東校舎三階には
その夜、スミレから電話が来た。
特に用件が思い当たらなかったので、疑問に思いながら電話に出てみるとなにやらよくわからない学校の怪談話が始まった。
『これはある女子生徒から聞いた話です。委員会で少し帰るのが遅くなってしまった女子生徒は、部活に遅れてしまったため急いでいました。すると、ふと左端に何かが見えたのです。足を止めて、おそるおそる振り向くとおかっぱの小さな女の子がぺたん、ぺたん……と足音を立てながらこちらに向かって俯きがちに歩いてきていました。その姿はまるで日本人形のようで、この世のものとは思えないほど日差しに透けた肌が青白かったそうです。そして、女の子は消えそうなほどか細い声で「れ……」と何かを口にしました。けれど、女子生徒には聞き取れず、聞き返してしまったのです。すると女の子は、先ほどよりも低い声で「たぁちされぇえええええ」と叫んだのです。驚いた女子生徒は慌てて廊下を駆け出して、必死にその場から逃げました。……あれはなんだったのでしょうか』
「オチないんかい」
スミレはこのよくわからない怪談話をするために電話をかけてきたらしい。これわざわざ電話してまでも話す必要あるのかな。内容は全く怖くなかったけど、一番怖いのはスミレの話し方だわ。
『違うの真莉亜! 問題なのはこれが起こった場所なの!』
「廊下?」
『そうじゃなくて! 東校舎の三階なのよ! しかも、放課後』
東校舎の三階って、私たちがカシフレ活動をしている階だ。でも私たちも放課後に活動しているけれど、そんなおかっぱの女の子なんて見たことないけどな。
『それとね、真莉亜。英語の補習って東校舎の四階でしょう』
「あ、そういえばそうだったわね」
せっかく夏休みに入ったのに明日から英語の補習だ。なんて憂鬱。朝はだらだらして、昼間は鍛えたかったのに補習によって自由を奪われてしまった。こんなことになるなら必死に英語勉強しておくんだった。
『おかっぱ幽霊に気をつけてね!』
「まさかそれが言いたかったの?」
『九字切りをするといいらしいわ!』
それ素人がやたらにやっちゃダメなやつ!
スミレが臨・兵・闘・者……と教えてくれているらしく、唱えている。大丈夫だとは思うけど、怖いからやめてくれ。
『これで安心ね! うわっはははは!』
「ええ……どうもありがとう」
絶対に使う機会はないと思うけどね。というか、幽霊なんかと出くわしたらそんなことしている余裕ないよ。腰抜かすか、必死に走り去るわ。
スミレが九字切りについて上機嫌で話していると、電話の向こうがなにやら騒がしくなった。『俺の妹、スミレ。誰と電話だ。彼氏か! けしからん。俺は許可しない。無許可のお嬢さんは直ちに電話をお切りくださ〜い!』とか叫んでいる男の人の声が聞こえてきた。……噂のお兄さんですね。
『ぎゃああ! なにしてるのよ! 悪霊退散! 臨・兵・闘……』
スミレ、お兄さんに九字切りはやめてあげて。本当かわいそうだから。
『ハッハー! そんなもの効かないな! この額のホークアイを見よ! 跳ね返してくれる!』
『な、なによ! それただのホクロじゃない! かっこ悪い!』
『なんだと! 怒った顔を激写してやる!かわいいな』
『ちょっと! 連写しないでよ!』
失礼だけど、スミレのお兄さんはおバカみたいだった。
瞳が言っていた会わない方がいいというのは、こういうことだったのかもしれない。
しばらく謎の会話に付き合わされた後、スミレとの電話を切り、この世界のことについてまとめているノートを机の引き出しの中から取り出す。
東校舎三階の幽霊の噂……そういえば、そんなこと聞いたことある気がする。
この世界でではなくて、前世で恋スパを読んだときにそんな内容があった。確か、前世では天花寺がその話を浅海さんにして、偶然にも浅海さんがその幽霊と遭遇するんだ。
「あ、それって……もしかしてあの人のこと?」
この世界と漫画の世界がズレていなければ、幽霊の正体は〝あの人〟だ。
どこまでが同じ世界なのかはわからない。プールの出来事のように多少のズレはあるのかもしれないけれど、一応補習が終わった後に確かめに行ってみようかな。
***
補習は悲しいことに私だけだった。
A組からC組の第一グループ、D組からF組までの第二グループに分けられているらしく、残念ながら第一グループの英語の補習には私しかいなかったのだ。先生、それなら私第二グループに入れてもよかったのでは?
午前からマンツーマンで補習を受けて、十二時には解放された。午前中で終わると聞いていたので、お昼ご飯は家で食べようと思っていたけれどお腹の虫がグキュウゥウウと暴れだす。
あまりにも空腹で気力が湧かずにふらふらとした足取りで階段を下っていくと、どこからかいい香りがした。
なんだろうこれ。嗅いだことのある空腹を刺激する優しくて温かな匂い。
どうやら三階からしているようで、匂いを辿りながら足を進めていく。カシフレが活動している第二茶道室とは反対側にある部屋——カウンセリングルームで足を止める。どうやらこの中から匂いがしているみたいだ。
この部屋には丸窓が付いていないので、ほんの少しドアを開けて中を覗き込む。
中にいたのは黒髪の男の子だった。初めて見るはずだけど、どこか見たことあるような気がするのは何故だろう。
その男の子は重箱をテーブルに広げていて、昼食をとっているようだった。覗いておいて今更だけど、匂いの元を探したところでどうにもならない。寄り道していないで早く帰ってご飯食べよう。
そう思って、ドアを閉めようとした瞬間だった。
ヤツが耐えきれず、暴れ出したのだ。グキュウゥウウと不細工な声は間違いなく私の腹部から聞こえてきた。どうやら腹の虫は、私が息を吐いた瞬間を狙って鳴いたようだった。




