スミレの異変
ゆらりと影が落ちて見上げると、階段に爽やか男の人が立っていた。制服ではない淡いブルーのワイシャツを着ていて、クールビズだからかノーネクタイ。第一ボタンだけが外されていて、どことなく大人の色気も漂っているように見える。
わずかに目を見開き、息をのむ。
朝から次々と鉢合わせしてしまうだなんて。
「雲類鷲さん、天花寺くんおはよう。君たちはどこにいても目立つね」
ここの学院の教師にしてはフランクな話し方で、見た目もカッコイイため女子生徒たちから人気が高い一木先生。仲良く話をしているとすぐに噂を立てられてしまう。年齢も二十代後半くらいなので、本気で一木先生に恋してしまう女子生徒もいるくらいだ。顧問をしているテニス部も先生目当ての女子生徒が多いらしい。
「おはようございます」
「ごきげんよう」
天花寺に続いて違和感なく挨拶ができただろうか。にっこりと優しい笑顔を向けてくれているこの人に、私は花ノ姫としての微笑みを向ける。
「お似合いの二人だね」
「え? いえ……偶然会っただけですわ」
「あれ、そうなんだ。てっきりそういう関係なのかと思ってしまったよ。教師がそんなこと言ったら怒られてしまうかな。余計なことを言ってしまってごめんね」
なにやら誤解をされてしまっていたらしい。私と天花寺がお似合いってそんなことあるわけないでしょうが。家柄的な問題なら納得だけど。
長話はできればしたくはないので、会釈して階段を上っていく。
「一木先生って俺らはあまり授業で関わることないよね」
「ええ。確か、二年生の数学を担当されていますよね」
「それでも俺らの名前を知っているんだね。すごいな」
この人は自分がどれだけ有名なのか自覚はないらしい。貴方のことはこの学院の生徒や教師ならみんな知っていると思うけど。知らない人がいたら、そっちの方が驚きだ。それと私の名前を知っていたのは伯父が理事長だからだろう。
廊下でなにやら注目を集めている人物がいて立ち止まる。
女子生徒にしては高身長ですらりと伸びた手足に、短めの黒髪。彼女はこの学院に在籍している女子生徒の中で最も同性からの人気を集めている。けれど、最近では男子生徒からの注目も集めつつあるようだ。……色気、増したもんなぁ。この夏なにがあったんだ。
「真莉亜!」
私を見つけるなり声を上げて歩み寄ってきた彼女——瞳はどうやら私のことを待っていたらしい。
立っているだけであんなに注目を集める瞳ってすごいな。私なんて、チラ見されるけど見てはいけないもののようにすぐ逸らされることが多いのに。その色気をくれ! ちょっとでいいから切り分けてくれ!
「瞳、ごきげんよう。そんなに慌ててどうしたの?」
「おはよう。その……ちょっと話が」
瞳がちらりと天花寺を見上げると、天花寺は柔らかな笑顔を浮かべて片手を上げた。
「じゃあ、俺はここで」
気を利かせて天花寺がいなくなっても、瞳の存在自体が人の視線を集めていた。この場では話しにくいことらしく、瞳が私の手を引いて人気の少ない方へと向かって歩いていく。後ろから甲高い声で「きゃー!なになになんですのあれ」と女子達が騒ぎ出しているのが聞こえたけれど、恐ろしくて振り返れない。
嫉妬されているのか、それとも妄想をされているのか……どちらでも怖い。
空き教室に適当に入り、瞳と向かい合う。表情からして嬉しい出来事ではなさそうだ。
「それで、どうしたの?」
「最近スミレの様子がおかしいんだ」
瞳の悩み事といったらかなりの確率でスミレのことだろうと思ったけれど、予想は当たったようだった。
「スミレの様子がおかしいってどうおかしいの?」
なんとなく私にも心当たりはあったけれど、誕生日のお祝いをしてもらった日になにか隠しているなと思ったくらいで具体的にはなにもわからなかった。私が気づくくらいなら瞳も気づいて当然か。
「……お菓子を全然食べない」
「え?」
「上の空のことも多いし、あまり食欲がないとか言うこともあるみたいで……口内炎でもできたのかと思ったんだ」
…………口内炎?
え、口内炎なの? 確かにできると痛いし、食べるの辛くなるけどさ。
「スミレって口内炎できると痛いのが嫌でお菓子とか泣く泣く我慢することあるから」
「いやでも」
「あの子の口内炎はすごいんだ。一気に五つできていたことあるし」
うわぁ……それはお気の毒に。ビタミン足りてなさすぎでしょ。お菓子ばっかり食べてるからそうなっちゃうんじゃないの?
「でも、痛そうにしている素振りもないし、今回は違うみたいで」
うん、食欲がないのが口内炎ができたからなんて理由は思いつかなかった。恋煩いとかならまだわかるけど。というか、恋煩いじゃないの!? で、シスコンお兄様たちには言えなくて一人悩んでいるとか!
「それになにかに怯えている気がするんだ」
「……怯えている?」
「うん。あたりを見回していることが度々あって、明らかになにかを探しているみたいで……」
怯えている、か。私も屋上でスミレが携帯電話を確認したとき、怯えているように見えた。まさか誰かに脅されているとか? いや、でもスミレに脅されるような弱みってあるの?
「お兄様たちとなにかあったとかではないの?」
「多分違うと思う。あの人たちがスミレに何かしているなら、わかりやすいから」
お兄さんたちが原因じゃないとするとスミレになにが起こっているんだろう。……ちょっと待って。時期は早いけど、これってもしかして原作であったスミレ回なんじゃないの?
「ねえ、瞳。スミレって最近よく携帯電話を見ていることないかしら」
「え? うーん……そう言われてみればある、かもしれない」
もしも原作通りのことが起こっているのなら、おそらくスミレの身に危険が迫っている。問題なのはスミレが瞳にすら相談をしていないことだ。迷惑をかけたくないからといった理由なんだろうけど。
「瞳。こうなったら、正面突破よ」
「え」
「本人に聞くわ」
「でも、スミレは隠しているつもりみたいだし、素直に話すかな」
事件を解決するには、まずスミレの身に起こっていることを正確に知る必要がある。もしかしたら、原作となにかズレがある可能性だってある。それに、もしも原作通りのことが起こっているのであれば許し難い事件だ。起こる前に阻止したかったけれど、起こってしまったのであれば最悪な結末を防ぐしかない。
昼休み、私たちは早速行動に移した。携帯電話を片手に周囲を警戒した様子で一人でそそくさと歩いていくスミレをこっそりと瞳と尾行する。
「……真莉亜、この作戦正面突破じゃない気がする」
「いいえ、瞳。ここからが本番なのよ」
まずはスミレがどこに行く気なのかを探る必要がある。どうやらスミレは東校舎の三階に用があるみだいだった。もしかして第二茶道室に行く気なのだろうかと思っていると、違和感を覚える。
……この様子だとスミレが向かっているのは第二茶道室ではない。
瞳も気づいたようで困惑した様子で彼女の背中を見守っている。驚くのも無理はない。だって、向こう側には————
「……瞳、もしかして」
「どうしたの真莉亜」
「スミレがおかしかった原因ってやっぱり恋煩いじゃないの!?」
だって、だってだって! スミレが入って行ったのは〝カウンセリングルーム〟だった。カウンセリングルームといえば景人がいる部屋だ。まさかスミレが景人と密会をする仲だったなんて! 原作通りの展開なのかと思っていたけれど、読みは外れたみたいだ。
「まったくけしからん!」
「え、」
「学校でいちゃつく子に育てた覚えはないわ! まさか景人が相手だったなんて私たちに言ってくれないなんて水臭いと思わない!? だってカシフレなのに! べ、別にうらやましいなんて思ってないわよ」
「真莉亜、落ち着いて。まだそうとは決まったわけじゃないし」
スミレがリア充だったことに驚いているわけじゃないんだからね。べ、別にあんなに可愛いんだし? 男苦手って言っていても、恋くらいするかもしれないし? 前世でも男子苦手〜と言いつつ、一番に彼氏できてた子がいたわ。……いや、別にいいけど! けど、せめて私たちにくらい話してほしかった!
「乗り込むわよ、瞳」
「え、本気で!?」
廊下を進んで行く私の後ろを困惑した様子の瞳がついてくる。自分の鼻息がいつもよりも荒い気がするけれど、淑女としての嗜みとかそんなものに今はかまっていられない。
いつの間に二人が親密になっていたなんて! 瞳はスミレになにかあったんじゃないかって心配していたのにリア充スミレになっていただけなんて!
「スミレ! 覚悟!」
勢いよくカウンセリングルームのドアを開けると、部屋の中にはスミレと景人、流音様がいた。
……あれ? 二人っきりじゃないの?
「ぅえええ!? ど、どうして真莉亜と瞳がここに!?」
「最近様子が変だって瞳が心配してるのよ。てっきり密会でもしているのかと思ったけれど……」
「ええ!? み、密会!?」
スミレは目を大きく見開いて、硬直している。この様子だと景人となにかあるわけじゃないのだろうか。それにしてもスミレになにかあったことには違いないのに、瞳や私ではなく景人と流音様のところに行っていることが気にかかる。
「とりあえず、みんな座れば? で、お前もこの際だから親しいやつらにちゃんと相談しろよ」
景人は複雑そうな顔をしているスミレに呆れたように声をかけた。やっぱりスミレになにかがあって、それを景人たちは知っているんだ。
「スミレが元気ないと調子が狂う! さあ、さっさと吐きなさい! ぐえっとね!」
「だから、座れよ。ぐえとか言うなよ、令嬢が」
「顔もすごいことになっているぞ。顎がしゃくれている」
景人と流音様のツッコミは置いといて、うずうずとしている私の横にいた瞳が躊躇いがちにスミレの名前を呼んだ。
「もしかして……私たちには話しにくいこと?」
スミレの大きな瞳が揺れる。
咄嗟に視線を下げたスミレはスカートをぎゅっと握りしめて、消えそうな声で呟くように話し出した。
「……じ、実は……その、少し前から変なメッセージが届くようになったの」
————スミレの携帯電話宛に少し前から届くようになったらしい知らない宛先からのメッセージ。
最初は「ずっと貴方を想っている」「貴方の笑顔に癒されている」など好意を伝えてくるものだったらしい。怖くて無視をしても何度も何度も送られてくるメッセージ。拒否設定をしてもすぐに別のIDから送られてきたらしい。
だんだんとそれはエスカレートしていき、画像が届くようになった。それはスミレの盗撮写真だった。学院内で撮られているものがほとんどで、夏休みになりしばらくは来ないだろうと安心しているとメッセージは止むことなく、画像もときどき届いたそうだった。
「どうしてすぐに話してくれなかったの」
「……瞳と真莉亜に迷惑かけたくなくて」
「迷惑なんて思うはずないでしょ。なにかあってからじゃ遅いんだよ。相談してよ」
「ご、ごめんなさい」
いつもは温厚な瞳に叱られて、スミレはしょんぼりとしている。瞳の言う通り、なにかあったからじゃ遅い。この犯人は————もっとスミレに近づこうとしてくるのだから。
タイミングは早いけれど原作通りの事件だった。原作ではストーカー野郎をどうやって暴いたんだっけな。証拠がないととっちめることもできやしない。
「スミレがここの部屋に来た理由は?」
疑問に思っていたことを聞いてみると、瞳のお叱りによってHPがかなり削られているスミレの代わりに景人が答えてくれた。
「この写真、多分ここの隣の部屋の窓から撮られたんじゃないかって思ったから、最近隣の部屋にきた人に心当たりはないか俺に聞きに来たらしい」
「隣の部屋って……?」
「仮眠室」
仮眠室なんかあるの。保健室に行けばいいじゃん。という私の心境を悟ったのか、景人は「カウンセリング受けに来た人が体調悪くなったりしたら、そこで休ませるんだと。普段はほぼ使われていないみたいだけどな」と説明してくれた。
仮眠室で撮られた可能性が高い画像が送られてきた日付は七月か。試しに廊下に出て、隣の仮眠室のドアノブに手をかける。どうやら鍵がかかっているらしく、開かなかった。つまりはここに出入りできる人物は限られている。
カウンセリングルームへと戻ると、スミレが小動物のような潤んだ瞳で見上げてきた。早いところ助けてあげたい。けれど、犯人はわかっていても決定的な証拠を掴まないと相手はしらばっくれるだろう。
とりあえずは、現状でできるところまで話を進めてしまおう。
スミレに送られてきた画像データとメールを全て私の方へと送ってもらい、ノートに画像の情報を書き写していく。
「紅薔薇、一体なにをしているのだ?」
不思議そうにノートを覗き込んでくる流音様に書き写した日付と時間を見せる。
「犯人が連絡してきた時刻と撮影した時間を画像から割り出して、一覧にしてみたの」
今は便利なものでアプリで撮った日までわかってしまう。というのも原作から得たヒントだけど。原作の場合は、映っていたカレンダーの日付に注目していたけれど、この世界では便利なアプリが存在しているので犯人が細工していない限りは正確な日付だろう。それにこの結果を見た限りでは細工はしていないようだしね。
「放課後に撮られているのは水曜日だけ、だね」
「どういうことだ?」
わけがわからないといった様子で眉根を寄せている景人にうふふと笑顔を向けると、何故かさらに顔を引きつらせた。そこはときめけ。
犯人がわかっている私にとっては、あとは追いつめる材料を揃えるだけ。
それと、一つ気にかかることがある。原作ではなかったはずのスミレの水着の写真。これはいつのかわかるかと聞いてみれば、ダリアの君の別荘に行ったときに着ていた水着らしい。なるほどねぇ。
「紅薔薇、顔が危ないぞ。どうした」
「流音、こいついつも危ないだろ」
「お二人ともちょっとお静かに」
私が人間関係を変えてしまっているからなのか、誰かによって故意に起こっていることなのかはわからないけれど、この件も一部は原作通りにはなってくれていないってことね。だけど、やっていることは原作とほぼ同じだから、わかりやすくて助かったわ。犯人なんて簡単にわかる。
さてと、悪役令嬢・雲類鷲 真莉亜らしくやってやるわ!




