ダンベルは犠牲になった
女子高生の夏が来た! 青春真っ只中の女子高生である私にとって夏休みというのは貴重なイベント。……のはずだったけれど、私の夏は苦い出来事から始まってしまった。
そろそろ足が痺れてきて正座をするのが辛くなってきた。けれど、残念ながらお説教はまだまだ続きそうだ。
「トレーニングルームにダンベルがたくさんあっておかしいと思っていたのだけれど、誰があんなに購入したのかしら。ねえ、真莉亜さん」
「お、おほほ」
「どうしてこんな物が必要なのかしら。ねえ、真莉亜さん」
「うほほほ」
お母様が笑顔で怒っている。普段は穏やかな人だけれど、怒ると家族の中で一番恐ろしいんだよね。————そう、ついに私が鍛えていることがお母様にバレてしまったのだ。
何故バレてしまったのかというと、片手にダンベルを持ちながら廊下を歩いていた時に前方から出かけたはずのお母様がやってきたからだった。急遽用事がなくなっただなんて聞いてなかった私は完全に気をぬいていた。
そして、トレーニングルームに連れて行かれて私が購入したダンベルが一つずつ並べられ、「これは誰のかしら」と問い詰められた。お父様もお母様も蒼が鍛えていると思っていたようだったけれど、残念ながら私でした。てへっ!では済まされることなく、正座をさせられている。
「貴方にダンベルが必要なの?」
必要です。だってもしものときの為に力はつけておきたいし、ひ弱なお嬢様じゃダメなんだ。私は隠れマッチョなお嬢様になりたいんだ!……なんてことは言えず、黙り込む。
「それに真莉亜さん、成績があまりよろしくなかったようね。補習があるのだとか」
「ひっ」
誰だ言ったのは! 蒼か、蒼しかいないよね!?
少し離れた場所で正座をさせられている私と、見下ろしながら笑顔で怒っているお母様を眺めている蒼を見やると気まずそうに視線がそらされた。犯人はあいつだ!
くそう、蒼め。私の味方だと思っていたのに。あとで髪の毛わしゃわしゃしてやる。あれやると物凄く嫌そうにするんだよね。
「残念だわ。今年の旅行は真莉亜さんはお留守番ね」
「え!」
「蒼から補習の日と旅行を予定している日が被っているって聞いたわよ」
しまった。すっかりそのことを忘れていた。夏休みでぐうたらできることに浮かれていて、補習の日程をちゃんと確認してなかったんだよね。確か七月は四日間くらいしかなかった気がするんだけど、それが旅行と被ってたんだ。
「旅行は母さんと父さんの二人で行ってきたら? 二人で旅行なんて滅多にする機会ないでしょ」
蒼がやんわりとした口調で言うと、お母様の目が一瞬輝いたように見えた。手を頬に添えて、「そうねぇ」と呟く口元が緩んでいる。どうやら、お母様的にはそれもアリらしく嬉しそうだ。
「俺は姉さんのお守りをしてるよ」
ん?
「まあ、それなら安心だわ。この子を一人にするとなにをしでかすかわからないもの」
んん? ちょっと待ってよ、お守りってなに。私は蒼と同い年だし、高校生なんだけど。小さい子どもみたいな変な扱いしないでよね。と、言いたいものの今の自分の置かれた立場を考えるとなにも言えない。お母様のお説教タイムが終わってくれそうなのは有難いので、このままお父様と二人で楽しい旅行計画を考える時間にシフトしていただきたい。
「とにかく、これは没収よ。こんなことするくらいなら、女性らしさを磨きなさい」
悲しいことに私が集めたダンベルちゃんたちが黒いビニール袋に入れられていく。それゴミ袋じゃないよね? 捨てないでね、物を大切にして!
「光太郎さんとは仲良くしているの? ダンベルで鍛えているだなんて知られたら愛想つかされてしまうわよ」
残念ながら、久世はすでに知っています。しかも、仲良くありません。定期的に会うときだって空気凍ってます。
「貴女にも恋愛結婚をさせてあげられたらいいのだけれど……」
お母様の声のトーンが落ち、表情が陰る。
そういえば、お母様たちは恋愛結婚だった。伯母様によって久世家との婚約を決められたけれど、私たちが文句を言えないのは蒼を引き取った件があったからだ。
伯母様の反対を押し切って蒼を引き取った直後、伯母様は久世家との縁談の話を持ってきた。直接は言われなかったものの、それは蒼を養子として受け入れることを許可する代わりに私の将来を決めさせろと言っているようなものだった。だからこそ、お父様もお母様も強くは反対できない。
とはいっても既に蒼は養子になっているし、必ずしも伯母様に従わないといけないわけでもない。在学中はいろいろと面倒だから大人しくしているつもりだけど、卒業後はなんとかして久世との婚約を破棄したい。
お母様にダンベルを没収されて自分の部屋に戻ると、ベッドの下からあるものを取り出してほくそ笑む。
あの子たちは囮だ。実はこっそりと隠しているダンベルちゃんがここにいるのだ!今度からは部屋の中でだけで使おう。次バレたらどうなるかわからない。
ドアがノックされ、慌ててダンベルをベッドの下に仕舞う。
「どうぞ」
部屋に入ってきた蒼が目を細めてため息を吐いた。
「……姉さん、それちゃんと隠しておきなよ」
「ぅえ!?」
蒼の指差した先には、きちんと仕舞いきれていないダンベルがちらりと見えてる。ベッドの奥の方へと押し込み、完全に隠して笑顔で誤魔化してみたけれど、蒼は呆れたようななんとも言えない表情をしていた。
「そんなに鍛えてどうするつもりなの」
「自分の身を自分で守るためよ!」
「……そんな危機あるかな」
蒼は知らないだろうけど、私にはこの先危険が待っているのよ。って、そうだ。この間の初恋想の月光の少女の件聞きたいけれど、どう聞こう。
「蒼、小説を書くときはどんなことを決めて書いているの?」
「……どんなこと、か」
小説の話題を振られると思わなかったのか、困ったように眉を寄せて普段よりも声のトーンを落としながら蒼が言葉を続ける。
「俺は少し前に友達に誘われて文芸部に入ったから、そこまで作品を書いたことないんだ」
「そうだったの?」
「うん。文芸部の海老原ってわかる? その人に高校に入ってから誘われたんだ」
小説を書いていることが照れくさいのかあまり触れてほしくなさそうな蒼には申し訳ないけれど、どうしても私はなぜ蒼があの話を書いたのかを知っておきたい。漫画の死に方と似ていることがどうしても気になる。
「月光の少女は昔から不思議な夢を見ていたんだ。あの主人公の結末はそれを反映した物語だよ」
「不思議な夢……」
「ただの夢のはずなのに、何度も見るんだ」
蒼は目を伏せて、少し悲しげに話し出す。
昔からよく現実味のある夢を見ることが多く、目が覚めても夢の中の出来事を不思議とはっきりと覚えていたらしい。そして、ある時から夢の中で顔の見えない女の子が何度も階段から落ちるシーンを見るようになり、助けようと手を伸ばすけれど、いつもあと一歩で手が届かず助けられなかった。それを文芸部の人に話したところ、物語にしてみたらどうかと言われて書いたらしい。
「でも、助けられなかったと言うくらいなら、どうしてあんな結末にしたの?」
「俺も最初は夢の中の子を助けてあげたくて、救われる話を書いたんだ。でも部長がこの話は綺麗な結末ではなくて、悲劇の方が合うから、それも書いてみたらどうかって。それで両方書いたら、今回は悲劇の方を使われたみたい」
「……そうだったの」
蒼が見ていた夢は、漫画の中の真莉亜のことの可能性もある。真相はわからないけれど、私や雨宮が前世の記憶を持っているように、他にも持っている人がいてもおかしくない。そして、その記憶の保有量にはもしかしたら個人差があるのかもしれない。私や雨宮のようにはっきり覚えているわけではなくて、薄っすらとしか覚えていなくて蒼の前世が恋スパを読んでいて、印象に残った内容を覚えていたとか? それとも今後起こることを夢に見たとか……いやいや、それは違っていてほしい。
「そういえば、文芸部の部長って誰なの?」
「知らない」
「へ? でも、部長に悲劇の方がいいと言われたのよね?」
私の言葉に蒼が少し表情を曇らせて、「誰も会ったことないんだよ」と言った。その意味がわからず顔を顰めていると、蒼が一から文芸部について教えてくれた。
文芸部の部長の顔と名前を知る人は誰もいないらしい。やりとりはいつも文芸部にあるノート。そこに部員たちの作品の感想やアドバイスを書いてくれるんだとか。
「変な部活ね」
「うん。まあ、変なのはそこくらいだよ。別に部長と会わなくても困らないからいいけどさ」
「その部長も書いているのよね?」
「部長の作品にはファンが多いみたいだよ。一番人気なのは————」
謎の文芸部の部長の正体を私は知らない。これは原作にはない展開で、蒼が文芸部に入っていることも原作ではなかった。原作とは違う展開になったのは蒼を文芸部に引き入れた海老原って人がいたからだ。なんだか少し引っかかる。
「それよりも久世との結婚、このままでいいの?」
「急にどうしたのよ」
考え込んでいた私は弾かれたように顔を上げて、鼻にしわを刻みながら蒼に視線を向ける。蒼は真剣でどこか思いつめたような表情をしているように見えた。
久世との結婚なんて嫌に決まっているけれど、今はどうすることもできないのだ。それに先に解決しないといけないことがあるし、この問題は後回しだ。
「姉さん、久世と結婚したくないんでしょ」
先ほどのお母様との会話が原因だろうか。蒼がこうやって私と久世の婚約に関してなにか言ってくるのは珍しい。
「それなのに……俺のせいで」
「蒼、そんなこと言わないで。私は蒼のせいだなんて思っていないわ」
何故私と久世が婚約をしたのかを蒼もわかっているんだ。
それでも蒼には自分を責めてほしくない。蒼を引き取ったことを私もお母様もお父様も後悔なんてしていない。むしろ引き取ってよかった。家族になれて本当によかったと思っているんだ。
「ただ今は大人しくしているしかないだけよ。伯母様がうるさいもの」
「でも……久世以外で伯母さんが許すような人はあの人たちくらいだろうけど」
蒼のいうあの人たちが誰なのかは予想がつくけれど、そうなることはまずないだろうな。私が彼らの中の誰かと婚約なんて想像がつかないし、迫りでもしたら原作通りのバッドエンドになりかねない。
でもまあ、婚約破棄するための一番いい方法は私が伯母様が認めてくれるような人と恋愛結婚することなんだけど、そうそう上手くいくわけない。
あーあ、どうせ漫画の世界にそっくりなら、突然超タイプなハイスペックイケメンが現れて、私と婚約してくれるような夢見たいな展開ないかなぁ。この漫画の世界は浅海さんが幸せになるように創られているだろうから、真莉亜が幸せになるのは難しいんだろうな。
***
蒼が部屋から出て行ったあと、ベッドに大の字になって寝転び、消えそうな声で呟く。
「……レケナウルティア」
それはあのとき、希乃愛からも聞いたタイトルだった。もしかしたら、なにも関係はないのかもしれないけれど、どうしてか気になってしまう。
先ほど蒼が言っていた言葉を思い返して、その単語を携帯電話の検索画面に打ち込む。
〝部長の作品にはファンが多いみたいだよ。一番人気なのは————レケナウルティアっていう身分違いの初恋の話〟。
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レケナウルティア。別名:ハツコイソウ。
花言葉は〝秘密〟。




