あくまでお願い
さてと。桐生との話も終わったところで、私も久しぶりにやるべきことをやりますか。
図書室の窓際の席に座って何かを書いている男子生徒の前の席に腰をかけて、頬杖をつく。私の存在に気づいた男子生徒はみるみる青ざめていく。
「ごきげんよう。海老原くん」
「う、雲類鷲さん。ぼ、僕はもう知っていることすべて話したよ」
蒼を文芸部に引き入れた文芸部員の海老原くんは頼りなさげに太めの眉毛を八の字にしている。声も震えていて怯えているのが見て取れる。
いやだわ。これじゃあ、私がいじめているみたいじゃないの。蒼に絶対に話すなって釘を刺したから大丈夫だとは思うけど、言われたら叱られそうだわ。
「ええ、そうね。貴方が全く活動していなかった文芸部に入部したら、ある日からノートが置かれていてそこには自分が部長だと綴られていたのよね?」
「う、うん。それからは僕の書いた話にアドバイスをくれたり、本の話をノートを通してしただけなんだ。だからその、部長については正直ほとんど知らなくて……」
「蒼を文芸部に入れろと言ったのは部長なんでしょう?」
「そ、そうだけど……」
文芸部の部長の正体を誰も知らないって件は少し興味があるけれど、その件で海老原くんが知ることはすべて聞き出した。今回の私の目的は別だ。
「海老原くんは、中等部に妹さんがいらしたわよね」
「え? う、うん。いるけど……」
全く似ていなかったらから気づかなかったけれど、雨宮にあの子たちのフルネームを聞いてみたら〝海老原〟って子がいて驚いたわ。
「妹さんに最近変わった様子はないかしら」
「え、ちょ、どういうこと? 妹になにかあったの?」
「ああ、もしかしてご存じないのかしら」
今の私、最高に悪役っぽい。
口角を上げて、見下すように目を細めると海老原くんが息を飲むのがわかった。
まるで蛇に睨まれた蛙だ。そんなに怯えなくても。
「私、貴方の妹さんとご友人にプールに突き落とされましたの」
「ひっ!?」
「彼女たちを裏で操っている方に用があって捜しているの」
海老原くんは口をパクパクとさせながら額に汗を滲ませていく。視線が合わなくて、私の話が聞こえているのかすらよくわからない。そのくらい彼は混乱していた。
「い、妹が、うぅう雲類鷲さんを? そ、そんな……」
「ああ、大丈夫ですよ。公にするつもりはございません。まあでも、貴方がご協力してくださると嬉しいのですが」
俯く海老原くんの顎に手を添えて強引に顔を上げさせる。たっぷりと五秒くらい視線を合わせて微笑むと、海老原くんの頬は赤らめるどころか青ざめていった。
おかしいわね。悩殺のつもりだったのに。ここは顔が赤くなって、骨抜きにさせる予定だったのに。どこで間違ったの?
「きょ協力って……」
「できれば妹さんが誰と連絡をとっているのか探ってください」
「さ、探るってそんな!」
わかっている。探るってことは妹のプライバシーに踏み込めってことだ。兄妹仲がこじれる可能性だってある。でもそこまでしろとは私は言っていない。勝手に携帯電話を見ろなんて指示出さないし、怪しい動きがあればさりげなく教えてほしいのだ。
「やり方は貴方の自由です。これは強制ではなく、お願いなので」
「で、でも」
「誰なのか特定できなくても構いません。怪しい動きがあれば教えてくださるだけでも構いません。貴方の妹さんを誰かが利用しているのですよ」
そう。これは海老原妹たちの独断ではないはずだ。誰かが裏で彼女たちを利用している。私が知りたいのは、その人物の正体だ。もしかしたらその人が私を殺す人かもしれないのだから。
「もっと酷いことにならないうちに止めたいのです。協力してくださいませんか?」
「……ぼ、僕に断る権利なんてないんだろう」
「ありがとうございます」
別に脅したかったわけじゃないんだけどな。本当にこれはお願いだからね。私じゃ海老原妹に近づくの難しそうだし、希乃愛にお願いして中等部でなにかあっても高等部の私はすぐに助けられないかもしれないし。だったら兄である彼にこっそり探りをいれてもらいたいなって思っただけだ。
別に海老原くんが日焼けしていて、へぇ夏楽しんだんだねぇ。どっか行ったんだ?へぇ。なんて思ったからちょっとトゲのある話し方をしたわけじゃない。断じて違う。
海老原くんと連絡先を交換すると彼は何故か慌てた様子で図書室を出て行ってしまった。トイレでも行きたかったのかしら。
ふう。これでひとまず今日の目的は達成できた。
「雲類鷲さん……」
振り返ると本棚の影から男子生徒の格好をした彼女が姿を現した。会うのは桐生の誕生日会以来だ。
「ごきげんよう。浅海くん」
「ごめんなさい。あまりにすごい会話で出て行く機会逃しちゃって……」
あらら、つまりは浅海さんは全部聞いてしまったってことね。うわぁ……顎クイの色仕掛け見られていたとかめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。
「犯人を捜しているってことですよね」
「ええまあ……そうね」
「自分にもなにか手伝えることがあれば言ってください」
「……ええ」
浅海さんもプールの件を気にしているのだろう。一応浅海さんが気に入らなくて呼び出されたってことになっているしね。けど、浅海さんにだってなにか裏があることはわかっているはずだ。雨宮の話だと、彼女も中等部の女の子たちが私をわざと突き落としたように見えたらしいし。
「雲類鷲さん!」
「は、はい」
「いつも一人でなにかを考えているように見えます。助けられてばかりなので雲類鷲さんに少しくらい頼ってもらいたいです」
こんなことを言ってくれるのは意外で目をまん丸くしながら、きょとんとしていると浅海さんが「そうだ」と声を上げた。
「雲類鷲さんにちょうど連絡しようと思っていたんです」
「私に?」
「はい。日頃の感謝を込めて、お誘いを」
誘いってなんだろう。夏の予定が味気ないので、ちょっとワクワクしてしまう。
「三十日の夜の時間をくれませんか」
私の手をとって柔和な笑みを浮かべた浅海さんの表情や仕草は最高にイケメンだった。




