子ども達の輪から少し外れた場所で、仁王立ちしているのは同世代の子にしては背が高くて中性的な顔立ちをした子だった。服装は男の子のようで髪も短いけれど、お茶会が始まるときに女の子だと誰かが話していたのを覚えていた。
女の子たちはみんなワンピースなのに一人だけ男の子のような格好だからという理由だけではなく、彼女の醸し出す雰囲気はどこか大人びていて目立っていた。からかい対象から外れていたのは、おそらくは彼女には勝てないと男の子たちは本能的に感じていたのかもしれない。
『この子のこと、気持ち悪いとか色々言って蔑んでいたけど、大人数でいじめて、止めもせずに見てるだけのアンタ達のほうが気持ち悪い』
『なっ……てめぇ』
『なに? 言い返せるなら言ってみなよ。今からアンタの親にこの子にしたことぜーんぶ伝えに行ってくるから。証拠がないって思ってるなら、その子の腕に赤い跡が残ってるし、怯えて泣きそうだし、全くの無実だって言うのは難しいんじゃない? で、なにか言いたいことは?』
彼女が勝ち誇ったように微笑みながら言うと、男の子は悔しそうにスミレから手を離して、消えそうな声で『ごめん』と謝罪をしてきた。他の子達はこの光景を呆然と眺めているだけだった。
『行こ』
『え、うん……!』
優しく包むようにスミレの腕を引いて、歩き出す。助けてくれた彼女は心配そうに髪や腕は大丈夫かと聞いてくれたので、頷くと安堵した様子で微笑んでくれた。
かっこいい女の子。今まで出会ってきた子たちとは違う意思が強くて、心優しい子だ。
『あのっ、な、名前……聞いてもいい?』
緊張で声を震わせながら俯くと、立ち止まった彼女に頬を掴まれて強引に上を向かされた。
『下なんて向いちゃダメ。ほら、せっかく可愛いんだから堂々としてればいいんだよ。人形みたいってすっごく美人ってことだよ。髪の毛だって、憧れるくらい綺麗だよ。だからほら、下なんて向かないの』
目頭が熱くなって、涙をこらえるのに必死だった。人形って馬鹿にされていた。けど、彼女は褒めてくれる。嫌いな髪色も綺麗だって言ってくれる。下ばかり向いていないで、彼女の隣に立てるような人になりたい。
『あ、あの!』
『ん?』
『と……友達になってくれる?』
面食らったように彼女はまばたきを繰り返すと、小さく声を漏らして『もちろん』と言って笑ってくれた。
『真栄城瞳です。よろしくね』
『み、水谷川スミレです!』
差し出された手に自分の手を重ねて、握手を交わした。幼少期のことがきっかけで男の子は苦手になったけれど、瞳という友達ができたことは自分の中で大事な出来事だった。
今は落ち着いている瞳だけど、小さい頃は結構気が強くてスミレをいじめてくる男の子たちを片っ端から撃退してくれてた。だから、兄たちからの信頼も厚くなって、みんな瞳のことを妹みたいに今でも可愛がっている。
あの頃よりも少しは強くなれていると思っていたけれど、瞳や真莉亜に心配かけてしまっていたことに気付けなかった。強くなりたい。いつか瞳がスミレを救ってくれたときみたいに、大切な人を守れる人になりたい。




