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ミルクティーの彼から甘さを一匙



 なんだか気まずい空気のまま天花寺と児童館の方へと戻ると、雨宮がちょうど館内から出てきた。灰青色の浴衣姿の雨宮は柔らかそうなミルクティー色の髪を片方だけ耳にかけていて、普段より色っぽさを醸し出しているように見える。


「悠、屋上で呼んでるよー」

「わかった。ごめん、ちょっと急ぐね」


 慌ただしく天花寺が児童館の中へ入って行ってしまい、取り残された私は何故か雨宮と向かい合っている。気まずかったから助かったけど、雨宮は天花寺と行かなくてよかったんだろうか。


「雲類鷲さん、ちょっとこっち来てー」

「う、うん」


 館内へと促されて、端っこに備え付けられている靴箱に下駄を入れて、スリッパに履き替える。やっと足が解放されて、親指と人差し指の間にまだ何か挟まっているような変な感覚がする。


 雨宮の後を追って、児童館の中へと進んでいくと子ども用のおもちゃなどがたくさん置かれている部屋にたどり着いた。大きな窓のあるその部屋からは眩いくらいの月光が降り注いでいて、電気がなくてもお互いの姿が十分確認出来る。


 こういう場所懐かしいな。前世で集合住宅のすぐそばにコミュニティーセンターがあって、その施設の中のこどもルームっていう場所が小学生低学年の頃は遊び場だった。ここはそこと少し似ている。綺麗に整頓されている大きめの布製のつみきや、壁に沿って並べられた児童書と漫画。フラフープやバランスボールも置いてある。

 ぼんやりと室内を眺めていると雨宮がひょっこりと顔を覗き込んできた。


「な、なに雨宮」

「んー、なんかさ……様子おかしくない?」

「別におかしくありません。いつも通りです」


 平然を装って微笑んでみせると雨宮は目を細めて訝しげに見つめてくる。完全に怪しまれているみたいだ。


「悠となにかあった?」


 これだから雨宮は嫌だ。鋭いし触れてほしくない部分に遠慮なく触れてくる。乙女心を察しなさいよ。


「……ありません」

「怪しい沈黙だねー。へー、悠がねー。意外と積極的なんだ」


 なにを考えているのかは正確にはわからないけれど、大方雨宮には予想がついているのかもしれない。天花寺と親友の雨宮になら彼の心情はとっくに察していた可能性が高い。

 この世界でヒロインを割り当てられなかった私は、「きっと気のせいだよっ!私なんかに恋しているなんてありえないもん」とかそんな鈍感ヒロインみたいな思考にはならない。先ほどの天花寺からは明らかに特別な感情が見えていた。


「私は……原作を変えすぎてるのかな」


 よりによって浅海さんのヒーロー天花寺が変わってしまうなんて思いもしなかった。


「変えたらいけないの?」

「え……」

「第一、君は原作通りになりたくないんでしょ?」


 それは私が死ぬ運命を変えたいだけであって、ウハウハは令嬢生活を送りたいとかそんな邪な思いはなかった。あ、でもハイスペックイケメンが現れて私の婚約を破棄してほしいとは思ったけど、天花寺に置き換えて考えていたわけではない。


「でも、他の人の人生まで……天花寺と浅海さんのことまで変えようなんて思っていなかった。あの二人はきっと結ばれる運命なのに」


 最後まで読んでいないから、結末は知らないけれどきっと浅海さんの結ばれる相手は天花寺だった。原作終盤で浅海さんが天花寺を意識しているシーンがあって悶えたのを覚えている。


「悠に好きとでも言われた?」


 問いかけにドキリと心臓が大きく跳ねて、ぎこちなく視線を床に縫い付ける。わかりやすいくらいの反応をしてしまったから、雨宮は今ので察しただろう。




「……はっきりと好きと言われたわけではないけど、でも」

「好きってわかるような言い方をされたわけだ」


 自惚れているわけではないと思う。『でも覚えておいて。俺の気持ち』という意味は、答えなんて聞かなくても、鈍くない限りは十分伝わるはずだ。原作の浅海さんだったら気付かなさそうだけど。原作で天花寺が『来年も君とこうして一緒に過ごしたい』って浅海さんにクリスマスの日に伝えたら、浅海さんは『クリスマスは稼ぎどきなので、ちょっと約束できないです』って言ってたなぁ。そんな二人だからなかなか恋が始まらなかったんだよね。


「で、どうするの?」

「私には婚約者がいると伝えたわ」

「振っちゃったんだ」


 あれは振ったうちに入るのだろうか。婚約者がいることは素直に伝えたけど、彼自身が私とどうなりたいとか言ってきたわけじゃないから、私も今後どうするべきなのか悩む。


「それでよかったの?」

「婚約者がいるのは事実だもの」

「……そっかー」


 婚約破棄のチャンスかもと一瞬頭に過ぎったけど、天花寺の気持ちを利用するようなことは気が進まなかった。久世との婚約破棄をして天花寺と上手くいけば、伯母様も文句は言わないと思う。だけど、それは天花寺に対して失礼だ。


「まあ、いっか。……俺も抜け駆けさせてもらおうかなー」

「へ? ちょっ」

「手、出して」


 耳元で雨宮の声がして、心臓が大きく弾む。突然の近い距離と耳に息がかかって、頬に熱が集中していく。身体を硬直している私の傍で、雨宮が小さく笑った気がした。

 こ、この男わざとやってるんじゃないの!?



 雨宮の大きな手が私の手を掴み、柔らかい何かを掴まされた。相手の高い体温にどぎまぎとしながらも、手の中にあるものが気になり視線を下げる。


「これ……どうしたの?」


 私の手に握らされたのは手のひらサイズの可愛らしい子猫のぬいぐるみだ。袋に入った飴を抱きしめていて、袋は金色の何かで結ばれている。


「それは薔薇のチャームがついてて雲類鷲さんにぴったりだなって思ってさ。このまま飾っておくこともできるし、腕につけてブレスレットやストラップにもできるみたいだよ。その黒猫、雲類鷲さんみたいで可愛いよね」

「そ、そうじゃなくて、どうして私に」

「お誕生日おめでとう。一日早いけど」

「え…………な、んで知って」


 雨宮に私の誕生日の話なんてしていないはずだ。原作を読んでいて知っていたとか? いやでも、雨宮はそこまでしっかりと覚えているわけではないって言っていたから、誕生日なんて覚えていないと思うんだけど。そもそも真莉亜の誕生日なんて覚えている読者少ないよね。


 それに金色のチェーンに通されている金色の薔薇のチャームは高そうだ。しかも、薔薇の中心には黄緑色の石が埋め込まれていて、おそらくこれは八月の誕生石のペリドット。こんなに高価なものをもらっていいのだろうか。正直、子猫のぬいぐるみはすっごく可愛くて気に入ってしまった。


「真莉亜」

「っちょ」

「二人っきりの時くらい呼んじゃダメ?」


 不意打ちで名前を呼ばれて、咄嗟に顔を逸らす。絶対今顔赤い。自分でもわかるくらい顔が火照っている。どうせ雨宮は余裕そうな微笑みで私のことを見下ろしているんだろう。


「か、からかうのやめてよ!」

「あはは、顔真っ赤だよー。可愛いねー。浴衣もすっごく似合ってるよー。いつもに増して可愛い」

「うるさいっ! わざと褒めてるでしょう!」


 楽しげに笑う雨宮にやっぱりからかわれただけなのだとわかって、睨みつけると何故か雨宮は真剣な表情で私を見つめている。


「な、なにかついてる?」

「君と会えてよかった」

「……なによ、急に」


 プレゼントくれたり、からかってきたり、真剣になったり、雨宮には調子を狂わされる。この男の本心がどこにあるのかさっぱりわからない。


「でもまあ、悠には簡単には渡せないかなー」

「だから、私はそんなつもりないわよ」


 天花寺はいい人だとは思うけど、原作通りに私が今恋をしているわけではない。原作の真莉亜だったら即久世と婚約破棄して天花寺に乗り換えているだろうな。というか、この状況やばくない? 天花寺に好意を寄せられているなんて原作の犯人に知られたら、どうなってしまうの?


 殺した動機が天花寺関連だったら、このまま原作通りに……うっ。

 私、まだ死にたくない!


 悲しいことに問題はまだまだ山積みのようだ。




「あ、そろそろみたいだ」


 浴衣の袖の中から携帯電話を取り出した雨宮が画面を確認して微笑みを浮かべる。おそらく花火が始まるという意味なのだろうと思い、かご巾着の中に雨宮から貰ったプレゼントを入れた。


「屋上、行こっかー。足、大丈夫?」

「……大丈夫」


 足が痛いことに気付かれていたみたいだ。今は児童館にあるスリッパを履いているから、さっきよりも痛みは少ない。擦れて赤くなったところが明日水ぶくれになっていそうで少し怖いけど。


「そっかー。じゃ、ゆっくり階段上がっていこ。屋上っていっても高い建物じゃないから大丈夫だと思う。水谷川さんとかも浴衣で来てたし」

「あの、雨宮!」


 部屋を出る直前、雨宮を呼び止めた。恥ずかしさを押し隠して、きちんと視線を合わせる。


「ありがとう! 大事にする」


 まだ言っていなかったお礼を告げると、雨宮は子どもみたいに顔をくしゃっとさせて無邪気に笑った。

 ちょっと可愛いとか思ってしまったのは、多分浴衣を着ているだとか、今日は花火大会だとかそういう普段と違う状況のせいだ。


「あれ? 雲類鷲さんちょっと顔赤い? もしかして照れてる?」

「うるはい!」

「あはは、噛んでる」


 ……やっぱ可愛くない。





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