スノードロップの贈り物
私に困惑を残したまま静かに扉は閉められ、おもむろに初恋想を手に取る。
今話題の月光の少女の作者は伏せられていたけれど、実は蒼だったということだ。スミレや浅海さんたちが知ったらかなり驚きそうだ。でも、あの蒼の様子だと内緒にしておいたほうがよさそうだよね。
そもそも私は最初は全く興味がなく、スミレたちからどんな内容なのかを聞いてからあることに興味を持った。
ざっくりと聞いた内容では、月光の少女の主人公は人を大事にしたいのにそのやり方がわからず酷い事ばかり言ってしまい周囲から嫌われていく。そして、やっとたった一人、自分を想ってくれる人を見つけた直後、恨みをもっていた幼なじみに階段から突き落とされ、月光に照らされながら息絶えてしまう。そこに彼女が想いを寄せていた少年が駆けつけて『さよなら』を告げる。そして彼がスノードロップを遺体の横に添えるらしい。
花についてあまり詳しくない私にはわけがわからなかったけれど、どうやらスノードロップは贈り物にする場合の花言葉が『あなたの死を望みます』という意味になるらしく、彼女は想っていた相手にさえ実は嫌われていたという後味の悪い結末。
それなのに何故人気なのかと疑問に思って聞いてみると、ほかにもラストの展開を読んで気づく伏線や仕掛けがいくつもあるらしくて、スミレたちにとってはそこがお気に入りらしい。その号に載っている他の短編のオススメも教えてもらったけれど、この月光の少女の内容が気になって仕方なかった。
月光の少女の主人公の死に方が恋スパの真莉亜の死に方に似ているのだ。原作で真莉亜も階段から落ちるし、月光に照らされている描写があった。
この作者はなにか重要な手がかりを握っているのかもと思っていたけれど、まさかこんなに近くにいたとは。蒼が作者ということはなにか知っているのだろうか。それとも蒼も前世の記憶が……? いやでも、今までそんな素振りはなかったはずだし、前世の記憶があるなら私が死ぬとわかっていてこんな物語を残すだろうか。
とにかく探りを入れてみるしかない。けど、ストレートに聞くわけにはいかないし、どうやったら上手く聞きだせるんだろう。
今日一日でいろいろなことがあったのでどっと疲れが押し寄せてくる。ベッドにダイブして寝転がると、携帯電話が振動した。ディスプレイには『瞳』の文字。いけない、さっき電話きていたんだった。すっかり忘れてた。
液晶画面に人差し指を当ててスライドさせると携帯電話を耳に近づける。
「もしもし」
『今、大丈夫?』
「今はもう大丈夫です」
相手は小さく笑いながら『さっきはタイミング悪かった?』と訊いてきたので電話があった時に希乃愛が来ていたこと、そのあとに久世が来たことなどを一通り話した。
『やっぱり俺の名前、素直に登録しなくてよかったね〜』
「本当だわ。あれで貴方の名前を希乃愛に見られたら大騒ぎよ」
電話の相手、雨宮が楽しげに『それはそれでおもしろいことになりそうだね』なんて言いやがった。もしも久世と私が上手くいってほしい希乃愛が電話の相手が雨宮だと知ったら、勘違いして必死に邪魔してきそうだ。
希乃愛は私にも久世にも懐いていて、どちらも好きだからその二人が婚約者なことが嬉しいのだと前に言っていた。とはいっても、これは私と久世の問題で将来に関わることだからこればっかりは希乃愛の望みはきけない。
あえて違う名前で登録したのも誰かに見られたときに雨宮が相手だなんて知られたら色々と厄介なことになる可能性があるから、〝瞳〟という名前で登録した。蒼とかに見られても、花ノ姫の瞳だと言えばいいからね。
『というか、久世と婚約してたんだっけ』
「え、知りませんでした?」
『そこまでしっかりと原作を読んだわけじゃないから、すっかり忘れてたよ〜。それに、ここの世界でもそういう話聞いたことなかったな。久世は自分のこと話したがらないからなぁ』
ああ、そういえば漫画でも読者は真莉亜と久世のやりとりを読んでいたから知っていたけど、主人公の浅海さんも蒼から聞かされて知るんだよね。真莉亜も久世もお互いのことが嫌だから自分からは婚約のこと話していなかったはず。
『雲類鷲さんと久世が婚約、ねぇ』
「他の人に言わないでくださいね。あまり噂になりたくないので」
『はーい。まあ、でも他の人が知ったら驚くだろうなぁ。反応見てみたい』
「雨宮様」
言わないよ〜と笑う雨宮に一応念を押しておく。できれば在学中はあまり知られないでおきたい。花ノ姫のスクープは何故かすぐに広まるし、いろいろと聞かれてもお互いが望んでいない関係なのだから返答に困ってしまう。死亡フラグももちろん解決したいけど、こっちの問題もどうやって解決しよう。
『そうそう、今日の件だけどさ』
少し間をおいてから雨宮が躊躇いがちに続きを口にした。
『君を恨んでいる誰かがいるのかもしれない』
「へ? 私?」
プールの一件は〝浅海奏をおもしろく思っていない真莉亜が退学に追い込むことができれば、花ノ姫に入れてあげると言っている〟というデマから起こったんじゃなかったっけ。それなのに私を恨んでいるということに繋がるの?
『プールの件の彼女たちから詳しく事情を聞いたよ』
「あの中等部の子たち?」
『うん。今回の噂をまとめると、君が浅海奏と悠の写真によって悠に妙な噂が流れてしまっていることに激怒し、前々から気に入らなかった浅海奏を学院から追い出そうとしていた。自分の手を汚さずに』
「ええ、原作の序盤の展開に似てるわ」
細かいところや私がプールに落ちる展開は違うけど、写真の件と浅海さんがプールにつれていかれるのはあっている。
『原作だと最初の方は時折浅海奏に意地悪を言うくらいで取り巻きに色々とさせていたよね、確か』
「ええ、それがヒートアップして自らも過激ないじめを行うようになっていたわ」
『けれど、今の世界ではおかしな点がある。いじめの主犯である君はなにもしていないのに、原作と似た展開が起こっている』
雨宮の言うとおり、そこが一番おかしな点だ。たとえば、原作の私の立ち位置に別の人が立っているのならまだわかる。けれど、私が浅海さんを追い出せと命じたということになっているのだ。
「誰かが……私のフリをしている」
『そうだね。浅海奏を利用して君を陥れようとしている人物がいるのかもしれない』
口を噤み、生唾を飲む。私の不安を煽るように鼓動が速くなっていき、胸元をぎゅっと掴む。ああ、制服皺になってしまうかもしれない。早く脱いでおけばよかった。でも……今は気力がわかない。
『それとさ、おかしいんだよね。中等部の子たちは何度聞いても君から浅海奏を学院から追い出せと命じられたと言っている。けれど、浅海奏の話によると君を救おうと水に飛び込もうとすると阻止されて、助けるよりも先に中等部の子たちが浅海奏を責め始めたらしい。まるで助けに行かせないように』
「どういうこと?」
私がプールに落ちたとき、確かに誰もすぐに助けてくれなかったし、誰かが言い合っているような声も聞こえた気がする。それが中等部の子たちが浅海さんを責め始めた声だったのかもしれない。
『浅海奏曰く、彼女たちに違和感を覚えたらしい。君がプールに落ちたのもわざとぶつかったように見えたって』
「ちょっと待って。私、彼女たちとはあの時初めて顔を合わせたのよ。それに彼女たちは私に気に入られるために浅海さんを追い込んだのよね? それなのに私を溺れさせるなんておかしな話じゃない?」
私に気に入られたいのにプールにわざと突き落とすなんてやっていることが変だ。でも、思い返してみればわざとらしかったようにも思えるけど、ダメだ……わざとやっていたという確信は持てない。
『そうなんだよね〜。だからさ、この件は誰かが裏で糸を引いてると思うんだ』
「そんなの……目的がわからないわ」
『憶測だけど、おそらく目的は浅海奏ではなく君だよ』
目的が私?
どくんと心臓が大きく跳ね上がり、手のひらに嫌な汗が滲む。
「……けど、あんなことされたって私が花ノ姫じゃなくなるなんてことないわ」
私が原作の事件以外で狙われる理由がわからない。私を悪者に仕立て上げたかったとしても、あれくらいでは花ノ姫の称号は失わない。
『原作で君は殺されるんだよね? その犯人が既に動いているんじゃないのかな』
「でも、原作では私が裏で手を引いていて、浅海さんをプールに突き落とさせるのよ」
原作と同じ犯人が動いているのなら、原作でこの事件だって犯人が起こしているんじゃないだろうか。けれど、私を殺す犯人と違うのであればまた違った問題が起こる。
この学院で私を他にも恨んでいる人がいるのかもしれない。原作通り今の私も嫌われている可能性がある。それを知った瞬間、胸に鈍い痛みが広がって冷たい感情がじわりと侵食してくる。
やっぱり恨まれるのって辛い。久世との関係は幼いころの出会いから仲が悪かったから嫌がられても別に平気だけど、たとえばクラスメイトや身近な人に実は嫌われていたとしたらそれは精神的にも結構ダメージがくるものだ。
原作の真莉亜が性格悪かったからと今までは割り切っている部分もあった。けれど、記憶を取り戻してからは人に対してひどいことをしないようにと気をつけてきたつもりだった。原作とは違い、私を陥れる人が出てきたってことは今の私を嫌う人がでてきたのかもしれない。
嫌われているのなんて知らない方が楽だ。でも私は知らないといけない。でないとまた今回のようなことが起こる可能性だってあるし、私の死にも関わっていることかもしれないんだ。目をそらしてはいけない。
『探ったり疑うのは俺の役目でいいよ。君はなにか気づいたことがあれば報告して』
「え、でも……」
『協力するって言ったでしょ。それに今回のプールの件、相手のやり方は気に食わない。犯人を暴こう』
雨宮が今どんな顔をして話しているのかはわからないけれど、電話越しの彼の声はいつもよりも優しく感じて安心感をあたえてくれる。もしかしたら私がショックを受けていることに気づいているのかもしれない。
『それと無理に取り繕わないでいいよ〜。様もつけたくなければいらないからさ』
「ありがとう、雨宮」
『うん、切り替え早いね』
ほとんど同時にお互い吹き出して笑った。重たくなった空気を少しでも和らげるように雨宮は言ってくれたのかな。案外いい人なのかもしれない。
そのあと他にも調べてみるよと言ってくれた雨宮と少しだけ他愛のない話をしてから電話を切った。




