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幽霊は追いかけられる



〝拓人を笑わせてみてよ〟


 そんな無理難題、原作にはありませんでした。

 私の予想だと、桐生景人は弟の拓人と〝幽霊〟を引き合わせて話をさせたいと言うはずだった。だって、景人はその二人が仲良くしていてほしいはずだから。あの三人、こじらせすぎなんだよね。


 その晩、雨宮に電話をして今日あった出来事を話すと声を上げて笑われた。この人みたいにすぐ笑えば楽勝なのに。


『景くんに会ったのはビックリだけど、拓人を笑わせるなんてもっとビックリだよー。君のあの変顔でも笑わなかった拓人だよ?』「いや、あれ変顔じゃないし。ワサビクリームが辛くてしんどい顔しただけだし」

『ん?』

「〝ん?〟じゃないわ」


 前にみんなで第二茶道室でワサビクリームが入ったプチケーキを引き当てた私は酷い顔を晒してしまったらしいけど、桐生だけは笑わなかった。あの人、なにをしたら笑うんだろう。


『で、君は拓人にプールの件のお礼がしたくて、あの兄弟の問題に首突っ込んじゃったんだ?』

「まあ……そんなとこ」

『悪いけど、難しすぎるんじゃないかなー。原作通りならまだしも、拓人を笑わせるなんてさ』


 原作通りだったら桐生を笑わせるミッションなんてなかった。桐生と〝幽霊〟を引き合わせるのは難しくないから私でもできると思ったんだけど、まさかこんなことになるなんて。


「ところで桐生拓人はどうして笑わないの?」


 いつだって仏頂面で優しい表情なんて見たことがない。第二茶道室でスミレが奇妙な言動をしても、眉間にしわを寄せていて他の人みたいに笑わない。原作でもそれは触れていなかった。



『……笑うなって言われたからだよ』

「誰に?」

『母親』


 てっきりあの兄にかと思っていたけれど、あの兄弟のこじれた元の原因は両親だった。原作でちょこっと触れていたけど、桐生の両親は兄の景人に期待していて、厳しく育てていた。成績も常に一位をキープしないと許されなかったはず。けど、弟の拓人の方は兄ほどは厳しく育てられていなかった。

 それがあるときから変わってしまうんだ。


『景くんはさ、一時期本当に心を閉ざして学校に行けなくなっちゃったんだ』

「それ、原作で少しだけ触れていたわよね」

『ああ、そういえばそうだね。その頃の拓人は……確か小学三年くらいかな。明るくて人が周りに集まるような子どもだったんだ。景くんがそういうことになってショックを受けた母親を必死に励まそうとした拓人に「どうしてお兄ちゃんがこんなときに笑えるの? 貴方の笑った顔なんてみたくない」って母親が言ったんだよ』


 それは私が知る限り、原作では触れていなかった話だ。もしかしたら、真莉亜の事件の後か本編が終わった後にでもやっていた可能性もあるけど。


『そのとき、俺と悠が景くんの様子見に桐生家にお邪魔しててさ、偶然聞いちゃったんだよね。で、それから拓人は笑わなくなって、景くんの代わりになれって両親に言われて頑張ってきたんだよ』

「あの兄弟は仲は良かったの?」

『うーん、どうかな。お互いにコンプレックスは抱えていたんじゃないかなー』


 自由なくて完璧を求められていた兄、景人。明るくて人を惹きつける弟、拓人。全く違う二人だからこそ、互いに劣等感を抱いていたのかもしれない。


『で、君はその二人の問題に関わる気なんだ?』

「……借りを返すだけよ」


 桐生とは仲良くなれる気はしないけど、プールで助けられたあの借りをちゃんと返しておきたい。あの時、本当に桐生には救われたんだ。ある程度事情と未来がわかる私だからこそ、できることがきっとあるはず。

 それにこれはあの二人だけの問題ではなくて、もう一人関わっている。


『ありがとう』

「……どうして雨宮がお礼を言うのよ」

『たとえ、原作通りの人間関係でも拓人たちは俺にとって大事な友達なんだ』


 その声からは優しさを感じて、本当にそう思っているのだと電話越しに伝わってくる。


『まあでも、俺にも悠にも……あの子にもできなかったことを君に託すのは重たすぎるかもしれないけど』

「託すなんてやめてください。私はただ自分ができることをやるだけなので」


 私の返答に雨宮が笑った。顔が見えないので正確にはわからないけれど、そんな気がした。


「明日も朝早いの。そろそろ切るわね」

『ああ、明日も補習なんだね』

「……切ります」

『ごめんごめん。じゃあ、おやすみ』


 雨宮は相変わらず腹がたつし、考えてることわけわからない。でも、こうして気を張らずに話せる相手ができたのは少しだけ救われる。


 開いた窓から昼間の熱気が嘘のような緩い夜風が吹き抜けた。レースのカーテンが波打ち、窓枠に切り取られた夜空が顔を出す。


 明日の補習の後、〝幽霊〟に会いに行こう。景人がいるのであれば、来る可能性が高いはずだ。





***






 翌日、ぼっち補習を終えた私はまたカウンセリングルームへと足を運ぶと、やっぱり今日も彼がいた。


「夏休みだというのに登校しているのですね」

「出席日数の関係で七月は補習受けないといけないんだよ。そういうアンタこそ、夏休みなのに登校してるんだ?」


 片方の口角をつり上げて意地悪く笑う景人に「ご飯目当てです」と適当なことを言って、今日もお弁当をつつく。今日はお箸を持ってきた私を見て、景人は若干引き気味だった。


 私としては褒められるかもと思っていたけれど、お箸を持ってくるくらいならお弁当を持ってこいよと冷めた目で言われてしまった。桐生家のご飯すごい美味しいからまた食べたかったんだよ。


「雲類鷲家の令嬢ってもっと違うイメージだった」

「あら、それはどういう意味でしょうか。この筑前煮いただきます」

「……そういうところ」

「よくわかりません。ラスト海老いただきます」

「いや、それ僕が狙ってたんだけど」


 ん〜、味が染み込んでいて美味しい! 桐生家は和食が基本なのかな。フレンチも好きだけど、やっぱり和食も最高だ。


「で、笑わせる方法は思いついたの?」


 その質問に箸を止める。

 そう簡単に思いつくくらいなら、この人は私に弟を笑わせろなんて言ってこないだろう。

 私みたいな会ったばかりのヤツにいきなり頼むのは無茶ぶりすぎるでしょう。第一貴方の弟と親しいわけではないし。



「思いつきません。彼の笑いのツボは貴方の方がご存知なのでは?」

「知らないよ。ほとんど会話しないから」


 さらりと口にした言葉は刺々しくもなく、悲しげでもなくただ本当のことなのだということは伝わってくる。

 そのくらいこの人たちは兄妹らしくは過ごして来なかったのかもしれない。


「僕は拓人がなにに喜ぶのかは知らない。知っているのは、〝アイツ〟が喜ぶことだけ」


 ……アイツねぇ。彼の言うアイツとは桐生拓人のことではない。


「早く食べないと私が全て食べてしまいそうなのですがよろしいかしら」

「よろしいわけないだろ! なに人が話してる目の前でリスみたいな顔して食ってんだよ! 食いしん坊かよ」


 いけないいけない。こんな風に食べるとお母様に叱られるから気をつけていたのだけれど、つい頬張ってしまう。


「なんなのアンタ。おい、米ついてるから。ちっげーよ!右!」


 あ、本当だ。口の右側にご飯粒ついてた。

 案外この人口悪いし、乱暴だ。まあでも、こういう相手の方が私は楽かもしれない。おほほうふふと会話するのは時々疲れちゃうからね。特に花会は地獄だ。お嬢様同士の腹の探り合いがね、胃がキリキリする。

 この間なんて、「まあ、可愛らしい髪留めね。私が初等部の頃につけていたものみたい。うふふ」と話しているお嬢様の背後で「だっせぇ。ガキみてぇな髪留めだなぁギャハハ」って声が聞こえてきた気がした。



「それはそうと」

「いや、米とれよ」

「貴方は桐生拓人が嫌いですか」


 私の質問に景人の動きが止まる。

 その隙に口元についたお米をとって口の中にinする。


「……アンタは? 拓人のことはどう思ってる」

「私は桐生拓人に対しても貴方に対しても特別な感情は抱いていませんが、桐生拓人には借りがありますので彼の味方です」

「正直だな」


 景人は自嘲気味に笑いながら箸を置いた。

 ゆっくりと何かを思い出すように視線を巡らせて、小さなため息を吐くと私へと視線を戻す。



「僕にとっては弟。それ以上でもそれ以下でもない」


 つまりそれは彼にとって大事な家族ということ。溝ができて、決して仲がいいといえる関係ではなくても、ずっと変わらず家族なのだ。



「きっと僕らよりもアンタの家の方が姉弟なんだろうな」

「兄弟のあり方はそれぞれですので、なにが正解とかは」


 言いかけたところで妙な足音と「ぎゃー!」という不穏な叫び声が聞こえてきて、景人と顔を見合わせる。


 何事かとカウンセリングルームを出て、廊下を覗くとそこには————言葉を失うような光景が広がっていた。



「うわっははっははは! お待ちなさい! 幽霊!」


 何故か虫とり網を持ってこちらに向かって走っているスミレと、黒い布を纏って顔を隠しながら誰かが逃げている。その後ろの方で瞳が呆れた面持ちで立っていて、足元には虫かごがある。



「アホがいるわ」

「アホがいるな」


 私と景人はその光景を眺めていた。


「こちらに向かってきているわね」

「……あれ、アンタの知り合い?」

「…………いえ」


 とてつもなく知り合いと言いたくない。だって普通幽霊を捕まえようとか思う? しかも、その手段が虫とり網!? スミレの思考回路は不思議すぎるんですけど!


 どうしよう。こっちに近づいてくる。幽霊と出会えたのはラッキーだけど、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。

 危険を察知したのか景人はさっと壁に隠れてしまった。ちょっと待って私も隠れたい。



「真莉亜! そいつが幽霊よ! 捕まえて! それか反復横飛びとかして絶対に逃さないようにして!」


 私に気づいたスミレが勝利を確信したような表情で目の前を走っている幽霊を指差した。

 何言ってんのあの子。反復横飛びは得意だけど! でも、ドン引きされるわ。いや、そうじゃなくて!



「おい、アンタの名前呼んだみたいだけど。やっぱり知り合いじゃん」


 壁に隠れていた景人が厄介ごとには関わるまいとカウンセリングルームに逃げ込もうとしている首根っこを掴み、阻止する。こうなった以上はもう仕方ない。スミレたちにも協力してもらおう。


「っおい!」

「逃さないわよ!」

「はあ!?」


 アンタは自分がここにいることを他の人たちに知られたくないんだもんね。そりゃ、いかにも厄介そうなスミレたちに見つかる前に逃げたいだろう。だから、すぐに壁に隠れたんだろうし。だけど、ここでアンタを逃すわけにはいかない。


 足音が近くに聞こえ、振り返ろうとしたときだった。



「ぶえっ!?」

「っ!」


 背後から勢い良くタックルされ、景人の首根っこを掴んだまま共倒れしていく。その数秒の間に私の視界は薄くて白い何かに覆われた。


「ぎゃー! 真莉亜!!」


 虫とり網を頭からかぶり、床に倒れる私と下敷きになっている景人、そしてすぐ側にぷるぷると震えながら青ざめている〝幽霊〟が白く覆われた視界の中で薄ぼんやりと見えた。

 ……スミレ、許さん。





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