女は度胸
前半:東雲流音視点
後半:真栄城瞳視点
話してしまった。……話してよかったんだろうか。
紅薔薇の君は、時折私の頭を撫でながら優しく話を聞いてくれた。その手は昔たっくんが撫でてくれたことを思い出してしまった。
彼女は少し、いや大分変な人だ。普段の上品な微笑みとは違い、表情がコロコロと変わる。鼻にシワが寄っておじさんみたいな顔になったり、「おほほ」なんて言いながら鼻の下を伸ばして間抜けな顔になったり、見ていて飽きない。菫の君曰く彼女は変顔が得意らしい。
東雲家の迎えの車に乗り込み、うさぎのパペットを抱きしめながら窓の外の景色を眺める。
日本舞踊も、琴も、書道も父に言われた通りにやってこなしてきた。それなりに結果を出していたけれど、いつも褒められるのは私よりも結果をだしていないはずの妹だった。
天真爛漫で両親にも周囲の大人たちにも可愛がられてきた妹の周りにはいつも人がいて、笑顔に溢れていた。
『ねえ、お姉様。どうしてそんな話し方なの?』
『えっ……と、どう、してって』
妹の質問に私は俯いたまま上手く答えられなかった。
『ねえ、どうしてそんなに怯えているの? どうしてはっきりと話せないの? どうしていつも俯いて目を合わせないの?』
責め立てるように〝どうして〟と訊いてくる妹が怖かった。
それが更に妹を苛つかせたようで、顔を掴まれて強引に上を向かされた。
『私、妹なのが恥ずかしい』
見たくなかった。聞きたくなかった。血の繋がった妹からの本音と、嫌悪の表情。
妹は中等部から別の学校へ入った。理由なんて聞かなくてもわかる。私と同じ学校なのが嫌だからだ。こんな姉を持ったのが恥ずかしいのだろう。
『無理しなくていいよ。ゆっくりでいい。俺は流音が話し終わるまで待つから』
まだたっくんが笑えていた頃に言ってもらえた言葉も私にとっての宝物で、たっくんなら私の話を聞いてくれるのだと思うと安心して喋れた。
そして、たっくんにもらったうさぎのパペットだけが私の心の支えだった。うさぎのパペットが話しているようにしたら不思議と喋れてコミュニケーションが取れた。それから不気味だと言われても私はうさぎのパペットを通して会話をするようになった。
『いつまでそんなもんに頼る気だよ』
たっくんの兄のけーくんは呆れたように言ってくるけれど、私にはこれがないと不安で仕方ないんだ。
そういえば、紅薔薇の君もたっくんみたいに話すのはゆっくりでいいと言ってくれたな。けーくんもなんだかんだ私が自分の口で話すときは、黙って聞いてくれて急かしたりしてこない。
けれど、わかっている。世の中にはそういう優しい人たちばかりではない。
人よりも話すことが苦手で、言葉がうまく出てこない人間に苛立つ人だっている。誰もが待ってくれるわけではない。
知ってるよ。
私には周りを変える力はない。できることは、自分を変えることだけだ。
「……女は、度胸」
自分の口でたっくんに伝えなければ意味がない。
電子音に気づき、ポケットに入れていた携帯電話を取り出すとメッセージが届いていた。今では誰もが使用しているメッセージアプリにはグループを作って、複数で会話ができる。
けーくんとたっくん以外親しい友人がいなかった私にはほぼ無縁だったが、初めてグループに招待された。
「ふ……アホだのう。紅薔薇の君は」
グループの名称は【たっくんスマイル生産計画!】。そんなグループ名に菫の君が「たっくんお菓子食っておかしい計画よ」なんて言い出している。本当変な人たちだ。
人付き合いは苦手で一人の方が楽だと思っていたが、こういう日常も楽しいものなのだな。
彼女たちがこんなに愉快な人たちだとは知らなかった。私はずっと狭い視野で過ごしてきたみたいだ。
***
真莉亜の家を出て、そのままスミレの家にお邪魔した。
「珍しいね。スミレがハルトさんを頼るなんて」
スミレがまさか兄であるハルトさんにお願いするとは思わなかった。
「だって、真莉亜と流音様のためだもの」
「そう」
それでもハルトさんは嬉しいだろうな。スミレに頼られるなんてあまりないことだろうし。そんなことを考えながら呑気に水谷川家の応接間に足を踏み入れると、自分の考えの甘さを痛感した。
「おかえり、スミレ。瞳ちゃんもいらっしゃい」
「ハ、ハルトさん……これは」
私たちを待っていたのは柔らかな笑みを浮かべたハルトさんと、テーブルに山積みになったお菓子作りに使うトッピングやら食材たちだった。
……こんなに使わないと思う。それに左右に置かれた三脚にセットされたビデオカメラが怖い。
「さあ、スミレここから好きな食材を選んでいいよ。あと悩んだり、ときどきつまみ食いなんかもしてくれてもいいけど、視線はどちらかのビデオカメラにね。あとは、あ!ちょっとスミレなにしてるの。ビデオカメラに近づくのはいいけど触れちゃ……あ!三脚畳んだらダメだよ」
スミレが無表情でビデオカメラのスイッチを切って三脚を畳んでいる。この家ではこういうことが日常茶飯事なのだ。
スミレのお兄さんたちはスミレを撮影するのが好きで、様々な姿を記録に残したいらしい。
「そんなことをしてしまっていいの? スミレ」
「っ、なによ」
「優しい俺はレオ兄さんにもシオン兄さんにもこのことは内緒にしてあげているんだよ。知ったらきっと大騒ぎだっただろうね」
「ぐっ!」
出た。ハルトさんの清々しいくらいの意地悪笑顔。スミレのお兄さんたちの中だと、ハルトさんが一番まともそうだけど実は結構厄介だ。
「さあ、そこに座って? それでお願いしてね」
「お、お願い?」
「〝お菓子作りを教えてくださいハルトお兄様〟って言えるよね?」
ビデオカメラを片手にセットして、スミレに向けているハルトさんはとっても楽しげだ。屈辱に顔を歪めながら。「お願いしますぅーハルトおにーさまぁ」とか言ったけれど、リテイクを食らっていた。
「さあ、スミレ言ってごらん」
「……お、お菓子作りを……教えてください! ハルトお兄様!この野郎」
最後汚い言葉がついていたけれど、ハルトさんは満足したらしく録画を終えて頷いた。私はハルトさんの後ろに回り込み、ビデオカメラを奪い取る。
「え、ちょ、瞳ちゃん!?」
「あまりスミレをいじめないでくださいね。それとスミレではなくて、作り方を教わるのは私です。私に作り方を教えてくれますか?ハルトさん」
「……もちろん。瞳ちゃんになら協力させてもらうよ」
そんな調子のいいこといって、私が奪ったビデオカメラを返してほしいだけのくせに。わかってるけど、そんな風に言われて喜んでしまう自分がいて緩みそうになる表情を引き締める。
ハルトさんは私を喜ばせる言葉をさらりと言うからずるい。私のことなんてまったく眼中にないってわかっていても、諦めきれないのはハルトさんといると特別扱いされているような気になってしまうからだ。




