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夏夜の思い出



 三階まで上がると、そこはもう屋上だった。


「ぅおあ!?」


 鉛色のドアを開けると突如聴こえてきた破裂音に慄き、身構える私の目の前にカラフルな紙切れが広がり、見覚えのある人たちが出迎えてくれた。


「真莉亜! おめでとう!!」


 スミレの言葉の後に浅海さんと瞳、流音様が「おめでとう」続いた。彼女達の後ろに立っている天花寺と桐生、蒼が拍手をくれているのを見て、わけがわからず立ち尽く。そんな私の後ろで雨宮が状況を説明してくれる。


「明日誕生日って聞いたからサプライズだって」


「え……もしかして私のお祝いをするために集まってくれたの?」


 声が微かに震えて、唇の隙間からか細い息が漏れる。

 嫌われ者の原作どおりの真莉亜にならないようにと思いながら生きてきたけれど、こうしてサプライズでお祝いをしてくれるような友人はなかなかできなかった。


 自分がこんな風にお祝いをしてもらえるなんて思ってもいなかったから、かなり驚いてしまったけれど嬉しさがじんわりとこみ上げてきて胸が熱くなる。

 なにこれ、嬉しすぎる。泣かないように必死に目頭と鼻に力を入れていると、「こんな日にまで変顔しなくていいのよ! 真莉亜」とスミレに言われてしまった。違う、これは変顔じゃない。しかも、私がいつもしているみたいな発言やめて。蒼が訝しげに私のことを見ているから怖い。お姉ちゃんは無実です。


「大成功だわ!」


 顔を綻ばせて喜んでいるスミレは珍しく髪の毛を一つに纏めており、更に薄い紫色の浴衣が普段よりもスミレを落ち着いた女の子に見せている。

 隠しごとが苦手な彼女が私に内緒にしているのは普段なら難しかっただろうけど、夏休みだったからあまり会う機会がなかったから私もスミレの隠しごとに気づかなかったんだろう。スミレと瞳、流音様と会うのは景人のお祝い以来だ。本当は花ノ姫でダリアの君の別荘に遊びにいくお誘いがあったけど、私だけ勉強で不参加だったから。


「あ……」


 不意に軽快な音が鳴り、スミレが袖口の中から携帯電話を取り出すと表情を強張らせた。


「どうしたの?」

「……なんでもないわ」


 もしかしてお兄さんからの連絡だろうか。それにしては画面を見た瞬間に怯えたように見えたし、私には無理に笑っていて様子がおかしい気がする。

 やっぱりスミレは隠しごとは下手だ。なんでもないなんて嘘だと見ていればすぐにわかる。でも、スミレは触れてほしくなさそうで、もしも家のことなら私は下手に口は出せない。今はそっとしておいたほうがいいのかもしれないな。


「雲類鷲さん、一日早いですがおめでとうございます」

「ありがとう。浅海くん」


 浅海さんに声をかけられたことで一度外してしまった視線を再びスミレに戻すと、いつもどおりの笑顔で瞳と楽しそうに会話をしていた。

 少し心配だから、明後日から学校が始まるしそのときにまた元気なさそうだったら聞いてみよう。


「実はお誘いしたとき勘づかれないかひやひやしてました」


 安堵した様子で浅海さんが微笑む。彼女は浴衣姿ではなく私服だった。ダボっとした白のシャツに濃紺のガウチョパンツといったラフな格好なので女の子とは気づかれないだろう。


「全く気づかなかったわ」

「本当ですか? よかったです。隠すの下手なので、ぎこちなく見られたらどうしようかと思っていました」


 あのときの私には浅海さんがものすごくイケメンに見えていたから、まんまとさらっとときめかされていました。


「あ、もうすぐ花火始まるよ」


 瞳の声がして振り返ると、彼女の浴衣姿に目を見張った。


「瞳、すごく似合ってるわ」

「え、な、なに急に。真莉亜の方が似合ってるよ」


 不意打ちで照れたのか瞳にしては珍しく返しがきごちなくて可愛い。

 お世辞なんかではなくすごく似合っている。全体的にすらっとしていて女性的な体つきというわけではないけれど、瞳からはどことなく色気と可愛らしさが混ざり合った雰囲気が漂っている。レトロモダンでお洒落な浴衣は、彼女の個性をキラリと光らせているようにも思えた。


 レトロモダンな浴衣はネットで検索していて可愛くて憧れたけど、私が着たらこけしみたいになりそうで断念した。でも、瞳みたいな人が着ればこんなにも似合うのね。素敵だ。


「真莉亜の顔立ちならドレスも似合うだろうけど、和服もすごく似合う。今度花ノ姫で着物を着て茶道するのもいいかもね」

「まあ、それもいいわね!」


 優雅に庭園でティータイムばかりだから、時には和室で茶道を嗜むのも新鮮で楽しそうだ。普段第二茶道室で集まっているけど、駄菓子とか食べてばかりで私たち完全に茶道室の使い方間違っているしね。


「ケーキとかは花火が終わったあとにしようか」


 天花寺の声が聞こえたけれど、気まずくて視線を向けることができない。あの話の後でどんな顔をしたらいいの。けれど、あんまり過剰に反応をすると周囲に気付かれてしまう。特に蒼が勘がいいから何かあったとすぐに察してしまいそうだ。どうにか切り抜けねば。



「雲類鷲」


 名前を呼ばれ顔を上げると、いつのまにか桐生が隣に立っていた。桐生も今日は黒の浴衣を着ていて、顔が整っている男はなんでも似合ってしまうようだ。相変わらずの仏頂面だけど、きっとこの顔がもう少しふにゃっと柔らかくなったら猫を被っているときの景人っぽくなる。


「浴衣」

「はい」


 浴衣ですね。教えていただかなくても、似合っておりますとも。


「似合ってる」

「……はい、似合ってますね。さすがです。桐生様達の浴衣姿に腹立たしさを覚えるくらいです」


 イケメンは結局なに着てもイケメンなんだよね。うらやましいこった。というか急になんなんだ。俺の浴衣姿どうだ!似合っているだろう!って言いたいの? そんなの言われなくたってわかってるわ。桐生ってそんなナルシストキャラだったっけ?


「違う。お前が似合ってるってっこと」

「はい?」

「やっぱ浴衣には黒髪だな」

「は……はい?」


 桐生の好みは知らないけども。これはつまり褒めてもらえたってことでよろしいのでしょうか。ちょっと……いや、かなり調子が狂わされっぱなし。今日の三人組はみんなで打合せでもしてきたのかってくらい、砂糖みたいな言葉やら態度を吐いている気がしてむず痒くなってくる。一体何が起こったっていうんだ。


「なに口説かれてるの、姉さん」

「え、蒼?」


 嫌そうに顔を歪めて私と桐生の間に割り込んできた蒼が、鋭い眼差しで桐生を睨んだ。


「桐生に誑かされないように」

「誑かしてねぇよ」

「口説いてたでしょ。無自覚ならなおさら危険だね、気をつけてよ。姉さん」

「口説いてねぇしシスコンかよ」


 桐生もブラコンじゃないの? なんて言葉を挟める空気ではなく、バチバチと火花を散らす二人に戸惑っていると後ろから袖口を軽く引っ張られた。


「紅薔薇の君」

「流音様?」


 なにやら私と話したいことがある様子の流音様に手招きされて、少しだけみんなと離れた場所で彼女と向かい合う。いつも通り片方の手には流音様の大事なうさぎのパペットがはめられていて、もう片方の手には携帯電話が握られている。



「来れないけど、お祝いはしたいと言っていたのだ」

「へ?」

「だから、これを使ってくれ!」

「え、ちょ……流音様!?」


 強引に握らされた流音様の携帯電話。画面を確認すると通話中になっていて、相手の名前を確認してからゆっくりと耳に当てた。


「……もしもし」

『よう。久々、ってほどでもないか』


 電話越しの景人の声はいつもよりも少しだけ低くてかすれ気味に聞こえる。


『なあ…………あ、始まった』


 心臓を刺激するような破裂音が響き、紺色に塗りつぶされた夜空に光り輝く火の花が開いてはとけるように消えていく。打ち上げ花火なんてこうして眺めると久しぶりだ。綺麗だけど、儚く一瞬で消えていくのが少し切ない。

 その光景を眺めていると、電話の向こう側から微かに息が聞こえて、意識を再びそちらへ向ける。


『一日早いけど、誕生日おめでとう。真莉亜』

「ありがとうございます。景人様は参加されなかったのですね」

『大人数で過ごすのとか苦手だから無理。でも、あんたには言いたかったからおめでとうって』


 景人がちょっと可愛く思えて笑ってしまうと、不服そうに笑った理由を聞いてきた。可愛いからなんて言えなくて、照れているのかと思ったと言ってみると『バカじゃないの』と言われてしまった。今夜は嬉しいことばかりが起きるので、私の気分はふわふわと浮いていてばかになってしまっているのかも。


『まあ、言いたいのはそれだけ。あんま長電話すると花火の邪魔になるからもう切る』

「景人様、ありがとうございます」

『……別に』


 花火が上がる音が二重に聞こえてくるのは、彼もどこかで花火を見てるからだ。本当は来てくれたら嬉しかったけれど、こうして電話をくれるのは嬉しかった。今度連絡先をちゃんと交換しておこう。


『またな』

「ええ、また」


 特に長い話はしなかった。ただ、また会えるとお互い確信している別れ方だった。私は勝手に景人のことを友達だと思っているけれど、彼も友達と思ってくれているということでいいんだろうか。このメンバーといるのも楽しいけれど、景人と過ごすのも楽しいから、また彼とお弁当を食べて雑談をしたい。あの時間は私にとって令嬢というよりも、結構素で話せる貴重なものだから。



 それから花火を見終わると、みんなが用意してくれたジュースで乾杯して、スミレのお兄さんと瞳が作ってくれたという色とりどりのフルーツが敷き詰められたバースデーケーキを食べた。

 ケーキにはチョコレートで作られた薔薇が飾られていて、食べるのがもったいないくらいだった。(食べましたけど)

 こうしているととても令嬢や御曹司とは思えず、普通の高校生達みたいでおかしかった。けれど、普段のごきげんようなんて挨拶を交わしている私たちよりも、こっちのほうが何倍も楽しくて笑っていた。



 こうして、高校一年生の夏が終わりを迎えた。



 誕生日のお祝いをしてもらい幸せの真っ只中だった私は忍び寄る不穏な影に気づかなかった。




【一通のメッセージを受信しました】


 差出人:海老原



 また私の知らない展開が幕を開けようとしていた。





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