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まさかの恋愛フラグ


 床に正座をさせられてお母様に見下ろされている。なにこのデジャビュ。この失敗によって遊びに行ける可能性はなくなってしまった。


「う、うぅ……ごめんなさい」

「真莉亜さん、あなたには驚かされてばかりです」

「お、お母様……」

「家を抜け出して遊びに行こうだなんて、淑女がすることではありませんよ」


 向けられる視線が冷たい。完全に呆れられているようだった。お母様の隣にいる蒼も頭を抱えていて、そんな私たちを遠巻きに眺めている使用人達が「さすが真莉亜様だわ」って話しているのが聞こえてきたけど、さすがってどういうこと!?

 最近使用人たちも私に遠慮がなくなってきて、つまみ食いとかすると「こら!」とか叱られるし、ダンベル持って鍛えていると取り上げられるようになってしまった。昔よりかは距離が縮まった気がして嬉しいけど、切実にダンベル返してほしい。


「母さん、確かに姉さんはとんでもないことをしたけど、今日くらいは許してあげて。勉強頑張ってたし、明日は姉さんの誕生日だから一日早いお祝いってことで」

「蒼!?」


 ここにきて蒼が私の肩を持ってくれたので弾かれるように顔を上げて目を輝かせる。


「蒼……あなたは本当に真莉亜には甘いわね」


 深いため息を漏らすお母様だって蒼には甘いのだ。先ほどの厳しい口調から、少し柔らかくなっている気がした。勝機は我にアリ! 蒼が味方になったらこっちのもんだわ!


「仕方ないわ。蒼に免じて、本日は自由を許します。夏休みももう終わりですし」

「お母様!」


 ふっふっふ。やっぱり蒼は最強の味方だわ。お母様は蒼にはどっろどろに甘いもの。蒼が可愛くて仕方ないのね。この間だって蒼が嬉しそうにスコーンにつけて食べていた桃のコンポートを、大量に購入していたの知っているんだからね!私が美味しいって言ったら「食べ過ぎはダメよ」って言うだけだったのに!


「ただし、保護者として蒼を連れて行きなさい」

「え、俺は……」

「はい!お母様!」


 まさかこんな展開が待っていたなんて! 家を抜け出そうとしたのも失敗してよかったかもしれない。英語を教わるときに蒼が『ちゃんとできたら、俺が姉さんのお願い叶えてあげるから』って言ってくれた通り、私の望みを叶えられるようにしてくれた。今度お礼しないとね。


「俺も行かないといけないの?」

「行くわよ! 蒼!」

「……はあもうなんでこんなことに」


 用意した浴衣が無駄にならなくてよかった。こうしちゃいられない! 約束の時間に少し遅れてしまいそうだけど、行けるって連絡しないと。はやる気持ちを抑えきれずに駆け出すと、「落ち着かないと行かせないわよ!」とお母様の怒声が聞こえてきて、慌てて速度を落とした。



***




 今年の浴衣は爽やかに白地に朝顔の花が描かれたものにした。髪の毛も綺麗に纏めてもらって、上機嫌の私の隣には気乗りしなさそうな蒼の姿。お母様が蒼にも浴衣を着せたいと言い出して、お父様のを引っ張り出して着せて満足げに送り出してくれた。お母様の機嫌が良くなったのは蒼のおかげだ。


 車で児童館の傍まで送ってもらった頃には、夜を迎えていて星が瞬いていた。予定だとあと三十分後くらいに花火が始まるはずだ。間に合ってよかった。


「二人とも久しぶりだね」


 私と蒼を児童館の前で出迎えてくれたのは濃紺の浴衣を着た天花寺だった。街灯に照らされた肌は焼けているようには見えない。図書館で会った海老原くんは一体どんなバカンスを楽しんであんなに焼けたんだろう。絶対どこかしらに出かけていそうな天花寺だって色白のままなのに。



「お姉さんのこと少し借りてもいいかな?」


 ん? 天花寺の言うお姉さんって私のこと?

 蒼は横目で私を確認したあと、「どうぞ」と頷いて一人で児童館の中へと入って行ってしまった。ちょっと待って。どうして私が天花寺と二人っきりになるんだ。勝手にレンタルされても困るんですけど。


「この辺少し歩かない?」

「え……はあ」


 よくわからないまま街灯に照らされている道を二人並んで歩いていく。こちらを向いて、頬を赤らめながら天花寺が微笑んだ。


「浴衣似合ってるよ。……可愛い」


 照れながら言われるとこっちまで照れる。

 とりあえずお礼を言っておくけれど、こういうところがモテる秘訣なんだろうか。私も見習うべきなのかな。恥じらいながら素敵ねって言えば、男子はイチコロかな。あ、その前にほとんどの人が事務的内容以外に声をかけてくれないんだった。問題はそこからだったわ。


「拓人と景くんの件、裏で色々やってくれたのは雲類鷲さんだよね」

「えーっと、まあちょっとはしましたけど、それはスミレ達の力も大きいので私だけの力ではないです」

「でも景くんが言ってたよ。あの人がいなかったら今頃拓人と会話をしていなかったって」


 そう言ってもらえるとちょっと嬉しい。景人なんだかんだデレるからときどき可愛いな。今度お菓子でも差し入れに行こう。お菓子の家を景人は食べれなかったし。


「景くんってさ、東雲さん以外の女の子とは親しくしなかったから、雲類鷲さんと仲良くなっていてすごく驚いたよ」

「いやぁ、あれはその……偶然出会ってお弁当を一緒に食べて打ち解けただけなので……」


 出会った経緯を詳しく話していないだろうな、あの人。私の名誉のためにもお腹を空かせて匂いにつられてやってきて覗いていたなんて話すのは絶対にやめてほしい。



「ありがとう、雲類鷲さん。拓人が笑ったの久しぶりに見れたよ」


 天花寺も雨宮も本当にあの二人が大事なんだな。小さい頃からの友達でお互いに大事に想い合っているのは羨ましい。

 私は久世とは小さい頃から知り合いでも仲良くはなれなかったし、私たちが大事に想い合うような関係になれていたら婚約破棄なんてことを考えなくてもよかったのかもしれないな。なんて変えられない過去を考えたって意味はないけど。まあ、救いなのは希乃愛は懐いてくれていることかな。在学中に婚約破棄について久世ともちゃんと相談しないといけないよね。




「私は特別なことはなにもしていませんわ。ただ、みんなで誕生日パーティーをしただけです」

「そういうところが素敵なんだよ」


 天然誑氏てんねんたらしが発生した。

 イケボで甘い言葉を吐いて純粋な乙女心をころころっと転がす危険生物だ。

 こういうところに学院の女子たちはノックアウトされるんだろう。言っておくけど、それ浅海さんの前で使うべきだからね。間違ってもスミレの前で使っちゃダメだから、スミレはフリーズしてしまいそうだ。あ、でも男の人苦手でも少女漫画好きだから漫画のヒーローっぽいセリフにはスミレは弱かったりするのかな。


「こんな夏、初めてだよ」

「初めて?」

「うん。友達と集まって花火を見るなんて楽しみだったんだ。誘ってもらえてよかった」


 立ち止まって夜空を見上げている天花寺の横顔を月明かりが縁取る。目を見張るほどの整った容姿に息を飲んだ。

 なにか普段とは違うなと思っていたけれど、浴衣を着ているからか大人っぽく見えるんだ。これが浴衣マジック。前世の夏祭りで制服姿に見慣れていたクラスメイトの私服を見たときにときめいたのを思い出すなぁ。


「天花寺様も浴衣似合ってますわ」

「本当?」

「ええ。元が良い方は何を着ても似合って羨ましいです」


 うちの蒼も負けていないけど、天花寺もかなり似合っている。浴衣姿の写真を撮って学院で売りさばいたら凄いことになりそうだ。小心者の私にはそんな悪どいことする度胸ないけど。


「雲類鷲さんに言われると嬉しいな」

「お上手ですね、天花寺様は」


 わざと嫌味やっぷりでいうときょとんとされてしまった。天然には通用しないらしい。だいたい私に言われると嬉しいとか、浅海さんに言われたらもっと嬉しいんでしょう。


 こんなところで油を売っていていいの? 向こうには桐生と雨宮と蒼がいるんだからうかうかしているととられちゃうかもしれないのに。原作では逆ハーだったんだから、浅海さんを狙う男はたくさんいるはずだ。



「雲類鷲さんは凛としていて綺麗な人だなって思ってるよ」

「褒めてもなにも出ませんよ」


 まあ私で褒める練習をして浅海さんの前でかっこよく言えるようになるならそれでもいいけど、あんまり言われると私調子乗ってしまうのでほどほどにしていただきたい。


「それに面白いよね。表情豊かでさ、普通の令嬢だったらなかなかやらないことをやってのけるしさ」

「天花寺様、それ本当に褒めてます?」

「もちろん。全部俺の本心だよ」


 途中からあんまり喜べない内容だったと思うんだけど。普通の令嬢だったらなかなかやらないことって、木登りとか変顔のことだよね。けど、スミレもいい勝負だからね。


 右足の親指の付け根らへんが擦れて少し痛み、歩き方がぎこちなくなってしまう。やっぱり下駄って苦手だ。前世からビーチサンダルとかも苦手で、親指と人差し指を分ける靴とか靴下が苦手なんだよね。五本指靴下とが履いてみたとき、ぞわぞわしてすぐ脱いだほどだ。


「下駄、大丈夫?」

「慣れていないので歩きにくくて……」

「手、よかったら使って」


 目の前に差し出された手をまじまじと見つめる。つまりこれは手を握っていいということだろうか。こんな乙女ゲームみたいな胸キュンイベントが私に起こっているなんて夢でも見ているんじゃないかと思ってしまう。

 少しの変化にもすぐに気づいてくれるのは、さすがこの世界のヒーロー様。だけど、相手が違うんだってヒーロー様。


「天花寺様、そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ?」

「俺がそうしたいだけだよ。手が嫌だったら腕を掴むでもいいから、ね?」

「……では、袖を少しお借りします」


 根っからの優しい人で天然なんだろうけど、どうかこの現場を浅海さんに見られませんように。修羅場突入なんて私は嫌ですからね。なるべく早く浅海さんと天花寺は幸せになりやがってくださいませ。


「天花寺様、してもらっておいて言える立場ではありませんが……あまりこういうことをされるのはよくないかと」

「どうして?」


 私だからいいものの、令嬢たちは誤解してしまうよ。まあ、スミレや瞳相手でも大丈夫だろうけど、他の子なら勘違いしてしまうかもしれない。万が一学院の人に見られでもしたら大スクープ間違いなしだ。


「こういうことは大事な女性にしてくださいね」

「……じゃあ、問題ないよ」


 ダメだ。伝わってない。問題あるんですって。相手を期待させるだけじゃなくて、もしも私が素直に手を取っていたら、手を繋いでいることになってしまっていたんだよ。


「雲類鷲さんは、大事な女性だよ」

「そう思っていただけるのは光栄なことですが、私の言っている意味は」

「友達以上をこの先望みたいって言ったら、困らせる?」


 天花寺が足を止めて、振り向いた。

 夜の闇に染まった双眸に月の明かりが差し込み、淡く光を放っている。その姿は目眩がしそうなほど綺麗だった。この世界がファンタジーだったのなら王子様は確実に彼だろう。


「……そんなのおかしいです」


 だって、天花寺は浅海さんと恋に落ちる運命なのに。こんな展開はありえない。



「おかしくなんてないよ」

「おかしいです! 第一、私の一体どこに」

「気がついたらいつも目で追っていたから、うまく説明はできないけど……言葉で説明できないと納得してくれないかな」


 いやなくらい心臓が大きく脈を打って存在感を主張してくる。これは私が知っている展開じゃない。落ち着け、落ち着いて話さないと。流されてはダメだ。このままだと死亡フラグが目前に迫って来てしまう気がする。


 天花寺の浴衣の袖を掴んでいた手を離し、僅かに距離をとる。



「私には婚約者がいます」


 私の言葉に天花寺の目が大きく見開かれた。

 今の時代に婚約者がいるのは珍しい方だから衝撃的なはずだ。たぶん天花寺たち三人組にもいないだろうし。


「どんな人か聞いてもいい?」

「久世光太郎です」

「……彼か、そっか」


 案外身近な人間で驚いたのか天花寺は悩ましげに眉を下げてため息を漏らした。さすがに婚約破棄を望んでいるなんて今の空気では言えない。言ったら確実にこんがらがってわけのわからないことになってしまいそう。


「でも覚えておいて。俺の気持ち」


 なにも言えなかった。どうして原作と変わってしまったのだろう。天花寺と浅海さんの恋愛ルートではなくなってしまった。自分の運命が変わることを願っていたけれど、こうなることは望んでいなかった。一体なにがどうなってこんな展開になってしまったの?





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